六の巻
「朔風」2




by 戸田采女

 「父上ったら、ほんとに人使いが荒いんだからっ」
溝口家の息女、志保は、台所でかまどの番をしていた下男の文吉相手に、愚痴をこぼしていた。
「何も祝言間際になって小兵太様を大坂になぞやらずとも…」
「まあまあ、志保様。ご家老の大事な御用とあらば、致し方ありませぬ」
志保を赤子の頃から知る文吉は、孫をあやすかのようにたしなめた。
ふいと横を向き溜息をつく志保に、
「よろしいではありませぬか、小兵太様も予定通りお戻りになったわけですし」
「あたりまえです!」
志保はきっと文吉をにらみつけた。
「おっと、これはあいすみませぬ」
文吉はぺろっと舌を出し、志保に背を向け再びかまどのほうへ向き直った。
わかっている。
『予定通りお戻り』が志保の勘に触ったのだ。
吉田小兵太の自由奔放なところに惹かれたくせに、自分のところへ真っすぐ帰らず寄り道されるのは嫌なのだ。

 志保と言い交わして以来、小兵太の素行に問題はなかったが、十代の頃、誠之進とともに今町で羽目を外した前科がある。

 文吉は竹筒でふうふう空気を送り込みながら、

(どうやら志保様は悋気が激しそうじゃのう…小兵太様もたいへんじゃ)

 何せ志保は縁談を片っ端から断り、一途に小兵太を慕ってきた。美人で末っ子の割には年下の三郎や源蔵をかわいがったりと、面倒見の良い一面もある。
 しかし誰に似たのか志保は筋金入りの頑固者だった。思い込んだらてこでも動かない所があり、主膳が婿として最も期待をかけていた櫻田右近を袖にした挙げ句、二十歳過ぎても嫁にも行かず小兵太の心が動くのを待ち続けた。

 そして、ようやく訪れた春なのであった。
 
 文吉はかわいい志保の幸せを願いつつも、尻に敷かれるであろう小兵太の苦労を思いやった。



 高山へ帰着した翌日、主膳が下城する時刻を見計らい、小兵太は着慣れない羽織と袴をつけて溝口家を訪なった。昨日、小兵太が帰着した旨を伝える使いを出し、主膳の在宅はたしかめてある。今宵は誠之進も溝口家に戻り夕餉を共にすると言う。

 堂々たる長屋門をくぐり邸内に一歩入れば、伸びやかに枝を広げた紅葉の錦が目に染みる。秋も深まり、下草の一部は早くも冬枯れの様相を呈していた。

 小兵太は出迎えた志保の母・咲の案内で奥座敷に案内された。
咲は廊下から、
「小兵太殿がお見えになりました」
ひと声かけて、障子戸を開けた。

 とにかく昔から主膳には頭があがらぬ小兵太だった。
十代の頃、誠之進の友の中でも秀才で礼儀正しい櫻田右近とは違い、小兵太は軽輩の身で学問はからっきし、おまけに払いは誠之進持ちで秘かに遊里へ繰り出すなど、主膳の覚えがめでたいとは言いがたかった。

 今もこうして廊下に控えながら、緊張が喉元にせり上がってくる。
小兵太は大きく息を吸うと、
「ご家老、吉田小兵太、ただいま大坂より戻りました」
一礼して顔を上げると、藍の気流しに着替えた主膳を上座に、誠之進と志保が向かい合わせに座っていた。
「ご苦労であった。報告は後ほど聞くとして、まずは茶でも一服いかがじゃ」
鷹揚にうなずく主膳を前に、
「はっ。ありがたき幸せにござります」
小兵太は借りてきた猫さながら、畏まって平伏した。
「おい、早う入らぬか。せっかく暖まった部屋が寒うなる」
奥から誠之進の声がとんだ。
いかにもこの状況を面白がっている声だった。
入口近くに座った志保が小兵太の方へ向き直り、
「小兵太様。無事のお帰り、嬉しゅうござります」
丁寧に一礼した。
「志保殿、ただいま戻りました」
「お帰りを、今日か明日かとお待ち申し上げておりました」
恥じらいを含んだ声で言うと、志保はしっとりと小兵太を見つめた。

 主膳の視線に重圧を感じながらも、小兵太は柄にもなく頬が熱くなった。

***


 誠之進と主膳が別室で小兵太の大坂行きの報告を聞いた後、誠之進の母・咲や志保とともに、家族は和やかに夕餉の膳を囲んだ。小兵太と溝口家の会食はこれが初めてではないが、慣れぬ武家言葉に四苦八苦しながらも、溝口家に馴染もうとする、もしくは志保の顔を潰すまいとする友の姿を見て、誠之進の胸に暖かいものが満ちた。

 志保と小兵太の縁組につき、最初は話にならぬと一蹴した主膳だった。相変わらず小兵太に対してはいかめしい表情を崩さないが、志保の輝くような笑顔に父が時折眦をわずかに下げて微笑むのを、誠之進は見逃さなかった。

