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座敷にあかあかと燭台が灯るなか、妹の志保、弟の慶次郎も加わり、溝口家の家族全員と右近で夕餉の膳を囲んだ。久方ぶりの嫡男の帰宅と未来の婿どの?の来訪に、使用人も気分が昂揚しているらしい。
とくに下女たちは料理を運んで来る度に、右近を盗み見ては秘かに溜息を洩らす始末だった。
慶次郎は薄々事情を察しているようで、悪童のような目つきで志保と右近をかわるがわる観察している。
またそれに気付いた志保が、時折鬱陶しそうに、柳眉の下から横目で慶次郎を睨みつけていた。
父、主膳は上機嫌を絵に書いたような様子で、よく飲み、よく食べ、よく笑った。
志保は父に促されて、時々右近の杯を満たしてやっていたが、今宵は借りてきた猫のように大人しく、誠之進にも容易に気持ちを読ませない。
右近のほうも、相変わらず薄着をまとったように微笑を浮かべ、言葉使いも柔らかく皆と歓談している。
誠之進が国許へ帰ってから四年の江戸暮らしの間に、右近は随分角が取れたようだ。
これなら、前の江戸留守居役、堀田が引退するとき、留守居役次席にと推挙した気持がよくわかる。
留守居役とは藩の外交官だ。
物腰の柔らかさ、人付き合いのうまさと同時に腹芸もできねばならない。
十代の頃の右近は、人間の好き嫌いが激しく、侮蔑や嫌悪感などを隠そうともしなかった。
右近の美貌や才気に惹かれた者が近付きになろうと思っても、右近のほうでそれを拒んでいた部分があった。
しかし、今の右近には、迂闊に触れれば切れそうな、鋭利な感じがなくなった。
神経が太くなったのか、巧妙に感情を隠すすべを身につけたのか、誠之進にはどちらとも判じがたかった。
膳の料理をゆっくりと楽しみながら、誠之進は宴席の様子をひととおり観察し終えた。
母は入り口近くに座り、優しげな笑みを浮かべてゆったり構えていはいるが、料理を運ぶタイミング、酒が切れていないかなど、座敷のあちこちに目配りしていた。
注意してみれば、岩魚の塩焼き、岩がきなど、膳を飾る料理は自分の好物ばかりであった。母、咲の配慮だろう。
ひょっこり顔を見に立ち寄ることはあっても、ゆっくり家族で膳を囲むのは正月以来だった。
母は一言も愚痴など洩らさぬが、もう少し頻繁にお暇をいただいて母上にも顔を見せねば、と反省する誠之進だった。
*
料理を一通り食べ終り水菓子が出た頃、主膳が田沼邸の剣術仕合の話をするよう、右近を促した。
人前で自慢話をするのを好まぬ右近は、気恥ずかしげに微笑んだが、主膳の求めに応じて淡々と語り始めた。
「去年の秋、神田橋・御門内の田沼意次邸で開かれた、剣術仕合に出場したのです。田沼様は常日頃から武芸の興隆に熱心で、邸内の道場でも第一級の険客を招いて、藩士たちに稽古をつけさせておられます。で、二年に一度ほど、江戸中の剣客を屋敷に集めて仕合を…」
「して、貴公がなぜそのような場に?」
訝る誠之進に右近は大きくうなずいて続けた。
「一週間前に下屋敷で行われる予選には、特にどなたの推挙がなくても出られるのです。もちろん、田沼様御自身がご覧になるわけではありませんが」
「では貴公、その予選に乗り込んでいったのか?」
「いかにも」
「江戸中から腕自慢が集ってくるのでしょう? 立派な武芸者もおるでしょうが、何やら恐ろしげな連中も混じっていたのではありませぬか?」
慶次郎が興味をひかれて身を乗り出した。
「確かに…」
右近は『恐ろしげな連中』の顔でも思いだしたように、含み笑いを洩らした。
「賞金目当ての剣客くずれも沢山来ておりましたよ」
「まあ…」
志保が小さな声をあげて、袂で口元を押さえた。
誠之進はむくつけき「こわもて」連中の列に混じって並ぶ、右近の涼やかな立ち姿を思い浮かべ、喉の奥で静かに笑った。
「で、誠之進。そこで思わぬ拾いものをした」
「何?」
「…佐久間に出会うた」
「佐久間彦四郎か?!」
共通の友人の名前が出て、誠之進は思わず目を見張った。
佐久間も吉田同様、家督を継がない部屋住みの三男で、成人して間もなく江戸へ出た。
誠之進が江戸詰めの間、居場所が判れば会いたい思っていたのだが、結局連絡が取れずじまいだった。
「佐久間は今、町道場の婿養子に収まっておる」
「江戸でか?」
「そうじゃ。修行をしておった道場の師匠に見込まれてな」
「それは何より…で、息災なのだな?」
「ああ、夫婦仲もよさそうであったし、腕にも一層研きがかかっておった」
「左様か…」
誠之進は満足げに頷いた。
佐久間も吉田同様、直心影流・酒井道場の門弟である。
無駄口をきかない、静かな男だった。
