|
用人生島は脇坂文太郎ら六名の藩士を、正門横の耳門(くぐり)から請じ入れた。
「夜分に失礼つかまつります」
代表とおぼしき脇坂が頭を下げた。
迎えた生島も目礼を返し、
「本日、来客がありましてな。ご家老は面談中にて、誠之進様が道場の方でお会いするとのことです」
「承知いたしました」
「ではご一同、こちらへ」
生島は手燭片手に先に立ち、
「くろうございますゆえ、足下にお気をつけください」と、肩越しに丁寧な口調で言った。
石灯籠の灯りを受け、終わりかけの白菊が闇に茫洋と浮かんでいる。
一同は庭伝いに屋敷奥へと進んだ。
*
一方小兵太は主膳に伴われ、一足先に見所裏の小部屋に入った。
わずか二畳ほどの空間は窓もなく、ここへ潜んでいったい何を?と小兵太は首をかしげたが、主膳が勝手知ったる様子で壁の中程を叩くと、
「おっ・・・」
壁の羽目板の一部が外れ、道場内の灯りが漏れてきた。
小兵太が顔を近づけると、
(なるほどな)
見所の掛け軸の裏というわけだ。
中の様子は見えないが、道場内の声は筒抜けである。
主膳の意図はわかったが、暗がりの密室、しかも背に触れんばかりの距離で主膳が座っている。
小兵太の脇の下は冷汗で湿っていた。
壁穴の前に正座したまま、一秒でも早く会合が終わることを祈る小兵太だったが、
「そなた、誠之進から『緑風会』のことは聞いておるか?」
「いえ、詳しくは」
小兵太が肩越しに小さく返すと、
「ふむ。そなたはしばらく国許を離れていたからの。若手の藩政研究会だが、江戸から来た学者にそそのかされ、いささか気がかりな動きをしておる」
「それはいったい?」
小兵太が聞き返したところへ、道場内に足音が響き始めた。
主膳に目顔で促され、小兵太は場所を譲り後ろへ下がった。
*
「ともかくーー」
誠之進は一旦言葉を切ると、
「未だお国入りもしていない殿の人となりを、あれこれ言うのは間違うておる」
まずは穏やかに諭した。
「なれど誠之進様っ」
「国許が困窮しておる時に、殿や奥は贅沢三昧、江戸詰めを解かれ、帰国した者からもさんざ聞き及んでおりますぞ!」
「吉原でのお遊びで山のような借財もできたとか」
「殿のご遺言とはいえ、重役方も何故みすみすそのようなお方を藩主にーー」
誠之進は藩士らが口々に言い募るのを、
「よう聞け!」
と制した。
「私は十八から江戸詰めを経験し、殿のことはよく存じておる。昔は多少遊びが過ぎた感もあるが、それは若げのいたり。吉原での派手なお遊びなど、十年も前のことぞ。数年前から行いを改められ、今では江戸城でのお勤めを立派に果たされている。諸侯との付き合いは極めて円滑にいっているときく」
「それは留守居役殿の功績であろう?」
「いかにも・・・」
どこかから忍び笑いが洩れ、さざなみのように一座に広まった。
小兵太は例の噂を思い出し、奥歯を噛み締めた。
誠之進の声がしばし途切れたが、
「よいか。大名家の嫡男は、皆生まれてこのかた江戸暮らし。国許のことは知らずに育つのが普通じゃ。高山育ちの三郎ぎみと比べ、領内の事情に疎いのは致し方ないではないか」
押さえた声音で続けた。
「それを理由に、殿の藩主としてのご器量を疑うのは、ちと酷ではないか」
一同からの応えはない。
「ようやく次の春、初めてのお国入りじゃ。我ら家臣は心をひとつにして殿をお迎えし、支えていかねばなるまい? 早坂などの言に惑わされず、ご一同も殿のお人柄を己の目で確かめてはどうじゃ?」
小部屋の小兵太、主膳から藩士たちの表情は見えず、誠之進に賛同する声も聞こえてこない。
それでも誠之進は辛抱強く続けた。
「殿は三郎ぎみのこともお心にかけていただき、大殿の御遺言をしかと守ると約定してくださった。分家の儀、ご承諾くださったのだぞ」
「それは存じておりまするが」
ようやくひとりが渋々同意した。
「ご一同、三郎ぎみは殿をお慕いしておる。
仲睦まじい兄弟仲をさくような真似、我ら家臣がしてよいはずがなかろう?」
道場にため息が漏れた時だった。
「誠之進様、それは貴公のご本心か?」
決然と、声をあげる者がいた。
「三郎ぎみこそ藩主の器なのは火を見るより明らかじゃ。早坂先生に言われるまでもない」
「いかにも!」
