* * *
ガタンという音と共に、エミルは何か固いものに後頭をぶつけた。同時に、若干耳が震え、毛が逆立つように感じる。
それは、眠気を吹き飛ばすには十分過ぎるもので、余りにも不意打ちな痛みに、床に転げながら悶絶していると、隣から、呆れたような声が聞こえてきた。
「何してんの、あんた」
涙目で声のした方に顔を向けると、そこには黄褐色の目を忍ばせた三白眼に、左頬の下にある傷跡。固く黒い髪はあれから伸び、後頭部の辺りで結わえたリルベがいた。だが、髪質のせいか、袈裟木がまるでヤマアラシのようになっている。
夢の続きを見て居るような気分で、エミルは口元を緩ませながら手を伸ばした。
「あれ、何かリル、おっきくなった?」
リルベは、それを若干鬱陶しそうに払い除けた。
「何寝ぼけてんだ、涎垂らして。もう一回頭ぶつければ目が覚めるか?」
「痛いのは嫌だよ」
「じゃあ目を覚ませ。もうじき峡谷だぞ」
そう言うと、彼女はエミルの側から離れ、なにやらにぎやかな集団の元へと向かった。
エミルは、いまだ覚醒しない頭を軽く降り、目を擦りながら辺りを見回した。
そこは、埃っぽい屋敷なんかではなく、狭く、薄暗い部屋の中だった。
目が慣れてくると、己が頭をぶつけたのは、少し大きな木箱だという事が分かった。しかも、同じような物がいくつか並べられており、床からの振動やゴトゴトという鈍い音から、今自分がいるのが、荷馬車の中らしいということに気付く。そして、外から複数聞こえる蹄の音や、金属のぶつかり合うような足音、そして、時々目の端によぎる、ウサギの耳。
ここまできて、エミルはようやく目的を思い出した。
今自分達は、アルスバルト王国の国王、シュルド=ジルドラ=アルスバルツを、近隣国、セルヴァンスまで送り届けるために、王国騎士団と共に、エミル達の所属する近衛第五部隊が護衛として随伴していた。
正直、護衛の近衛部隊が決まるまでに、えらく時間が掛かった。
というのも、シュルドに対し、敬愛以上、あわよくば玉の輿を狙っているキャロン達近衛第一部隊と、純粋に王族に忠誠を誓っている、第三部隊の間で、内部争いが起こった。下手をしたら、いつまでたっても出発できないのではないか、というほど、二つの隊を中心に、大きく内部分裂してしまったのだ。よって、出発の三日前、近衛隊隊長、グリンドが各部隊長を集め、公平に『じゃんけん』で決着を付けさせたのだ。
勝敗が決まり、エミル達の下に帰ってきたリルベの表情は、なんともいえない、複雑な表情をしていた。
それでも、大きな仕事を引き受けたという事で、皆の気合は十分すぎるほどに満ちていた。
「きたきたきたきたー! ふはははは、これで皆の息の根を止めてくれる! みろ、革命だ! これより王者は入れ替わるのだ!」
「ぐっ、よくも隠し持っていたな!」
「あらー、丁度いいわ。私これしか持ってなくて困っていたのー。はい、上がり」
「え、ちょ、メリーさん上がり? うそーん!」
物思いに耽っていたエミルの思考を呼び戻したのは、仲間達の騒ぐ声だった。
どうも、暇つぶしにカードゲームをしていたようで、皆、様々な表情でカードの山と、手持ちの札を見比べていた。ただ、不思議な事に、皆の頭になぜかウサギや猫、犬などの耳がついていた。
エミルは驚いて彼らの側に近づくと、それが作り物である事に気付き、罰ゲームか何かだろうと考え、興味深げに戦況を見守っていた。メリーという女性が勝った今、残っているのは、仲間内で一番背が高く、始終無口で無表情なナイフ使いの青年、ゲイル。
先ほどから一番表情の変化の激しいお調子者、小柄な体躯なのに体術使いの青年、ブロッツ。
そんな彼と、平常時でも良くつるんでいる、ムードメーカでクロスボウの使い手の青年、アルベイス。
そして、彼らを率いる、隊長のリルベだ。
どうやら、彼女はカードゲームの途中で抜けてきたようで、かなり渋い表情で場に出ているカードを睨んでいる。五人が囲んでいる中心には、二枚捨てられたクラブとスペードの十。
彼らが行っているのは、どうやら大富豪のようだ。
今、リルベは手札からハートとスペードの三を出すべきか、考えあぐねていた。
その時、エミルは微かな気配の変化に気付いた。
シュルドほどではないが、常人よりも敏感な獣の耳を持っているため、幌の向こうに、馬の蹄や、騎士団達の足音以外に、別のものが追ってきている事にいち早く気付いたのだ。
僅かに遅れて、カードに夢中だったリルベたちも、一斉に、荷だし口の幌に視線を向ける。
