|
御城の大手門まで三郎主従を見送った後、弥一郎が屋敷に戻ると、入れ違いに彩之介が帰邸していた。
「弥一郎様」
玄関先に弥一郎の姿をみとめ、彩之介が奥から嬉しげな声をあげた。
「ただいま、お部屋に灯りをお持ちするところでした」
「すまぬな。今しばらく書き物を続けたいゆえ、明るめにしておいてくれ」
「かしこまりました」
彩之介は一礼すると、手燭片手に弥一郎に続いた。
三郎の来訪のことは朝倉から聞いたのだろうか?
弥一郎が表にいたわけも、彩之介からは特に何も尋ねてこない。
そもそも自分と三郎の間には、言い訳せねばならぬことなどないが一一。
勘のよい彩之介のことだ。
自分と面差しの似た藩主の弟君に、弥一郎が特別な親しみを感じていることくらい、当然気づいていよう。
いらぬ心配をさせているとしたら、彩之介が哀れだ。
(一度きちんと話しておいた方が良いやもしれぬ)
ふたりは部屋に戻ると、弥一郎は文机の前に座し、彩之介は傍らで行灯の灯芯を起こし、程よい明るさを得ようとしていた。
「これくらいでいかがでしょう」
「うむ、十分じゃ」
満足げにうなずく弥一郎に、彩之介が微笑み返した。
「では、書き物がお済みになったらお呼びください。夕餉をお持ちします」
「わかった」
彩之介は一礼し、立ち上がりかけたが、
「彩之介」
弥一郎は墨を擦りながら、呼び止めた。
「今宵は夕餉の後、笛を聞かせてくれぬか?」
弥一郎の言葉に、彩之介の黒目がちの瞳が輝いた。
「はい、御所望とあらば」
控えめな声音だが、彩之介の顔には喜色があふれていた。
無言でうなずく弥一郎に向かい、彩之介は丁寧に一礼した。
*
生憎の曇り空で月こそ拝めなかったが、微かな風のそよぎが心地よい夜だった。
弥一郎は脇息に肘を預け、夜空に吸い込まれていくような笛の音に聞き惚れている。
技量の素晴らしさは今に始まったことではないが、以前と彩之介の音色が変わったようにおもう。
どこか哀切な音色は陰を潜め、最近の彩之介の奏でる笛は、陽光のきらめきや清らかな早瀬を想起させた。
(彩之介、ここの暮らしは楽しいか?)
今の内藤家は人手も足らず、彩之介は雑用に追われる毎日だ。
なれど高山へ戻ってから、彩之介の泣き顔を見た事はない。
笑みを絶やさず、つまらぬ仕事も心をこめてあい務める。
(それがそなたの答えか?)
弥一郎と向き合い、一心に笛を奏でる姿に胸が熱くなった。
やがて曲も終盤に入り、笛の音がため息のようにかき消えていった。
彩之介は笛を膝上に降ろすと、軽く一礼した。
「…見事であった」
「恐れいります」
彩之介ははにかんだような笑みを浮かべた。
なおも弥一郎が無言で見つめていると、
「お茶を…おいれしましょうか?」
気を利かせた彩之介が腰を浮かせる。
弥一郎は小さく首を振り、
「よい。彩之介、少し話しをしてゆかぬか」
「はい」
彩之介は再び座り直し、弥一郎の脇へと膝行した。
「本日、そなたの留守中に三郎ぎみがおこしになった」
「はい、朝倉様からうかがいました。何でも急なお成りで、『ろくな茶菓子もなく冷や汗をかいたわい』とこぼしておられました」
彩之介は笑顔で答えたものの、
(朝倉め、やはり早々に話していたか。…いらぬ尾ひれをつけたのではなかろうな)
弥一郎は朝倉に警戒感を抱きながらも、何気ない風を装った。
「近習の源蔵を連れ、門前にたっておられてな。源蔵も藩校で机を並べた学友ゆえ、三郎ぎみ共々、茶室にお通しした」
「それはよろしゅうござりました」
「そなたが毎日花をいけ、掃除をしてくれているそうだな」
彩之介の表情が明るくなった。
「左様な心がけがあれば、急な来客にも困らぬ。三郎ぎみも本日の茶花をほめておられたぞ」
「お恥ずかしゅうござります。庭のささゆりを見よう見まねで生けただけなのです…」
彩之介が頭を垂れると、
「謙遜せずともよい。ともかく、そなたのおかげで顔がたったぞ」
弥一郎は軽い笑い声をたてた。
さて、三郎本人の話をどう切り出そうか迷っていたところ、
「三郎ぎみは、気さくなお方ですね」
彩之介の方から三郎ぎみの名が出た。
弥一郎は大きくうなずき、
「裏表のないお人柄ゆえ、藩士、領民にも慕われておる」
「過日も私のようなものに、親しくお言葉をかけて下さいました」
視察の帰り、弥一郎が三郎を奥野家の下郎から助けた時の話だ。