「幼き頃よりお育てした誠之進様が、誰よりご存知ではないか?!」
「後見たる貴公が、なにゆえ三郎ぎみ擁立に異を唱える?」
勢いづいた他の者たちも口々に訴えた。
「擁立だと?」
見所に座した誠之進が立ち上がった。
「愚か者め!」
道場内に誠之進の怒号が響いた。
誠之進は一転して、
「第一にそのような横車、断じて御家のためにならぬからだ。惣一郎様が藩主となることは亡き殿の御遺志であり、長子相続という武家のしきたりにかなっている」
強圧的な口調で語り始めた。
「なれどっ」
「第二は三郎ぎみがそれを望んでおられぬ。
惣一郎様を助け御家をもり立てたいというお心はあれど、取ってかわろうなどという野心は微塵もない」
誠之進は反論を封じるがごとくたたみかけた。
「そなたら、三郎ぎみを担ぎだし、意に添わぬことを強いる気かっ?!」
腹の底からの一喝に、小部屋の小兵太も息を飲んだ。
「緑風会は本来藩の将来を思う真摯な会ではなかったのか?早坂などの口車に乗り、これ以上不穏な動きを続けるなら、藩庁としても見逃してはおけぬぞ」
「誠之進様っ・・・」
「目を覚ませ。そなたら皆、藩の将来を背負って立つ優秀な若手じゃ。斯様なことで道を誤ってほしゅうはない」
「殿のもとで心新たにご奉公に励め」
再び諄々と諭す誠之進に、小兵太は感じ入ったものだが、
「殿が藩主として不適格な理由はそれだけではない!」
突然、床を踏みならして立ち上がった者がいた。
「いまだお世継ぎができぬわけをご存知か?」
一瞬、凍り付いたような沈黙があった。
「おい立川、誠之進様の前でその話はよせ!」
「今宵はこれでお暇するぞ!」
慌てて朋輩を止めようとする声が方々から上がり、道場内の空気がざわついた。
『緑風会』の者同士で、一時言い合い、もみ合うような気配が伝わってきたが、
「誠之進様、お考えはよくわかりました。今宵はこれにて失礼つかまつります」
代表の脇坂が慌ててその場を納めようとした。
緑風会も一枚岩ではなく、穏健派と急進派が入り交じっているらしい。
ややあって誠之進が、
「ご一同、会の活動は藩から沙汰があるまで、暫時休止していただく。物産販売の話ならともかく、斯様な意図を持って参集するのであれば、もはや私の所で話を留め置くわけにはいかぬ」
低いがよく通る声で言い渡した。
見所裏の小部屋にも落胆のどよめきが伝わってきた。
「我らを処分すると申されるか?!」
「そうならぬよう、忠告しておるのだ。これ以上不穏な動きがあれば、目付の手に委ねざるを得ない」
一同はしばし無言だったが、
「誠之進様にご賛同いただけず、残念至極じゃ」
苦々しい呟きを最後に会は散会となった。
皆が道場から引き揚げたのを確認し、小兵太と主膳は小部屋を後にした。
***
誠之進は緑風会の面々を見送った後、 父・主膳の部屋、奥の書院へと向かった。部屋近くまで行くと、一足先に戻った主膳と小兵太の会話が漏れ聞こえてきた。
「・・・では、斯様な話が街道沿いのあちこちで囁かれているというのか?」
「はい。行く先々、宿屋や茶店で、藩士や商人までもが噂しておりました」
主膳が深いため息をついた。
「櫻田右近の異例の出世を妬むものは多かろうが・・・なんとも下世話な話じゃ」
「城下ではまだこの噂は?」
「儂の知るところではなかったが・・・。先ほど彼奴らが『お世継ができぬ』云々といったのは、この話を聞いてのことか?」
「おそらくは」
小兵太が低く返した。
廊下の誠之進は目を閉じ、両の拳を静かに握り込んだ。
先ほどの緑風会とのやり取りを反芻する。
『それは留守居役どのの功績であろう?』
『いまだお世継ぎができぬ理由をご存知か?』
何食わぬ顔でやり過ごしたものの、誠之進は気付いていた。緑風会の面々も右近と惣一郎の関係を揶揄したのだろう。
(国許にまで斯様な噂が流れているとはーー)
誠之進の衝撃は大きかった。
右近の出世を妬む者だけでなく、昔、知音を結ぶことを望み相手にされなかった者たちが、右近を攻撃し、溜飲を下げる格好の材料を得たわけだ。
すぐには主膳と小兵太の会話に加われず、誠之進は唇を噛み締めたまま、しばし廊下でふたりの会話に耳をすませた。
「吉田、そなたもわが一族に連なる以上、これからは政(まつりごと)と無縁ではいられぬぞ」
