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心底愛しいと思っているから、ここまで狂えるのか?
それとも、身体に溺れ込んだからこそ、際限なく愛しく思えるのか?
右近の麻痺した頭ではどちらとも判じがたかった。
右近は抜け殻のごとく、おぼつかない足取りで茶室を離れた。嫉妬に逆上するというよりは、衝撃のあまり思考が無に帰したような、白々とした脱力感が右近を支配していた。
なぜだろう…。不思議と涙は出ない。抱き合うふたりを見た瞬間、叫ぶかと思ったが、干上がった喉からは一言も発することができなかった。呼吸すら忘れたように右近はその場に立ち尽くしていた。
(不義密通の現場を押さえた亭主とは、斯様な気分なのであろうな…。もっともこの場合、横恋慕しているのは私のほうか…?)
乾いた笑いを洩らし、右近は客観的にこの場を眺めようとした。しかし、いつもと何かが違う。旱魃で干上がり亀裂の走った大地のように、右近の心から一切の潤いが失われていくようだった。
神経が麻痺して痛みすら感じない。だが、虚無感によって一時的に封じられた痛みは、やがて身体のあちこちで疼きだし、総身を引き裂くような激痛に変わるのだろう。
幽鬼のような足取りで、右近は畳石の小径を通用門へと向かった。片手で押すと、軋んだ音をたてて木戸が開いた。表に出た右近は時折屋敷の黒板塀にもたれながら、懸命に敷地の端まで歩いた。両脚が砂袋を詰めたように重い。動悸は激しいのに指先は氷のように冷たかった。馬を隠したのはもう少し先の雑木林の中だ。右近はやっとの思いで林にたどりつくと、愛馬をつないだ木を探した。
案ずるような瞳で主を見つめる吹雪を見つけた瞬間、張り詰めていたものが切れた。右近の目の前が暗転し、崩れるように下草の上に倒れ込んだ。
意識を手放す瞬間、江戸で別れた惣一郎の顔が脳裡に浮かんだ。
たとえ手ひどい言葉で拒まれずとも、想い人の心が他所にあることが斯程に辛いとは…。想い人の心を奪った相手が斯程に憎いとは…。
惣一郎様、貴方様も同じ思いを抱えていらしたのですか? 想いを返さぬ私が憎うござりましたか? 私の心を占めている誠之進が憎うござりましたか?
なれど、貴方様は左様なことはおくびにも出されず…。
それはただ、お心のうちに閉まっておかれただけなのでしょうか?
一瞬たりとも『誠之進さえこの世におらねば…!』とは思われなんだのですか?
教えて下さりませ、惣一郎様!
生まれて初めて、己の足ではもう立てぬと思った。されど、抱き起こして欲しい腕は三郎のもの…。
暗い淵に沈んでいくかのように、右近は一切の思考を放棄した。
花心亭 了
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