十の巻「秋冷」3



by 戸田采女


 秋の日はつるべ落し。

 とっぷり陽の暮れた堀割沿いの道を、右近は溝口家の提灯片手に家路についていた。
夕風に吹かれ、落ち葉が足下で乾いた音をたてる。 楓並木の道を歩きながら、右近は先刻の主膳との会話や江戸からの便りを反芻していた。


 仙之丞の書状には、最近の惣一郎の暮らしぶりも綴られていた。

 室を迎えたとはいえ、もともと武家の婚姻に何の夢も持っていない惣一郎である。
可もなく不可もなくの綾姫で手を打ったのは、御三家や御三卿、最悪の場合、将軍家の姫なぞ押し付けられては叶わない、という危機感があったからだろう。

 格上の家からの室は、往々にして金食い虫でわがまま放題と、家中では歓迎されていない。そういう意味でも、家柄は良くとも石高、官位はそれほど高くない小藩、府中藩の綾姫は、無難な選択だったといえよう。
 実はこの婚儀、明和元年に惜しまれつつ引退した前・留守居役、堀田又左衛門の置き土産だったらしい。

 惣一郎は右近が去った後、しばらくはふぬけのようになっていた。それでも昔のように遊蕩に耽る生活には戻らず、婚儀も済んで落ち着いた今、絵の制作に没頭しているという。恋愛感情はないにせよ、綾姫とも仲睦まじく暮らしているらしい。

 天満屋からの借財も、右近の枕絵のおかげで無事完済したという話だ。(「曼珠沙華」参照)新たな借財が増えぬよう、今では仙之丞が目を光らせているという。

 惣一郎のことを思うと右近は懐かしさで胸が詰まった。
帰国は藩主の命とはいえ、あれほどまでに右近を求めた腕を振り切って国許に戻った。
誠之進に会いたい一心で、君命を言い訳にして江戸を去ったと言っても過言ではない。

 自分は今、その酬いを受けているような気がする。

(誠之進と再会したことで、斯程の苦しみを味わうことになるとは…)

 右近は歩みを止め、重い吐息を吐き出していた。

 晩秋の宵。
すでにほとんどの者が下城した時刻である。堀割沿いの道に人影はない。
あたりは深閑として、暗く水をたたえた堀からは、底冷えのする冷気が立ち上っていた。水に映る月を眺め、右近は沈思に落ちた。




 昨年の夏、国許へ戻って以来、つとめて目を逸らしてきたことがあった。
誠之進は再会以来、右近を昔通り親友として遇している。

 だが、秋が過ぎ、冬が来て…。
季節が巡るうちに、右近は今までとは何かが違うことに気付き始めた。
いや、正直に言えば再会した瞬間から、理屈ではなく皮膚で感じ取っていたのだった。

 (私はもはや誠之進の『特別』ではなくなっている…?)

 以前なら、誠之進がどこの女とねんごろになろうと、誠之進の魂にもっとも近く寄り添っているのは、自分だとういう自負があった。
 たとえ体を重ねなくとも、誰よりも深い結びつきがある…そのことだけは信じて疑わなかった。

 (だが、今その場所に自分がいるのかどうか…)

 日を重ねるごとに、心にさした影が濃くなってゆく。

 右近は以前なら、想い人との精神的な絆を至上のもの考え、肉の交わりを軽視、もとい軽蔑すらしてきた。だが自らが惣一郎の情けを受ける身となり、身体を繋ぐことの意味を知ってしまった今、その大前提が崩れつつある。

 今でも惣一郎に『惚れている』とは思わない。
ましてや身体が惣一郎を忘れられないなど、断じてあり得ない。
だが、ふと襲ってくる寂しさ…。柔らかく抱きしめる腕の温もりが、恋しくなる時がある。

 寒さに心が震える時、そっと背中から羽織りを着せかけてくれるような…。

 ずっと昔、藩校時代の誠之進は、そんな風に自分に接してくれていたのではなかったか…?

