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主膳の居室に場所を移した三人は、上座の主膳を挟んで着座した。
会食の時の和やかな雰囲気から一転して、行灯の灯るほの暗い室内には、張り詰めた空気が漂っていた。
主膳は居ずまいを正すと、真剣な面持ちで口を開いた。
「…さて、右近殿。御事(おこと)を本日わが屋敷へ招いたのは、縁組みの話もさることながら、内密に相談したき儀あってのこと」
「…承知致しております」
右近は端然と座し、うなずいた。
事前に何も知らされていなかった誠之進は、息をつめるようにして二人の会話に耳を傾けた。
「此度、我が藩でも『勘定吟味役』を設けることと相成った。して、この役目、ぜひ御事に引き受けてもらいたい。それが、今回殿にお願いして御事を江戸から呼び戻した理由じゃ」
「…殿とご家老の命とあらば、慎んでお受けいたします」
右近は頭を垂れ、一つ返事で承諾した。
主膳は濃い一文字眉を上げて、軽く目をみはった。
「その様子では薄々事情は察しておるようだな」
右近は唇の端に笑みを浮かべてうなずいた。
「勘定方内部で、監査が必要な事態が生じていると…」
「…父上、私にもわかるように説明してくださりませ」
かやの外に置かれていた誠之進が、思わず割って入った。
主膳は苦笑すると、冗談めかして言った。
「誠之進、『守役』となってから、すっかり政治の話に疎くなったのう」
自分の勉強不足を指摘され、誠之進はばつが悪そうに苦笑した。
「今から話すことは其許(そこもと)の将来にも大きく関わることじゃ。しかと聞いておけ」
誠之進は小さく息をのむと、背筋を伸ばして頷いた。
「今町湊(直江津港)の修築から九十年あまり、大型船の寄港も増え、荷の取り扱いは大きく増えた。当然、商いも盛んになり、それ自体は結構なことなのだが…」
一旦言葉を切った主膳を誠之進が上目使いに見つめた。
「近年、一部で密貿易の噂が流れている」
「密貿易? 今町湊を介してですか?」
「…今のところ噂に過ぎぬのだが…抜け荷が今町から上がっているらしいのだ」
「…目こぼしできるような規模ではないのですね」
主膳は眉間に皺をよせてうなずいた。
江戸時代、鎖国という建て前はあっても、薩摩藩や日本海の諸藩では、しばしば密貿易が行われていたらしい。越中、越後でも文政期、天保期の抜け荷の記録が残っている。
財政難から密貿易を黙認した藩も多かったが、規模が大きければ噂にもなり、幕府密偵に目をつけられては、それこそ『取り潰し』の口実を与えることにもなる。
主膳は厳しい表情で先を続けた。
「もうひとつ、どうも藩内の金の流れに不審な点がある。勘定方の信頼のおける藩士に命じて密かに調べさせたところ、毎年、一万両近い使途不明金が出ておるらしい」
「なんと…」
驚愕する誠之進に対し、右近は顔色ひとつ変えず主膳の話を聞いていた。
右近は主膳に向かってうなずくと、
「実は密貿易に関しては、江戸でも似たような噂が流れておってな…。高山藩とわが藩を名指しであげるものはまだおらぬが、どうやら薩摩の息のかかった廻船問屋の持ち船が、越後や越中の港から抜け荷を水揚げしているというのだ。島津侯が勝手におやりになっている事なら、当藩は知らぬ存ぜぬで通すこともできようが、どうやら藩内の、それもかなりの地位にあるものが密貿易に関わっているという…」
「まさか…?」
「そのまさかじゃ」
主膳は腕組みをして苦々しく呟いた。
三人が同時に思い浮かべた名は、内藤家現当主、内藤帯刀。
代々家老職を勤める家柄で、溝口家に友好的とはいいがたい。
「港奉行は内藤殿の支配下にあり、今の勘定奉行は内藤家の親戚筋だ。それだけで内藤殿の仕業と決めつけるわけにはいかぬが、他にも何かときな臭い話があってな…」
「…留守居役、堀田様引退後の江戸屋敷の派閥抗争とも絡んで、事態はかなり複雑なようだぞ、誠之進」
誠之進は声もなく二人を交互に見つめた。
藩政から離れていた四年の間に、藩内の勢力地図が大きく塗り変れられようとしている…。
「右近殿、勘定吟味役といえば、表向きの職掌は勘定奉行の補佐役というところだが、内実は、勘定奉行所内の監査、不正の摘発だ。重臣の不正が発覚した場合、正直申してかなりの危険が伴う役目だが、それでも貴殿は引き受けてくれるのか?」