ほんの少し、荷馬車の速度が上がってきた。
彼らはカードを伏せ置くと、各々得物に手を掛けた。ただ、リルベだけは、隊服から取り出した黒い皮手袋を嵌め、軽く腕を回した。
「エミル、陛下の様子は?」
問いかけられてすぐに、エミルは耳をすませる。車輪や足音に混じり、規則正しい寝息が聞こえるのを確認すると、にっこり笑ってリルベに向かい、指で小さく丸のサインを出した。
「ん、ぐっすり寝てるよ」
「わかった。じゃあ、こっちから打って出ずに、向こうから――」
彼女の言葉の途中、物凄い衝撃が馬車を襲った。とはいえ、中の荷物はほんの少し位置がずれただけで、崩れはしなかった。
それでも念のため、エミルはシュルドの安否を確認した。そこには、ふかふかの布団と枕に身を任せ、先ほどと変わらずに寝息を立てている一国の王がいた。苦笑しながら、エミルがその場を離れると、突然眩い光りが馬車の中に差し込んだ。僅かに目は眩んだが、すぐに逆光の中にたたずむ人影を見つけた。でも、それが仲間、ひいては騎士団の人間ではないとすぐに分かった。
エミルを見た瞬間、口角を思い切り引き上げて笑ったからだ。
「へえ、亜人のクォーターか。コイツはいい拾い物したな。男なのが惜しいが、ガタイも良いから、好きモノに高く――!?」
だが、男は最後まで言葉を言い終えることなく、馬車の外へと弾き飛ばされた。彼の話が終わる前に、メリーが突き出した棍が、鳩尾に直撃したのだ。
「やだー。メリぃ、ちょーびっくりしたぁー!」
「メリーさん、取り繕わなくても、あれ、盗賊だとおもうよ」
「あらー、そうなのー? じゃあ……遠慮なくぶちのめしていくぞ、野郎ども!」
平素、そしてゲームの最中も、おっとりと、にこやかな笑顔を絶やさないメリーが、本当に同一人物なのかと思うほどに雄雄しい顔つきで咆哮すると、矢のような速さで馬車の外に飛び出していった。
「いやー、いつ見ても鮮やかだよねー、メリーさんの変身」
そう呟くのは、ブロッツ。
「ほんと。あんなにかわいいのに、実はおっさ――」
それに続いて、相槌を打とうとしたアルベイスの頬を、恐ろしい速さで何かが掠っていった。
「今、何か言ったかしら?」
それは、先ほど賊の一人をふっ飛ばした棍。その先には、般若を背負ったメリーの姿があった。
「無駄口叩く暇があったら、とっとと賊の首、刈り取ってこいや!」
『さーせんした、姉御!』
ブロッツとアルベイスの言葉が重なると、満足そうに、メリーは戦場へと戻っていった。そんなやり取りを見ていたエミルたちも、苦笑しながら戦闘準備を整え、外に飛び出した。
* * *
外は、足首が埋まる程度の雪が積もっていた。近衛の隊員も、騎士団員達も雪上戦に慣れていないため、足元がおぼつかず、苦戦していた。
それでも、リルベたちは最初の一人以外、誰一人荷馬車に近づけてはいない。
リルベの鋼鉄製の糸で行動を奪い、他の隊員が討ち取る。しばらくはその繰り返しで、粗方盗賊達の数を減らしてきた。時々飛んでくる矢も、エミルが避けるついでに、全て横から攫っていく。それは、アルベイスが己の武器に仕込んで、伏兵達へ丁重にお返しした。
リルベは一度、辺りを見回し、己の仲間が負傷していないか確認する。全員が、軽傷、または無傷であると確認すると、彼女は安堵の溜息をついたあと、皆に聞こえるように叫んだ。
「後どれくらいだ!」
「この周辺にはもういない。でも、おかしいんだ。頭目らしき人物が、見当たらない」
エミルの言葉に、リルベはハッとした。
確かに、今まで彼らが戦ってきたのは、どちらかといえば雑兵みたいなものだ。その中でも、何人か部隊の司令塔らしき輩は倒してきたが、肝心の将はまだ討ち取っていない。
彼女が周囲をうかがっていると、急に後ろ頭の産毛が逆立ち、悪寒が走った。刹那、背後から風を切るような音がした。音だけですんだのは、間一髪でリルベが避けたからだ。
彼女の目の前に現れたのは、見るからに場数を踏みなれた、熊のような髭面の男だった。防寒対策とはいえ、厚手の服からもわかる筋骨隆々な体つき。そんな彼が振り下ろしたのは、馬も一緒に切れるのではないかと思わせるほど大きなファルシオン。
明らかに、他の賊とは違う雰囲気に、リルベは緊張した顔つきになった。
「ほお、避けたか嬢ちゃん。だが、仲間を好きにしてくれた礼は、まだ終わってねえぜ!」
そう言うと、男は素早く、振り下ろした剣を斜め上の方向へと切り上げる。
