五の巻
「緑風会」3




by 戸田采女

「どうどう…」
三郎は手綱を引き、城下の外れにある寺の前で、愛馬『疾風』を止めた。
軽い身のこなしで、鞍から降りると、疾風を手頃な木につないだ。
「よいか、しばらくここで待っておれ」
三郎は二、三度やさしく疾風の首をたたくと、十段ほどの石段を駆け上った。

 供はひとりも連れていない。
ここへ来るかどうか、直前まで迷っていたものの、最後には好奇心が勝った。
授業が終わると、早々に城へ戻り、「ちょっと野駆けに出る」と言いおいて、松之助と倫太郎を振り切った。
今朝早く、誠之進は用水の件で隣接する天領へと向かった。帰りは明日の夕刻になるらしい。
誠之進の目を盗んでまで来ようとは思わなんだが、たまたま不在なら好都合。
耳に入らねばそれにこしたことはない。

 前藩主、信輝公の死後、江戸から帰ってのち、誠之進は事あるごとに三郎を諭した。
「藩政に口を出すような言動は、くれぐれもお慎みください」と。
むろん、そのような大それた考えはなかったし、政についての疑問や問題意識を、誠之進以外の者に語ったことはない。

 が、今回の会合はどうなのだろう。
特産品の生産や販売という、半ば商いの話である。
『藩政に意見する』などという過激な集まりには思えなかった。

(誠之進はちと心配しすぎなのじゃ)

 やはり後学のため、若手藩士の考えを聞いておきたいと思った。

 石畳の道を本堂へと向かえば、既に会合は始まっているらしく、中から若者の話し声が漏れ聞こえてきた。

「さて。皆揃ったところで…今日は主に酒造の話をとりあげよう」
千代丸の兄、脇坂文太郎の声だった。
「おい、温泉開発の件も忘れんでくれ」
「そのような夢物語、いつまでこだわっておる」
「何を言うか。遠大な計画だが、成功のあかつきには関山は湯治客で賑わい、領内にどんどん金が落ちるぞ」
「松本。まずは脇坂が言うように、足下を見据えた地道な案からじゃ」
「おぬしら勘定方は細かいのう…」
大げさに首を振る松本に、
「貴殿のようなお大雑把な輩に、勘定方は勤まらぬのう」
ひとりがやんわりと逆襲するが、松本はどこ吹く風だ。

 三郎は濡れ縁に上がりかけたものの、自分からは声はかけにくく、少々戸惑っていた。
とりあえずは黙って濡れ縁に腰掛け、中の話に耳を傾けた。

 松本と呼ばれた男は、さらに温泉につき持論を展開したが、
「おぬしの見込みもあながち外れてはおらんが、やはり宝蔵院が許すまい」
脇坂の朋輩らしき男が、慎重論を唱えた。

 宝蔵院とは妙高山の修験道の寺で、既に享保年間に発見された『関の湯』を管理していた。
『関の湯』の冥加金は宝蔵院の重要な収入源である。
新たな開湯は『関の湯』と競合してしまう可能性があった。
宝蔵院側は当然、既得権を維持したいだろう。

「それに莫大な元手が必要じゃ」
「藩にそれだけの金があれば、『半知御借上』にはなるまいて」
「いかにも」
「宝蔵院に承諾させるには、藩として大々的に動いてもらわねば難しいぞ」
「溝口様、堀様あたりに話を聞いてほしいのう」
村上は未練げに呟いた。
「地元の庄屋たちも乗り気なのだ。村の連中によれば、信濃側でも似たようなことを考えておるらしい」
「そうなのか」
「早めに動いた方が得策じゃとおもうがな」
「お二方まで話を上げる前に、金策をいかがするか、もう少し知恵を絞らねばならんと思うが」
「うむ…」
皆は腕組みをして押し黙った。
天高く上がった凧が失速するように、温泉の話もここまでかと思えたが一一。

こほん、と三郎が小さく咳払いをした。

 堂内の藩士たちが一斉に振り返った。
脇坂が真っ先に気付いた。
「三郎ぎみっ!」
立ち上がると大股で近づき、
「ようおいでくださりました。ささ、こちらへ」
「うむ」
いそいそと三郎を中へいざなった。
「お返事がなかったので諦めておりました…」
「いや、私も今日までは決めかねていたが」
三郎は歩きながら一旦言葉を切ると、
「やはり来てよかった。面白いのう、温泉の話」
松本の方をみてにっと笑った。
脇坂がすかさず松本を紹介した。
「三郎ぎみ、これなるは郡奉行の下で働いておりまする、松本権助と申します」
いかつい松本が、弾かれたように居住まいをただし
「三郎ぎみ、お初にお目にかかります。以後お見知りおきを」
三郎に深々と一礼した。
面目を施した脇坂は、三郎を上座に座らせた後、意気揚々と他の面々を三郎に紹介した。

