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(こんな若造が守役なのか?)
久右衛門は一瞬目を見張った。
相手の驚きの理由を察したのか、若い武士は自ら軽く一礼して名乗った。
「それがし、高山藩士、溝口誠之進と申します。こたびは藩主・結城因幡守信輝様より、三郎ぎみの守役を仰せつかり、本日お迎えにまかりこしました」
久右衛門は溝口誠之進と名乗る男と改めて目を合わせた。
本陣という商売柄、武士はピンからキリまで見なれている。
何気ない所作から、この男が高格の家の出だと一目で見抜いた。
だが、それにしては尊大な態度が見られない。
整った顔だちの美丈夫だが、眼差しは柔らかく暖かい。
久右衛門は少しだけ肩の力を抜いて応対した。
「手前が『加賀屋』主人の久右衛門にござります。
本日は遠路はるばるお役目御苦労さまにござりました」
誠之進は目礼で答えた。
久右衛門が春吉の様子をうかがうと、好奇心いっぱいの目で誠之進を見つめている。
誠之進の物腰の柔らかさに、祖父同様、多少は警戒を解いたのだろう。
やがて、誠之進は春吉のほうへ向き直って声をかけた。
「三郎ぎみ…お初にお目にかかります」
きょとんとする三郎に、久右衛門がかんでふくめるように言った。
「春吉、三郎信尭という名が、お城でのおまえの正式の名じゃ。まわりの者はこれからおまえを三郎と呼ぶ。わかったな」
「は、はい…」
お客に対する興味できらきら輝いていた瞳に、すっと陰がさした。
誠之進は三郎の表情をすぐに読み取ったようだ。相手の不安をやわらげようと、誠之進は三郎の目をまっすぐに見て、優しい口調で語りかけた。
「三郎ぎみ、それがし、溝口誠之進と申します。本日より守役として、三郎ぎみにお仕えいたします」
三郎がこくりとうなずいた。
「守役というには年若く、何かと至らぬ点もごさいましょうが、精一杯勤めさせていただきます。どうぞ宜しくお願い申し上げます」
立派なお武家が子供の三郎に対して丁寧な言葉を使い、深々と頭を下げている。三郎は小首をかしげながら、深い瞳の色で相手をじっと見つめていた。
だが、怖がったり萎縮している様子はない。久右衛門は黙って二人のやりとりを見守っていた。初対面の人間をそう簡単に信用するわけにはいかないが、三郎に相対する武士の態度には誠意が感じられる。
町家で育った三郎を軽んじる様子はない。三郎も少年独特の勘で、誠之進の人となりを見抜いたようだった。
やがて、三郎は何か返事をせねばと思ったのか、畳に小さな手ついて、誠之進と同じように深々と頭を下げた。
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
三郎はかすかに頬を赤らめ、黒目がちの瞳をひたと誠之進に向けた。
誠之進の顔に慈しむような笑みが広がった。
「立派に御挨拶ができましたね」
三郎の瞳が嬉しそうに輝いた。
「ですが三郎ぎみ、私に敬語を使ってはなりませぬ」
「え…でもお爺様がいつも、目上のひとには丁寧な言葉で話しなさいと…」
誠之進はうなずいて続けた。
「お爺様のおっしゃることは正しいのですよ。なれど私は三郎ぎみの家臣です。年が上でも目上にはあたりません」
三郎は今ひとつ理解できないのか、祖父に問うような眼差しを向けた。
久右衛門は黙ってうなずくだけで、何も語らない。
「急に言われても難しいと思いますが…、お城の中で、三郎ぎみはお父上以外のものに敬語を使う必要はないのです。私のことも誠之進とお呼び捨てください」
三郎はとりあえず大きくうなずいた。
(この男が守役というのは…幸いであったかもしれぬ)
久右衛門は未だ割り切れぬ思いを抱えながらも、誠之進になら春吉を託せるかもしれない、とわずかだが心が動き始めていた。
「春吉、良いお方が守役でよかったのう…」
「はい!」
「お城にいっても寂しくはないな?」
三郎の唇は「はい」と言葉を紡いだが、つぶらな瞳にはたちまち涙が溢れた。
久右衛門が座したまま、三郎に向かって両手を伸ばすと、
「おじじさま!」
三郎は祖父の胸元に飛び込み、首にかじりついた。
やがて、押し殺したような泣き声が聞こえてきた。
久右衛門はしゃくりあげる孫をじっとあやしながら、
「…お城へ行ったら、お前はもう武家の子じゃ。涙はみせられぬぞ」
三郎は洟をすすり上げながら、こくこくとうなずいた。
「溝口様…」
「はい」
「春吉を…お頼み申し上げます」
老人と誠之進はしばし無言で目を見交わした。
「加賀屋殿のお気持ち、しかと承りました」