「ただ…色々と難しいお立場なのだ」
「と申されますと?」
「三郎ぎみは側室のお子。ようやく御分家が決まったとはいえ、これまでも三郎ぎみを利用して争乱を起こさんとする者は多く…」
弥一郎が言い淀むと、皆まで言わせず彩之介が黙ってうなずいた。
まさにその張本人が、父・帯刀だった。
彩之介自身もとんだ巻き添えを食うところであった。(青嵐『花月』『内藤家の男たち』)
にもかかわらず、弥一郎に辛い話をさせまいとする、彩之介の気遣いがいじらしい。
相手の意を酌み、弥一郎は本田家の件は蒸し返さず、
「これからも、ご自身の将来に悩まれることもあろう。むろん、溝口家という立派な後見がついているが、年の近い私に気安さを感じ、時々ご相談下さるのやもしれぬ」
「わかります…」
「守役の誠之進殿を始め、溝口家は三郎ぎみを家族のごとく慈しんできたが、長子相続の原則を曲げることはない」
「はい」
「父上はあちらを目の敵にしていたが、私は違う」
彩之介は玻璃玉のような目を見開き、弥一郎を見つめた。
「溝口家に合力し、お家の安寧と三郎ぎみのお幸せのために尽くしたいとおもうている」
弥一郎はあくまでも『溝口家とともに』と強調することで、彩之介に己の真意をわかってほしかった。
今日、源蔵も茶室に招いたのは三郎とふたりにならぬため。
なれど断じて自分の心にやましいものがあるからではない。
朝倉が余計なことを言うのを恐れたのだ。
(そなたが案ずることは何もない。
過ぎし日に仄かな思いを抱いたことはあれど、
今後三郎ぎみには臣下として礼を尽し、学友としてお力になりたいだけじゃ。
ゆめ、私の誠をうたがうな…)
もはや終わったことではあるが、三郎への思いを容易に言葉に出しては語れぬ弥一郎であった。
彩之介はしばし無言で弥一郎と向き合っていたが、
「私は…弥一郎様のゆかれる道を、どこまでもついて行きまする」
晴れやかな笑顔でさらりと言ってのけた。
「彩之介」
「あの時…そう決めました」
江戸から、父の元からふたりで逃げた時のことか。
ゆるがぬ気持ちを伝えるように、彩之介の弥一郎を見つめる瞳に力がこもった。
「そなたっ…」
弥一郎は思わず彩之介の前に膝行し、手を取った。
彩之介は弥一郎の手に己のもう片方の手を重ね、
「御領地のことなど、私にはまだまだ分からぬことが多ございますが、弥一郎様のお役にたちたいのです」
「その心…嬉しいぞ」
「少しずつお教えください」
弥一郎の胸の中に暖かいものが満ちた。
弥一郎は彩之介の頬に片手をあて、慈しむように撫でた。
彩之介はわずかに睫毛を伏せ、弥一郎のするに任せた。
指先で形の良い耳をを確かめるようになぞり、掌で首筋の温もりに触れる。
控えめな触れ合いに、お互いの情感が高まっていく。
彩之介が再び弥一郎を正面から見つめた。
黒い利発な瞳が、しっとりと艶を帯びていた。
弥一郎は視線を絡ませたまま、彩之介の首から手を退いた。
「湯の仕度はできておるか?」
「はい」
「では今からつかおう」
「お着替えを持っていきまする」
「…そなたも、私の後につかうがよい」
彩之介は目元をほんのり染め、無言で一礼した。
*
夜が更けても彩之介が使用人の棟に戻ってこないので、
『今宵は母屋泊まりか』
と、内藤家用人・朝倉助次郎の好き心が疼いた。
ひい、ゆう、みい、と指を数え、何日ぶりが思いだそうとしたが、途中で邪魔臭くなってやめた。
朝倉は下男や女中が自室に引き取ったのを確かめ、足音を忍ばせて母屋の弥一郎の部屋へ向かった。
先代当主・内藤帯刀が隠居に追い込まれて以来、朝倉はこの家の留守を守らされてきた。
帯刀に心底忠誠を誓っているわけでもないが、羽振りの良いころはいい思いもしたし、今更他の屋敷に奉公するのも面倒だ。給金が出る限りは、もう少しここに居てやろうと考えている。
朝倉に前髪趣味はないが、『百両で請け出した陰間』と弥一郎の閨にはひとかたならぬ興味があった。
忍び足で廊下を行き、書庫に近い弥一郎の部屋の手前で止まる。
腰を落として片膝をつくと、朝倉は目を閉じて耳をすませた。
夜具の上で絡み合う衣擦れの音。
時折、足先が畳をこするのか、乾いた摩擦音が混じる。
少し高めの、すすり泣くような少年の声に、若者の熱を帯びたささやきが被さった。
