十七の巻「磯貝」3
(誠之進視点)


by 戸田采女


 島崎屋の大番頭を下がらせてのち、誠之進ら三人は別室に商人たちを一人ずつ呼んで、御用金の額を言い渡した。

 良くいえば新興の、悪くいえば成り上がりの島崎屋に対し五千両とふっかけたのが奏功した。米問屋、材木問屋など中堅の商人には四、五百両を申し付けたところ、島崎屋よりはるかに少ない額で済むなら恩の字と、一つ返事で承諾した。さらに規模の小さな店には五十両から百両の額を申し付けた。

「二年続きの凶作を乗り切るため合力してくれたものは、今後悪いようにはいたさぬ」

 自分のような若造の言葉を信じてくれたのか。本音のところはわからない。もっともこの時代、いかに商人が力を持ちはじめたとはいえ、武士に面と向かって刃向かえば財産没収の憂き目にもあう。ここは涙を飲んで儲けを吐き出して、将来の見返りに期待しようという腹かもしれぬ。



 ひととおりの面談を済ませた三人は、老舗の北前問屋、中村屋、角屋の待つ座敷へと戻った。先ほどより随分と部屋が暗くなっている。灯油が尽きかけているのだろう。真之介が女中を呼んで油を注ぎ足させ、灯心を起こすと、部屋はもとの明るさを取り戻した。

「斯様な夜更けまで引き止めてわるかった…」
上座に着座した誠之進は、開口一番、ふたりに気づかいを示した。
「とんでもござりませぬ」
恐縮する中村屋、角屋に、
「面をあげよ」
右近が静かに命じた。

「誠之進殿、貴公から話してくれ」
誠之進はうなずくと、ふたたび中村屋、角屋に向って話を続けた。
「まずは御用金の件だが、中村屋、角屋にはそれぞれ千両ずつたのみたい」
「千両…にございますか?」
角屋がやや意外そうに呟いた。

 角屋の主人も中村屋と同じ五十過ぎの紳士だが、こちらはあまり腹芸が得意ではないらしく、つい正直な反応を示してくる。誠之進としては扱いやすくて助かる。
「ふむ。島崎屋五千両に対し、千両では下に見られているようで不服か?」
誠之進はいたずら心をおこして尋ねた。

 慌てた中村屋が、
「めっそうもございません。千両とて手前どもには大金でございますが…何とか御用だていたしましょう。角屋さんも異存はないね」
中村屋の目配せに、察した角屋も慌てて平伏した。誠之進にそんなつもりはなかったが、これ以上金額があがってはたまらぬということだろう。
「かたじけない。中村屋、角屋、恩に着るぞ」
口先だけではない。藩庫も米蔵も本当に空となった今、商人たちに御用金を拒まれては飢饉となり、領内は大混乱に陥る。

 これで大口、小口の御用金、皆がきちんと納めてくれれば、主膳の望んだ一万両近くに達する。誠之進は内心ほっと胸を撫でおろしていた。

 安堵したところで、誠之進は次の話題に移った。
「ところで、今宵、最後まで残ってもらったは、ふたりに意見を聞きたいことがあってな」
「はあ…手前どもでお役に立つかどうかはわかりませぬが…」
まだ何か、と角屋は多少警戒しながら答えた。
「とりあえず、お話を承りましょう…」
中村屋が静かにうなずいた。

 誠之進は今一度右近のほうを見た。この先は右近から話すべきだと思ったのだ。しかし右近はちいさく首をふり、誠之進に先を続けるよう促した。

「届け出によると、中村屋、角屋とも、持ち船の中に千石船は一隻もなかったのう?」
「仰せのとおりにござります。八百石積みが最大で、あとは五百石船をいくつか…」
「航海先は北は秋田から、西回り航路で大坂までか?」
「左様でございますが…」
「ふむ。では蝦夷や九州には行ったことがないのだな?」
「溝口様…それが何か?」
中村屋と角屋がそろって誠之進を見上げた。