それは、彼女の体を捕らえたかのように思われた。現に、側で見ていたエミルすら、次の瞬間、彼女の体から赤い血が噴出すものだと思っていたのだ。
「リル――?!」
だから、彼女が二本足でしっかりと立っている姿を見て、思わず彼は首を傾げてしまった。
「あ、あれ、何で無事なの?」
「んなん、今はどうでも良いだろ! 早くこいつを抑えろ!」
エミルは首をかしげながらも、慌てて頭目である熊男に襲い掛かった。彼は、獅子のたてがみのような髪を振り乱し、鉄爪を振るう。その横では、エミルを援護するように、ゲイルが、大型のナイフを振るった。そのたびに、青や緑色の光り炎が舞い、どこか幻想的な光景に見える。それでも、熊男の方が僅かに押していた。そして、彼が勝利を確信してエミルに向け、両腕を振り上げた。
すると、どこからか鉄糸が現れ、熊男をファルシオンごと拘束した。
「――っ、いつの間に!」
熊男の動きが止まったところで、ゲイルのナイフが、エミルの爪が、男の喉下を引き裂く。彼が、体を痙攣させると、拘束していた鉄糸が外れ、雪に剣が刺さる。口から血を溢れさせながら、熊男は糸の切れた人形のようにその場に勢いよく倒れ付した。
彼の流す血が、白い地面に敷物を敷くように広がっていった。
* * *
無事に熊男を倒した彼ら近衛隊だったが、丁度同じ頃、騎士団の方でも盗賊の頭目と一騒ぎあったようで、リルベたちが駆けつけた時には、一匹の豹に圧し掛かられた男と、訳ありげな美女がその豹を諭している所だった。
ともあれ、全てに決着がついたため、皆は大きく溜息をついて肩を落とした。
「つっかれたー」
「雪上戦って、意外と大変だねー」
「むり、もう無理ぃ、疲れたぁ!」
「ねえリル、この後僕たちってどうなるの?」
疲れきったエミルたちは、雪の上に座り込み、ゲイルに至っては、無言で近くの木にもたれかかっていた。
だが、そんな彼らに対し、リルベはただ一言告げた。
「荷馬車は怪我人運搬用になったから、徒歩になるだろうね」
これには皆、唖然として彼女の顔を見つめた。
「え、ちょっと待って。まだ大富豪途中だったよね? 俺、革命起こしたばっかりだったよね!?」
「残念だけど、無効だね」
我に返ったブリッツが、思わずリルベにすがりついたが、一言で切り捨てられてしまった。
それに釣られる様に、今度はアルベイスが一人、半泣き状態で嘆いた。
「俺、折角ジョーカー取っといたのに……!」
「無効だねぇ」
またしてもリルベが一言で切り捨てると、少しほんの僅かに眉を顰めたゲイルが呟く。
「――――――五のカード、四枚揃っていた」
「無効だよ」
どこか呆然としたような言葉に、僅かに同情しながらも、彼女は一言で返した。
「よかったぁ、私上がっておいてー」
彼らの嘆きを聞きながら、メリーは心底ホッとしたように笑っていた。
メンバー達の百面相を見ながら、ふとエミルは、戦闘の間ずっと気になっていた疑問を、リルベに投げかけた。
「所でリル、あのおっちゃんの攻撃、どうやって避けたのさ。僕、もうだめかと思ってたんだけど」
リルベは、数度目を瞬かせた後、懐からある物を取り出した。それは、一見万年筆のようにも見える、大きな傷の付いた寸鉄。
「まあ、結構ギリギリだったけど、コイツを手に嵌めてたおかげで助かったよ」
そう言って、小さく笑った彼女は、それを手の中で数回まわしながら、もとの場所にしまいこんだ。その仕草が、どこかイタズラ好きな子どものようで、エミルは思わず笑ってしまった。
「おーい、近衛隊! ちーと手伝ってくれー!」
その時、騎士団の団長、ガルダスに呼ばれた。
六人は顔を見合わせた後、溜息をついたり、苦笑したり、無表情だったりと、様々な表情を浮かべながら、ガルダスの元へと近づいていった。
「何ですか、騎士団長さんも大富豪に混ざりたいんですか? だったらパスは三回までですよ!」
〜しょせん、近衛隊員のため息・了〜
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【加護の森】は、ファンタジー版旭○動物園です。
若干、サファリパーク混じってます。
とても元気で人懐っこいツタ植物とか、うっかり人も餌と間違えてしまうドジッ子ラフレシアとかもいます。
ちなみに、新人がここに放り込まれるのは、大体どこの場所もレベル1くらい。
中の生き物たちはレベルでいうと1〜100まで多彩です。(イメージは世界樹の迷宮)