一の巻
「青葉の頃」4




by 戸田采女

 宿場町を遠くはなれ、水田の広がる一帯まで逃れると、
「どうどう」
ようやく三郎は手綱を引いて疾風の速度を落とした。
「悪かったな、急に走らせて」
すまなそうに語りかければ、疾風もぷるぷるといなないた。

 しばし、ゆるりとした歩みで田園地帯を進む。
江戸から戻って以来、三郎が城下町の外に出るのは初めてだった。
以前はあたりまえの風景だったものが、江戸という大都会から戻った今、緑あふれる素朴な美しさが三郎の心に沁みた。

 絵心のある父が、この地を愛した理由が今さらながらよくわかる。

(兄上も…高山を好きになってくださるといいが)

 ふと、江戸の兄のことを思い出した三郎であった。

(兄上はいかがお過ごしであろうか…)

 しばし馬を止め、懐かしさに浸る三郎の耳に、田圃の向こうから何やら騒がしい声が聞こえてきた。

「ほれ、大人しくせぬか!」
「嫌じゃ、おら、行きたくねえ!」
「なにを、この罰当たりが!」
 
 三郎が声のするほうへ目を凝らすと、あぜ道の向こうから、若い武士ふたりが村娘を引き摺るようにしてやってきた。姿は遠いが声ははっきり聞こえる。

「おら、屋敷奉公なんか真っ平ごめんだっ」
娘がかん高い声で叫んだ。
「わからんやつだな。畑仕事よりずっと楽だぞ」
「口減らしに女郎屋へ売られるよりましじゃろう?」
「ばかにするな! おらのおとうはそんなことしねえ!」
「そうとんがるな。おまえが奉公に出れば家族の暮らしも楽になる。親孝行と思え」
親孝行という言葉に、娘はぐっと唇を噛んで押し黙った。
「なに、若殿付きの下女だからな。たいした仕事はない。やることといえば…」
「ふっふっ…」
「我らがひと足先に教えてやるか」
ふたりの武士は顔を見合わせて忍び笑いを洩らした。

 片割れが薄い唇をなめ、ふたりの間で了解がなった。

 不穏なものを察した娘は、渾身の力で男の腕を振り切ろうとしたが、
「暴れるなと言うたろう?」
「うっ…」
簡単に当て身を喰らわされ、あぜ道に崩れ落ちた。

(あやつら…!)

 捨ててはおけぬと、三郎はそっと馬から降り、足音を忍ばせて近づいた。

 ふたりの武士は夜盗さながらに娘を肩に担ぎ上げて、足早に竹やぶの中へ入っていく。

 三郎は小走りにあぜ道をゆき、三人の後を追って竹やぶに足を踏み入れた。




 足音を忍ばせて近づけば、案の定、地面に投げ出された娘の上に、ふたりの武士が屈み込んでいた。ひとりははだけた胸のあたりに顔を埋め、もうひとりは娘の両膝を割り…。
 
 娘のあられもない姿に、三郎の頬にかっと血がのぼった。後先考えず突進し、男たちをひとりずつ突き飛ばした。

 ふいを襲われ、不様に地面に転がったふたりだが、
「おのれ、何をする!」
すぐに立ち上がって身構えた。
まがりなりにも武芸の嗜みはあるようだ。
三郎はひるまず、気を失った娘とふたりの間に立ちはだかった。
「おまえたち、いずこの家のものじゃ!」
気魄を込めて恫喝した。
ふたりは一瞬ひるんだが、三郎を上から下まで検分するがごとく眺めると、
「なんじゃ、前髪のくせに生意気な」
「これからというところを、不粋な真似をしおって」
ふたりは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

 城勤めの役付きの武士は、一応三郎と面識がある。
年賀など行事の際にお言葉を賜っているからだ。
いかに地味な着物を着ていても、これだけ間近で相対せばわからぬはずがない。
三郎の顔を知らぬということは、どこかの家人かお目見え以下の軽輩であろう。

 三郎はじりっと一歩前へ出た。
「いまいちど尋ねる。いずこの家のものか」
「その人を見下したような物言い…勘に触るのう。…おまえこそ、何やつじゃ!」
「仮にも高山藩士が山賊同然のこの所業、見過ごすわけにはいかぬっ」
臆せず詰め寄ってくる三郎に、ふたりは不快げに眉を寄せた。
「山賊同然とな…おぬし、我らを愚弄する気か」
片割れが低い声音で凄んだ。

