十の巻「秋冷」2



by 戸田采女


 昨年、明和ニ年の夏以来、右近は藩の勘定吟味役となり、勘定方の監査を行っていた。主な目的は、ここ数年膨らみ続けていた使途不明金の行方を探ることだった。

 勘定方の若手、筧真之介を右腕として、これまでの記録をしらみつぶしにあたったところ、ある下級官吏の横領が発覚した。
 理由はよくある話で、博打の負けがこんで、借金で首が回らなくなったのである。
しかし、これは五年前の話で金額的にも五十両に満たない。

 右近が突き止めようとしていたのは、このような小物の犯罪ではない。
年間数千両単位で藩金を何らかの目的に流用し、この官吏を使って藩庫の帳簿を改ざんさせていた黒幕の存在だ。
 普通なら横領が明らかになった時点で、目付けに引き渡して罪を問うところだが、右近は主膳の許可を得て、しばらくこの男を泳がすことにした。

 右近が吟味役に就任して以来、敵も慎重に動き始めたらしく、明和二年の後半にいたっては、あらたな藩金流用の動きはなかった。
 加えて、今年の六月に高山が洪水に見舞われ、藩をあげての復旧作業に入ったため、藩金横領の一党もしばらくはなりを潜めている。

 勘定方の記録書類の調査は暗礁にのりあげた感があったが、過日、江戸より届いた書状が、気掛かりなことを伝えてきていた。本日の主膳への報告はこの件が中心であった。




 奥の書院に通された右近は、型通りの挨拶を交した後、早速本題に入った。


 「なに、江戸藩邸で何か不穏な動きでも?」
「いえ、不穏というわけではござりませぬが、以前私の下で働いていた者からの便りでは、お牧の方様の贅沢病は増々勢いを増しているとのことで…。惣一郎様の御婚儀の費用以外、奥向きの経費を増額した覚えはござりませぬゆえ、はてさて、いずこかに金のなる木でも見つけられたか…」
「どこぞから、お牧の方さま個人に金が流れているというわけか…?」
「おそらくは…」
「金主からは既に見向きもされなくなっていたのだろう?」
「左様でござります」
「借財ではないとすると…」
主膳は濃い一文字眉をしかめて呟いた。
「何者かがご正室様に取り入って利用しようという魂胆か…」
「…残念ながら、わが藩では、まだまだ有効な手段かと」
「…やはり内藤が一枚かんでおるのか?」
苦々しく呟く主膳に、右近は静かに首肯した。




 書状の送り主は、嫡男、惣一郎の小姓頭、平岡仙之丞だった。右近は江戸詰めの間、仙之丞の上司にあたる、『小姓頭兼側用人』という肩書きで惣一郎に仕えていた。

 右近が国許へ帰った明和ニ年の暮、惣一郎の婚儀が決まった。
お相手は常陸府中藩松平家の次女、綾姫である。

 明和三年の春に祝言を挙げ、惣一郎は再び上屋敷に戻って暮らしている。室を迎えるにあたって屋敷の改築など、何かと物入りだったのは想像に難くないが、ご正室様の指示で、二階の梯子は黒塗り、廊下には羅紗を敷き詰めるなど、贅を尽されたものだからたまらない。

 府中藩は水戸家の支藩とはいえ、石高は三万石少々。御化粧料も二千両程度。
仙之丞の話では、どう見ても我藩の側の出費は莫大で、国許の藩庫からの御婚礼費用だけで賄えたはずがない。江戸藩邸がいかにして資金を工面したのか、まったくもって謎だという。

 二年ほど前から藩の倹約政策で奥向きの費用も削られていた。
それが惣一郎様のご婚儀以来、洪水による国許の困窮にもかかわらず、奥の生活は目に余るほど派手になっているという。

 藩からの手当てだけでやっていけるはずはない。
個人的な借財もしくは、何者かが資金を提供している可能性が高いと、右近は見ていた。

 江戸藩邸・奥向きの経費削減については、国家老の溝口主膳が藩公に強く進言した経緯がある。以来、お牧の方は主膳や、妾腹の三男・三郎の守役についた誠之進に、良い感情を持っていなかった。

 溝口家に敵対する勢力=次席家老の内藤帯刀と、江戸藩邸・奥との癒着。

 内藤帯刀には藩金流用の嫌疑がかかっており、勘定吟味役である右近は一年前から内密に調査を続けていた。企てに連座する者の顔ぶれはおおよそ判明し、横領総額もほぼつかめているが、その目的が奈辺にあるのかは依然として闇の中だ。

 使途不明金となった金の一部が、内藤帯刀の手を通じて江戸藩邸に流れているのか? だが、抜け荷にも手を染めていると噂のある男だ。裏にもっと大きなからくりがあるのではないか?

