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「そのほうら、奥野将監殿御家中のものか」
静かでいて凛とした声音に、男たちの動きが止まった。
身分を言い当てられたのか、ふたりは頬を強張らせて背後を振り返った。
馬乗りになった男の力が弛んだすきに、三郎も両肘で上体を起した。
下草を踏みならす足音とともに、鞭を手にした若者が近づいてくる。
逆光で相手の顔はよく見えないが、聞き覚えのある声だった。従者をひとり従えている。
一間の距離まで近づいた若者は、
「私の顔は存じておろうな」
ふたりを代わる代わるねめつけた。
「な、内藤の弥一郎さま…」
馬乗りになった男は慌てて三郎の上から降り、片割れとともに平伏した。
顔色を失うふたりの脇で、三郎もまた驚きに目を見張った。
弥一郎は軽やかに三郎の側まで歩み寄り、片手片膝をついて礼をした。
三郎は半身を起し、草の上に胡座をかいた。
「弥一郎、なにゆえそなたがここに?」
「川向こうの新田がわが家の知行地にござります。本日は家督の報告を兼ねて視察を…」
丁寧に頭を下げる弥一郎を、奥野家の家臣とやらが口を半開きにして見ている。
「その帰り道にござります。街道端で百姓が騒いでおり、立派な馬が主人とはぐれておりました」
「それは『疾風』じゃ!私の馬だ」
「はい…馬具のご家紋を見てもしやと一一」
「で、助けに来てくれたのか?!」
思わず喜びの声をあげた三郎に、弥一郎は苦笑して続けた。
「仔細は百姓たちから聞きました。この辺りは奥野将監殿の知行地で一一」
「中老の奥野…将監か?」
弥一郎はうなずき、
「以前からたびたびこのような事が」
「それはまことか?!」
三郎は気色ばんだ。
「朋輩を悪し様に言いたくはありませぬが、奥野将監殿も息子の小十朗も無類の女好き」
かっと頬を赤らめる三郎に、弥一郎が薄く微笑んだ。
「遊女に飽きた果て、近頃ではしろうと娘を知行地から召し出してはなぐさみものに…」
「なんということじゃ…」
「この者どもは、小十朗(奥野の嫡男、弥一郎の元取り巻き)付きの若党にござります。そのほうら、相違ないな?」
「ははっ」
もはや逃れられぬと、ふたりは弥一郎の前に頭を垂れた。
「三郎ぎみ、お怪我はありませぬか?」
「大事ない」
三郎はゆっくりと立ち上がり、袴についた土を払った。
「さ、三郎ぎみ…?」
若党のひとりが恐る恐る面をあげた。
「さよう、亡き大殿のご三男。西の丸の三郎ぎみじゃ」
引導を渡す弥一郎と三郎に向かい、
「ご、御無礼つかまつりましたっ」
両名は絞り出すように叫ぶと、額を地面に擦り付けた。
若君に乱暴しようと手をかけたのだ。この場で成敗されても仕方ない状況である。
三郎は先程叩き落とされた刀を拾い、軽い音をたてて鞘に納めた。
「奉公と称して百姓娘を屋敷に拉致するとは…なんという横暴じゃ」
「はっ…」
「そなたらの悪行、目付けにしかと報告しておくゆえ、覚悟するがよい」
がっくりと崩れ落ちるふたりを前に、三郎と弥一郎はしかとうなずきあった。
*
「さ、参りましょう、三郎ぎみ」
弥一郎は一礼し、先に立って歩き始めた。
「足下にお気をつけください」
「うむ」
三郎はようやくその時になって、少し離れた所から、食い入るように自分を見つめる瞳に気がついた。
目を合わせ、思わず息を飲む。
相手の瞳にも同じ驚愕の色が浮んでいた。
「おお、申し遅れましたが」
弥一郎がふたりの間に入り、お互いを引き合わせようとした。
「昨年からわが家に仕えておる小姓にござります」
「うむ」
「本来ならばお目見えの身分ではありませぬが…ご紹介申し上げてよろしいでしょうか?」
「かまわぬ」
「彩之介…こちらは西の丸の三郎ぎみじゃ」
弥一郎に前に進み出るよう目顔で促され、少年は命に従った。
「彩之介と申します。お、お初にお目にかかります」
少年は頬を赤らめ、声が少し震えていた。
自分とよく似た彩之介の顔に、三郎も思わず見入ったが、
「そう畏まらずともよい」
ようやく破顔して年上の余裕を見せた。
*
三郎と弥一郎はしばらく轡(くつわ)を並べて街道をゆく。
彩之介は徒歩でつき従っていた。
三郎は弥一郎と談笑しながらも、つい彩之介が気になってしまう。
「それにしても、そなた…、私によう似ておるな」
思わず馬上から振り返って声をかけた。
「お、恐れながら…」
彩之介が真っ赤になって俯いた。
「兄弟と言うても通りそうじゃ」
三郎は珍しい動物にでも出会ったように、彩之介を眺めた。
「世の中には自分に似た人間が三人はいると申しますが…寄寓でござりますな」
弥一郎が軽い笑い声をたてた。
「去年から内藤家に仕えておると申したな?」
「はい。江戸におりました時、縁あって…」
「ほう。国許の者ではないのか?」
持ち前の好奇心から三郎が尋ねた。
「はい、生まれは畿内にござります。のう、彩之介」
「はい。親の代に浪人となり、諸国を点々と…」
彩之介の口は重かった。
さもあろう。
扶持を失った浪人の暮らしはどのようなものか。
かつて誠之進と出奔を試みたとき、その事は何度も三郎の胸をよぎった。
三郎はしみじみとうなずき、
「さようか。弥一郎に雇われるとは幸運であったな」
「はっ…」
「彩之介、励めよ」
三郎は衷心からそう言った。
前方からやってきた農夫の荷車が道の端に寄り、すれ違う騎馬のふたりを先に通した。
深々と頭を下げる百姓に、弥一郎と三郎は軽くうなずき返した。
「ところで弥一郎、来週あたり遊びにいっても構わぬか」
「わが屋敷へ…お越しになるので?」
目をみはる弥一郎に、
「迷惑か?」
三郎が上目使いに尋ねた。
「滅相もござりませぬ」
「また書庫を見せてほしい」
弥一郎の頬に喜色が浮んだ。
「南蛮菓子は生憎切らしておりますが」
以前、内藤家を訪ったとき、『かすていら』が供された。
三郎はその菓子をいたく気に入った。
もう二年も前のことだ。
供に過ごした和やかな時間を思い出し、ふたりの頬に同時に笑みが広がった。
「よいよい、此たびは私がお福のぼた餅を持ってゆくぞ」
「ありがたき幸せにござります」
そろそろ帰りを急ぎたくなった三郎は、一足先に城下へ戻ることにした。
三郎は手綱をさばき、疾風を半馬身ほど弥一郎の前に出した。
「では、火曜の午後はいかがじゃ」
「はい、楽しみにお待ちしております」
馬上で頭を下げる弥一郎に習い、彩之介も立ち止まって一礼した。
「うむ、では先に参る」
三郎は愛馬の脾腹を軽く蹴ると、弥一郎主従を残し、一路、高山城下目指して馬を駆った。
つづく
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