 元服後、成人したことを認めあうように、『おまえ』ではなく『貴公』と呼び始めた。成人男性同士、お互いに敬意を払う意味であって、二人の間に『よそよそしさ』という垣根を作るつもりではなかった。

 少なくとも右近にとっては─。

 じき自分も二十六になる。わかっているのだ…。もはや自分は誠之進から信頼されていても、庇護すべき対象ではない。庇護すべき対象なら、ほれ、すぐ側に十四歳の少年がいるではないか。
 
 (三郎信尭…)

 数年前までは、三郎が誠之進を独占していることに多少腹が煮えたものの、脅威とは感じなかった。誠之進が三郎に尽しているのは、お役目熱心ゆえだと自分に言い聞かせてきた。

 しかし、国許に帰れば、離れて江戸で暮らしていたときには見えなかったものが、いやでも目に入る。

 三郎の誠之進を追いかける慕わしげな眼差し。黒目がちの瞳は口ほどに物を言い…。
誠之進に認めてもらおうと懸命に自分を研く姿が、小兵太あたりからみても健気でいじらしいという。

 (あれではまるで誠之進が好きで好きでたまらない、と世間に言いふらしているようではないか。慎みのない…)

 やはり武家の育ちではないからだ、と軽蔑しながらも、右近は三郎の正直さに胸が焼けるほど嫉妬した。

 三郎の誠之進への思いは、いつ恋に変わっても不思議はない。否、もう既にそうなっているかもしれない。自分と同じ目線で誠之進を見ていることが、分り過ぎて業腹である。

 誠之進も掌中の玉のように三郎を慈しむ。
三郎のようにあからさまではなかったが、誠之進が三郎に向ける眼差しも蕩けるような甘さを含み、とても義務感だけで務めているとは思えなかった。

 『誠之進は男に恋などしないだろう…?』

 藩校時代、誠之進と小兵太は男同士で「手拭いを換える」など阿呆らしい、女人のほうがずっといいに決まっていると、十五歳でさっさと遊里へ繰り出した。

 右近の知る限り、江戸でも男に興味を示したことは一度もなかった。江戸にいる間は、吉原『久喜萬字屋』の生駒と馴染みになり、帰国するまでずっと続いていたはずだ。

 まさか…とは思う。

 しかし、あのように無防備に信頼を寄せる三郎から、もし恋を打ち明けられたら、誠之進は果たして拒みきれるのだろうか?

 『誠之進は男に恋などしない…?』

 これまではそう信じて疑わなかった。しかし、濃やかに情を通わせる二人を目のあたりにし、右近の確信は急速に揺らぎつつあった。

 万が一、そのような仕儀にいたれば、自分は果たして正気でいられるのか?

 どす黒い不安が右近の心をじわじわと浸食していた。




 三郎は年があければ十五歳。
年々大人びて、凛としたなかに仄かな色香が匂いたつような…。
少年期の一番美しい時期に入っていた。

 加えて、人の上に立つ資質すら三郎は持ち合わせている。
今年六月、高山城下が洪水に見舞われた時、復旧に右往左往する城下の様子を城からただ傍観するにしのびず、堤防が決壊した現場へ藩校の朋輩とともに駆け付けた。

  無論、誠之進は最初引き止めたのだが、三郎は耳を貸さなかったという。誠之進はやむなく後を追い、行動を共にした。

 現場には村びとはもちろん、下級藩士もかり出されていた。
武士や農民の区別なく、皆、流された堤防のあとに懸命に木の杭を打ち込み、俵に土を詰めて土嚢を作っていた。杭を打ち込んだところに土嚢を積み重ねて仮の堤防を作り、被害の拡大を防ごうとした。

