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右近は老僕の池田孫作と若党を従えて、茶屋町の石畳をそぞろ歩いていた。打ち水をした店先に灯りがともり、座敷が賑わい始める時刻だ。端唄や三弦の音が通りの両側から洩れ聞こえてくる。
格子戸の粋な店が並ぶ茶屋町の一角に『玉木屋』はあった。城下でも老舗の茶屋で武家や富裕な商人相手によく繁盛している。京から下ってきた芸子も抱えており、内藤帯刀は昔からここを贔屓にしているようだった。
約束の八月十五日。暮れ六ッが鳴る頃、右近は玉木屋に登楼した。若党は店の外に残し、右近は孫作とともに暖簾をくぐった。訪ないを告げると、白髪まじりの上品な風貌の主が迎えた
帳場で大小を預け、右近は帯刀の待つ二階の『胡蝶の間』へと案内された。主の計らいで孫作は階下の小部屋で待つことになった。
主が先にたち、二階への階段をあがり、磨き抜かれた廊下を奥の座敷へと向かった。胡蝶の間の前で、主は一旦廊下に正座した。黒塗りのふちのついた襖を静かに開け、深々と頭を下げた。
「ご家老、櫻田様がお見えになりました」
「うむ…」
室内で帯刀が鷹揚にうなずく気配がした。すでに芸者が席にはべっているのだろうか。衣擦れの音とともに、かすかに紅白粉の匂いが漂った。
主が脇へ退いたところで、右近が入室した。
「おお右近、よう参った」
芸者に酒をつがせながら、内藤帯刀は上機嫌で右近を迎えた。城中で日頃見かける裃姿とはうってかわって、加賀友禅の絹物を身に付けた帯刀は。遊びなれた旗本のようにも見えた。
(俗物め…)
右近は内心眉をひそめたが、口元にはつとめて朗らかな笑みを浮かべた。 すすめられた席に着座すると、
「本日はお招きにあずかり、恐悦至極に存じます…」
畳に手をつき深々と一礼した。
「かたくるしい挨拶はよい」
帯刀はうなずくと、もうひとりの若い芸者を右近の横につかせた。年の頃は十八くらいだろうか。髪型からして半玉だろう。きらびやかな衣装を身に付けていても、まだまだ場慣れしていない様子だ。
ほどなく右近の膳部が運び込まれると、半玉が右近に酒をすすめた。右近が無言で持ち上げた杯に慎重に酒をそそぐ。こぼすまいと一生懸命なところが何やら微笑ましく思えた。
正直、座敷で毒をもられる可能性も考えないではなかった。だが、家老の帯刀からのふるまいを拒むわけにはいかない。この招待を受けた時点で覚悟は決めていた。右近は白い喉をあおのかせて一気に杯を干した。
帯刀は脇息にもたれ、くつろいだ様子で話しかけてきた。
「今町行きの首尾は上々だったそうだな」
「御用金の件にござりますか?」
「うむ。主膳の命じた一万両、見事搾り取ってきたそうな」
右近は薄絹をまとったような笑みで応えた。
「…搾り取ったとは人聞きの悪い。誠之進殿が言葉を尽くして説得しましたゆえ、商人たちも心を動かされたのでありましょう…」
「そなた、性懲りもなく誠之進をたてるのか。切れ者のくせに、昔から彼奴の陰に隠れてばかりだな」
帯刀は片眉をわずかに上げて、揶揄するように右近を見た。
「私は…誠之進殿の影でござりますゆえ」
右近は眉ひとつ動かさず、唇の端を柔らかくほころばせた。
帯刀は軽く鼻を鳴らすと、ゆっくりと杯を口へ運んだ。
帯刀が年嵩の芸者に目で合図すると、ふたりの芸者は心得たように座敷を辞していった。襖の閉まる音とともに、座敷はしんと静まり返った。
