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明けて六月二十四日。
数日ぶりに夏空が広がり、朝から蝉しぐれが賑やかだった。
時刻はまもなく八ッ(午後二時)。
宗道館剣術所で誠之進と右近の立ち合いが行われる。
本人たちは極めて私的な稽古のつもりだったが、話を漏れ聞いた吉田小兵太が、ちょうど同じ時間帯に稽古をする年少組の生徒たちに、模範仕合として見せることにした。
三郎は本来なら詩文の授業を受けている時間だが、運良く本日は休講。
たとえそうでなくてもこっそり見にくるつもりだった。
源蔵とともに道場に顔を出すと、すでに見物席は年少の生徒たちで埋まっていた。
三郎の姿を認めると、数人の少年たちが脇へ詰めた。
「三郎ぎみ、こちらへ」
三郎は場所をあけてくれた者たちに微笑んで礼を言うと、源蔵と一緒に床に腰を降ろした。
ほどなく、白髪を総髪に結った、痩身の師匠、酒井十太夫を先頭に、師範代の吉田小兵太、誠之進、右近が入ってきた。
誠之進の稽古着は藍染めの刺し子。三郎とお揃いである。
対して、右近は白地に紺色の糸目も爽やかな稽古着をつけている。
薄汚れた稽古着を着ているものが多い中、目に眩しいほどの白が嫌になるほど似合っていた。
二人は東西の壁に別れて陣取り、対戦に備えて準備を始める。
襷をつけ篭手と胴を着用すると、面を手に取り控え席に端座した。
三郎は年少組の少年たちに混じって、見物席から右近の横顔を凝視していた。
じっくり顔を見るのは今日が初めてだ。
形の良い後頭部、額からすっきり高い鼻梁の線、刻んだような唇、少し細めの顎を、三郎はひとつひとつ確かめるように目でたどった。
完璧なまでの造型に我知らず溜息が洩れる。
それを聞きつけた源蔵が、
「噂には聞いてたけど…なんか…震えがくるような美形ですね…」
珍しい動物でも見たかのように目をぱちくりさせている。
三郎は右近に視線をあてたまま無言でうなずいた。
優美な曲線を描く眉の下、穿たれた二重の切れ長の目。
濡れたような漆黒の瞳が、対戦相手の誠之進を正面から見据えていた。
右近の視線を受け止めた誠之進が、唇の端に笑みを浮かべて小さく頷いた。
二人は面をつけ、仕度をすべて整えた。
両名が防具をつけ終ったのを確認し、吉田小兵太が道場に集った生徒たちに呼びかけた。
「では、これより模範仕合を始める。一刀流、櫻田右近どの、直心影流・酒井道場、溝口誠之進どの」
名を呼ばれた二人は竹刀を片手に立ち上がると、道場の中央に進みでた。
見所に端座した酒井十太夫がうなずくと、二人は相対して礼を交わした。
「みなの者、よう見物せよ」
十太夫の声を合図に二人は相正眼で対峙した。
*
間合いは一間。
久々に手合わせする二人は互いの剣を探ることから始めた。
(何だ…この隙だらけの構えは)
右近は面の奥から訝しげに誠之進を見た。
以前なら、対峙した瞬間、静かに漲る闘気が押し寄せてきたものだが、
今の誠之進にはそれが全く感じられない。
(油断させて、先に仕掛けさせる気か?)
相手の意図は計りかねたが、右近は焦れて無謀な打突を繰り出すタイプではない。
剣先での戦いを続けること数分。
相手の動きを見切った右近は、間合いを詰めるように見せかけ、誠之進の面打ちを誘った。
誠之進が裂帛の気合いを発して踏み込んできた。
思惑通り、上段に振りかぶって右近の面を狙ってくる。
(斯様な子供騙しに引っ掛かるのか、誠之進…)
右近は相手が振りかぶるや、電光石火、右に身体をひらきながら逆袈裟に胴を斬りあげた。
鋭い音が道場に響きわたった。
判者の吉田小兵太が手を挙げて右近の勝ちを宣した。
あっけない幕切れに呆然とする誠之進に、
「何本でも付きおうてやるぞ。貴公もこれで終りではないだろう…」
と、右近は面の奥から再び対峙するよう促した。
見所の酒井十太夫は二人の気がすむまでやらせるつもりらしい。
白髪の眉をぴくりとも動かさず、再び相対した愛弟子とそのライバルを厳しい眼差しで見つめていた。
二本目。
誠之進の纏う空気が変わった。
脇に構えた誠之進に、右近は下段の構えで対した。
間合いはゆるりと離れた三間。
一本目の負けに頬桁を張られ、明らかに誠之進の闘争心に火がついた。
だが、誠之進も右近と対峙する間に本来の勘が戻ってきたのか、
かわされると分っていて、むやみに打ち込むような真似はしない。
両者は間合いを保ったまま、微動だにしなかった。
気と気で責め合う静かな駆け引きに、道場は緊迫に包まれ水を打ったようになった。
器から溢れる寸前まで闘気が充満し、
低く気合い声を発した誠之進が、脇構えのまま一歩二歩とせまる。
間合い一間まで肉迫すると構えを八双に転じ、鋭い太刀風とともに斬り降ろした。
右近は右に転化して腰を沈めると、間髪を入れず誠之進の喉もとに鋭い突きを繰り出そうとした。
しかし、誠之進は突きを予想していたかのように、咄嗟に身体をひらいてかわし、右近も一寸見切で避けた。
反転しあった両者は正眼で再び相対した。
再び剣先のせめぎあいが始まる。
今度は右近が仕掛けた。
上段から鋭く誠之進の面を斬り降ろすと、下から摺りあげた誠之進の竹刀に阻まれた。
数回斬り結んだ後、鍔競合となる。
右近は相手の態勢を崩して勝機をつかもうとしたが、もはや誠之進は隙を見せない。
打ち込んでくる斬撃は激しく、斬り結ぶ度に右近の両手に痺れが走った。
(まずいな…)
右近が面の中で眉をしかめた。
一瞬の弱気を見透かしたかのように、誠之進の篭手打ちが決まった。
右近の竹刀が音をたてて道場の床に落ちた。
声にならないどよめきが道場にみなぎった。
「それまで」
見所の酒井十太夫が仕合の終りを宣した。
つづく
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