 奥と手を結ぶ、帯刀の真意は今のところ右近にもつかめていない。が、放置すれば必ず溝口家に、誠之進に仇なすものになろうことは予想できた。




 「右近、如何する。そろそろ本格的に内藤の身辺を洗うか? それだけの証拠は上がったと見てよいか?」
「恐れながら…、内藤殿御自身の関与については、まだまだ決め手を欠きまする」
「例の小物はどうした? 泳がせておいても収穫がないのなら、捕らえて拷問にかけてしまえ」

 いつになく性急な主膳に、右近は軽い驚きを感じた。
「ご家老、いかがなされました? 堤防普請が終り城下が完全に復旧するまでは、内藤殿も下手な動きはなさりますまい。今は焦る時期ではないと存じますが…?」

 主膳ははっと息をのみ、勇み足だった自分の発言を恥じた。
「御事の言うとうりじゃ。今は上席家老として城下の復興に力を尽すべき時であったな…」
「いかにも…。斯様な雑事は私におまかせくださりませ」
「右近殿…」
「江戸藩邸の奥に手の者を送りこむことも考えております。今回の書状の主、平岡仙之丞も信頼のおける人物ですが、惣一郎様の小姓頭という立場上、密偵のような役目は申し付けかねます。ここはやはり忍びを使って奥の探索を行いたいと存じますが…」

 如何?と見上げる右近に、主膳が大きくうなずいた。
承諾を得て柔らかく微笑んだ右近を、主膳がなおも無言で見つめていた。

 「いかがなされました…」
「…いや、まことに惜しい事をしたとかえすがえすも残念じゃ」
端座したまま訝しげに見上げる右近に、
「志保のばかものが…」
主膳は首を左右に振って溜息をついた。

 右近は軽い笑い声をたてた。
「ご家老、その儀はもう…」


 去年の夏、主膳が申し出た、右近と主膳の娘・志保の縁組みは、志保の叛逆によってあっけなく潰えた。

 「私には心に決めたお方がござります」

 相手が何処の誰かは、志保が貝のように口を閉ざしたため、結局わからずじまいだった。だが、父・主膳や兄の誠之進はもとより、右近本人まで雁首そろえた席上で、あっけらかんと言い放たれては、主膳も面目丸つぶれであった。

 「左様にござりますか。さすればこの縁組みはなかったものといたしましょう。志保様を無理矢理頂戴した挙句、後日、想い人への恋情断ち難く、不義密通などという仕儀に至りますれば、我が家としても泣きっ面に蜂。ご縁がなかったということで、双方丸く納めませぬか?」

 右近の鶴の一声に、溝口家の人間は一言もなかった。
後から考えれば、これで誰の顔も潰れなかったわけなのだが、右近を是非婿にしたかった主膳としては、未練の残る一件なのであった。

 
 「御事をふってまで慕う男とは、一体どこの誰なのであろうな…」
「まだ、志保様は何もおっしゃらぬのですか?」
「相変わらずだんまりよ。滅多なことはせぬよう、咲も目を光らせておるが…」

 右近はくすりと笑いを洩らした。
「御家老も…ご息女にはあもうございますな」
普通なら、しのごの言わずに親の決めた相手に嫁げ、というのが武家の習わしである。

 痛いところを突かれた主膳は、ごほんと咳払いをして苦笑した。
「ほれ…咲と私は惚れあって一緒になった仲ゆえ…、武家のしきたりじゃとか申しても説得力がないのだ」
「いかにも」
右近は楽しげな笑い声をたてた。
「私から見ても羨ましゅうござります」

 古武士のような主膳の頬が微かに赤らんだ。

 測ったような間合いで、障子戸のむこうから声がした。

 「茶を点てましたので、お持ちいたしました」
白い手が障子戸を明け、誠之進に良く似た鳶色の瞳が微笑んだ。

 「右近様、誠之進が、一服されましたら道場のほうへお越しくださりませ、と。稽古着に着替えて手ぐすねひいて待っております」
右近に茶を勧めながら、主膳の妻、誠之進の母の咲が笑った。
「あ…私は今日はこれにて失礼いたそうと…」
「まあ、それでは三郎ぎみもがっかりなされます。少しだけでもおつき合いいただけませぬか?」
「ですが…」

 歯切れの悪い右近に、意外にも主膳が助け船をだした。

 「咲、無理をいうでない。右近殿はこれから戻って調べものがあるそうじゃ。またの機会にしなさい」
「誠に申し訳ござりませぬが…本日はそのようなわけで」

 「…承知いたしました」
残念そうな呟きを残し、咲が書院を辞した。

 右近は主膳と向き合い、無言で茶を味わった。
なぜ主膳があのような助け舟を出したのか、真意ははかりかねたが、今日のところは正直ありがたかった。

 誠之進が見守る前で、三郎に稽古をつけてやる気にはなれない。
己の三郎への黒い感情が、剣を通して白日のもとに曝されてしまう気がした。

 報われずとも、想うことが幸せだった誠之進への恋は、今、苦い痛みに変貌しつつある─。


つづく


「秋冷」1 | 「秋冷」3

下弦の月 目次



Copyright © 2003 戸田采女
All rights reserved.