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越後高山藩、結城家の中屋敷は、不忍池に近い、上野・池之端にあった。隣接する加賀前田藩・上屋敷の広大さには比ぶべくもなかったが、先代藩主・信政の時代に作られた回遊式庭園 は御三家の庭園にも比肩するもので、四季の花々の美しさは格別であった。
秋も深まり、そこはかとなく菊の香漂う、旧暦九月十三日。
半月ほど前に上屋敷から中屋敷に移り住んだ惣一郎は、母、お牧の方と田安家の伯父・徳川慶久を月見の宴に招いた。
客を迎える一刻(二時間)ほど前から、用人の櫻田右近は小姓達と宴席の仕度にかかっていた。庭に面した奥座敷で、月見にふさわしい掛け軸を自ら選び、花を生ける。十三夜の月見には衣かつぎ、枝豆、栗、すすきの花などを供す。下女たちが台に供え物を彩りよく並べ、膳部の用意をして引き下がると、入れ替わりに主の惣一郎が入ってきた。
ちょうど、花を生け終わった右近は、主の前に向き直ると畳に手をついて礼をした。
惣一郎はあたりを満足げに見回した。
「万事遺漏ないな」
「はい」
右近は自信をもってうなずいた。
「そなたも同席するように」
「いえ…、私は」
口ごもる右近を見下ろし、惣一郎は声に笑いを滲ませて尋ねた。
「右近、母上と伯父上は苦手か?」
「…そのようなことは決して」
図星をさされた右近だったが、小さく咳払いして、すまし顔を作った。
「では、同席してお相手をつとめよ」
「…御意のままに」
深々と頭を下げる右近に小さく笑いかけると、惣一郎は濡れ縁から庭に降り立った。
鳴きすだく虫の音が秋の風情をかきたてる。
花鋏を片付けながら、右近は主の後ろ姿を目で追った。
*
惣一郎が指摘したように、お牧の方はともかく、右近は慶久が苦手だった。苦手というより、保守的で門地を鼻にかけている五十男が、はっきり言って嫌いなのだ。
右近は江戸に出てきて以来、林家の私塾で儒学の講議を定期的に受けていたが、実は興味の対象は別のところにあった。
幕閣で今をときめく、田沼意次である。
十六歳の時、八代将軍吉宗の世子、家重付の小姓となり、家重が九代将軍になると意次も従って西の丸から本丸に移り、小姓番組頭各から同番頭へ、さらに宝暦元年、側用申次にまで登った。同八年には加増されて一万石となり、大名の列に加わった。同時に、「こののち執政と同様に評定所にでて訴訟をうけたまわるよう」命ぜられている。
「亨保の改革」で知られる、八代将軍吉宗の時代、破綻の危機に陥っていた幕府財政を立て直すため、次のような手が打たれた。
強引な年貢引き上げ、新田開発による増収政策、徹底的な緊縮財政である。これらは奏功し、幕府財政は確実に好転していく。だが、副作用も大きかった。なりふり構わぬ年貢引き上げは、各地、特に天領での百姓一揆の激発を招いた。
「群上八幡一揆」はそのひとつの節目となる。
美濃国、郡上八幡藩で起った一揆は藩内の問題には収まらず、紆余曲折を経て、ついには幕府評定所で審理され、前代未聞の結末を見た。領主・金森氏は領地召し上げのうえ、奥州南部大膳太夫のところへ永預け。幕閣内でも、金森藩政に裏で関わった若年寄の本多忠央を始め、年貢増徴派が処罰を受け一掃された。
この事件の終結とともに、田沼意次が政治の表舞台に登場することになる。
田沼は従来、幕閣で主流だった年貢米引き上げ案を排し、商品流通に課税して税収不足を補う間接税方式を採用した。他にも貨幣の一元化など、大胆かつ進歩的な策に右近は瞠目し、それらがどんな実を結ぶのか、強い関心を抱いていた。
だが、これらは守旧派や政商たちの利益に反し、各方面からの反発も強かった。
柳営で隠然たる力を持つ田安家の慶久は反田沼の急先鋒であった。右近は以前、政治向きの話で意見を求められ、馬鹿正直に田沼を礼讃して墓穴を掘った覚えがある。甥の用人の分際で御三卿に楯突くのかと、逆鱗にふれた。
今宵は女性も同席する月見の宴だ。不粋な政治の話は出るまいが、右近としてはできれば避けて通りたい相手だった。しかし、主の惣一郎が同席せよと言うのなら、これも臣下の勤めと割り切らねばなるまい。
側用人となり中屋敷に移ってから、惣一郎と二人で過ごす時間が格段に増えた。これまでは苦労知らずで派手好きな若殿、くらいの評価しかしていなかったが、右近は最近少し考えを変えつつある。
ふと座敷に吹き込んだ風の冷たさに、右近は主の背に向かって声をかけた。
「袷一枚ではお寒いのではありませんか? 羽織りをお持ちしましょう…」
「大丈夫じゃ…」
「お風邪を召しても知りませぬぞ」
「そなたが私の身体を案じてくれるとは…」
しみじみと言う惣一郎に、右近は不覚にも胸を突かれたが、
