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十月末日。
小雪のちらつくなか、筆頭家老・溝口主膳宅で、息女志保と吉田小兵太の祝言が執り行なわれた。軽輩の吉田の親族が窮屈な思いをせぬよう、『身内だけで』と称しての祝言だったが、駆けつける来客はひきも切らず、今町の廻船問屋・中村屋からは鯛や角樽を始め、豪華な祝いの品が届いた。溝口家の知行地からも庄屋が挨拶に訪れ、賑やかな人の出入りが絶えなかった。
大村郷の代官の家に養子に入った溝口家の次男・慶次郎も妻とともに訪れ、誠之進は弟と久しぶりの再会を果たした。
式三献の儀式は親族とごく親しい者だけで行った。小兵太と誠之進の剣術の師、酒井十太夫も招かれてやってきた。主膳は月下氷人を、志保を幼い頃より知る中老の山崎翁に頼むつもりだったが、このところ体調がすぐれぬらしい。誠之進のすすめもあり、若い中老の堀隼人丞夫妻が代わりを務めた。
宴には小兵太の主である三郎信尭も、側仕えの源蔵とともに出席した。重臣のみならず藩主の弟君まで臨席賜り、小兵太の兄、一朗太と妻女はいよいよ家格の違いに恐縮し、身の置き場のない様子だった。
三郎は気の毒の思ったのか、一朗太に杯をとらせ、
「そうかしこまらずに、本日は無礼講。めでたい日じゃ、楽しんでゆかれよ」
と、気さくに声をかけた。
来客の応対に追われながらも、誠之進は遠目にその姿をとらえ、胸に暖かいものが広がった。
お色直しも済み、料理をあらかた食べ終えたところで、花嫁花婿は退出と相成った。祝言は溝口家で行ったものの、志保と小兵太の新居は西の丸のお長屋だ。いずれ子ができれば城外に屋敷を構えることになろうが、新婚の間はここで良いと志保もひとつ返事で同意した。
小兵太たちが去るのと前後して、城から三郎の迎えの乗り物が到着した。
誠之進は玄関まで主を見送りながら、
「本日はお運びいただき、ありがとうございました」
「ほかならぬ小兵太と志保の祝言じゃ。出席できて嬉しかったぞ」
満足げな笑みを浮かべる三郎を、誠之進は穏やかに見つめ返した。
「何のかんのと言いつつ、主膳も上機嫌だったな」
「まことに。志保の白無垢姿に目が潤んでおりましたな」
誠之進は軽い笑い声をたてて応じた。
「しかしまあ、小兵太さんの裃姿もなかなかよくお似合いで。月代まで剃って見違えましたねえ」
少しばかり酒を口にした源蔵が、とろんとした目つきで誠之進の袖を引っ張った。
「こら源蔵、小兵太の覚悟を笑うでないぞ」
「あれは馬子にも衣装というか、猿にも衣装でしたな!」
からからと笑う源蔵に、誠之進は目尻を下げて苦笑した。
「こいつ、酔っぱらっておるな。誠之進、源蔵にかまうでないぞ。我らはこれで失礼する」
三郎は草履を履くと、片手で源蔵の耳を引っぱり、
「はよう参れ」
と、玄関を出て乗り物へと歩き出した。
その背に向かい、
「若」
誠之進は深い声で呼びかけた。
三郎が肩越しに振り返る。
(では後ほど)
誠之進が瞳で語れば、三郎もわずかに睫毛を伏せ、小さくうなずいた。
*
もう少し早く城へ戻るつもりが、溝口家の嫡男として来客の見送りなどもあり、屋敷を出る頃には亥の刻(午後十時)を過ぎていた。
(随分遅うなってしまった。もうお休みだろうか?)
