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七月十三日からの盂蘭盆会。
誠之進は三郎をつれて、三郎の亡き母、おひろの墓参に関川宿を訪れた
三郎の祖父である、関川宿本陣の主、加賀屋久右衛門は、二年ぶりに会う孫を、めっきり皺の増えた目元に涙を滲ませて迎えた。
前回会った時より急に老け込んだ様子が気になり、誠之進は若主人の弥兵衛に尋ねたところ、久右衛門は春から体調がすぐれず、医者の見立てでは肝臓に腫れ物ができているらしい。
幸い病の進行は遅く、激しい症状はでていないものの、来年の夏まで持つかどうか微妙なところだという。
三郎には話してくれるなと口止めされた。
祖父の病状が悪化したからと言って、三郎は自由に見舞いに来られる身ではない。
誠之進も伏せておく方がよいと判断した。
できれば夏まで待たずに、雪の降り始める前か、遅くとも春の彼岸には、三郎を加賀屋へ連れてきてやりたいと思っていた。
三郎と誠之進主従は加賀屋に一泊した。
自分の孫には違いないが、今やお城の若君となった三郎が、『お爺さま』と昔のように呼びかけ肩を揉んでくれる。「もったいない」と恐縮しながらも、久右衛門は目を細めて嬉しそうだった。
初めて誠之進が久右衛門に会ったとき、久右衛門は低姿勢で応対しながらも、眼光鋭く相手の器量を測るような視線を誠之進に向けた。
まだ若かった誠之進は、自分が養育係として三郎の祖父の眼鏡に叶うのか、内心びくびくしていたのを懐かしく思いだした。
四年の月日が流れ、昔の愛らしい性格はそのままに、武家の若君として三郎は立派に成長した。
三郎に肩を揉んでもらいながら、久右衛門は感謝を込めて誠之進を見つめた。
瞳には孫を思う祖父の慈愛が溢れていたが、昔日のような覇気はない。
久右衛門の『老い』を目のあたりにし、誠之進は胸をつまらせた。
遠からずして、また一人、三郎は支えを失うことになるのか…。
人の生き死には運命(さだめ)とはいえ、誠之進は三郎が不憫でならなかった。
***
盆を過ぎ土用があけると、北国の短い夏も終りに向かう。
七月末のある日、誠之進は午後から暇をもらって城を出た。
楓並木が美しい堀割沿いの道を、のんびりと徒歩でゆく。
誠之進の実家、上席家老・溝口主膳の屋敷は城の西側、堀を渡ってすぐのところにあった。
肌を刺すような夏の日射しも、ここ数日いくぶん和らいだように感じる。
秋の気配を伝える麦藁とんぼが、誠之進の鼻先をかすめて土塀の中へ流れるようにとびこんでいった。
*
昨夜、誠之進は三郎に、久方ぶりに父母とゆっくり過ごしたいので一晩お暇を賜りたい、と願いでた。
「構わぬぞ、ゆっくりしてくるがよい。そなた、お盆にも帰れなんだからな。お母上も寂しがっておいでなら、もっと頻繁に顔を出してよいのだぞ…」
口調や物腰はいっぱしに主としての威厳を漂わせていたが、にっこり笑う表情はまだまだあどけない。
少年らしい「背伸び」が微笑ましく、誠之進は形の良い唇を綻ばせた。
「…ご心配には及びませぬ。我が家にはまだまだ手のかかる弟、妹もおりますゆえ…母も寂しがっている暇はござりませぬ」
三郎は誠之進の弟、お調子者の慶次郎の顔を思い浮かべて「なるほど」と笑った。
最近藩校では、慶次郎が教授の娘につけ文をしたのしないのと、面白可笑しく噂が流れていた。
「帰りは明日になるのだな」
「はい…」
ゆっくりしてこいと言いながら、三郎の声は沈んでいた。
明日の昼には戻ります、といいかけたところへ、
「…誠之進、夏が終らぬうちに、もう一度海へ行きたい」
唐突に三郎が切り出した。
「よろしゅうございます。しかし、泳ぐにはもう波が高いかもしれませぬぞ」
「それでも構わぬ」
「わかりました。では、天気がよければあさってにでも」
黒目がちの瞳が生気を帯び、象牙色の頬に咲きかけの花のような笑みが広がった。
*