「…すべて承知の上にござりまする」
けぶる睫を伏せて右近がうなずいた。
(右近…)
誠之進は火影に照らされた右近の横顔を凝視した。
勘定吟味役(当初は勘定差添役といわれた)が初めて設置されたのは五代将軍綱吉の治世下である。後に勘定奉行として辣腕を振るう荻原重秀が、実務官僚出身者として初めてこの役に任じられた。
勘定吟味役制度は一度は廃止になったものの、1712年、新井白石が復活させ、以来幕末まで続く。
誠之進もこの制度については当然聞き及んでいたが、藩内で勘定吟味役を設けるのは今回が初めてである。
右近はまさに適任。
今の高山藩に彼をおいてこの役目が勤められるものはいないだろう。
だが、いきなり密貿易がらみの不祥事の探索とは…。
右近が父に認められ、いわば異例の昇進を遂げることは嬉しいが、右近一人の肩に背負わせるには余りに重い役目に思えた。
主膳は真摯な声音でさらに続けた。、
「もちろん、当家も力を尽くして御事(おこと)を支える所存だ。勘定奉行を通さず、直接、上席家老である私に報告する権限を与えよう。藩庫の支出は決済書に吟味役の連署がないかぎり、たとえ重臣の命令でも叶わぬようにいたそう。勘定方の下級藩士の中から有能で信頼のおける者を数人選んである。御事の部下として使うがよい」
「…ご配慮、痛みいります。非才の身なれど、ご家老の御期待に沿うべく微力を尽くします。」
右近は畳に手をついて、深々と頭を下げた。
*
お役目の話も無事終った。
今宵は右近は泊りゆえ、多少過ごしても構わぬわ、と上機嫌の主膳が促す。
誠之進は席を立って台所へ酒の仕度を命じにいった。
室内には右近と主膳の二人だけが残された。
夜も更けて、袂に涼しさを覚える。
庭から聞こえてくる、虫の音がかしましい。
鈴虫、松虫、馬追い虫…音色を聞き分けんと主膳が耳を済ませていると、右近がぽつりと呟いた。
「ご家老は…ご自身の引退後を見越して、ここで大掃除をなさろうと決心されたのではありますまいか?」
主膳は一文字眉の下、大きな目を見はったが、
「御事は何でもお見通しのようだな」
すぐに目元をやわらげた。
「儂ももう五十だ。…三郎ぎみが元服される頃には、家督を誠之進に譲って隠居したいと考えている」
「あと三、四年のうちに、お城に巣くう毒虫を退治をせよというわけですな」
「毒虫とは…御事も口が悪いのう…」
主膳は脇息にもたれかかり、苦笑を洩らした。
右近は穏やかに微笑みつつも、強い意志をこめた眸で主膳を見た。
「志保様を私にというお話は、私を『捨て駒にせぬ』とのご家老の誠意…と拝察しましたが」
「うむ。わが親族となれば、御事の立場も強まろう。敵もそう易々と手出しはできぬ」
「…お気持ち、かたじけなく頂戴いたしまする。ですが…」
「…」
「左様なお気づかいは何卒ご無用に」
「右近殿…」
「私は…」
右近は言葉を切ると、
「近い将来、誠之進が家老の座に付く日のために、玄関を掃き清めておけと仰せならば、喜んで汚い仕事も引き受けましょう…」
遠の昔に覚悟を決めていたような顔で、右近はさらりと言ってのけた。
「…誠之進のために、この役目引き受けると申すか?」
「はい」
闇色の双眸にはいささかの迷いもなかった。
主膳は言葉もなく見つめ返す。
右近は凛として面をあげ、淡々と続けた。
「…志保様が、もし私でよろしいのなら、喜んで妻にお迎えしたします。なれど、万が一、他に想う方がいらしたときは、どうか無理強いなされませぬよう…。私の勘定吟味役就任とは、別の話とお考えくださりませ」
視線を合わせた二人の間に、しばし沈黙が流れた。
行灯の火影がかすかに揺らめいた。
「…果報ものよな」
敢えて、「誰が」とは言わなかった。
主膳は胸の奥から重い吐息をついた。
「ともかく…全てはお家の安泰のため。殿も御事の働きを期待している。存分に力を振るってくれ」
「承知…」
*
(馬鹿者…)
障子戸の向こう、廊下の片隅で、誠之進が大徳利を片手に立ち尽くしていた。
(貴公はお家のためではなく、私のために命を張るというのか…?)
誠之進は瞼を閉じ、重い吐息とともに、拳をゆっくりと握り込んだ。
つづく
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