微妙な間をおいて後、
「・・・承知いたしております」
小兵太が神妙に答えた。
「役目は当分三郎ぎみの馬廻りで構わぬが、誠之進とともに緑風会を押さえにかかれ、よいな」
「・・・・・」
「そなたの働きに期待しておるぞ」
小兵太の声は聞こえなかったが、おそらく蛇ににらまれた蛙のごとく、平伏しているのだろう。
これ以上、小兵太を父と二人きりにするのは気の毒に思えた。
「父上」
誠之進は一声かけて障子戸を開けた。
燭台の灯りに照らされた父の横顔は、巌のように無表情であった。
一礼して入室すると、
「帰ったか」
主膳が短く問うた。
「はい。とりあえず今宵は大人しく引き揚げました」
主膳が口元を引き結んだまま、うなずいた。
「九州へ向かった内藤帯刀は当分捨て置くとして・・・、こちらが思わぬ事態になったな」
「緑風会との一件、ご報告が遅れ申し訳ござりませぬ」
誠之進が手をついて一礼すると、
「手短かに言え。何があった?」
主膳が手焙りに手をかざしつつ、先を促した。
「秋口から藩校の生徒を通じて、緑風会が三郎ぎみに接触を図りました」
「ふむ」
「再三『藩政研究会』には関わらぬよう、きつく申し上げて来ましたが、三郎ぎみは領内の殖産振興に関心が深く、会合に二度足を運ばれました」
「一度目は藩の物産販売や温泉開発など、活発に話おうていたようですが、二度目の会合に早坂甚斉が来ており、三郎ぎみを前にして奥や殿への批判を・・・」
「そなたは何をしておったのだ」
「一度目は西中江用水の件で遠出をしておりました」
言い訳がましいが、これは事実だった。
「二度目は・・・思うところあり、三郎ぎみをわざと見逃しました。私も遅れて会合場所へ駆けつけ、中の様子を伺うことにしたのです。丁度、早坂が三郎ぎみに問答をしかけたところでした・・・」
「問答?」
「『君の行状好ましからざるとき、臣としてそれを易するは是か非か』と」
「藩士たちの面前で斯様な問いを突きつけたのか?」
誠之進はうなずくと、
「見事なお答えでした。『万一、君の行状好ましからざることあらば、一命を賭して諌言するのが臣の道と心得る』と」
主膳もこれには唸った。
「あの論客相手に・・・三郎ぎみも大したものじゃ」
厳しい表情だった主膳の頬が緩み、誠之進はほっと息をついた。
「ですが父上。三郎ぎみも今やよくお分かりです。殿のお国入りまでは目立つ動きはせず、若手藩士らとは距離を置くのが得策と・・・」
「なるほどな、さようなことがあったか」
「父上にも早々にご報告すべきところを、御用繁多を言い訳に失念しておりました。重ねてお詫び申し上げます」
「わかった。もうよい。なれど緑風会は諦めておらぬようだな」
「彼らを力で押さえたくはなく、これまで静観して来ましたが、先ほども申しましたようにー」
「うむ。『擁立』などという言葉を使われては看過できぬ。今までは大目に見てきたが、もはや猶予はならぬぞ」
「はい」
(父上に言われるまでもない。ここで非情にならねば三郎ぎみに類が及ぶ)
「緑風会を即刻解散させよ。主立った者は目付に見張らせる。早坂甚斉は雪の積もる前に領内より追放じゃ」
「事ここに至っては・・やむおえませぬ」
誠之進も腹を決めて首肯した。
「しかし早坂が現れ三郎ぎみを名君の器と褒めそやし、こたびは江戸の殿と櫻田右近を貶めるがごとき噂が領内で流れるとは・・・何ぞ裏がありそうだな」
主膳が小兵太にちらりと視線を投げた。
小兵太はひたすら主膳と誠之進の会話を聞いていたが、
「実は誠之進・・・」
言いにくそうに口を開いた。
「その・・・関川からこっちの宿場で妙な噂を聞いてな。右近が殿の・・・」
口ごもる小兵太に、
「吉田、はっきり申せ」
「いえ、あの、その」
「櫻田の異例の出世は、殿の尋常ならざるご寵愛ゆえ、とな」
「ご、ご家老ーー」
慌てふためく小兵太を尻目に、
「留守居役殿は夜も昼もお忙しい。お世継ぎができぬのもそのせいじゃと。馬鹿馬鹿しゅうて話にならぬ」
主膳はあっさりと切って捨てた。
誠之進は泡立つ心を隠しつつ、
「右近が美男ゆえ、まことしやかに囁かれるのでしょう。腹立たしいことです」
伏し目がちに呟いた。
つづく
|