十一の巻
「夕凪」5




by 戸田采女

 源蔵は皆の期待通り、竹駕篭から溢れんばかりの貝を採ってきた。夏牡蠣は生で、サザエは塩焼きに、トコブシは甘辛く煮て食した。小兵太も烏賊やきすなど、小ぶりな魚をたくさん釣り上げて戻った。

 管理人の百姓夫婦のおいていった野菜やぬかづけ、お福の炊いた飯、刺身や焼き物など、食べきれないほどの料理が膳をかざった。

 残してもこの陽気では腐ってしまうだけなので、食べ盛りの三郎と源蔵は競いあうようにして、海の幸を平らげていく。つい先程、深刻な話をしてきたばかりなのに、三郎のこういう太っ腹なところは見習いたいものだと、誠之進は苦笑した。

 誠之進は茶碗酒をゆっくりと飲みながら、ひとりひとりの様子を目に焼きつけていた。

 じゃれあう三郎と源蔵、ちゃちゃを入れる小兵太。満月のような顔に笑みを浮かべて見守るお福。

 「出奔」がいつになるかは、船の手配次第だ。誠之進は明日、他の者は城へ帰して自分ひとりが今町に残るつもりだった。懇意にしている北前問屋の中村屋を訪ない、出航の予定を聞き出し、場合によっては船にのせてもらおうと考えていた。

 出航が早ければ、西の丸で見なれた風景、主従うちそろった和やかな姿も…ひょっとするとこれが最後になるやもしれぬ。

 もはや前を見据えて行くのみ。
心は決まっていても、誠之進は失うものの大きさを思い、今宵の酒はほろ苦かった。




 夕餉のあと、しこたま食べて眠くなった源蔵と三郎を休ませたのち、誠之進はしばらく小兵太と酒を酌み交わしていた。

 今町へ出かけるとき、お福と源蔵にも出奔の決意を話すつもりでいたのだ。だが誠之進は途中で考えを変えた。

 やはりお福たちは何も知らないほうがいい。突然、三郎と誠之進が城から消えてしまえば、ふたりの衝撃は計り知れない。打ち明けてもらえなかったことを恨むかもしれない。だが、なまじ計画を知らされていては、後々共謀の罪に問われ、お咎めを受けるやもしれぬ。

 何も知らなかった、寝耳に水だった、というほうが、ふたりのためではないかと思い直したのだ。
 
 だが小兵太は三郎の馬廻り頭ゆえ、二人が消えれば、三郎の警護の不行届きを問われる羽目になる。ならば、最初から全てを打ち明け、小兵太にもいざというときの身の振り方を考えてもらわねばなるまい。

 夜も更けた頃、後はふたりでちびちびやるからとお福を下がらせ、誠之進と小兵太は八畳の座敷に残った。藩校時代からの友人・吉田小兵太は、口は悪いが剣の腕は一流だ。卑怯なことと弱い者いじめが大嫌い。そのくせ子供と女の涙にはめっぽう弱い。

 まことにあっぱれな漢(おとこ)だとおもう。
本人の前で口に出しては言わねど、誠之進は小兵太を心から信頼している。

 小兵太は胡座をかいて団扇で仰ぎながら、
「…よう、おまえ何で倫太郎を連れてきてやらなかったんだ?」
「うむ…」
「なんでえ、何かわけありか?」
「相変わらず察しがいいな」
くすりと笑った誠之進に、
「城を出るときから思いつめた顔をしてたからな…いいから言ってみな。大抵のことには驚かねえぜ」
小兵太はあごをしゃくって促した。

 「わかった。おまえにだけ打ち明ける」
誠之進の低く深刻な声音に、小兵太の団扇がぴたりと止まった。
「近いうちに…三郎ぎみと出奔する」
小兵太はこぼれんばかりに目をむき、喉をごくりと鳴らした。
「おまえ…正気か?」
誠之進は無言でうなずいた。