ようやく西の丸に戻るとお福が出迎え、三郎が離れの誠之進の部屋で待っているという。
粉雪の薄くつもった渡り廊下を、誠之進は急ぎ自室へと向かった。
木戸を開け板の間に入り、居間への襖をあければ、部屋着に着替えた三郎が炬燵でまどろんでいた。
お福が火鉢にも新しい炭を入れてくれたようで、部屋は柔らかく暖まっていた。
それでも炬燵で眠り込んでは風邪をひく。
綿入れ片手に近寄り、わずかに幼さを残した寝顔にしばし見入った。
指先で前髪に触れようとすると、気配を感じたのか三郎がうっすらと目を開けた。
「ただいま戻りました」
「誠之進・・・」
眠りから覚めきらぬ、茫洋とした瞳で三郎が見上げた。
「遅うなって申し訳ござりませぬ」
三郎は薄く微笑むと、ゆっくりと半身を起こした。
誠之進は畳に膝をつき、後ろから綿入れを着せ掛け、そのまま三郎の背に寄り添った。
「良い祝言だったな」
三郎は誠之進のするがままに任せ、小さく息をついた。
「小兵太のあのような真剣な顔、初めて見た」
「今までの気ままな暮らしをあきらめ、溝口の親族となったのです。よう決心したと思います」
「志保をよほど大切に思うているのだな」
しみじみ語る三郎に、
「軽口を叩いておりますが、小兵太は根は真面目な男です。きっと似合いの夫婦になるでしょう」
誠之進は心からそう呟いた。
三郎は半ば瞼を閉じ、炬燵の上に片頬を預け、気持ちよさそうにじっとしている。
誠之進は三郎の背に寄り添い、耳元に語りかけた。
「入り婿でもない小兵太には申し訳ないが、父母のことを思えば、溝口の家で祝言ができてようございました」
「家格の違いを考えれば、それが自然じゃ」
「弟・慶次郎も既に婿養子に出ております。我が家での祝言はこれが最初で最後となりまするゆえ」
三郎が目を開けた。
玻璃玉のような瞳を見開いたまま、微動だにせず、誠之進の言葉を反芻している。
何も尋ねず、何も問いたださず、その言葉の意味をかみしめている。
炬燵の上に置かれた三郎の右手に、誠之進は己の手を重ねた。
上から指先を握り込むように、そっと力を込める。
誠之進もそれ以上を語らず、三郎を背中から静かに抱きしめた。
お互いの温もりを感じながら、ふたりは炭のはぜる音にじっと耳をすませた。
優しい静寂が満ちるなか、三郎の右手が反転し、下から誠之進の手を柔らかく握った。
*
翌朝、信越国境へと向かう役人の一団があった。
旅姿の総髪の男を役人が取り囲み、物々しい雰囲気があたりに漂っていた。
うっすらと雪の積もる妙高の山道を、一団は黙々と歩を進めていく。
関川の関所に到着すると、寒風吹きすさぶ中、役人は奉書を懐から取り出し男に申し渡した。
「早坂甚斉。江戸の儒者と名乗り領内に逗留し、藩士らを唆し騒乱を起こさんとした罪で、高山領内より追放に処す」
「万一、御領内に再び足を踏み入れれば、ただではすまぬぞ」
別の役人が横から付け足した。
「騒乱を起こさんとは笑止な。私はただ武門の理を説いたのみ」
早坂は口元に薄笑いを浮かべた。
気色ばんだ役人が、
「黙れ黙れ!」
声を荒げて詰め寄った。
「御家老の温情にて百叩きにならず、追放だけで済んだものをっ」
「減らず口をたたきおって。ええい、早々に立ち去れい!」
もうひとりが早坂の背を乱暴に押した。
よろめき、地面に倒れ込んだ早坂が、肩越しに役人たちを振り返る。
切れ長の三白眼が異様な光を帯びた。
早坂はゆっくりと立ち上がり、わざとらしいほど緩慢な動作で、袴の土を払った。
「さっさと行け」
苛立たしげな声音で促されても、全く意に介さない。
早坂は傲然と背をそらし、役人たちを睨め付けた。
「この辱め、忘れぬぞ」
木戸が開け放たれ、早坂は無言で門をくぐった。
信濃領へと入り、振り返ることなく足早に山道を進んで行く。
早坂の後ろ姿は役人たちの視界から遠ざかり、やがて冬枯れの木立の中へ消えていった。
軋んだ音をたてて木戸が閉まっても、早坂の凍てつくような声が、役人たちの耳について離れなかった。
*
十一月一日。
筆頭家老・溝口主膳の命で儒者・早坂甚斉は高山領内より追放と相成った。
緑風会は解散を命じられ、会の発起人である脇坂文太郎、立川重蔵らは戒告。密かに目付の監視がついた。
長い冬の到来を前に、騒動の芽は未然に摘まれた。
しかし、その姿が領内から消えても、早坂の蒔いた種は若手藩士の心に確実に根を張っていた。
了
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