上席家老四千石の溝口家の屋敷は、数ある重臣屋敷の中でも敷地の広さ、閑雅な庭の美しさで群を抜いていた。
決して贅をこらしたものではなかったが、文武を奨励する家柄に相応しく、邸内には道場、丹精された庭の一角には茶室も設けられていた。
七ッ頃(午後四時)、誠之進が屋敷の長屋門を潜ると、出迎えた用人の生島太郎座右衛門が、茶室に先客が来ていることを告げた。
今日は父、溝口主膳の希望もあり、誠之進の藩校時代からの親友、櫻田右近が溝口家を訪なっていた。
六月の終りに誠之進は一度右近の屋敷を訪ねたが、その日は三郎の様子が気になってあまり長居できなかった。(五の巻5参照)
以来、週に一、二度、藩校の剣術所で剣を交えてはいたが、前回の埋め合わせも兼ねて、一度実家のほうへ右近を招く機会を伺っていた。
上席家老の父、溝口主膳も、何やらお役がらみで右近に内密の相談があるらしく、右近の来訪を心待ちにしていた。
誠之進は早速顔を出そうと、茶室へ続く畳石の小道を二、三歩行きかけたが、
「誠之進様、ただいま御家老と志保様が、お茶室にて櫻田様とご歓談中で…」
用人、生島の声に引き止められた。
生島は何やら意味ありげに目配せした。
「はて…。何ゆえ志保が同席しておるのだ?」
小首をかしげる誠之進に、
「…若様」
お気付になられませぬか、と用人は苦笑した。
「志保様もお年頃になられましたゆえ…そろそろお話がでてもよろしゅうございましょう?」
「……まさか、見合いか?」
誠之進の鳶色の瞳が大きくなった。
「左様でござりまする」
「なんと…」
誠之進は絶句した。
父上は私に隠れてそのような企みを…。
しかも右近に白羽の矢をたてるとは、まったくもって意外であった。
確かに志保も今年で十七歳。
縁談が出てもおかしくない年頃である。
しかし、相手が右近とは驚いた。
右近は志保にとって兄の親友とはいえ、家格としては遥かに格下の家との縁組みだ。
婚姻や相続については保守的な父が、そのようなことを言い出すとは思いもよらなかった。
「右近に義兄上様と呼ばれることになるのか…?」
無論、嫌ではないのだが、想像すると何やらこそばゆい。
誠之進は我知らず、耳の後ろをぽりぽりと掻いていた。
とにかく、今、茶室へは行くなということらしい。
誠之進は仕方なく踵を返すと、先に母に挨拶しようと母屋へ向かった。
*
「なんと…右近と志保をめあわせようとは、母上の思い付きだったのですか?」
「ええ…でも、父上もそのようなお心づもりだったようですよ」
「驚きましたな…」
奥座敷で向かい合う誠之進母子は、良く似た鳶色の瞳を見交わしてうなずいた。
「で、肝心の志保はどう思っているのです?」
「…それが、今一つはっきりせぬのです。右近どのは聡明で将来有望な青年です。昔からうちへも時々出入りしていますから、知らぬ仲ではないのですが…」
「…なるほど」
誠之進は腕組みをして頷いた。
確かに二人は顔見知りではあるが、お互いにあまり関心を示した様子はなかった。
もっとも右近が国許を離れたのは六年前。
志保はまだ十一歳の子供であったから、そう言う意味では全く眼中になかっただろう。
だが、十七になった志保は、兄の目から見てもなかなかの器量良しで、右近の話し相手を努める教養も十分持ち合わせている。昔のお転婆ぶりは影を潜め、最近とみに女らしくなったと思う。
家格の不釣り合いを除けば、客観的に見て悪くない取り合わせだった。
親友が妹を娶るのだ。
今後は親族となり、ますます結びつきが強くなる。
めでたいことのはずなのだが、何故か誠之進は手放しで喜ぶ気持が湧いてこない。
武家の婚姻は家と家との取り決めであるから、本人の意志は二の次である。
誠之進の両親は、好きあったもの同士が結ばれた希有な例だが、それも家格が上の父が母を強く望んだために実現したことだった。
今回の場合、志保や右近本人から断りを入れるのは容易でないだろう。
(「嫌いではない」だけで伴侶としてやっていけるのだろうか?)
