一の巻
「青葉の頃」5




by 戸田采女

「そのほうら、奥野将監殿御家中のものか」

 静かでいて凛とした声音に、男たちの動きが止まった。
身分を言い当てられたのか、ふたりは頬を強張らせて背後を振り返った。
馬乗りになった男の力が弛んだすきに、三郎も両肘で上体を起した。

 下草を踏みならす足音とともに、鞭を手にした若者が近づいてくる。
逆光で相手の顔はよく見えないが、聞き覚えのある声だった。従者をひとり従えている。

 一間の距離まで近づいた若者は、
「私の顔は存じておろうな」
ふたりを代わる代わるねめつけた。
「な、内藤の弥一郎さま…」
馬乗りになった男は慌てて三郎の上から降り、片割れとともに平伏した。
顔色を失うふたりの脇で、三郎もまた驚きに目を見張った。

 弥一郎は軽やかに三郎の側まで歩み寄り、片手片膝をついて礼をした。
三郎は半身を起し、草の上に胡座をかいた。
「弥一郎、なにゆえそなたがここに?」
「川向こうの新田がわが家の知行地にござります。本日は家督の報告を兼ねて視察を…」
丁寧に頭を下げる弥一郎を、奥野家の家臣とやらが口を半開きにして見ている。
「その帰り道にござります。街道端で百姓が騒いでおり、立派な馬が主人とはぐれておりました」
「それは『疾風』じゃ!私の馬だ」
「はい…馬具のご家紋を見てもしやと一一」
「で、助けに来てくれたのか?!」
思わず喜びの声をあげた三郎に、弥一郎は苦笑して続けた。
「仔細は百姓たちから聞きました。この辺りは奥野将監殿の知行地で一一」
「中老の奥野…将監か?」
弥一郎はうなずき、
「以前からたびたびこのような事が」
「それはまことか?!」
三郎は気色ばんだ。
「朋輩を悪し様に言いたくはありませぬが、奥野将監殿も息子の小十朗も無類の女好き」
かっと頬を赤らめる三郎に、弥一郎が薄く微笑んだ。
「遊女に飽きた果て、近頃ではしろうと娘を知行地から召し出してはなぐさみものに…」
「なんということじゃ…」
「この者どもは、小十朗(奥野の嫡男、弥一郎の元取り巻き)付きの若党にござります。そのほうら、相違ないな?」
「ははっ」
もはや逃れられぬと、ふたりは弥一郎の前に頭を垂れた。
 
「三郎ぎみ、お怪我はありませぬか?」
「大事ない」
三郎はゆっくりと立ち上がり、袴についた土を払った。

「さ、三郎ぎみ…?」
若党のひとりが恐る恐る面をあげた。
「さよう、亡き大殿のご三男。西の丸の三郎ぎみじゃ」
引導を渡す弥一郎と三郎に向かい、
「ご、御無礼つかまつりましたっ」
両名は絞り出すように叫ぶと、額を地面に擦り付けた。

 若君に乱暴しようと手をかけたのだ。この場で成敗されても仕方ない状況である。

 三郎は先程叩き落とされた刀を拾い、軽い音をたてて鞘に納めた。
「奉公と称して百姓娘を屋敷に拉致するとは…なんという横暴じゃ」
「はっ…」
「そなたらの悪行、目付けにしかと報告しておくゆえ、覚悟するがよい」

 がっくりと崩れ落ちるふたりを前に、三郎と弥一郎はしかとうなずきあった。




「さ、参りましょう、三郎ぎみ」
弥一郎は一礼し、先に立って歩き始めた。
「足下にお気をつけください」
「うむ」

 三郎はようやくその時になって、少し離れた所から、食い入るように自分を見つめる瞳に気がついた。

 目を合わせ、思わず息を飲む。

 相手の瞳にも同じ驚愕の色が浮んでいた。

「おお、申し遅れましたが」
弥一郎がふたりの間に入り、お互いを引き合わせようとした。
「昨年からわが家に仕えておる小姓にござります」
「うむ」
「本来ならばお目見えの身分ではありませぬが…ご紹介申し上げてよろしいでしょうか?」
「かまわぬ」
「彩之介…こちらは西の丸の三郎ぎみじゃ」
弥一郎に前に進み出るよう目顔で促され、少年は命に従った。
「彩之介と申します。お、お初にお目にかかります」
少年は頬を赤らめ、声が少し震えていた。  
自分とよく似た彩之介の顔に、三郎も思わず見入ったが、
「そう畏まらずともよい」
ようやく破顔して年上の余裕を見せた。




 三郎と弥一郎はしばらく轡(くつわ)を並べて街道をゆく。
彩之介は徒歩でつき従っていた。
三郎は弥一郎と談笑しながらも、つい彩之介が気になってしまう。
「それにしても、そなた…、私によう似ておるな」
思わず馬上から振り返って声をかけた。
「お、恐れながら…」
彩之介が真っ赤になって俯いた。
「兄弟と言うても通りそうじゃ」
三郎は珍しい動物にでも出会ったように、彩之介を眺めた。

「世の中には自分に似た人間が三人はいると申しますが…寄寓でござりますな」
弥一郎が軽い笑い声をたてた。
「去年から内藤家に仕えておると申したな?」
「はい。江戸におりました時、縁あって…」
「ほう。国許の者ではないのか?」
持ち前の好奇心から三郎が尋ねた。
「はい、生まれは畿内にござります。のう、彩之介」
「はい。親の代に浪人となり、諸国を点々と…」
彩之介の口は重かった。
さもあろう。
扶持を失った浪人の暮らしはどのようなものか。
かつて誠之進と出奔を試みたとき、その事は何度も三郎の胸をよぎった。
三郎はしみじみとうなずき、
「さようか。弥一郎に雇われるとは幸運であったな」
「はっ…」
「彩之介、励めよ」
三郎は衷心からそう言った。

 前方からやってきた農夫の荷車が道の端に寄り、すれ違う騎馬のふたりを先に通した。
深々と頭を下げる百姓に、弥一郎と三郎は軽くうなずき返した。
「ところで弥一郎、来週あたり遊びにいっても構わぬか」
「わが屋敷へ…お越しになるので?」
目をみはる弥一郎に、
「迷惑か?」
三郎が上目使いに尋ねた。
「滅相もござりませぬ」
「また書庫を見せてほしい」
弥一郎の頬に喜色が浮んだ。
「南蛮菓子は生憎切らしておりますが」

 以前、内藤家を訪ったとき、『かすていら』が供された。
三郎はその菓子をいたく気に入った。
もう二年も前のことだ。
供に過ごした和やかな時間を思い出し、ふたりの頬に同時に笑みが広がった。
「よいよい、此たびは私がお福のぼた餅を持ってゆくぞ」
「ありがたき幸せにござります」

 そろそろ帰りを急ぎたくなった三郎は、一足先に城下へ戻ることにした。
三郎は手綱をさばき、疾風を半馬身ほど弥一郎の前に出した。
「では、火曜の午後はいかがじゃ」
「はい、楽しみにお待ちしております」
馬上で頭を下げる弥一郎に習い、彩之介も立ち止まって一礼した。
「うむ、では先に参る」
三郎は愛馬の脾腹を軽く蹴ると、弥一郎主従を残し、一路、高山城下目指して馬を駆った。


つづく


「青葉の頃」4
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写真は「空色地図」さんからお借りしています。


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