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仙之丞に案内され惣一郎の居室に赴くと、主は既に寝間着に着替えてゆったりと脇息にもたれていた。
室内に入った右近は、部屋の中程まで進むと着座し、深々と礼をした。
平伏したままの右近に、
「いつまでそうしておる、面をあげよ」
と、惣一郎が命じた。
目を合わすのは辛かったが、右近は静かに面をあげ主と向き合った。
あれからほぼ一日。
今宵の惣一郎は、一見穏やかな表情で上座から右近を見下ろしていた。
主従はしばし無言で相対していたが、
「小袖は…白か」
惣一郎は独り言のように呟くと、
「そなたの脇差を持て」
端座する右近に鋭く命じた。
右近は睫を伏せて目礼し、主の前に進み出て跪くと、押し頂くようにして脇差を差し出した。
惣一郎は脇息に肘を預けたまま、脇差を片手で受け取った。
そのままの姿勢で抜刀する。
行灯の灯りにかざして刃先を吟味した。
「覚悟は…できておるようだな」
「御意…」
「あのような姿が衆目に曝されては、もはや生きてはおられぬというわけか?」
惣一郎は皮肉っぽく口元を歪めた。
「…若殿!」
襖の脇に控えてた仙之丞が、たまりかねたように取りなした。
「そなたにもう用はない! 下がっておれ」
惣一郎は無情に言い放った。
仙之丞は右近に案ずるような視線を投げると、唇をかんで次の間へ引き下がった。
再び室内には右近と惣一郎だけが残された。
惣一郎は脇差を鞘におさめると、自分の傍らに置いた。
「…しかし、あの絵師、何といったかのう?」
「……」
知っていながら答えようとしない右近を無視して、惣一郎は続けた。
「絵姿がなければ枕絵が描けぬなど…笑止な。未熟な証拠じゃ」
右近は不思議そうに惣一郎を見上げた。
「身供なら、そんなものがのうてもいくらでも描けるわ」
思わず顔を赤らめた右近に、惣一郎が寂しげに笑いかけた。
「案ずることはない。どうせ大した画力ではないのだ」
「仰ることがよくわかりませぬ」
惣一郎は軽く鼻を鳴らした。
「一目みてそなたと分るような絵にはならんと申しておる」
「…惣一郎様」
「そなたの顔に前髪でもつけて稚児姿にしておくよう、天満屋にも釘を刺しておいたわ」
右近は混乱した。
このお方は何をおっしゃっているのだろう…。
私に罰として死を賜るのではなかったのか?
「せっかく寝刃を合わせたのに申し訳ないが、そなたに腹は切らせぬ」
「されど、私は……!」
(斯様な姿を見られては…。どの面下げて、このまま貴男様のお側に仕えることができましょうや…)
反論しかけたものの言葉が続かない右近を、端正な顔が正面から見つめていた。
目の奥にたとえようもない哀しみを滲ませて、惣一郎は右近を見つめていた。
「…されど」
惣一郎は脇息から身を起こすと、ゆっくり立ち上がり、部屋の中程に座す右近の元へ歩みよった。
右近の眼前に片膝をつく。惣一郎は長い指で右近の頤を捕らえた。
抗う間もなく、唇を吸われた。
右近は思わず固く瞼を閉ざして、身をこわばらせた。
だが、決して強引な口づけではなかった。
しっとりと柔らかく押し付けられた唇が離れると、右近の顎に手をかけたまま、間近で凝視している主と目があった。
「…罰を受ける気があるなら」
「……」
「…伽をせよ」
予想できない展開ではなかった。
だが、いざ面と向かって告げられると、右近はうろたえた。
「…わ、私のように薹(とう)の立った者など、もはやそのようなお役には立ちませぬ!」
我ながら苦しい言い訳だった。
右近はまともに顔をあげることができず、俯いたまま主の返答を待っていた。
「立つか立たぬかは、身供が決める」
断固として後へ退かぬ口調に、右近はうなだれて小さくかぶりを振った。
「…惣一郎様」
「…もう…はぐらかすのは止めてくれ、右近」
「そ、そのようなつもりは…!」
思わず面をあげれば、惣一郎が縋るような瞳で右近を見つめていた。
「もう……待たぬ」
大きな掌が右近の頬を包んだ。
「右近…」
声が耳元に近付いた。
「私のものになれ」
「惣一郎様…」
わかっている。
もう長い間、静かに、真摯に求められていた。
力づくでというのは、この方の美意識に反するのだろうが、
それを抜きにしても、臣下に対して斯様な気づかいは…普通では考えられなかった。
惣一郎を決して嫌いではなかった。
誠之進に対するような、胸苦しいほどのときめきはなかったが、共に過ごす時間は春の日溜まりのように優しく、そのまま惣一郎の腕の中でまどろんでしまいたい安心感があった。
今も、こうして頬に触れる掌は暖かすぎて…、切なさで胸が潰れそうだ。
もはやこれ以上拒めない…。
惣一郎はおもむろに立ち上がると、寝所へ続く襖の前に立った。
座したまま困惑した瞳で見上げる右近に、ひたと視線をあてる。
惣一郎が襖をするりと半分ほど開けた。
開いた襖の向こうに、きちんと整えられた褥が見えた。
居間よりもさらに灯りを落とした、ほの暗い部屋の中、絹夜具の白がぼんやりと浮き上がって見えた。
右近の心臓が大きく跳ねた。
これからあの上で行われる行為を思うと、一瞬にして頭に血が昇った。
惣一郎は襖の脇で、右近が自分の意志で歩いてくるのを待っている。
「……参れ」
官能に直接訴えかけるような、静かでいて有無をいわせぬ声音だった。
右近は立ち上がると、吸い寄せられるように主の元へ歩みよった。
軽く背中を押され、惣一郎とともに寝所に入る。
闇の中、背後で襖の閉まる音を聞いた。
おわり
「曼珠沙華」4|「残月」1下弦の月 目次
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