壱の巻「帰郷」1

by 戸田采女


 高山城は平城で石垣もなく、周囲を土塁と水堀に囲まれている。天守閣の代わりに建てられた三重櫓は、豪壮ではないがすっきりと趣きがあった。

 誠之進が帰郷したのは卯月十日過ぎだった。遅咲きの八重桜も終わり、葉桜の緑眩しい季節となっていた。

 堀のすぐ外側は重臣の屋敷が軒を並べている。上席家老・溝口主膳の屋敷は、城の西側、堀を渡ってすぐのところにあった。

 ほぼ二年ぶりに高山に戻った誠之進は、藩主・結城因幡守信輝に拝謁し、帰郷の挨拶を済ませた後、屋敷に戻ってくつろいでいた。父親の溝口主膳はいまだ城中に残っているが、暮れ六ッまでには戻るとのことだった。

 誠之進には兄弟が二人いた。
弟の慶次郎は前髪だちの十六歳。生意気盛りの妹の志保は十三歳である。
 父親の溝口主膳は今年四十六。能吏というよりは、苦味走った古武士を思わせる風貌の男だ。事実上、藩主に代わって藩政を取り仕切る主膳は、実利主義的一面も持ち合わせていたが、基本的には主家第一、義を重んずる人柄であった。
 母、咲は主膳より五つ年下で、細面の凛とした面立ちに子鹿のような眸が印象的だ。
 誠之進は両親の容貌を半分ずつ受け継いでいたが、弟・妹たちには母親の血が色濃く出ているようだった。

 妹の志保は濡れ縁に腰かけ、江戸みやげの草双紙に夢中になっている。
庭先に出た誠之進は、慶次郎にせがまれるまま、江戸での生活をこと細かに語っていた。
 「…して、兄上。」
慶次郎は声を落とすと、肩越しに志保を振り返った。
妹が草双紙に見入っているのを確認すると、
「…吉原へはおいでになったのですか?」
兄の耳もとにささやいた。
誠之進も後ろを気にしながら、「ああ」と小さくうなずいた。
「…やはり、『桔梗屋』とは大違い…?」
「吉原にも様々な見世があるゆえ一概には申せぬが…、大見世は確かに格が違う。
位の高い遊女ばかりを抱えておる。あの者たちは、大名や旗本相手にもたやすくなびかぬ意地というか品格があってな…。
客が気に入らねば、振ってもよいらしいぞ」
「ほう…」
慶次郎はひとしきり感心すると、興味津々で尋ねてきた。
「あ、兄上もその大見世とやらに…ゆかれたのですか!」
「惣一郎様のお供で何度かな」
誠之進は軽く咳ばらいをした。

 顔はまだ童形とも言える慶次郎だが、しばらく会わぬうちに随分ませたらしい。
そういえば、直江津の遊廓、『桔梗屋』の話などいずこで仕入れたものか…。
後で土産に買ってきた 吉原細見 でも見せてやろう、と誠之進は苦笑した。

「誠之進どの、お父上様がお戻りですよ」
吉原の話題で盛り上がっていた兄弟は、母の声に思わず肩をすくめた。
「兄上様たち、お話の途中で残念ですわね…」
童女のような笑みを浮かべつつ、嫌みたっぷりに言い放つと、志保は母とともに父を迎えに玄関へ向かった。
「あいつ…聞いていやがったな!」
慶次郎が頬を赤らめ、悔し気に舌打ちした。母に告げ口されるのが恐いのだろう。
一方、誠之進は、
「ふふ…志保は地獄耳だな」
慶次郎のうろたえぶりが可笑しくて、笑いを納めるのに苦労していた。