 三郎は迷うことなく作業に加わり、誠之進も従った。

 視察と称して上士の子弟が数人、騎馬でやってきた。
ぬかるみで足をとられるからと、安全な場所から見物していたというから情けない。
案の定、三郎に叱り飛ばされた。

 「手伝いもせず、偉そうに土手の上から見おろしているとは何事じゃ! 足が濡れるのが嫌なら、屋敷へ返って碁でも打っておればよかろう!目障りじゃ、さっさと立ち去れ!」

 自ら泥まみれになって働く「お城の若様」と守役殿の姿は、家や田畑を失った領民や中・下級藩士の心を揺さぶり、上士の子弟の間では秘かに冷笑を買っていた。

 しかし、右近は思った。

 上士の子弟は、口では三郎のことを「所詮、旅籠の倅は下々の者たちと交っているのがお似合い」と陰口をたたきながらも、心の何処かで型破りな三郎のことを羨んでいる。彼らの親たちは、いつの日か藩の秩序を乱すものとして、三郎の存在を危惧しているかもしれない。

 洪水現場で上士の子弟を叱責した話は、もはや城下で知らぬものはおらず、三郎に対する藩士や領民の信望は高まるばかりだ。

 そんな三郎に、片時も離れず寄り添う家老の嫡男・誠之進。 二人の結びついた図を、人々はいったいどのように解釈するだろう?

 たとえ、『割りない仲』になっていなくとも、見方によっては二人の関係は政治色が強すぎた。

 二人にまったくその意志がなくても、『三郎が家老の嫡男を抱き込んで家督を狙っている…』、もしくは『守役が若君可愛さに嫡男の廃嫡を企み、藩政を私物化しようとしている』

 噂をねつ造するのはわけもないことだった。
 
 実際に当藩でも、多大な功績がありながら、過去にもそうやって破滅に追い込まれた重臣がいた。

 (……下手をすれば内藤に利用される?)

 脳裡に浮んだ不吉な考えに、右近は身を震わせた。

 (誠之進が内藤に潰される…?!)

 胸苦しさに、右近は羽織りの襟元を片手できつく握りしめていた。
指先まで冷たくなったのは、寒さのせいだけではなかった。

 内藤帯刀はそこまでやる男だと、右近は見ていた。
家老三家の力関係はその時々に応じて変わり、内藤家もかつては上席家老の地位を占めた時代があった。だが、ここ数十年、父親の代から二代に渡り、内藤家は溝口家の風下にたたされてきた。

 主膳よりもひとまわりほど若い帯刀は、主膳の農政主体の政策はもはや時代遅れで、自分ならば藩庫をうるおすため、もっと大胆な政策を打ち出せると、事あるごとに豪語していた。

 具体的には地場産業の育成と海運業の振興だ。
特に海運業ついては、今町という外港を持ちながら、高山藩には酒田の本間家のような海商が育っていなかった。もちろん、北前問屋として手広く商いをするには、リスクを恐れない気骨、胆力が求められる。

 そう言う意味で、高山が今まで人を得なかったといえば、それまでの話なのだが…。

  皮肉なことに、今後の藩のあり方について内藤の目指すものは、右近の志向するものと極めて似通っていた。だが、誠之進への恋情を抜きにしても、内藤のように、有能で野心的だが『徳』のない男は、筆頭家老の地位を占めるにふさわしくないと、右近は考えている。

  四十を過ぎたばかりの帯刀は、溝口主膳が隠居し、誠之進に家督を譲る時に勝負に出るつもりだろう。その時に備え、着々と味方を増やし、財力をつけ…。

 万一、誠之進の弱味を握ることができれば、一気に叩きつぶしにかかるだろう。


 (もしや御家老もこのことを懸念されているのか…?!)

「誠之進、駄目だ。三郎と一緒にいてはならぬ…」

 右近は苦しげに呟くと夜空を仰いだ。



 『それが真に誠之進のためなると思うのか? それとも三郎と誠之進を引き離す、都合のよい口実か?』

 闇の高みから、凍てつく三日月が、心乱れる右近に問いかけていた。


秋冷 了


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