閉ざされた空間に右近は内藤帯刀とふたりきりになった。
帯刀の肌は浅黒く、目鼻立ちのくっきりした顔立ちだ。乱世の梟雄を絵に描いたような風貌だろう。大きな眼球と武芸で鍛えた筋肉質の身体から、常に他を威圧するような雰囲気が漂っていた。こうして座敷で二人きりになると、右近はかすかな息苦しささえ覚えた。この感覚は田安の慶久を前にした時とよく似ている。鋭い眼光の中に欲望の色がわずかに混ざっている。右近のもっとも苦手とするタイプだった。
右近は己が既に不利な立場にあることを痛感した。気をひきしめてかからねば…。右近は膝上に置いた手をかたく握りしめていた。
「ところで右近、そなたの暖めてきた運上金案だが、儂はおおいに興味をひかれておる」
「恐れ入ります…」
「そなたが今町から戻って間もなくだが…、実は島崎屋に泣きつかれてな」
「御用金五千両の件にござりますか?」
「…ふん、とぼけずともよい。奴がせっかく集めて売りさばこうとしていた米を、献上米として召し上げようとは…誠之進もあくどい事を考えるわ」
「後日、島崎屋を奉行所に呼び出して御用金を申し付けたときは、慎んで承りますと殊勝に返答しておりましたが…。はてさて、なにゆえまた御家老に泣きついたりなど…往生際の悪い」
帯刀は右近と目を合わせ、意味ありげに唇の端で笑った。
「島崎屋とは日頃昵懇にしておるゆえ、儂をたよってまいったのだろう」
「ほう…それはそれは。今や飛ぶ鳥を落とす勢いの島崎屋と昵懇とは、御家老も隅におけませぬな」
右近は残った酒を飲み干すと、杯を膳に戻した。
帯刀は鷹揚に笑い、
「…褒め言葉ととっておこうか…さ、もう一献」
帯刀が右近に酒をすすめる。右近も軽く目礼して受けた。
男同士の献酬が二度ほど続いたところで帯刀が聞いた。
「島崎屋が申すには、そのほうら、中村屋、角屋に永代渡海免許をやろうと持ちかけたそうだな?」
「…もうお耳に入りましたか。恐れ入ります」
「海運業の振興で藩庫を充実させようという考え、儂もまったくもって賛成じゃ」
右近が丁寧に頭をさげると、
「免許とひきかえに運上金を毎年納めさせるという話だったな。たしか利益の三割であったか?」
「左様にござります」
「で、ふたりから色好い返事はもらえたか?」
「まだ答えをもろうてはおりませぬ」
「なにゆえじゃ」
「永代渡海免許発給の条件は、蝦夷、九州にまで足をのばすこと。店としても、かなり商いの手を広げるわけですから、それなりの覚悟がいりましょう…」
「無理だな」
小声で鋭く言い放った帯刀を、右近は怪訝そうに見た。
「中村屋や角屋のような腰抜けに、そのような気概があるわけがない…」
「老舗は腰抜け…にござりますか?」
「いかにも。そのほうら、人選を誤っておる」
「ならば、誰なら御家老のお眼鏡に叶うのでしょうか?」
答えはわかりきっていたが、右近はわざと尋ねてみた。
「島崎屋に決まっておろう? 二百石の小舟で商いをはじめ、今や大坂に蔵までたてた男ぞ…」
(藩の…金でな)
右近は胸の中で苦々しくつぶやいた。
「船乗りとして胆力、機を見るに敏な商人としての資質、どれをとっても一流じゃ。中村屋、角屋なぞ足下にもおよばぬ」
「…随分と買っておいでのようですが」
帯刀は右近の皮肉をものともせず、豪快に笑った。
「成り上がり同士、気があうのじゃ。そなたもそう思うているのだろう?」
