十一の巻「小夜時雨」2



by 戸田采女


 「弥一郎、せっかく三郎ぎみをお招きしたのに、斯様な辛気くさいところに籠って何が楽しいのだ?」
「叔父上…。私は三郎ぎみに蔵書をお見せしようと─」
弥一郎はかすかに眉を寄せ、うるさそうに呟いた。
嶺次郎は意に介した様子もなく、
「ほれ、火鉢の炭も消えかけておりますゆえ、座敷のほうはお戻りくださりませ」
嶺次郎は猫撫で声で三郎に微笑みかけると、背中に手をあてて促そうとした。

(無礼者…!)

 三郎は思わずでかかった言葉を呑み込んだ。
城内ですれ違ったことくらいあるが、口をきくのは今日が初めてだ。だが、三郎は最初の瞬間から、この男に本能的な嫌悪を抱いた。

 触れられるのを厭うた三郎は、さりげなく身をかわして嶺次郎の手から逃れた。

 肩ごしに振り返れば、弥一郎が申し訳なさそうに三郎を見つめていた。弥一郎もこの叔父を苦手に思っているのは三郎にもすぐにわかった。気の毒になった三郎は、
「弥一郎、良いものを見せてもろうた。礼をいうぞ」
「…三郎ぎみ」
「この詩集は…しばらく借りてよいのだな」
弥一郎は静かに頷くと、目元を柔らかく和ませた。


 三郎はこのまま帰るのも大人げなく思い、少しだけ嶺次郎に付き合ってやることにした。

 座敷に戻ると、早速、嶺次郎は江戸の土産話を始めた。
つい一月ほど前まで、嶺次郎は江戸に『遊学』していたのだ。何を学んでいたのか、知れたことではなかったが、嶺次郎は江戸で流行りの戯作や黄表紙本など、一抱えの書を畳の上に広げ、ひとつづつ三郎に解説してみせた。三郎の脇に座る弥一郎は、さも興味がなさそうに溜息をついた。

 「弥一郎、そなたも堅苦しい書物ばかり読んでいては、『粋』な男にはなれぬぞ。そなたには、諧謔を解する遊び心というものがないのか?」
つまらん奴め、とばかりに嶺次郎は小さく首を振った。
「ここは江戸ではないのです、叔父上。越後に…『粋』な男など必要ありませぬ」
「…とりつくしまもないのう」
嶺次郎は苦笑すると、三郎のほうに向き直った。

 何事にも好奇心旺盛な三郎は、黄表紙本のひとつを手にとって興味深げに眺めていた。

 嶺次郎はしばらく黙って三郎の様子を観察していたが、
「三郎ぎみ…実は、もっと面白いものがございます」
「面白いものとは?」
嶺次郎は唇の端に崩れた笑みを浮かべ、後ろに置いていた画集のようなものを取り出した。

 「叔父上!」

 気付いた弥一郎が頬を赤らめて叫んだ。
 
 三郎が訝しげに見上げると、弥一郎は目を逸らして俯いた。

 「何なのだ?ふたりとも?」

 素直に疑問を口にする三郎。嶺次郎は画集を持って三郎の側へにじり寄った。

 「三郎ぎみ…、守役どのには学問や剣など、いろいろ教わってきたのでござりましょう?」
「ああ!藩校に入学するまでは、何からなにまで誠之進に教えてもろうた。今でもわからないことがあれば、何でも答えてくれるぞ」
誠之進の話題となると、三郎は目を輝かせて誇らしげに語った。
嶺次郎は薄笑いを浮かべると、声を落して囁いた。
「…では、閨のことも?」

 「叔父上! お止めくださりませ!」
弥一郎が制止したが、嶺次郎は完全に無視を決め込んだ。

 「…そ、そのような話は」
三郎はかすれた声で呟いた。
あっという間に耳まで紅に染まった。

 「なんと。その御様子では、守役どのは何も教えていらっしゃらない? 困ったものですなあ…」
口籠る三郎に嶺次郎がたたみかけた。
「…そのお年になって何も御存知ないとは、守役の怠慢というべきではござりませぬか? 武芸、学問も結構ですが、閨のことを何も知らぬでは、一人前の男になれませぬぞ…」