「明日は雨だな」
やはり惣一郎は素直ではない。
「…勝手になされませ」
呆れたように言い捨てる右近を、惣一郎は肩越しに振り返った。
言葉とは裏腹に、どこか切ない色をたたえた瞳が右近を捕らえた。
だがそれもほんの一瞬で、惣一郎は視線を流すと、再びゆっくりと庭園を散策し始めた。
惣一郎は飛び石や石灯篭の間をゆったりと行き来している。
長身の広い背中が、時折、君命で国許へ帰った友の姿と重なった。
(惣一郎様が誠之進に見えるようでは…我ながら度し難いな)
右近はこめかみに手をあてて、鈍い溜息をついた
*
思えば、藩校に入学して以来、誠之進と会わない日は三日となかった。雪に閉ざされた冬場、藩校が休みの時期でさえ、城下にある誠之進の師、直心影流の酒井十太夫の道場で、週に一度は手合わせした。とはいえ、あの頃は、誠之進の周りには吉田や佐久間など同門の剣友たちが大勢おり、右近が誠之進を独占できる時間は限られていた。
それが江戸詰になってからは、藩邸で毎日顔を合わせて暮らしたのだ。道場で供に汗を流し、食事もほとんど毎晩一緒にとった。時には屋台で蕎麦をたぐりながら、藩政のあり方について激論を戦わせた夜もあった。
潮見坂花屋敷の桜、両国の花火、芝居見物…。
こっそり藩邸を抜け出して、二人で頬ばった屋台の天麩羅。
思えば、二年間の江戸暮らしは夢のように過ぎていった。
*
誠之進への恋を初めて自覚したのは何時だったろう。
藩校の道場で初めて剣を交えた時、誠之進は右近の中に鮮烈な印象を残していった。
忘れられなくなる予感があった。
溝口家という家老の家に生まれ、恵まれた環境で屈託なく育った誠之進。文武両道、容姿にも恵まれた十四歳の少年剣士が、爽やかな笑みを浮かべて右近に立ち合いを求めてきた。
こんな苦労知らずの坊ちゃんに負けてたまるかと思った。
どうせ、女顔の自分を舐めてかかっているだろうと。
その油断を突いて、一撃のもとに仕とめてやろうと思った。
右近の太刀筋は鋭かった。
相手の動きを見切ると、後は先手必勝。決して大袈裟な動きではないが、気付いたときには、対戦相手は面を割られ、胴を抜かれ、皆、一様に呆然と立ち尽くしている。
誠之進に対しても常日頃の戦法でいこうと思った。
だが、いざ相対してみると全くつけいる隙がない。
一間の間合いをとったまま、二人は微動だにしなかった。
不動の姿勢のまま、お互いの剣を探り合っていた。
正眼に構えてこちらを見つめる誠之進の瞳に、もはや、挨拶を交わした時の優しげな色はない。全身から陽炎のような闘気が立ち上っていた。
誠之進が裂帛の気合いを発し、右近が応えて間合いが縮まった。激しい打ち込みに耐え、確実に反撃を繰り出した。
だが、そうして互角に闘いながらも、誠之進の燃える双眸に絡め取られ、酩酊すら覚えたのを、右近は今でもはっきりと記憶している。
*
(人とは欲張りなものよな…。一度得たものを手放すのが、斯程に辛いとは……)
右近は目を閉じて、誰にも語れぬ胸苦しさを深い息とともに吐き出した。
もとより多くは望まぬつもりだった。誠之進に男色の趣味がないのは、とうの昔にわかっていた。
城下でも美少年で有名だった右近は、十一、二歳の頃から『念弟に』と望まれたことが何度もあった。実力行使に出ようとした不逞の輩もひとりやふたりではない。武芸に励んだのも、元はといえば自分の身を守るためだった。
十四で誠之進と出会い、始終行動を供にするようになってから、まわりは何を勘違いしたのか、その手の誘いや文は激減した。右近はほっと胸を撫で下ろす一方で、自分を全くそのような対象として見ない誠之進に対し、複雑な想いを抱え始めた。
誠之進は右近を恋愛や欲望の対象としてではなく、あくまで好敵手として認め、二人の間には尊敬と信頼の絆が生まれた。そのことが誇らしくてたまらなかった。
誠之進との友誼は右近の宝だった。
しかし、一方で…。
誠之進の姿を目の前にすると、どうしようもなく胸ときめくのだ。
胡麻かしようない気持は、長ずるにつれ膨らんでいった。
剣を交えるときの烈火のような激しさ。
書見台を前に端座するときの、水をたたえた湖面を思わせる静謐な横顔。
自分に笑いかける瞳の、日溜まりのような暖かさ。
閉じた瞼の下に浮ぶ、誠之進の何もかもが慕わしい……。
*
切なく苦しい夢から醒めたように、ふと我に帰る。
虫の音につられて庭を見渡せば、もはや惣一郎の姿はなかった。
宵闇の空にはすでに星がまたたき、十三夜の月が姿を現わしている。
(誠之進も今頃は高山城で月見か…)
右近は故郷の玲瓏たる月と冴えた空気を想った。
つづく
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