「御家老が成り上がりなどとは、めっそうもない」
島崎屋はともかく、帯刀は分家とはいえれっきとした内藤家の血筋。右近とてそこまで帯刀を軽んじるつもりはなかった。
帯刀はからりとした笑い声をあげて続けた。
「実はな、島崎屋は以前から御手船裁許を希望しておったのだ」
御手船とは御用船のこと。裁許とはそれを一手にまかされることを言う。つまり、島崎屋の船のみが藩の御用船をつとめ、一手に藩の御用を承る。藩の代理として商いをすると解釈してもよい。
「御手船裁許とはまた…厚かましいことを考えたものですな」
右近は軽く笑って言った。
「力のあるものに商いを独占させ、より大きな儲けをあげさせるほうが、藩としても多くの運上を期待できるのではないか?」
「おっしゃることには一理ありますが…」
言葉を切った右近を帯刀が目で促した。
「島崎屋に商いの全てをまかすということは、藩は島崎屋と心中する覚悟がいりまするな」
「なるほどそう考えるか」
「いかにも」
海運業に危険はつきものだが、右近はリスクは分散したほうが得策と考えていた。島崎屋の抜け荷の噂はさておき、一軒の店に頼り過ぎ、そこが何らかの理由で破綻したとき、藩の被る被害は甚大だ。ならば、莫大な額の運上は望めなくとも、手堅い商いをする店を数軒選びだし、藩の保護を与えつつ業者間での健全な競争を促すことを、右近はもくろんでいた。
「加えて…」
「なんじゃ」
「島崎屋には黒い噂がござります」
右近はけぶる睫を伏せて淡々とつぶやいた。
「黒い…噂な」
帯刀がまばたきもせずに右近を見つめる。
「…そなたら、それくらいのことはとっくに調べ上げているのであろう?」
「いえ、抜け荷の噂はここかしこから聞こえて参りますが、それが事実かどうかは…。もとより私は勘定吟味役。湊奉行ではありませぬゆえ…」
「なるほどな。抜け荷は管轄外と申すか…」
「いかにも」
襦袢の下まで見透かすような帯刀の視線。一歩でも引けば気力負けしそうだった。右近もここが正念場と帯刀から目をそらさない。この段階で、内藤と島崎屋に関する探索の進み具合を白状するバカはいない。あくまではぐらかすのみだ。
「そう簡単に手のうちは見せぬか…まあよかろう」
帯刀は片頬でにやりと笑って杯を干した。
右近は丹田に力を込め、ねっとりと絡んでくる視線を受け止めた。
*
すまし顔で端座する右近を横目でみやり、帯刀が手酌でおのが杯を満たした。
「話はかわるが。そなた、何故留学途中で江戸から戻ってきたのだ?」
帯刀の声の調子が急に明るくなった。肉厚の唇が酒でぬれて光っている。思わぬ方向へ話が逸れて、右近は思わず目を見開いた。
「…殿から勘定吟味役を仰せつかったゆえにござります」
右近は淡々とこたえた。わかりきったことを…と腹の中でつぶやいた。
「いろいろ心残りがあったのではないか? 堀田又座右衛門が引退する時、留守居役次席にそなたを推した話、聞き及んでおるぞ」
「某のような若輩者に…もったいないお話にござりました」
右近は帯刀にというより、老練だが人間味のある前留守居役の堀田を思い出し、謙虚に頭をさげた。
帯刀はふたたび杯を干すと、意味ありげな微笑を浮かべた。
「惣一郎様が…」
もったいをつけて一旦言葉をきった。
「たいそうお嘆きだったそうだな」
帯刀は含み笑いをしながらそう続けた。
右近の心の臓が一瞬おおきく跳ねた。
(何を言い出そうというのだ…、まさか私と惣一郎様のことを…?)