 「誠之進のことを悪く言うな! そなたの無駄話はもう聞き飽きた、城へ帰らせてもらう」
三郎が唇を引き結んで、立ち上がろうと腰を浮かせたところ、
「まあまあ、そうお怒りにならずとも。…少しからかっただけにござります」
意外な力で嶺次郎の手が三郎の肩を押して座らせた。

 嶺次郎はもう片方の手で画集を三郎の膝に載せた。

 「手を放せ、無礼者」
相手を睨み付けたつもりが、まったくこたえていないらしい。
嶺次郎は三郎の肩に置いた手は外したものの、悠然として画集の頁をめくった。

 「こちらは、江戸で売り出し中の若手、『瑛泉』と申す絵師の作で、限定版の組み物でござります。わずかな部数しか出回っておりませぬゆえ、手に入れるのに一苦労いたしました…」
「お、叔父上…」
弥一郎の困り果てたような呟きが聞こえた。

 「いかがです…三郎ぎみ。なかなか大胆な構図でござりましょう?」
「こ、これは…?」

 声がうわずった。
これが藩校で時々耳にした『枕絵』というものだろうか?
しかし、絵の中で絡み合っているのはどう見ても男同士だ。
普通は男女の交合を描いたものではないのか?
それに─。

 「…この小姓を組み敷いている武士の顔─」
嶺次郎は言葉を切ると、三郎の反応を伺った。

 三郎は浅く息をしながら、膝の上の枕絵に釘付けになっていた。

 絵の中で、前髪だちの美しい小姓が、小袖の前をはだけて横たわっている。華奢な身体の上に青年武士が身を乗り上げ、透き通るような項に唇を寄せている。武士の片手は裾を割って中へ侵入している。小姓は秀麗な眉を寄せながらも、桜色の唇からは吐息さえ洩れてきそうな風情で ─。

 青年武士の相貌は誠之進に生き写しだった。

 声もなく目を見開く三郎に、嶺次郎が囁いた。
 
 「よく似ておりますでしょう?某も最初にこれを見つけたとき、肝が潰れました。…しかし、まさか御本人ではありますまいのう」
「叔父上…いい加減になされませ!」
「おまえは黙っておれ、弥一郎!」
狼狽する甥を嶺次郎は一蹴した。

 嶺次郎は三郎の膝の上で、別の頁をぱらぱらとめくった。
顔を背けたくなるような痴態のはずが、筆致の繊細さと絵姿の二人の美しさに目が離せない。

 三郎の初心な反応を面白がるかのように、嶺次郎の声が笑いを含んだ。
「ほれ、様々な交合の仕方が手に取るようにわかりまする。男同士でも斯様なことができるのですぞ」

 新たに視界に飛び込んできた図に、三郎は息を飲んだ。

 緋色の夜具の上で、全裸の小姓が獣のような姿勢を取らされ、膝立ちになった武士が後ろから被いかぶさっていた。武士は片手で小姓の細腰を抱き寄せ、もう片方の手で─。

 「いかがです? これなど手や腰が今にも動きだしそうではござりませぬか? なかなか良く描けておりますなあ」

 嶺次郎の声が遠くに聞こえる。

 斯様なものを見せられ恥ずかしくて堪らぬのに、まばたきも忘れたように見入ってしまう。
 
 わずかに背を反らせて仰のいた小姓の顔は、泣いているようでもあり、陶然と笑みを浮かべているようでもあり…。


 身体中が不自然に脈打ちはじめ、もどかしいような疼きが股間から這い昇ってきた。

 (どうしたのだ…わたしは?!)

 「守役どのが直々に教えてくださらぬなら…。とりあえずこの画集でお勉強なさってはいかがです?…何なら私が…」
「よ、余計なお世話じゃ…!」

 三郎は頬を真っ赤にして叫ぶと、膝の上から画集を払い除けた。 身の内にわき起こった邪な想念を振払うように、乱暴に立ち上がった。

 「帰る!」
「三郎ぎみ、お、お城までお送りいたします!」
逃げるように座敷を出た三郎を、弥一郎が懸命に追いかけた。




 「一部三十両の貴重な画集を、粗略に扱いおって…」
嶺次郎はにやにやと笑いながら、畳の上から画集を拾いあげた。

 座敷に続く次の間の襖が音もなく開いた。

 「上出来だな、嶺次郎」
「兄上…」
見上げた嶺次郎の視線の先に、いつの間に帰宅したのか。
屋敷の主、内藤帯刀が浅黒い頬に冷笑を浮かべて立っていた。


つづく


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