 久しぶりに家族揃って膳を囲み、誠之進の土産話に花が咲いた。
夕餉が終わると主膳は話があると、誠之進を奥の書院にいざなった。
「まあ、座れ」 
誠之進は父の前に座すと、軽く頭を下げた。
「急なお沙汰で驚いたろうが…、よう戻った」
「いいえ、父上や母上、皆に会えて嬉しゅうござります」
以前と変わらぬ壮健な父の姿を見て、嬉しく思う誠之進であった。
「こたびのお役目、其許(そこもと)は納得がいかぬところもあろうが…、実は私から殿に申し出た」
「父上が…?」
意外であった。
筋目、血統を重んじる父の方針からすれば、誠之進は将来家老職を継ぐものとして、本腹の嫡男・惣一郎の側にこそあるべきだった。
「明日にでも殿からお話があるはずだが、私としても考えあって決めたこと。それを其許に伝えておきたかったのだ」
誠之進は真剣な目でうなずいた。

 結城因幡守信輝が藩主の座についたばかりの頃、参勤の道中で泊まった関川宿・本陣『加賀屋』の娘を見初めた。娘の名はおひろという。信輝公三十五才の時である。

 江戸には正室・お牧の方がいる。御三卿 の田安家当主・慶久の妹にあたる。田安家にくらべれば結城家は田舎大名。石高はそれなりの十一万石だが官位は高くない。どう見ても格上の家から室を迎えた感は否めなかった。信輝公は絵を嗜み、風雅の道にも通じた貴公子だったが、政治的野心は皆無だった。

 武家の婚姻は家と家の取り決めだ。本人の意志はほとんど反映されない。元来温和な性格の信輝公は、美しいが気性の激しいお牧の方とはそりが合わなかった。お牧の方との間には、嫡男・惣一郎、次男・犬千代が生まれたが、子によって夫婦の絆が深まる兆しはなかった。

 やがて先代が隠居し、高山藩十一万石を継いだ信輝公は初の御国入りを果たす。大名の嫡男の例にもれず、信輝公も生まれてこのかた江戸を出たことがなかった。しかし、絵心のある信輝公は、越後・高山の厳しくも美しい自然に魅了された。領民も皆素朴で働き者であった。

 先代藩主の命を受け、上席家老・溝口主膳が大村郷の排水工事、度々洪水を起こす関川の普請を進めた結果、藩財政は十年ぶりに黒字に転じていた。近隣の諸藩では一揆が多発するなか、高山藩はここ十数年おおむね平穏であった。

 ところが、順風満帆に見えた高山藩に小さな波紋が広がった。宝暦一年のことである。
 参勤のおり見初めた、関川宿・本陣『加賀屋』の娘、おひろを、信輝公が側室に迎えたいと言いだした。随行していた側近の間では、おひろの事は既に噂になっていたようだが、国家老の主膳にとっては寝耳に水。あろうことかおひろの腹には既に信輝公のお胤が宿っているという。
 世の大名の習いとして、国許に側室がいるのは当たり前のことだったが、問題はあのプライドの高い奥方である。宿屋の娘に夫を奪われたとあっては黙ってはいまい。嫉妬というよりは面子を潰されたと激怒するであろう。当然、田安家との間もぎくしゃくしかねない。
 
 重臣の中には、御家騒動の火種になることを懸念し、赤子もろとも、秘かにおひろを亡きものしてはとの過激な声もあったが、主膳はそこまで非情になれなかった。

 温厚な信輝公が今回だけは頑として譲らず、重臣たちの反対を押し切っておひろを高山城に迎え、三ヶ月後、おひろは無事男子を出産した。
 それが三郎ぎみであった。

 主膳はそこまで話終わると、大きな溜息をついた。
当時、誠之進はまだ十一、二歳で、お城が斯様なことで揺れていたとは夢にも思わなかった。
「しかし、父上、その後おひろ様と三郎ぎみは…?」
主膳は眉を寄せてつぶやいた。
「しばらくお城で暮らしておられたが、城の暮らしに馴染めなかったのか、おひろ様が病がちでな…。不憫に思った殿が『加賀屋』へ戻された」
「殿が…よくお放しになりましたな」
「病がち、というのは表向きで…。実は毒を盛られたらしい」
「何と!」
誠之進は絶句した。
「確たる証拠もなく、城では厳しく箝口令が敷かれたが、侍医の見立てではそういうことだった」
「殿もそれでご決心なさいましたか…」
「お心残りの御様子であったが…。それだけ大切に思うておられたのだろう」
父子はしばらく無言で相対していた。