 一通り挨拶がすむと、
「そなたら、話の腰を折って悪かった。関の湯や宝蔵院と聞いてつい懐かしゅうなってな」
三郎は照れ臭そうに笑った。
「そういえばお母上が関川の本陣の…」
一人がいい出すと、皆が納得したようにうなずいた。
三郎は遠い目をしながら、
「加賀屋は本陣ゆえ、武家相手の商いであったが、確かに善光寺詣の旅人も多い。湯治場ができれば繁盛するやもしれぬ」
思わぬ助勢を得て、松本は嬉しげに目を輝かせた。
「一度それとなく誠之進に話しておこう」
「まことにござりますか?!」
「うむ、今は用水の件で忙しそうじゃが…。長い目で見れば面白い案だと思うぞ」
「ははっ。ありがたき幸せ。それがしも用水の検分の合間にさらに調査を進めまする」
「それがよい」
松本は髭のそり跡も濃い顔に、満面の笑みを浮かべた。

 三郎の参加で会は目に見えて活気づいた。
その後、話は高山の地酒(在酒といったそうな)を江戸に運んで売る案、既に全国に名の知れた高山の『毛抜き』を、吉原や祇園に大々的に売り込む案、はたまた、再び松本提案の草生水(石油)の掘削など、話は尽きない様子だった。

 吉原、祇園へは誰もが交渉に行きたがった。
藩のエリートである右近や誠之進と違い、彼らは身分も低く、重責を負う立場ではなかったが、それぞれに藩士・領民のため、できることを考えている。時に、突拍子もない案も出るが、活発に知恵を出し合うことこそに意味がある。

(彼らの案が全て日の目を見るとは思わぬが、ひとつでも当たれば、上出来ではないか)

 三郎は胸躍らせながら、藩士たちの話し合いに耳を傾けた。
自分にもできることがあれば、ぜひとも力になりたい。

 江戸の話が出たとき、三郎は再び口を挟んだ。
「その、地酒を藩が買い集めて江戸で売ろうという話じゃが、江戸詰の誰かに相談してみたことは?」
三郎はふと平岡仙之丞の顔を思い出した。
「江戸に商人の知り人がいるやもしれぬ。高山の酒が江戸者の好みにあうか、聞いてみてはどうじゃ。やはりあちらで暮らす者の意見は貴重じゃ」
加えて、考えるのも癪に障るが、留守居役の右近なら酒席にもよく顔を出している。
料理屋を始め、市場調査を頼むにはもってこいの人材だ。

 しかし意外にも若者たちの反応は鈍かった。
皆は申し合わせたように目を伏せ、ひとりがぽつりと呟いた。
「江戸詰めの奴らは…国元のことなど眼中にありませぬ」
「まったくです、こうして我らが藩の新たな産業はと、思い巡らす間にも一一」
「おい、よさぬか」
温泉の話で明るく盛り上げた松本が、一転して低い声音で遮った。

 何やら空気が変わったのを三郎も感じたが、
「さようなことはない。江戸藩邸の者たちも、わが家中のため、粉骨細心励んでおる」
実際江戸に滞在し感じたことを、彼らに素直に伝えた。
「国元と江戸でいがみ合うようなこと、あってはならぬぞ」
三郎は心からそう願った。

「三郎ぎみ…」
皆が一斉に三郎をひたと見つめる。
「なんじゃ?」
「早坂先生の申された通りじゃ」
脇坂がため息を漏らした。
「早坂先生とは? 江戸からいらした佐伯塾の先生か?」
三郎が問い返すと、
「三郎ぎみもご存知で」
「この春から夏にかけ、佐伯先生の代講で、時々西の丸にお越し下さった」
早坂と三郎が面識のあること、既に周知のようだった。

 脇坂は感に堪えない表情で、
「先生は、我らに殖産振興も結構だが、諸事倹約が第一と、常に奢侈に傾くのを戒めておられます」
「うむ、そういうお考えであった」
「そして…学問、武芸に励み、倹約を身を持って実践されている三郎ぎみを、まさに上に立つものの鑑であると…」
「脇坂!」
松本が右手で脇坂を制した。
「そこまでにしておけ」



 時の鐘が鳴り、気がつけは一刻余りも長居してしまった。
脇坂と松本が言い争いかけたのを潮に、三郎は再び疾風にまたがり、妙光寺を後にした。  


つづく


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背景は「kigen」さんからお借りしています。


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