万力で胸を締め付けられるような苦しさに、右近はちいさく喘いだ。
一度深く息を吸うと、
「惣一郎様には身に余る厚遇を賜りましたゆえ…、私も江戸を去るのがさみしゅうござりました」
右近はあれこれ詮索される前に、無難な答えで逃げようとした。
「なるほどな」
帯刀は軽くうなずくと、
「…そなた、我が弟、嶺次郎を覚えておるか?」
さらに意外な方向へ話を向けた。
「はい…」
内藤嶺次郎。城下一のうつけだ。名を聞いただけで耳が穢れる。右近は反射的に眉をひそめた。
藩校時代、あれだけ手ひどくはねつけたのだ。
帯刀も右近が嶺次郎を嫌っていることは先刻承知のはずだった。
が、帯刀はそんなことは忘れたかのように話を続ける。
「若いうちに見聞を広めさせようと思うてな。この数年、毎年のように嶺次郎を江戸に送っている」
「それはようございましたな」
(江戸の悪所にさぞかし詳しくなっていることだろう…)
右近は視線を膝に落としたまま微動だにしなかった。
「藩校設立以来の秀才からみれば、嶺次郎など度しがたいうつけに見えるであろうが…あれはあれで役に立つ」
帯刀は言葉を切ると、背後を振り返り、おもむろに縮緬の風呂敷包みを取り出した。膳を脇へのけ、風呂敷包みを自分と右近の間に置いた。ゆっくりと包みを解きながら、
「実はこのようなものを手に入れてまいった…」
包みが解かれ、中から画集のようなものが現れた。
右近は少しかがんで表紙に目を凝らした。どうやら艶本のたぐいであるらしい。
「いかがじゃ、なかなか美しい絵であろう?」
帯刀はうっとりと呟き、中を開いてみせた。
現れた色艶やかな刷り物に、右近は唇まで色を失った。
帯刀はこれみよがしに右近の膳も脇へ片付けると、もっとよく見よと言わんばかりに画集を右近の膝前に進めた。
(よ、よりによって…なぜこれが内藤の手に?!)
右近は奥歯をかみしめ、両の拳で袴がしわになるほど握りしめた。叫び出したいのを必死で堪える。
三年前、江戸で描かれた枕絵。両替商・天満屋の奸計にはまって、薬をもられ、身動きができなくなったところを、無理矢理枕絵の絵姿にされた。己の浅ましい姿を二度と見るにしのびず、仕上がった画集を惣一郎が手に入れても、右近はかたくなに見ることを拒んだ。
以来、右近自身はあれを一度も見たことがない。
だが、こうして目の前につきけられた絵は、紛れもなくあの時のもの…。自分の姿は前髪立の小姓にかわっているが、背後からのしかかる若侍は、絡む相手として天満屋につれてこられた浪人、日下賢吾だった。日下はあろうことか誠之進に瓜二つだった。
目の前が真っ暗になった。頭から文字どおり血の気がひいた。全身の毛穴から冷たい汗が滲み出るのを感じた。
(このまま黙っていてはならぬ…何か反論するなり言い逃れねば…)
だが右近が焦れば焦るほど、返す言葉がみつからない。空しく奥歯を噛み締めたまま、右近は画集から目を背けるようにしてうつむいた。
「いかがした右近、急に黙り込んでしもうて…」
帯刀が猫撫で声で尋ねる。右近は睫を伏せたまま、浅く息をついた。
「正視できぬところを見ると、春画のたぐいを見るのは初めてか?」
右近が答えずにいると、帯刀はさらにたたみかけた。
「まさかな…そこまで初心ではあるまい?」
かすかな衣擦れの音が聞こえたが、衝撃で麻痺した右近の反応は鈍かった。
「この小姓が、あまりに昔のそなたに似ているのでな。三十両もしたらしいが、嶺次郎が思わず求めてしまったのじゃ。藩校時代、あれほどそなたにつれなくされたものを…未だにどこかで想い続けておる」
「…ご放念くださいと申し上げましたものを…。正直言って迷惑にござります」
冷たく言い放ったつもりが、声が震えてしまった。
「あれの純情を…迷惑と申すか。傲慢な…」
(うっ…)
気が付けば帯刀が右近の後ろに回り込んでいた。両肩に手を置かれたようやく身体が反応した。だが時すでに遅く、
「な、何をっ…」
帯刀はがっしりした両手を右近の着物の衿にかけ、一息に大きくくつろげた。そのまま強引に肩から小袖と襦袢をまとめて引き下ろした。右近の白磁のような肌が露になる。
「御家老?!」
「ほう…これはまた見事な」
帯刀はため息のようにつぶやくと、露になった右近の上半身を、後ろから己が胸に抱き込んだ。
右近は総毛立ちながら、反射的に脇差に手を伸ばそうとした。
(不覚っ…)
大小は先ほど帳場に預けてきたのだった。空しく空を切った右手を帯刀に押さえ込まれた。
「宗道館の竜虎とよばれたそなたも、素手では儂にかなうまい…」
うなじに息がかかった。胃の腑の底から猛烈な吐き気が込み上げてきた。
「口では偉そうなことを言うても、刀を握らねば、そなたのような華奢な躯…こうして楽に…」
「おやめくださりませ!」
右近は戒めから逃れようと懸命に身をよじった。
(…恥知らず! おまえなどに好きにされてたまるか!)