誠之進は目の前の母を見つめた。
(父上、母上のような幸せな夫婦を見て育つと、婚姻は家同士のとりきめ、と割り切れなくなってしまうわ…)
「誠之進どの…?」
黙り込んだ自分を、訝しげに見る母の瞳とぶつかった。
「…あ、いえ。何でもござりませぬ」
誠之進は笑顔で会話を続けようとした。
「そなたどう思います? 右近殿はこの縁組み、お受けくださるでしょうか?」
「さて…。本人に尋ねてみねばわかりせぬな」
「そなた、何か聞いてはいませんか?」
「何かとおっしゃいますと?」
「…他に言い交わした人がいるとか…」
「いや、そのような話は聞いたことがありませぬが…」
右近は家中一の美男といわれ、相手から一方的に迫られたことは多いが、今まで浮いた噂の一つもない。
おそらく、恋愛に対して理想が高いのだろう、と誠之進は推測していた。
小兵太や自分とは違って、右近は性についてもひどく潔癖なところがあった。
吉原へ惣一郎の供をしても、特に馴染みを作らず、揚がって遊んだのかどうかも、本当のところよくわからなかった。
長い付き合いにも拘わらず、右近と女人の話をしたことはほとんどない。
誠之進も意識的に避けてきたところがあった。
再び眉間に皺を寄せて考えこんでしまったらしい。
母の案ずるような視線にはたと我に帰る。
あわてて取り繕おうとしたところへ、廊下を大きな足音がやってきた。
「誠之進、こちらにおるのか?!」
「父上」
開け放たれた障子戸から、主膳が大股で入ってきた。
数歩遅れて、きちんと夏羽織りを着た右近が姿を現わした。
誠之進が上座をあけて左手に下がると、主膳は上座へ、右近は誠之進の向かいへ腰を降ろした。
真正面に座した右近は、穏やかな笑みを浮かべて誠之進と誠之進の母・咲に目礼した。
薄い花弁のような微笑からは何も読み取れない。
いわゆる社交用の顔で右近は端座していた。
父が上機嫌に見えるのは気のせいだろうか?
右近はすでに志保との縁組みを承諾したのだろうか?
この様子では、少なくとも断ってはおらぬようだが…。
縁組みのことで頭が一杯の誠之進に、主膳が得意げに言った。
「誠之進、そなた、右近が相良候(田沼意次の呼称)主催の剣術仕合に出た話、まだ聞いておらぬだろう?」
「…何ですと?!」
思わず腰を浮かせた誠之進に、右近がふわりと微笑んだ。
「すまぬ、別に隠していたわけではない。折りを見てゆっくり語ろうと思っていたのだ」
「びっくりさせるではないか…。いったいいつ?」
「去年の秋だ」
「…一年近くも前の話ではないか。なぜすぐに便りをくれなんだ?」
「まあ、そう怒るな…」
「しかしまた、なぜそのような場に貴公が…」
瞠目する誠之進に、主膳が豪快に笑いかけた。
「まあ、詳しい話は後程ゆっくり聞かせてもらおうぞ。右近、今宵はわが家に泊っていくがよい」
「ご家老、それは…」
「何、遠慮することはないわ。のう、誠之進」
「はい、ありがとうございます、父上」
すっかり婿扱い?ではないか、と誠之進は内心複雑なものもあったが、久しぶりに右近とゆっくり話ができるのはありがたい。縁組みの件はあとでじっくり本音を聞き出してやろうと思った。
誠之進は父から右近に視線を移すと、
「父上もそう仰せだ。ゆっくりしていってくれ。…そうじゃ、つもる話もあるゆえ、私の部屋に一緒に夜具を敷いてもらおう」
「…藩校時代の合宿のようだな」
「ああ。だが、小兵太はおらぬから安心しろ。彼奴のいびきだけはどうもに我慢ならん!」
誠之進は楽しかった昔を思い出し、陽気な笑い声をあげた。
見つめ返す右近の闇色の瞳が、一瞬えもいわれぬ艶を含んで輝いた。
だが、誠之進の隣に座る咲と目があった瞬間、磁器さながらの頬がかすかにこわばった。
漆黒の双眸から嬉しげな光りは消え、右近は再び淡い微笑を身にまとった。
(いかがしました、母上…?)
誠之進はちらりと母のほうを見遣ったが、咲も伏し目がちに正座したままで、表情から何かを読み取ることはできない。
右近と咲の間で流れた微妙な空気に、上座の主膳はつゆほども気付かなかった。
右近が泊っていくのなら、話は夕餉の後でよいとばかりに、
「誠之進、右近どの、夕餉までしばらく間があるゆえ、道場で一汗流そうぞ」
江戸でさらに研きをかけた右近の剣が見たいのだろう。待切れぬように提案した。
「父上もですか?」
誠之進は先日父が城中で腰を痛めたことを思いだした。
鳶色の眸が心配そうに嗜めた。
まだ無理はなさいますな、という息子の無言の忠告を、主膳はあっさりと無視して一人立ち上がった。
「さ、参られよ」
嬉々として先に立ち、主膳は座敷の外へ出ていった。
(頑固おやじめ…)
言っても聞くまいと判断した誠之進は、仕方なく右近に目配せして主膳に続いた。
正座した咲が、畳の上で向き直る衣擦れの音がした。
「いってらっしゃいませ…」
三人を見送る声音は、いつも通りのたおやかで優しげなものだった…。
先程のあれは何だったのだろう…?
微小な棘がささった違和感が、誠之進の記憶の隅に残った。
つづく
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