「誠之進、そこでじゃ」
「はい」
「残された三郎ぎみのこれからだが…」
主膳は一旦言葉を切って続けた。
「次男の犬千代君亡きあと、信輝公の血をひく男子は惣一郎様と三郎ぎみのお二人だけになった」
「確かに…」
誠之進にも薄々事情が呑み込めてきた。
つまり、三郎は事実上の次男。惣一郎に何かあったときは跡を継ぐ『御控』という立場になった。三郎の存在はここへ来て重要度を増したというわけだ。

 高山藩では長年、家老は上席家老ひとり、次席家老二人の三人が定数であった。家老職を勤める家は溝口家、内藤家、小栗家と決まっており、世襲制である。だが、上席家老の地位は必ずしも世襲というわけではなく、その時々の情勢に応じて藩主が任命した。

 主膳としては、親の欲目を抜きにしても、次の上席家老は誠之進がふさわしいと考えている。息子ながら、能力・人柄共に申し分なく、藩主の覚えもめでたい。しかし、他の二家、特に内藤家は「次はわが家から」と心に期するものがありそうだった。

 現在の内藤家当主、次席家老の内藤帯刀は三十六歳。誠之進とは微妙な年齢差だ。誠之進が家督を継ぐ頃、帯刀は隠居するには若すぎる。かといってなまじ覇気のあるこの男が、唯々諾々と誠之進の風下に立つとは思えなかった。

「殿はことのほか三郎ぎみをご寵愛だ。その三郎ぎみを利用しようと考える輩が出てこぬとも限らぬ」
言外に内藤帯刀のことを指しているのは誠之進にもわかった。
「利用…とおっしゃいますと?」
「守役となり、三郎ぎみを取り込んでおいて、将来、藩内に第二勢力を作る…」
「将来と申されましても、惣一郎様も遠からずご正室を迎えられるでしょうし、お子ができれば、三郎ぎみが家督をつぐことはもはや…」
「お子ができねばどうする? こればかりはわからぬぞ」
「父上…そのように先の先まで心配なさっても…」
「事実、内藤帯刀は自分の弟を守役にと申し出たのだ」
「それは…」

 誠之進には、なぜ皆がこれほどまでに三郎にこだわるのか、理解できなかった。内藤帯刀にしても、溝口家の代替わりの時、あわよくば上席家老にいう気持はわからぬでもない。しかし、ご正室様ゆかりの田安家を敵に回してまで、何の後盾もない三郎を藩主に押す意味などあるのか? 田安家の不興を買い、柳営で睨まれたら高山藩はおしまいである。

 怪訝そうな眼差しの誠之進に、
「…まあよい。其許も、殿の御寵愛ぶりをみればわかるであろう」
主膳は溜息まじりに呟いた。
「それと、内藤は切れる男だが視野が狭い。江戸表のことには疎いのだ。藩内の事しか頭にないとすれば、三郎ぎみを担ぎ出して、我が家にとって代わらんとする動機も理解できよう」
誠之進は唇を噛んでうなずいた。そういう視点で見れば父の懸念はもっともだった。
「其許を守役にと申し出たは、左様なわけがあったのだ」
「…私のような若輩者に若君の守役など勤まるのでしょうか?」
自分はまだ子もおらず、妻さえ娶っていない。
誠之進は正直に不安を口にした。
「年の離れた弟と思えばよかろう。三郎ぎみが元服なさるまで、誠心誠意ご奉公いたせ」
「…はい」
父にそこまで言われては、諾とうなずくしかなかった。
「一応、殿もお牧の方さまに遠慮されて、三郎ぎみは本丸ではなく、新築した西の丸に住わせるそうだ。屋敷のほうは既にお迎えの用意ができているらしい。明日にでも行って見てまいれ。三郎ぎみをお連れするのは、数日後でよかろう」
「心得ましてござります」
誠之進は慎んで頭を垂れた。


つづく



壁紙は『十五夜』さんからお借りしています。


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