 「もう…養子の件、八方塞がりなのかよ?」
「堀田様からの書状を見せても、父上を…説得することができなんだ。本田家との縁組、断ることで被る不利益のほうが大きいと判断された」
「では何か、御家老は本田の爺の魂胆を知りながら、三郎を差し出そうといわれるのか?」
「縁組は成立させておいて、婚儀をできるだけ先に延ばすと仰せだが…」
「…無理だな。一旦決まってしまえば、田安の狸爺が早く三郎をよこせと圧力をかけてくるに違いない…」
「やはりおまえもそう思うか」
「ああ」
誠之進は小さく鼻で笑い、
「おまけに…、私の動きを封じるため、先の先まで手を打っておられた」
「というと…?」
「手回しよく、慶次郎の養子先を決めてしまわれた…」
「なんと…」
「私が家督を慶次郎に譲って自由になろうとしていたこと、完全にお見通しじゃった…」
小兵太は肩を落として溜息をつく。
「ま、あれだな、役者が違うというか…」
「ふっ…口惜しいがな」
苦笑する誠之進の肩を小兵太はぽんぽんと叩いた。

 「で…かくなる上は手に手をとって駆け落ちか?」
小兵太はふたたび団扇をはたはたと動かし始めた。
「『出奔』じゃ」
誠之進はこほんと咳払いをして言い直した。
「私が捨て身にならねば、三郎ぎみをお守りすることはできぬ」
「三郎は…おまえと行くと?」
「ああ」
小兵太がふっと溜息を洩らす。
「…聞くだけ野暮だったな」
ふたりは目を見交わして笑った。

 「だが誠之進、おまえ…失敗して連れ戻されたら…下手すれば切腹だぞ」
「覚悟しておる…」
「そうか…」
小兵太は無言で誠之進の茶碗に酒をつぎたした。

 あの口数の多い小兵太が急に黙り込んだ。
この男が寡黙になる時、心のうちがいかなるものか、誠之進は長い付き合いで知っている。

 今度は誠之進が小兵太の茶碗を満たした。
「で…俺は何をしたらいい?」
酒を一口含んで問いかける小兵太に、
「できるだけ早い時期に、馬廻りをお役御免になってもらう」
誠之進が重々しい声で答えた。
「は…?」
小兵太が意外そうに目を見開く。
「なにゆえじゃ」
「我らが西の丸から出奔すれば、馬廻り頭のおまえが、三郎ぎみの警護を怠った責めを負わされるぞ」
「ばかなっ。おぬし…人の心配なぞしている場合か!」
「だが、おまえひとりに全てをなすりつけて逃げるわけにはいかぬ!」
「格好つけるのはやめろ!誠之進!」
「小兵太!」
「考えてもみろ、他の者が三郎の側に貼り付いていたら、おまえら二人、城から逃げられねえぞ」
「なれど、それではおまえの立場がっ!」
身を乗り出して言い募る誠之進に、小兵太が破顔してうなずいた。
「…俺のことは心配すんな。おまえらの出奔に周りが気付き始めたら、俺は俺でうまいことずらかるから…」
「小兵太…」
「そこまで決心したんなら、とことん三郎を守りぬけ。後のことをあれこれ気にしていては、身動きが取れねえぞ」
「こ、小兵太…かたじけない」
誠之進は膝の上で拳を握りしめ、深く首を垂れた。

 「お福たちには内緒にしとくつもりか?」
「…ああ、迷ったが、やはり寝耳に水だったというほうが、お福たちへのおとがめも軽くてすむのではと…」
「うむ。俺もそう思う」

 「で、おまえら何処へいくつもりだ?」
「明日、中村屋の船に乗せてもらえるか、かけあってみるつもりだが、できれば蝦夷へ…」
小兵太の目が大きくなった。
「ほう…それはまた思いきったことを考えたな」
「北国街道をうろうろしていたのでは、すぐに足がつくだろう?」
「確かにな…」

 「…蝦夷か。何やら面白そうじゃの。俺も後から合流すっか?」
「は?」
「お邪魔でなければ」
一瞬、誠之進が困ったような顔をしたのを、
「あほう、戯れ事じゃ」
小兵太は思いきり笑い飛ばした。

 「なれど、遊びに行くくらい、よいだろう?」
「ああ…もちろんだ」
誠之進は泣き笑いのような表情で、込み上げてくるものを懸命に堪えていた。
「落ち着いたら…居所を知らせてくれ」
「…だが小兵太、我らが領内を離れた後、お前も旅に出るつもりなのだろう?」
「そうじゃった!」
小兵太は膝を打って苦笑した。
「…そうさなあ。江戸の佐久間のとこにでも知らせておいてくれ」
「ああ…それは妙案かもしれぬ」

