八の巻「曼珠沙華」5



by 戸田采女


 仙之丞に案内され惣一郎の居室に赴くと、主は既に寝間着に着替えてゆったりと脇息にもたれていた。

 室内に入った右近は、部屋の中程まで進むと着座し、深々と礼をした。

 平伏したままの右近に、
「いつまでそうしておる、面をあげよ」
と、惣一郎が命じた。

 目を合わすのは辛かったが、右近は静かに面をあげ主と向き合った。

 あれからほぼ一日。
今宵の惣一郎は、一見穏やかな表情で上座から右近を見下ろしていた。

 主従はしばし無言で相対していたが、
「小袖は…白か」
惣一郎は独り言のように呟くと、
「そなたの脇差を持て」
端座する右近に鋭く命じた。

 右近は睫を伏せて目礼し、主の前に進み出て跪くと、押し頂くようにして脇差を差し出した。

 惣一郎は脇息に肘を預けたまま、脇差を片手で受け取った。

 そのままの姿勢で抜刀する。

 行灯の灯りにかざして刃先を吟味した。


「覚悟は…できておるようだな」
「御意…」
「あのような姿が衆目に曝されては、もはや生きてはおられぬというわけか?」
惣一郎は皮肉っぽく口元を歪めた。

「…若殿!」
襖の脇に控えてた仙之丞が、たまりかねたように取りなした。
「そなたにもう用はない! 下がっておれ」
惣一郎は無情に言い放った。

 仙之丞は右近に案ずるような視線を投げると、唇をかんで次の間へ引き下がった。


 再び室内には右近と惣一郎だけが残された。

 惣一郎は脇差を鞘におさめると、自分の傍らに置いた。

 
「…しかし、あの絵師、何といったかのう?」
「……」
知っていながら答えようとしない右近を無視して、惣一郎は続けた。

「絵姿がなければ枕絵が描けぬなど…笑止な。未熟な証拠じゃ」
右近は不思議そうに惣一郎を見上げた。
「身供なら、そんなものがのうてもいくらでも描けるわ」

 思わず顔を赤らめた右近に、惣一郎が寂しげに笑いかけた。

「案ずることはない。どうせ大した画力ではないのだ」
「仰ることがよくわかりませぬ」
惣一郎は軽く鼻を鳴らした。
「一目みてそなたと分るような絵にはならんと申しておる」
「…惣一郎様」
「そなたの顔に前髪でもつけて稚児姿にしておくよう、天満屋にも釘を刺しておいたわ」

 右近は混乱した。
このお方は何をおっしゃっているのだろう…。

 私に罰として死を賜るのではなかったのか?

「せっかく寝刃を合わせたのに申し訳ないが、そなたに腹は切らせぬ」
「されど、私は……!」

(斯様な姿を見られては…。どの面下げて、このまま貴男様のお側に仕えることができましょうや…)

 反論しかけたものの言葉が続かない右近を、端正な顔が正面から見つめていた。

 目の奥にたとえようもない哀しみを滲ませて、惣一郎は右近を見つめていた。


「…されど」
惣一郎は脇息から身を起こすと、ゆっくり立ち上がり、部屋の中程に座す右近の元へ歩みよった。

 右近の眼前に片膝をつく。惣一郎は長い指で右近の頤を捕らえた。
抗う間もなく、唇を吸われた。
右近は思わず固く瞼を閉ざして、身をこわばらせた。

 だが、決して強引な口づけではなかった。

 しっとりと柔らかく押し付けられた唇が離れると、右近の顎に手をかけたまま、間近で凝視している主と目があった。

「…罰を受ける気があるなら」
「……」
「…伽をせよ」

 予想できない展開ではなかった。
だが、いざ面と向かって告げられると、右近はうろたえた。
「…わ、私のように薹(とう)の立った者など、もはやそのようなお役には立ちませぬ!」
我ながら苦しい言い訳だった。
右近はまともに顔をあげることができず、俯いたまま主の返答を待っていた。

「立つか立たぬかは、身供が決める」
断固として後へ退かぬ口調に、右近はうなだれて小さくかぶりを振った。
「…惣一郎様」
「…もう…はぐらかすのは止めてくれ、右近」
「そ、そのようなつもりは…!」
思わず面をあげれば、惣一郎が縋るような瞳で右近を見つめていた。

「もう……待たぬ」
大きな掌が右近の頬を包んだ。
「右近…」
声が耳元に近付いた。
「私のものになれ



「惣一郎様…」
わかっている。
もう長い間、静かに、真摯に求められていた。

 力づくでというのは、この方の美意識に反するのだろうが、
それを抜きにしても、臣下に対して斯様な気づかいは…普通では考えられなかった。

 惣一郎を決して嫌いではなかった。

 誠之進に対するような、胸苦しいほどのときめきはなかったが、共に過ごす時間は春の日溜まりのように優しく、そのまま惣一郎の腕の中でまどろんでしまいたい安心感があった。

 今も、こうして頬に触れる掌は暖かすぎて…、切なさで胸が潰れそうだ。

   もはやこれ以上拒めない…。



 惣一郎はおもむろに立ち上がると、寝所へ続く襖の前に立った。
 
 座したまま困惑した瞳で見上げる右近に、ひたと視線をあてる。

 惣一郎が襖をするりと半分ほど開けた。

 開いた襖の向こうに、きちんと整えられた褥が見えた。
居間よりもさらに灯りを落とした、ほの暗い部屋の中、絹夜具の白がぼんやりと浮き上がって見えた。

 右近の心臓が大きく跳ねた。
これからあの上で行われる行為を思うと、一瞬にして頭に血が昇った。

 
 惣一郎は襖の脇で、右近が自分の意志で歩いてくるのを待っている。


「……参れ」

 官能に直接訴えかけるような、静かでいて有無をいわせぬ声音だった。

 右近は立ち上がると、吸い寄せられるように主の元へ歩みよった。

 軽く背中を押され、惣一郎とともに寝所に入る。

 

 闇の中、背後で襖の閉まる音を聞いた。


おわり




「曼珠沙華」4|「残月」1

下弦の月 目次



Copyright © 2003 戸田采女
All rights reserved.