「そのほうら、もっと商いを広げてみる気はないか?」
「さてそれは…」
新興の商人ならすぐここで飛びついてくるだろうが、さすがに老舗の中村屋、角屋は慎重だった。
「昨年の洪水、今年の旱魃と、不運に見舞われた我が藩だが…、実は以前から、海運業の振興に力を入れるべし、という声が閣議でもあがっていた。信頼のおける海商に『永代渡海免許』を発給し、藩の御手船(御用船)とする案がでておる」
「ほう…それはまことにございますか?」
ようやく中村屋が興味をひかれて目を輝かせた。

 右近が口を開いた。静かな声音で説明を加える。
「永代渡海免許があれば、免許更新のために師走に今町に戻る必要はない。御手船の肩書きがつけば、そのほうらの船にも箔がつき、各地での商売がしやすくなろう」
「仰せのとおりにございます…」
礼儀正しく頭を下げるふたりに、誠之進が親し気な口調で語りかけた。
「そこでじゃ。今町湊は蝦夷と西国の中間点。この地の利をいかして頸城米や領内の産物だけでなく、会津、出羽、秋田はもちろん、蝦夷の産物を西へ運ぶというのは如何なものであろう? それに、承知のように蝦夷では米がとれん。思いきって蝦夷へ米を運べばさぞかし高く売れると思うぞ」

「溝口様…」
角屋がわずかに眉を寄せて誠之進を見上げた。
「何だ、申してみよ」
「まことに非礼ながら、その程度のことは海商なら誰でも考えることです」
「角屋、無礼であるぞ!」
真之介が思わず割って入ったが、誠之進はこれくらいのことで腹をたてたりはしない。
「よい、角屋、続けろ」
角屋は一度深く頭を下げると、ふたたび口を開いた。

「まず第一に、蝦夷まで行こうとすれば津軽海峡を超えねばなりませぬ。手前どもの五百石船であの地獄海峡を渡れというのは…。ちと酷な話しにございます」
「なれど、五百石船ともなれば木っ端舟ではなかろう? 天候のよい時を選んでいけば渡れぬことはないと思うが?」
「日本海の海も相当荒れますが、蝦夷の海は魔物にございます。海商といえどもやはり命は惜しい。正直なところ、北は秋田までいければ十分、越後の米に白布、酒田の紅花、秋田杉を積んで京や大坂へ持ち込めば、十分な利益があがります」
「それ以上の無理はしとうないというわけか?
「左様にございます‥」
「御手船の待遇、永代渡海免許がついてもか?」
「跡を継ぐ息子とも相談したいと存じますが、手前には今の規模の商いが身の程をわきまえたものと心得ます」

(やはり地歩を確立したものに冒険しろというのは無理なのか…?)

 この調子では角屋は動かないだろう。脈なしとは見たが駄目もとで尋ねてみた。
「ならば仮にだ、もし千石船があったら如何する?」
角屋は思案げに眉を寄せたのち、ちいさく首を振った。
「もし千石船があっても、命はひとつにございます。危険をおかして蝦夷に足をのばしてまで、金儲けをしたいとは思いませぬ」
誠之進は角屋の目をみつめたのち、
「左様か…あいわかった」
ため息はついたものの、さして落胆した様子は見せず理解を示した。

(町人は命を惜しむもの。命を惜しんで生きぬくものたちじゃ。武士の価値観を押し付けてみてもはじまらぬ…)

 誠之進は歯がゆさを感じながらも、己の腹の内に納めた。

「中村屋はいかがおもう?」
今度は右近が、今までじっと話を聞いていた中村屋に尋ねた。
「手前どもも…即答はいたしかねます。ひとつおうかがいしたいのですが…」
言いよどんだ中村屋を誠之進が目で促した。
「御手先船、永代渡海免許と引き換えに、藩は手前どもになにをお望みでしょうか?」
「…利益の三割を運上として毎年納めてもらいたい」
右近が真摯な声音で答えた。
「…三割でございますか。まあ妥当なところでございましょう」
淡々とした中村屋の口調から本音を読み取るのは難しかった。

「正直に申そう。確かに藩としては運上がほしい」
中村屋、角屋は黙って右近の次の言葉を待った。
「だがそのほうら、今町という良港を持ちながら、新潟や酒田の商人に遅れをとっておること、口惜しゅうはないか?」
「まあ、なかなか本間様(酒田の豪商)のようなわけには…」
苦笑する角屋の横で、中村屋は静かに目を伏せていた。