渾身の力で振り切ろうとしたが、中途半端に脱がされた着物が戒めとなり、両手の自由がきかない。
「御家老! 悪い冗談はおやめください!」
右近が鋭く言い放った。しかし帯刀の膂力は圧倒的で、もがく右近を片腕で難なく押さえこむ。分厚い掌が白い胸をまさぐりはじめた。
「吸い付くような手触りとは…斯様な肌のことを言うのだな。女子にもこれだけの上玉はなかなかおるまい。なるほど惣一郎様がお離しにならぬわけじゃ‥」
(まさか…私が伽をしていたことを知っているのか? 中屋敷の者はともかく、国許にまではそう簡単にばれぬと思うていたのに…。なぜよりによって…!)
惣一郎に愛されたことを恥じる気持ちはない。
だが、いくら若殿にのぞまれたからとはいえ、二十歳をとうに過ぎた自分が伽をしていたなど…。斯様なことを国許の親しいものたちに知られては生きていけない。特に…母と誠之進だけには断じて知られたくなかった。
右近は絶望的な思いで天をあおいだ。
「ふふ…だから嶺次郎は役に立つと申したであろう?」
絡めとった獲物をいたぶるように、帯刀が両腕に力をこめた。
肘鉄を食らわせようにも、真綿のようにしめつけられ身動きがとれない。下半身をよじって逃れようとしたが果たせず、右近の白足袋の先が膳を蹴飛ばして、わずかな音をたてたにすぎなかった。
帯刀の前腕が右近の鳩尾にかかり、あざ笑うように引き戻した。
「惣一郎様の御執心ぶり、嶺次郎が元中屋敷の中間どもから聞いてまいったのだ。江戸に滞在中、賭場で親しくなったらしい。ああいう下郎どもは思わぬ情報を握っていることもあるでな…ばかにしたものではない」
帯刀の馬鹿力で押さえつけられているだけでなく、言葉による攻撃が右近から戦意を確実に奪い取っていった。口惜しくてたまらぬのに、身体にまったく力が入らない。右近はなす術もなくふぬけのようになっていた。しらを切らねばならぬのに、もはや舌がもつれてうまくしゃべることすらできなかった。
帯刀は執拗に右近の胸を撫でまわしながら、猫なで声で囁いた。
「のう右近…、誠之進はこのことを知っておるのか?」
項に白刃を押し当てられたような心持ちだった。薄い皮膚がやぶれ血が滲んでいくように、恐怖が右近の心をじわじわと浸食していった。
なおも無言で身をすくませる右近に、
「あれほど誰とも契らぬと息巻いていたそなたが、惣一郎様とできていたとは…、誠之進もさぞかし驚くであろうな」
「そ、そのような偽り!」
やっとの思いで声を出した。だが否定の言葉はあまりに弱々しく、帯刀の冷笑を誘うだけだった。
「まあ気にするな。奴は奴でお楽しみだ。他人の情事など構っている暇はない…」
(い、今何というた…?)
思わず肩ごしに振り返った。問いただそうと口を開きかけたとき、襖の向うで声がした。
「兄上…遅くなりました」
するりと開いた襖から顔をのぞかせたのは、内藤帯刀が弟・嶺次郎。座敷の有り様を見るなり、下卑た笑いを両頬に浮かべた。
「これはこれは兄上、おひとりで先にお楽しみとは…ずるいですぞ?」
「ふふふ…早う襖を閉めてまいれ、嶺次郎」
「良い眺めだな、右近」
右近は後ろから羽交い締めにされながらも、目に渾身の力を込めて嶺次郎をにらみつけた。
つづく
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