派手さはないが、謙虚で黙々と稽古に励む姿が印象に残っていた。
本当に困った時、頼りになるのはこの男、という思いを誠之進は抱いている。
「誠之進、その佐久間ともども右近殿も見事勝ち上がり、上屋敷での仕合に出て、相良侯(田沼意次の呼称)から褒美を賜ったそうじゃ」
早くその先を語らぬかと、主膳が待切れぬ様子で割って入った。
「まことにござりますか?」
「うむ。我が藩から二人も出場して、準決勝まで残るとは、儂も鼻が高いわ!」
「貴公でも決勝まではいけなんだのか?」
誠之進は右近のほうに向き直り、残念そうに尋ねた。
「江戸府内には、様々な流派の腕自慢がたくさんいるからな。上を見ればきりがない。準決勝までよくぞ残れたものだと思う…」
「貴公、随分謙虚になったな…」
「私はもともと謙虚だ…」
右近が照れ隠しに小さく咳払いした。
「で、優勝したのは何処の誰なんですか?」
慶次郎がせっつくように尋ねた。
「秋月大五郎という本所に道場を構える剣客だ。まだ若いが相当な達人だ。私は準決勝でその秋月どのに破れた。完敗だったぞ」
「なるほど…江戸には凄い人がいるもんですねえ」
「佐久間も準決勝で破れた。惜しい負けだった」
悔しげに眉を寄せた右近に、
「いかがした?」
誠之進が問いかけた。
「相手の剣が汚い剣でな。相良侯も『下品(げぼん)の剣よ』とご不興であった。もっとも決勝でそやつが秋月どのにこてんぱんにやられた時には溜飲が下がったが…」
めったに人を誉めない右近が絶賛する、秋月という剣客。
誠之進は一度会ってみたい気がした。
「誠之進、面白いのはこれからだぞ。右近がなぜそんな仕合に出たと思う?」
「父上…?」
「右近、自分から話してやれ」
右近は伏し目がちにうなずいた。
「無論、褒美が目当てではない」
右近は一旦言葉を切って、いたずらっぽく眸を煌めかせた。
「あの大会に出て勝ち上がれば、田沼様にお声をかけてもらえる。知遇を得るには絶好の機会かと…」
「なんと…」
誠之進は鳶色の瞳が大きくなった。
*
誠之進も江戸詰めだった四、五年前から、右近は政策立案者としての田沼意次に傾倒していた。
従来の収奪的農政が行き詰まり、各地で一揆が激発するなか、新たな税収源として、増大する商業資本に目をつけた田沼の手法は、時代の流れの沿ったものだと右近は考えていた。
武家の財布の紐を豪商に握られたも同然の昨今、今一度支配権を確実に武家階級の手に取り戻すには、商人と同等の経済感覚を持った官僚が、武家階級にも必要だった。
しかし、田沼は優秀な部下には恵まれたが、幕閣内の重臣で彼の政策を理解し、支援するものはほとんどいない。将軍の信任だけを頼りに孤独な戦いを続けていた。
右近は幕臣ではないから、直接田沼の下で働くことはできない。
また、幕府の財政再建と諸藩の利害は必ずしも一致しなかったが、勘定方の家に生まれ、経済官僚を目指していた右近は、田沼の先進的な政策におおいに興味をひかれた。
叶うことなら直に会って、教えを乞いたいと常々考えていたのだ。
高山藩は今町湊を抱え、交易の盛んな商業都市でもある。
廻船問屋や両替屋など、膨らみつつある商業資本対し、一時的な 冥加金ではなく、 運上金による半永久的な税制を確立する。
こうして富の遍在を防ぎ、年貢米以外の安定した財源を確保することが、長期的に見た藩財政の健全につながるだろう、というのが右近の持論であった。
*
だが陪臣の自分たちが、幕臣の、それも国政の中枢部にある人間と容易に知り合えるわけがない。
加えて、結城家の親戚筋にあたる田安家は、公然と反田沼の立場をとっていた。
誠之進は、右近がよくぞそのような手を思いついたと感心する一方で、惣一郎様や殿の御不興を買わなかったかと不安にもなった。
誠之進の心を読み取ったかのように、右近がふっと目元を和ませて笑った。
「案ずるな、誠之進。晴れて田沼様にもお目通りが叶い、惣一郎様はよくやったと誉めてくださったぞ」
「ならよいが…貴公の言動には相変わらず肝が冷えるわ…」
誠之進は安堵の吐息を洩らした。
何事にも慎重な自分と異なり、右近の大胆さには時折瞠目する。
その行動力が、単なる無謀ではなく、したたかな計算に裏打ちされているところが、右近の右近たるゆえんだろう。
父、主膳も右近のそういう部分を評価しているのだろうと思った。
菓子を食べ終った頃を見計らい、主膳がさて、と膝を打った。
「そろそろお役目の話に移るとするか…」
誠之進と右近に目配せすると、
「私の居室へ参られよ。咲、あちらへ茶を持ってきてくれ」
「かしこまりました」
つづく
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