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宝暦五年弥生。
私、溝口誠之進はかねてからの念願通り、十四歳の春、家老の父・溝口主膳の許しを得て高山藩校へ入学した。
わが藩では、中・下級藩士の子弟は、八歳から藩校への入学を義務づけられている。一方、その上の階層である「上士」の子弟は、教育に関して様々な選択枝が与えられていた。通常は、城下の高名な学者の私塾で学ぶのが一般的だった。国家老の嫡男である私もその例にもれず、去年までは大手門の近くの佐伯羅山先生の塾に通っていた。
それがなぜ突然、藩校へ入学すると言い出したかというと…。
中級の勘定方の子弟に、ぜひとも友になりたい人物がいたからだ。
(そのへんの事情を知りたい人はここをクリック)
羅山先生の講義は面白く、断じて塾に不満があったわけではない。先生にはまことに申し訳ないと思った。だが、将来家老職を継ぐ身として、様々な階層の藩士の子弟と交流したいという、私の希望というか、もっともらしい言い訳に、先生は理解を示され快く送り出してくださった。先生が承諾してくださらねば、父上を説得するのは難しかったかもしれぬ。まこと、先生のお宅には足を向けて寝られない。
ともあれ、今日は初めての登校日。用人の生島太郎座衛右門は供をつけると大騒ぎしているが、そんな上士風を吹かせて登校したのでは、早速、『彼』の失笑を買うだろう。
「ひとりで行くと申しておるであろう! 生島、しつこいぞ、そこをどけ」
「いいえ、若様。本日、初日だけでもお供させていただきますぞ」
「なに! おまえがついて来ると申すか?」
「左様にござります」
冗談ではない。
第一印象は大事なのだ。生島のような者をつれて仰々しく出かければ、
『酔狂で藩校へ入学した家老の嫡男が、用人に付き添われて登校か…ご大層なことよ』
と、いい物笑いの種だ。
「生島、ならぬといったらならぬのだ!」
私は玄関の式台の上にたち、床を踏み抜かんばかりに足を鳴らした。
「そなた、私が藩校へ入学したいという意図を、ちっともわかっておらぬ」
「誠之進様…?」
「何事も初めが肝心じゃ。私は中・下級藩士の子弟と交わり、彼等の心を知りたいのだ。皆と同じに、普通に振舞わねば、なかなか心を開いてはもらえぬ…」
「ふむ…まことに左様なことをお考えで?」
「何じゃ、疑うのか?」
「い、いえ…そういうわけでは」
こやつ、妙なところで感がいい。
だが、別にこちらとて嘘を言っているわけではない。何も後ろ暗いところはないのだ。
私は生島の突っ込みを、爽やかな笑顔で迎えうった。
「案ずるな、今日はひとりで参るが、今後は酒井道場で一緒の吉田小兵太や佐久間彦四郎と、登下校を供にするゆえ…」
生島は式台に正座したまま、思案顔で私を見上げていたが、
「…仕方ありませぬ。よろしゅうございましょう」
溜息まじりに同意してくれた。
「わかってくれるか、生島!」
「…若様は、意外に頑固なところがござりますなあ…」
苦笑する生島を残し、
「ではいってくる!」
私は飛び立つように玄関を後にした。おそらくは警護の若党が内緒で後をつけてくると思うが…。まあそこまでとやかくいっても始まらない。生島も役目柄、仕方ないことなのだろう。
玄関先で生島と押し問答していたおかげで、大分時間をくってしまった。急がねば遅刻してしまう。溝口の屋敷がある城の西側から、藩校のある東側のけやき平は案外遠い。
残雪がまぶしい春まだ浅い日。早朝の済んだ空気を胸いっぱいに吸い込みながら、私は足取りも軽く城下を東へと走った。
*
実は秋に一度、下見をかねて藩校を訪れたことがある。剣友の吉田小兵太に頼みこんで連れていってもらったのだ。小兵太には内緒だが、一目『彼』に会えないかと期待していたのだが、残念ながら願いは叶わなかった。