『我々商人は、見栄や矜持では動きませぬ』
中村屋の無言の反論が、誠之進には聞こえてくるような気がした。

 右近はさらに続けた。
「わざわざ現行の制度をかえて永代渡海免許を出すのだ。今までと同じ商いしかしてくれぬのでは、藩としても後援する意味がない」
「…では、蝦夷、九州まで商いの手を広げることが、永代渡海免許発給の条件なのですね」
「いかにも。とくに蝦夷へはぜひとも行ってほしいのだ。俵物もだが、〆粕(鰊から数の子をとって油を採ったあとの絞りかす)がほしい。西へ運んでも引く手あまただろうが、まずは領内で使ってみたい」
「〆粕ですか…」
中村屋はなるほどとうなずき、
「たしかに高価ですが肥料としてはあれに勝るものはありません」
「そうであろう? この五十年で新田はほぼ開発しし尽くした。耕地面積をこれ以上増やすのはむずかしい。限られた土地での収穫量をあげていかねば、今後藩が豊かになっていく道はない」
角屋もこくこくとうなずき、同意を示した。
「また、米に依存しすぎている今の仕組みを変えるため、他の商品作物も積極的に作っていきたい…。そして藩の物産を北前問屋であるそのほうらに、各地で売り捌いてほしいのだ」
「おさすがでございますな…」
右近の考えの深さに中村屋は一応の敬意をはらった。だが、
「お話はよくわかりました。ただ、手前どもも角屋さん同様、そろそろ息子に商いを譲る時期にきております。商いをこれから広げるかどうかは、息子と膝を詰めて相談せねばなりません。しばらくお時間をいただけませぬか?」
「今日この場で答えはもらえぬ、というわけか」
「申し訳ございませぬが…」

「…あいわかった」
一瞬の沈黙が右近の失望を物語っていた。




 中村屋、角屋とも答えは保留ということだった。全く予想外ではなかったが、新たな商機に対し、やはり老舗二軒の反応は鈍かった。

「ところでつかぬことを伺いますが、このお話、島崎屋さんにもなされるのですか?」
中村屋がふと思い付いたように尋ねた。

 ふたりの商人から色好い返事が得られなかったことで、右近は明らかに落胆していた。
「いや…島崎屋は正式な藩の後押しなど必要とせぬであろう」
やや投げやりな呟きが誠之進の気にかかった。
「それはいかなる意味にございましょうか?」
「なに…今にわかる」
右近は白い頬に謎めいた微笑を浮かべた。
「島崎屋は何かと黒い噂があるのでな。御用金はとるが我が藩の御手船とするつもりはない」

「右近!」
左様なことを軽々しく明かしてはならぬ、と誠之進が目で諌めた。

(いかがしたのだ?! 口を滑らすなど貴公らしくもない)

 右近は誠之進の胸の内を知ってか知らずか、さらに挑発的な言葉を吐いた。
「のう、中村屋、角屋。島崎屋は海運を始めてまだ六年そこそこであろう? それがなぜ大坂に蔵など持てるのだ?」
「さあ…手前どものような凡人には皆目見当がつきませぬ。よほど商才があるのでございましょう?」
大坂に蔵など持っていない角屋が苦々しく呟いた。
「いかなる錬金術を用いたか…そのほうらの耳に、何ぞ噂は入っておらぬか?」
「櫻田様…」
中村屋は困ったような視線を誠之進に投げてよこした。

「右近、それくらいにしておけ」
「誠之進…」
誠之進は右近に向かって小さくうなずくと、
「中村屋、角屋、本日は足労をかけた。また後日、あらためて席を設けるゆえ、この話、よく考えておいてくれ」
「かしこまりました…」
商人ふたりは揃って畳に手をつき、深々と頭を下げた。




 中村屋、角屋が吉永家の別邸を辞したのは亥の刻(午後十時)をまわっていた。

 右近の部下、筧真之介は末席に控え、終始やりとりを聞いていただけだっが、先輩ふたりと商人たちとの神経戦に深い疲労を覚えたようである。真之介は勘定方の優秀な若手だが、まだまだ商人相手の交渉は苦手なのだ。