朝倉は乾いた唇をなめ、障子戸の向こうから聞こえてくる微かな音に、神経を集中させた。
慌ただしく腰紐を解き、寝間着を脱ぎ捨てるような音に続き、何やらうごめく気配があった。
しばし無音の間があった後、
押し殺したような短いうめき声が響いた。
掌が肌を撫でさする乾いた音に続き、
「辛うはないか?」
労るような弥一郎の呼びかけに、彩之介が小声で否と応えた。
(たまらんのう…)
我慢できなくなった朝倉は、身を乗り出し、障子戸をわずかに押し開けた。
有明行灯の薄暗い室内に、白い夜具と人影の一部が浮かんだ。
戸の隙間、縦長の視界の中、夜具の上に座した弥一郎の背が見えた。
彩之介は背中を預け、弥一郎の上に腰を落としている。
弥一郎の身体の脇に、すんなりとした彩之介のふくらはぎが見える。
彩之介は深々と貫かれ、ゆったりとうねるような動きで下から攻められていた。
未だ慎みを残しながらも、隠しようもない喜悦の声がこぼれ出る。
「弥一郎さまっ…」
熱く掠れた声に、弥一郎が後ろから肩に口づけて応えた。
弥一郎の両手は絶え間なく彩之介の胸をまさぐっている。
その動きに呼応して、彩之介の白い足先が夜具の上で悩ましげにうごめいた。
彩之介の息は妖しく乱れ、時おり甘えた声で弥一郎の名を呼んだ。
弥一郎がふっと笑う気配がした。
弥一郎は彩之介の腰を両手でつかみ、そのまま膝立ちになった。
それに合せて彩之介の身体が前に倒れ、夜具の上に膝と両手をついた。
朝倉の視界は、弥一郎の後ろ姿で埋め尽くされ、わずかに彩之介の可憐な踵と足裏が見えるのみとなった。
常日頃、涼しげな面立ちの弥一郎からは想像しがたい、強靭な腰の動きに目を奪われ、一方、彩之介の『泣き』は存分に朝倉の耳を楽しませた。
弱い部分を次々に攻められるのか、彩之介は呻きとも泣き声ともつかぬ声を上げている。
肘が折れ、夜具の上に崩れそうになりながら、足指を突っ張って耐えた。
弥一郎はやさしげな声をかけ、後ろを蹂躙したまま彩之介を助け起こす。
右手で前を慰めてやったかと思えば、再び緩急織り交ぜた突きで、彩之介を追い上げては焦らした。
耐えられなくなった彩之介が肩越しに哀願する。
弥一郎は彩之介の背に二、三度口づけると、動きを再開した。
彩之介の身体が激しく揺すぶられ、すすり泣きは一段と切迫した調子を帯びた。
深く突き入れる動きに、彩之介がひときわ高い声をあげ、ほどなくして弥一郎が背中で大きく息をついた。
*
(暇さえあれば書見台に向こうておる、ひ弱な若様かと思うていたが…。
なんのなんの、色事はいっぱしのようじゃ)
夜半、朝倉は灯りを絞った自室で、時おり思い出し笑いを浮かべながら、台所からくすねてきた酒をちびちびと楽しんでいた。
(遊里で客を取っていた者を、あのようによがり泣かせるとはのう。
聖人面していても、さすが殿様のお子、…血は争えぬな)
朝倉は手酌で酒を継ぎ足し、唇の端に笑みを浮かべた。
(さて、殿様から若様の様子を逐一知らせろとのご指示だか…)
『知行地の御政務にも大いに興味を示され、ご健勝にて日々恙無くお過ごし』
(とでもしておくか。先ほど見た限りでは、精気横溢、極めてご健勝じゃ)
朝倉は低く喉を鳴らして笑った。
ひとしきり笑い終わると、朝倉は卓の上に片肘をつき、ぼんやりと灯りを見つめた。
「殿様はこの夏は大坂で過ごされるのかのう…」
帯刀らが高山を離れて二年が過ぎた。
野心家でアクの強い帯刀と、ろくでなしの弟・嶺次郎。
人騒がせなふたりだが、かくも長き不在に一抹の寂しさを覚える。
生真面目な弥一郎を決して厭うているわけではないが、朝倉はやはり豪放磊落な帯刀に惹かれるところがあった。
帯刀は嫡男・弥一郎が家督することに異を唱えなかったが、このまま大人しく隠居するとも思えない。
朝倉は帯刀がもう一花咲かせる、もしくは最後の悪あがきを見てみたい気がした。
「それに巻き込まれるのもまた一興」
ゆえあってこの家の用人となり二十余年。
女嫌いでもなく、一時、帯刀から勧めはあったものの、妻を娶ることもなく四十路を超えた。
今更一家を構える持つまっとうな生き方など、自分には無縁に思える。
「ならば残りの人生、殿様に少々暴れてもらわねば、退屈でかなわぬ」
朝倉は揺れる火影を眺めつつ手酌で杯を重ね、帯刀の次なる一手に思いを巡らせた。
了
|