 『愚弄』とは片腹痛いわと、内心吐き捨てる三郎だったが、相手はやけに尊大に構えて続けた。

「おぬし、これ以上我らに絡むと厄介なことになるぞ。我らはさる御中老の家に仕えるもの。知行地から見目よい娘を下女に連れてこいとの、若様の仰せに従ったまでじゃ」
「…で、途中で斯様な真似を?」
「そこはほれ、閨でお役にたつかどうか、我らが先にとくと味見をしてだな」
「ふっふっふ…役得じゃ」
「ふざけたことを申すな!」
げびた笑いを洩らすふたりに、三郎の怒りが炸裂した。

「門閥の家人ならば、なおのこと許せぬ」
三郎はすらりと大刀を引き抜いた。
さすがにこの展開は予期しなかったのか、ふたりはじりっと後ずさった。
己の腰に手を伸ばすも、娘を手込めにしようとした際、大小は外して地面に置いてしまった。

 男たちの舌打ちが聞こえた。

 三郎はぴたりと正眼につけ、相手を威嚇した。

 睨みあったまましばし対峙していると、あぜ道を走る来る大勢の足音が聞こえた。
「おきみ〜っ!」
娘の名だろうか。
村びとが代わる代わる「おきみ」と呼ばわっている。
「おい、いたか?!」
「いんや、街道に姿はねえ」
「こうなったらお屋敷にいって、殿様に直談判するべかっ」
「くそお…おきみ〜っ!」

 必死の呼び声に反応したのか、娘が身じろぎし、下草がかさこそと音をたてた。
ぼんやりと上体を起す娘を、三郎がちらりと肩ごしに振り返った。
「そなた、おきみという名か」
「う、んだ」
ようやく自分の置かれた状況に気付き、おきみは慌てて膝を閉じ、袷を掻き合わせた。
「ゆけ、迎えがきておるぞ」
「だども…あんたは?」
二対一の不利を一応案じてくれたらしい。
「構わぬ、早うゆけ!」
三郎が声を荒げると、おきみは真っ赤になってうなずき、竹やぶから走り出た。

「小僧…いい気になるなよ」

 怒り心頭に発っした男が、素手で三郎に挑まんと指を鳴らした。

 ゆるぎなく切っ先を相手に向けてはいるが、三郎自身この場をどう納めてよいか、正直困惑していた。首尾よく娘は逃がしたものの、初めての真剣での勝負、それもふたりを相手にどう切り抜ければよいのか。

 丸腰の相手に一方的に斬りかかるわけにもいかず、さりとて、ふたりに刀を拾う隙を与えては一一。

 三郎は相手の大小の置かれた背後の地面を気にしつつ、刀の束をしっかりと握り直した。鮫皮を握りしめる手が汗ばんできた。

「ほれ…そろそと刀が重くなってきたか?」
ふたりの男は目配せして、三郎の両側へ開いた。
集中力を二分され、三郎は瞳を揺らした。

(誠之進…っ)

 その気弱になった一瞬を突かれた。
ふたりが二方向から同時に飛びかかってきた。
前腕を手刀でしたたかに叩かれ、三郎は刀を取り落とした。

(くそっ…)

 即座に刀を拾おうと身を屈めたが、ひとりに飛びかかられ、三郎は草の上に仰向けに投げ出された。間髪を入れずにもうひとりが馬乗りになってきた。
「放せ、無礼者!」
男はもがく三郎を地面に押さえ付け、
「おい、おまえ」
太い親指と人さし指で三郎の両頬をがしっと掴んだ。
「よくも邪魔をしてくれたな」
片割れは三郎にはかまわず、地面に置いた大小を掴み、
「おい、俺は娘を連れ戻すぞっ」
急ぎ腰に帯びた。
「よし、こっちはまかせろ」
三郎の上で爛々と目を輝かせる相棒に、
「おまえも酔狂だな」
呆れたように言い捨てた。
「さて、代わりに相手をしてもらおうか」
馬乗りになった男が三郎の衿に手をかける。
三郎がかっと両の目を見開いた時だった。


つづく


「青葉の頃」3
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写真は「空色地図」さんからお借りしています。


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