小兵太は徒組(かちぐみ)の吉田家次男で、直心影流・酒井道場で幼少の頃から竹刀を交えている仲だ。酒井十太夫先生は剣の筋さえよければ、家老の嫡男であろうが、下級藩士の次・三男でも、分け隔てなく弟子をとった。
しかし周りの者は、徒組の子弟など私が付き合うべき家格の人間ではない、とあまりいい顔をしない。
だが、別に父上からお叱りがあったわけでもなし。友を選ぶのに他人の指図は受けぬとばかりに、私はうるさい生島やその他の声を無視し、毎日のように道場で小兵太と稽古に励んでいた。
*
ゆるやかで長い、けやき坂を登りきり、藩校の長屋門をくぐる頃には、すでに構内に生徒たちが溢れていた。今日は初日で日割り等を決める日だ。
すでに私が入学したことは衆知のようで、私が脇を通ると、こちらの顔を見知った者は礼儀正しく頭を下げる。
ふむ…何かやりにくいな。
今ひとつ居心地のよくない私は、白砂の校庭に吉田やもう一人の剣友、佐久間がいないかと目を凝らした。
「誠之進殿」
聞き覚えのある声が後ろからかかった。振り返ってみれば、
「おお、藤十郎殿」
同じ上士の子弟である、中老・堀家の嫡男、藤十郎(後の中老・堀隼人丞)だった。
堀藤十郎とは佐伯羅山先生の私塾で長年の付き合いがある。五歳年長の藤十郎は、藩校で兵学など一部の講義だけとっていると聞いたが、初日に出会えたとは運がいい。私は正直ほっとした気分で微笑んだ。私は教養豊かで書を好む、この年上の友人を敬愛していた。
「藤十郎殿が本日いらしていたとは…」
私がにっこり見上げると、
「一応、初日ゆえ…講義の時間割りなど調べておかねばならぬ」
「お役目もあるのに…相変わらず熱心でござりますな」
藤十郎は破顔すると、
「貴殿こそ。藩校にて、より幅広い層の子弟と交流したいとは、見上げた心がけじゃ…」
(うっ…いずこでそんな話を耳になさったのだ。父上がまたぺらぺらと…っ)
照れる私を前に、
「よろしければ、校内を案内してしんぜよう」
藤十郎が申し出た。
私は一瞬返事に困った。
藤十郎殿は親切で言うてくださっているのだが…。私としては早う吉田や佐久間、いや、正直に言うと、「彼」を見つけたかったのだ。藤十郎殿と一緒にいると…その、いざというとき身動きがとれぬような気がして。
「いかがした。誠之進殿?」
仁王立ちで黙り込んでしまった私に、藤十郎は穏やかな瞳で問いかけた。申しわけなさで一杯になっていたところへ、
「おう!誠之進!とうとう来やがったか!」
聞き慣れた柄の悪い口調に、私は安堵を覚えた。吉田小兵太だ。
今日も袴は見事なくらいよれよれだ。もうひとりの友人、佐久間彦四郎と連れ立っている。佐久間も同じく徒組の子弟だが、こちらは質素でも、常にこざっぱりした身なりをしている。
小兵太は佐久間とこちらへ向かって歩きながら、
「よお…生島のじじいは付きそってねえのか?」
からかいたくて手ぐすねひいているのが、声の調子でわかる。
「あたりまえだ、ひとりで参ったに決まっておる!」
思わずむきになって言い返すと、口数は少ないが人のよい佐久間が、隣でにこにこと笑っていた。
藤十郎は近付いてくる小兵太と佐久間の姿をみとめると、
「某がお節介をやくまでもないか…」
と苦笑した。
「い、いえ。ご親切痛み入りますが…」
「よいよい。気にするな。…何か困ったことがあれば、いつでも参られよ。相談にのろう」
「ありがたきお言葉。かたじけのうござります…」
「ではこれにて、御免」
藤十郎は恐縮する私に小さくうなずくと、きびすを返し、校舎の方へ歩み去って行った。
春霞2へ
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