五の巻
「緑風会」5




by 戸田采女

 西の丸へ戻ったふたりは、人払いの後、三郎の居室で膝を付き合わせていた。

「怒っているか?」
答えぬ誠之進に、
「そなたに相談もせず、勝手に会合に出たことをじゃ」
三郎が上座から詰め寄った。
誠之進は相変わらず三郎を黙って見つめている。
されど鳶色の瞳は穏やかで、
「…最初から、全てお話しておくべきでした」
「あの会のことか?」
「はい」
行灯の火影の向こう、誠之進が淡々と語り始めた。
「そもそも、若を藩校へ戻そうと決めたのは、あの早坂を近づけぬためでした。最初は佐伯先生に遠慮もあり、早坂を西の丸出入り禁止にするのも躊躇われ、さりとて若の勉学を中断させるわけにもいかず、あのような選択をいたしました」
「なるほどな…」
「なれど、外へ出したら最後、若はどこへ飛んで行かれるかわかりませぬな」
誠之進は軽い笑い声をたてた。

「そなたに黙って出かけて…悪かった」

 誠之進が頭ごなしに怒らないせいだろうか。
今宵は素直な気持ちが口をついて出る。

「もうよろしいのです」
「誠之進…」
誠之進は暖かい眼差しで、
「あの問答は…ご立派でした」
「そなた…いつからあの場にいた?」
誠之進は目を細め、
「早坂が殿の話を始めたあたりでしょうか」
口元で薄く微笑んだ。

「されど、お約束いただきたい。『緑風会』のような藩政研究会に自ら足を運ぶこと、今後は断じてなりませぬぞ」
三郎はすぐには返答せず、
「早坂が危険なのはわかった。なれど、他の者たちは違う。実は先月の会合にも顔を出した。その時は早坂はおらず、温泉開発や、高山の地酒や毛抜きを江戸に売り込む話など、皆、熱心に話おうていた」
「若のお気持ちはわかりますが…」
誠之進が眉を曇らせた。
「『緑風会』も始めは穏便な集まりでした。なれど、残念ながら早坂によからぬ考えを吹き込まれ、いささか過激な方向へ向かっております」

 藩士たちが江戸藩邸に反感を持っていることは三郎も感じた。

 誠之進はさらに続ける。
「はっきりと申しましょう。あの者たちはいずれ惣一郎様を廃し、貴方様を藩主にと考えております」

 早坂に問答をしかけられた時、三郎も自分が担ぎだされた理由に気づいた。
だがそのような筋書き、惣一郎を慕う三郎にとってあり得ぬことだった。

「私は兄上に取って代わる気など毛頭ない。民の暮らし向きをよくするには何ができるか、それを共に考えたいだけじゃ」
「若のお心は、この誠之進、ようわかっております」
「あの場でもはっきり言うたではないか。私は兄上のお力になりたいだけじゃ!」
三郎はもどかしさから、つい声を荒げた。

 しかし誠之進は小さく首を振った。
「三郎ぎみ、よろしいですか」
三郎が目で問うと、
「あの者たちにとって、若のお心など二の次やもしれませぬ」
誠之進が溜息混じりに呟いた。
「どういう意味じゃ?」
三郎は気色ばんだ。
「国元の藩士たちの、殿に対する信頼が揺らいでおります」
「なに…?」
誠之進の瞳に憂いが満ちた。
「と申すより…お若い頃からの派手な暮らしぶりが、元々国元の藩士たちの反感を買っておりました」
「そのようなこと?!」
三郎にとっては初めて聞く話だ。
自分にあれほど優しい兄が、国元の藩士に疎まれているなど、にわかには信じがたかった。

『そなたの身内はもはや余ひとりになってしもうたな』
『はい…』
『これからは、余を父とおもうて頼るがよい』

 三郎は、信輝公四十九日の法要の後、惣一郎と雪見に出かけた日の会話を思い出し、胸を詰まらせた。

 誠之進は静かに続けた。
「無論、江戸詰を経験し、国元に戻った私や藤十郎殿などは、惣一郎様のお人柄をよく存じております。ここ数年で、世嗣として、藩主としての自覚も出て、随分おかわりになられたことも一一」
「そんな…」
「されど、それがしや藤十郎殿がいかに言葉を尽くしても、若手藩士は容易に納得いたしませぬ。そこへきて一一」
誠之進は言葉を切り、三郎を悲しげに見つめた。
「早坂に『ここ高山にも藩士・領民の心を知る名君がおわす』などと煽られた日には、ひとたまりもありませぬ」
「誠之進…」
「貴方様は担ぎ上げるには理想的な神輿なのです」
「私が…?」
「大殿がお亡くなりになって以来、父とそれがしは、この件で頭を悩ませておりました」
三郎の目の奥が熱くなった。