 「で、小兵太様。こたび、京ではどのあたりに行かれましたの?」
華やいだ声で、志保が小兵太から旅の話を聞き出そうとしている。
小兵太は一瞬まばたきをすると、
「こたびは・・・大坂から伏見に入り、まずは太閤秀吉ゆかりの醍醐寺へ、それから西本願寺にも足をのばしました」
無難に名刹の名を口にした。

(まさか島原へ行ったとは言えぬよなあ・・・)
(島原=西本願寺近く、京の遊郭)

 誠之進は微苦笑を浮かべ、小兵太と妹を交互に眺めたつつ、ゆっくりと杯を干した。
それでそれでと、続きをせがむ志保の声を聞きながら、誠之進の思考は大坂の話へと戻っていった。

 大坂に潜伏中の内藤帯刀には、父が配下の草の者を監視につけていたが、最近連絡が絶えていた。こたび小兵太を大坂に遣ったのはその辺りの事情もあった。廻船問屋・島崎屋の船で内藤が大坂を出て九州へ向かったと聞き、誠之進は島崎屋が唐薬の貿易で大きく儲けたことを思い出した。

(長崎を始め、九州にもいくつか拠点があるのだろう)

 明和四年に藩金流用の罪で内藤帯刀を罷免に追い込んだ時、もうひとつの疑惑、島崎屋の抜け荷の探索は、証拠不十分を理由に一時棚上げとなった。飢饉の恐れと藩財政逼迫のおり、莫大な御用金を納め、今後も貢献が期待できる島崎屋を、御用部屋は処分できなかったのである。

 行き先が九州と聞き、やはり『抜け荷』の文字が誠之進の頭に浮かんだ。
いずれにせよ三郎と本田家の養子縁組が不首尾に終わったことで、内藤は田安の御前の怒りを買い、幕閣での後ろ盾を失った。当分は藩政に揺さぶりをかけるより蓄財に励む気かと、誠之進は腹の中で呟いた。



 食事も終わりに近づき水菓子が出た頃、障子戸越しに溝口家用人・生島太郎座右衛門の声がした。                                           
「誠之進様」
「何じゃ、生島」
「ご門前に脇坂文太郎と申す者を代表に、若い藩士が数名、誠之進様に面会を求めておりますが、かの者たちとお約束をなされましたので?」
「いや」
するわけがない。今日は小兵太が溝口邸を訪う大事な日だ。

 誠之進は間の悪さに眉をしかめた。
あの「会合」の日からひと月も経っていない。
(浄夜・緑風会4)
以来、緑風会が三郎に接触する様子はなく、三郎の方も誠之進の諌言を聞き入れて藩校での勉学に励んでいた。「西中江用水」加え水の件で天領との交渉が難航する中、誠之進は御用繁多で忘れかけていたところへ、不意打ちのごとき訪問である。

 「誠之進、脇坂らが何用じゃ」
上座から主膳が低く問うた。
「父上、これにはちと仔細が・・・」
誠之進が口ごもると
「緑風会か」
「はい」
誠之進の答えに、主膳が不快げに眉を寄せた。
「斯様な刻限に、約束もなしにやってくるなど無礼ではないか。生島、早々に引き取らせよ」
「心得ましてござります」
「まて」
一礼して下がりかけた生島を誠之進が止めた。
「父上、後ほど詳しい経緯(いきさつ)はお話しますが、過日、緑風会の面々と一悶着ありまして・・・」
誠之進はいったん言葉を切ると、
「その折『用があらばわが屋敷を訪ねよ』と、それがしが申しました」
主膳は眉間に皺を寄せ、
「左様か」
腕組みをしてうなった。
「そなたが屋敷に戻っていることを、どこぞで聞きつけてやって来たか」
誠之進は父と目を合わせたが、

(たしかに西の丸で面談するわけにもいくまい・・・)

 二人ともお互いの表情から、胸のうちを瞬時に理解した。

 「邸内には入れませぬ。道場で面会しますゆえ、お許しいただけませんでしょうか?」
「日を改めさてはいかがか?」
父の言うことはもっともだが、誠之進は向こうから出向いて来た今宵のうちに、一党に釘を刺しておきたい気持ちに駆られた。
「申し訳ござりませぬが、やはり会うてやるべきかとー」

 「お兄様・・・」
ややあって、志保が遠慮がちに声をかけた。
「志保、相済まぬが今宵はこれにて・・・」
「いえ、小兵太様とはまた日を改めて」
膨れっ面でごねるかと思いきや、志保は居住まいを正してしかとうなずいた。

 主膳はしばし思案顔だったが、
「よし、この機会に儂もあの者たちの声を聞いておこう」
「同席なさるので?」
「いや、見所裏の小部屋に潜んでおく」
主膳は腕組をしたまま、片頬で笑った。

  一方、小兵太はただでさえ緊張し、足のしびれも限界に達していたのか、
「では皆々様、それがし今宵はこれにて失礼つかまつりー」
深々と一礼しかけたところを、主膳に遮られた。
「何を言う、もう少し付きおうてもらうぞ」
「は?」
「一緒に道場へ参れ、婿殿」
「それがしも・・・?」
「儂とともに小部屋で待機せよ」
主膳が大真面目な顔で申し渡した。
 

つづく


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背景は「十五夜」さんからお借りしています。


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