誠之進の澄んだ瞳がまっすぐに久右衛門を見た。
「おひろ様や加賀屋の皆様方が、大切にお育てくださった若君です。決してお寂しい思いはさせません」
久右衛門はうつむいて目をしばたかせた。
「三郎ぎみに対する殿の御寵愛は深く、心配なさることは何もござりませぬが、万が一、事あらば…」
一旦言葉を切った誠之進に久右衛門は鋭い視線を向けた。
「…三郎ぎみは私が一命を賭してお守りいたします」
いささかの迷いもなく誠之進は言い切った。
久右衛門は孫の行く末を案じながらも、
「あなた様の誠意を信じましょう…」
誠之進に向かって頭を垂れ、謝意を示した。
「さ、これでよろしかろう…」
誠之進は袴の紐を結んでやりながら、満足気に微笑んだ。
数人の従者とともに、すじ向かいの脇本陣ので一泊した誠之進は、朝から加賀屋に赴き出立の準備をした。
三郎の身支度を整えながら、自分がすっかりこのお役に馴染んでいることに、誠之進は内心苦笑していた。
正直、特別子供好きというわけではなかった。
弟、妹がいるとはいえ、誠之進は国家老の嫡男。
誠之進自身が二人の世話をした記憶はない。
『加賀屋』に向かう道中も、「懐いてくださるだろうか?」「手に負えない悪タレであれば、いかがしよう?」と、あれこれ気を揉んでいたのだが、案ずるより生むがやすし。誠之進は三郎を一目で気に入った。
利発で健気なお子である。
しかし、周りに遠慮ばかりしているのとは違う。
いじけたところが全くなく感情表現が豊かだ。
母親と祖父、久右衛門の惜しみない愛情と躾けのたまものだろう。
宿場の髪結いを呼んで、武家の子供の髪型に結い直した。
こうして袴をきちんとつければ、どこから見ても立派な若君だ。
面立ちもどことなく信輝公に似ていた。
三郎自身も、着慣れない衣装と髪型に、戸惑いと興奮の入り交じった表情を浮かべていたが、
「では、そろそろ参りましょうか?」
誠之進の一言で瞬時に頬をこわばらせた。
しかし、もう涙は見せない。
三郎は黙ってうなずくと、誠之進に促されるまま玄関へ向かった。
本陣『加賀屋』の玄関では、三郎を見送るべく、家族や使用人が全員顔を揃えていた。表には騎馬の武士数人と、お乗り物が待機している。
誠之進は久右衛門、弥兵衛に丁寧に一礼すると、三郎の手をひいて乗り物にいざなった。
すると、
「春吉!」
通りの向こうから子供の声がした。
十歳前後のこわっぱが数人、向かいの料理屋の店先からこちらをじっと見ている。
「これ、無礼であるぞ」
従者のひとりが子供らを退けようとしたのを、
「構わぬ。話をさせてやれ」
と、誠之進が制した。
大柄な子を先頭に、子供らはおずおずと乗り物に近付いてきた。
「権太…、みんな…」
遊び仲間が見送りに来てくれたのが嬉しかったのだろう。三郎は目を潤ませながらも、一生懸命笑顔を作った。
「春吉…、おまえがお殿さまの子供だってのは本当だったんだな…」
「うん…」
「お城へいっちまうのか?」
三郎は小さくうなずいた。
「もう帰ってこねえのか…」
三郎は答えず、誠之進の手をきゅっと握りしめた。
誠之進は権太と呼ばれた大柄な子に向かって言った。
「お母上様の御命日には…、お参りに来られるようにしましょう」
三郎は驚いたように顔をあげた。
「ほんとうか?」
「殿にお願いしてみます」
「うん!」
宿場の子供らも一斉に目を輝かせた。
「よかったなあ、春吉」
「うん!」
「達者で暮らせよ…」
「みんなもな…」
三郎は目をこすりながら何度もうなずいていた。
誠之進が目で合図すると、六尺 がお乗り物の入り口を開けた。
三郎が今一度、加賀屋の店先を振り返った。
伯父、伯母夫婦、奉行人たちが居並ぶ中、毅然と立つ、祖父・久右衛門の姿があった。
三郎はじっと祖父の姿を見つめたまま動かない。行かなければならないのはわかっていた。
しかし、どうにもこの場から去り難く、自分から乗り物への一歩が踏み出せないのだ。
誠之進は背後から三郎の肩に両手を置いて言った。
「一緒に馬に乗っていきましょう」
小さくうなずいたのを確かめると、誠之進は三郎を軽々と抱き上げ、自分の馬に乗せた。
久右衛門に向かって目礼すると、誠之進は三郎の後ろに跨がり手綱をとった。
誠之進の合図で、一行は加賀屋の前を出立した。
(春吉…!)
遠ざかる馬上の三郎と誠之進の後ろ姿を、加賀屋・久右衛門はかすむ目をこすりつつ、万感の思いで見送っていた。
「帰郷」了
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