 かつて主膳が三郎の養子縁組を熱心に勧めたのは、このような可能性を憂いてのことだったのだ。筆頭家老として、当然の判断だ。一年前には納得いかなかったことが、今の三郎にはよく理解できた。

「若…」
誠之進は膝立ちになり、三郎の頭をそっと胸に抱き込んだ。
「これで全てお話しましたぞ…」
「誠之進…」
三郎は身体を預け、誠之進の二の腕を左手できゅっと握りしめた。
「貴方様の軽卒な行動が波紋を広げます。志ある若手藩士と話をしたいのはわかりますが、今は一旦距離をお置きください」
「私が兄上に対する誤解を解き、彼らを説得することも…かなわぬか」
三郎が見上げると、誠之進はゆっくりと首を左右に振った。
「火に油を注ぐようなものです。そのような事をすれば、あの者たちが増々貴方に傾くのがわかりませぬか」
「では、かかる事態に、私は…私には何もするなと?」
「御意」

 それでも得心がいかぬと、三郎はかぶりを振った。
誠之進は諄々と三郎を諭した。
「ともかく、殿のお国入りまで、余計な動きをしてはなりませぬ」
「誠之進…?」
「失礼ながら、藩士の心をつかめるかどうかは、殿ご自身のご器量にかかっています」
誠之進は抑揚のない声で、
「若の手出し口出しは無用にござります」
と、結んだ。

 三郎は息を飲んだ。
突き放した言い方だが、これは正論だ。
されど、冷たささえ感じる物言いに、三郎は微かな違和感を覚える。

(誠之進は兄上に…何か含むところでもあるのだろうか?)

「おわかりいただけませぬか?」

(まさか、さようなことがあろうはずが…)

 三郎は言葉を返せず、困惑したまま誠之進を見つめた。

 それを不承知と取ったか、誠之進の表情が険しくなった。
「若」
誠之進は一旦身を離すと、あらためて三郎の正面に向き直り、両肩に手を置いた。
「ならばお尋ねします。三郎ぎみは腹をくくっておられるのか?」
誠之進が沈んだ声で問うた。
「どういう意味じゃ?」
「若がいかに言葉を尽くしても、藩士らが惣一郎様が藩主の器にあらずと断じた時、謀反の企てありと、あの者たちを処断できますか?」

「それは…っ」

「できぬのですか?」

 いきなり重い問いを突きつけられ、三郎は瞳を揺らした。

「もしくは一一」
誠之進は眦を決し、三郎を見据えた。
「惣一郎様を廃し、貴方様自身が藩主の座につく覚悟はおありか?」

 三郎は一瞬何を言われたのかわからなかった。

(藩主の座につく…覚悟?)

 誠之進の言葉を胸の中で繰り返し、
「…たわけたことを!」
三郎の乾いた喉から、ようやく上ずった声が出た。

「『緑風会』とこれ以上関わり、なおかつ彼らを押さえきれなかった時、若も連座の罪を問われますぞ」

(連座の罪…? この私が兄上を追い落とそうなど一一)

『あり得ぬことじゃ!』

 叫んだつもりが、三郎のひりつく喉から言葉は出なかった。

 混乱の極みにある三郎を、誠之進はまばたきもせずに見つめた。
「貴方様ご自身が藩主の座を望むのなら、この誠之進、どこまでも付き従いましょう」
「そなた…?」
誠之進は視線を流すと、
「たとえ、いかなる結末になろうとも一一」
低く、無機質な声で言った。
「何を言うておる…っ」
三郎の声が震えた。

 三郎の肩の置かれた誠之進の手に、恐ろしいほどの力がこもった。

 誠之進は三郎の目の奥を見つめて言った。
「なれど深いお考えもなく、ただ誘われるままに会に行こうとするなら、それがしは何としてでも、貴方様の行動をお止めいたします」
「誠之進…っ」
ただならぬ様子に三郎が言葉失っていると、端正な顔が間近に迫ってきた。
「お立場をわきまえなされ」
誠之進の唇が三郎の耳朶をかすめた。
三郎の背筋に甘い震えが走る。
「覚悟もないのに、中途半端な振舞いであの者たちを惑わしてはなりませぬ」
熱を帯びた囁きを耳元で聞いた。

「よろしいか」
首筋へと滑り降りた誠之進の唇が、きつく三郎の首筋を吸った。
「あっ……」
「よろしいな」



「緑風会」4「緑風会」補遺
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背景は「kigen」さんからお借りしています。


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