 商人たちが辞していった後、三人は湯につかり、寝巻がわりの浴衣に着替えた。

 十畳の部屋に三組の夜具がしかれていた。はじめ、吉永家は家老の嫡男の誠之進だけは別室にしようとしたが、誠之進が「そのような気づかいは無用」と断り、三人枕を並べて休むことになった。

 真之介は湯からあがると、床につき、あっと言う間に寝息をたてはじめた。一方、誠之進と右近は土焼きの豚に蚊いぶしを用意させ、縁側で涼みながら軽く寝酒をのんでいた。

 吉永家の別邸は浜からそう遠くないところにあり、波音と浜風が適度な涼しさをもたらしてくれる。ふたりは浴衣姿でくつろぎながら、各々に今宵の会合を反芻していた。




 海運業の振興について、中村屋、角屋から色好い返事はもらえなかったものの、とりあえず予定額の御用金は確保できたのだ。島崎屋は渋々だが米を献上するだろう。誠之進としては満足のいく結果だった。

 それに、たとえ中村屋、角屋が首を縦にふらずとも、藩の計画を町衆に発表すれば、他の商売から北前問屋に鞍替えしようと考えるものが出るやもしれぬ。むしろ、これから海運に乗り出そうとする者のほうが、リスクを負う気概はありそうだ…、そう、島崎屋のように。何も計画そのものが頓挫したわけではない。

 (よくぞ島崎屋を見つけだし、千石船をまかせたりしたものだ。敵ながらあっぱれだな)

 島崎屋に目をつけた内藤帯刀の慧眼に、誠之進はやはり瞠目せざるを得なかった。

 誠之進はふと傍らに腰掛ける右近の横顔を盗み見た。盃を口に運びながら、時折月を見上げている。先程から沈黙したままだが、心のうちはいかばかりなものか。

 右近のたてた海運業の振興策一永代渡海免許と引き換えに廻船問屋に対し毎年運上金を課す一は、計画としては立派なものだった。武士の側からみれば理想的かつ完璧な試案に思われた。

 だが、いかんせん、商人の心理が読めていなかった。また、老舗と新興の店では損得勘定の物差がちがった。『商人』とひとくくりにすることに無理がある。その意味では、中村屋、角屋のような老舗にこの話を持っていくこと自体が間違いだったのかもしれない。武家社会の中では上の者から下級藩士にいたるまで、人心を読むのにたけていた右近だが、武家という枠を一歩出た途端、おおきな壁に突き当たったようだ。

 かくいう己も商人の反応を肌で感じて始めてそれに気付いた。次期上席家老のなんのと持ち上げられても、自分はまだまだ世の中を知らぬ若造よ…、と誠之進は苦笑した。

 この先、武家は否応なく商人とつきあっていかねばならない。武士は身分は上でも、商人の存在ぬきにはやっていけない時代になっている。もっと端的に言えば、彼等の力を借りずして、武士は生存すらおぼつかない。

 権力で押さえ付け規則で縛るだけでは、真の協力者は得られないのだった。



 反省はこれくらいとして、誠之進は今宵の会合を通じて、いや、正確にいうと、今朝、今町に向けて出立したときから、右近の精彩のなさが気がかりだった。事前の打ち合わせでは、実務的な話はすべて右近がする予定だったが、内藤帯刀と島崎屋に米の手配の件で出し抜かれたことがわかってから、右近は目に見えて動揺した。青白い瞼が時々震えるのを誠之進は見のがさなかった。

(斯様に芯の弱い男だっただろうか…?いや、そんなことはなかったはずだ。やはり、吟味役の重責に加えて、お母上の病やら、気にかかることが多すぎるのか…。)

 漆黒の闇の中、三日月を見上げる右近の横顔は、痛々しいほど疲労していた。

(哀れな…。父上も酷なことをなさる。内藤の調査を右近ひとりに任せるのは限界ではないか? もはや目付けに報告して探索にあたらせるよう、私からも再度申し上げてみよう…)

 誠之進は言葉をかけぬまま、右近の動かぬ横顔をじっと見つめ続けた。


つづく



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