 江戸と聞いた瞬間、誠之進の脳裡に麗しき友の面影がよぎった。

 許せ…右近。

 『近い将来、誠之進が家老の座に付く日のために、玄関を掃き清めておけと仰せならば、喜んで汚い仕事も引き受けましょう…』

 数年前のある夜、誠之進の父、溝口主膳を前に、右近は涼しい瞳でこんな台詞をはいた。

 少年時代に誓いあった二人の夢。誠之進は国家老として、右近はその補佐として、いずれ二人で藩政を動かすのだ…。理想と高い志に燃えて意見を戦わせた日々。右近との友誼は生涯の宝と信じていた。

 決して忘れたわけではない。今も…瞼を閉じれば煌めくような少年の日々が鮮明に蘇る。

 成人してからも、右近は誠之進を次の筆頭家老にと、そのための助力を惜しまなかった。

 若君をつれて出奔など、まさに右近の献身を無にするような所行だ。もしもこの場に右近がいたら、誠之進は何と言って詫びていいかわからない。

 十代の少年の日々、秘かに恋焦がれていた美しい友。十五の時、右近が涙ながらに叫んだひとこと一『男同士で契るなど鳥肌がたつ』一の前に、己の想いがいかに純粋で激しくとも、誠之進は右近への恋を封印をせざるを得なかった。

 十三のとき、初めて殿様の前で講議をする右近を見た。十四で藩校に入り、念願かなって右近の友となる。供に学問や武芸に励んだ尽きぬ思い出が、走馬灯のように蘇る。

 十六の時、この今町の浜で同じ波の音を聞きながら、一度だけ右近を抱きしめて眠った夜。

 そして、二人揃っての元服、江戸詰め時代…。

 最後に浮んだのは、昨年の秋、右近の病床を見舞った時、やつれた頬を伝った一筋の涙。

 されど一。

 今の自分は、どんな懐かしい過去とも、どんな輝かしい未来とも、愛しい三郎を引き換えることだけはできなかった。

 「小兵太っ‥」
右近のことを思い出すと、不覚にも声が震えた。
「誠之進…」
「小兵太、右近には…いつかおまえから…」
話してくれと続けるつもりが、小兵太に遮られた。

 「誠之進…迷うな」

 「行くと決めたのなら、迷わず行け」
「小兵太!」
「…それとも、出奔などというバカなことはやめて、御家のため、溝口の家のために三郎をあきらめる…」
「ばかな!」
「…というのなら、俺が三郎に付き従って本田家にいく。馬廻りの俺様が随行する分には誰も文句はないだろう。俺の命に代えても、ひひ爺の毒牙から三郎を必ず守ってやる…」
「…小兵太っ」
「俺だって…三郎がかわいいのだ」

 声を詰まらせた誠之進を前に、小兵太は場違いなほど明るい笑い声をたてた。

 団扇でぱたぱたと大きく扇ぎながら、 
「ま、俺はあまのじゃくゆえ、若僧のおまえが、御家大事の重臣どもに一泡吹かせるのが面白うてたまらぬ!」
「またそのようなことを…」
「しかしどいつもこいつも…、御三卿かなんだかしらねえが、御正室の里の言いなりとは…情けなくて鼻くそも出やしねえ…」

 言い捨てるなり、小兵太は濡れ縁に出てどさりと胡座をかいた。
誠之進に背を向けたまま夜空を見上げ、
「ま、見事逃げ切ってみせろや」
素っ気無い声音の下から、この男の親身な気持ちが滲み出ている。
「ああ…そのつもりだ」
胸を熱くしながらも、誠之進は淡々と返した。

「お前も一度…蝦夷へこい」
「おう、そうさな。来年の夏あたり、訪ねていってやるゆえ…しっかり生き延びろよ」
「承知した…」

 お互いの行く道を案じながらも、湿っぽい別れかたはしない。男が一旦こうと決めて行くなら、笑って送りだす。それが昔からの小兵太との付き合い方だ。

 降るような星空の下、波の音を遠くに聞きながら、ふたりは酒を酌み交わしつつ、それぞれの想いに沈んだ。



「夕凪」了


「夕凪」3「波濤」1
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壁紙は「空色地図」さんからお借りしています。


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