十二の巻
「波濤」2




by 戸田采女

 六月二十二日。

 誠之進は三郎の祖父と母の墓参と称して、早朝、三郎と吉田小兵太の三人で関川宿へ発った。帰りは明日になると家臣や使用人には伝えてある。

 「お墓参りって…何で今頃?」
いよいよ訝る源蔵に向かい、
「二十二日はおひろ様の月命日ですよ」
と、お福がさらりと流した。




 昨夜、誠之進と三郎は各々自室で西の丸最後の夜を過ごした。

 誠之進は燭台の灯りを頼りに文机に向かったが、結局一行もしたためずに筆を置いた。母に…何かひとこと残さねば、残したいと思ったのだ。だが、やはり自ら出奔の証を残していくのは得策ではない。一日でも、一時間でも追手がかかるのを遅らせるには、何も手がかりを残さず、ただ黙って消えるのが一番よいのだ。関川への道中の間、事故にあったか、野盗に襲われたか…。ふたりが消えた理由とおぼしきものは多ければ多いほどいい。

 (もっとも、父上の目をそう簡単に欺けるとも思わぬがな…)

 誠之進が文机の上を片づけ旅仕度にかかろうとしたとき、離れの木戸が開き、次の間からお福の声が聞こえた。
「誠之進様、少し…よろしいでしょうか?」

 斯様な時刻に何用だ? 

 誠之進の動悸がわずかに速まった。
しかし追い返すわけにもいかず、
「お福か…入れ」
と短く応じた。




 「誠之進様…これを」
大きな風呂敷包みを差し出され、誠之進は当惑した。
「何じゃ…これは」
目顔で問うと、
「明朝、ご出立の時、お持ちくださいませ」
お福は頬を強張らせて低い声で呟いた。
「お福?」
訝りながら包みを開く。
中を見た誠之進は思わず息を詰めた。




 実はお福、この企てに気付いていた。

 今町で溝口家の屋敷に泊まったおり、寝苦しくて夜中に水を飲みに起きた時、座敷にいる誠之進と小兵太の会話を聞いてしまったという。

 土間の片隅で息を殺して聞き耳をたてながら、自分と息子の源蔵も連れていってくれと、その場で何度叫ぼうと思ったかしれない。だがお福は断腸の思いでこらえた。ふたりの足手纏いになることがわかったからだ。

 以来、お福は「その日」に備えて秘かに仕度をしていたという。蝦夷はさぞかし寒かろうとふたり分の袷と綿入れを用意し、新しい下帯と道中の安全を祈るお守りや薬一式も添えた。

 誠之進は綿入れを見つめながら目頭が熱くなるのを懸命に堪えた。

 「お福…気付いておったのか」

 斯様なものは金さえあれば後からいくらでも買える。なれど一。

「お福の思いがこもったこの荷物、ありがたく頂戴しよう…」
誠之進の万感の思いをこめた一言に、お福の目に涙が溢れた。
「道中…どうか御無事でっ…」
ただ一言だけ返し、お福は畳に泣き伏した。




 日の出とともに主従は出立した。
三郎だけを馬に乗せ、誠之進と小兵太は徒歩で付き従った。北国街道を南へ、荒井までは普通に街道をいく。内藤帯刀の間者が身辺をうろうろしているやもしれぬ。尾行には細心の注意を払っていたが、どうやらその気配はなさそうだった。

 荒井を少し過ぎたあたりで脇道にそれ、藩主の別邸、花心亭にいく途中の古寺に入った。そこで誠之進と三郎は粗末な着物に着替え、関川の渡し場へと急ぐ。小兵太が駄賃をはずんで手配した船頭が待っている手はずだった。

 お取り潰しになった武家の兄弟が内密に仇討ちの旅に出るゆえ、助けてやってくれと、小兵太はまことしやかな話をでっちあげたのだ。

 別れぎわ、小兵太は三郎をぎゅっと抱きしめ、
「なあに。来年の夏には遊びにいってやる。…それまで元気でいろや」
「小兵太っ!」
三郎も声を詰まらせながら、小兵太の首ったまにかじりついていた。

 誠之進と小兵太はじっと目と目を見交わし、無言で別れた。三郎の馬は国境まで小兵太がのっていき、あとは百姓にでも言付けて城へ返すという。

 川へ向かった誠之進と三郎は首尾よく船頭と合流し、水路今町を目指した。出航は正午。関川の水量は十分にあり、この流れなら昼前には到着できるだろう。

 川船に乗り込んで、ようやく誠之進は一息ついた。

 ふと己の姿を顧みると、小兵太から譲りうけた古着に比して、差料だけが妙に立派だ。城を出るときは、さすがにそこまで頭が回らなかった。誠之進はちぐはぐな出で立ちに舌打ちしながらも、「ともかく海に出てしまえば大丈夫」三郎に慰められた。

 心地よい川風に吹かれながら、ふと小兵太が船頭にいった台詞を思い出す。
(仇討ちに向かう兄弟とは…彼奴にしてはなかなかの思いつきじゃ)
薬売りの『親子』よりは余程いいと、誠之進はひとり含み笑いを浮かべていた。

 二人は船の上でお福の握り飯を味わって食べた。いつもよりしょっぱく感じるのは気のせいだろうか? 米粒のひとつひとつまでもが、名残惜しくてたまらない。

 船頭は巧みに櫓をあやつり川下りは順調に進んだ。下流に近付くにつれ川幅が増し流れも緩やかになっていく。やがて眼前に紺碧の海が開け、昼時、舟はとうとう河口へと到着した。




 急ぎ湊のほうへ移動すると、出港時間の正午は間近に迫っていた。岸壁を荷車や人足が忙しく行き交っている。林立する帆柱の間に中村屋の屋号を染め抜いた旗印を探す。誠之進が桟橋からあちこち目を凝らしていると、中村屋喜兵衛のほうがふたりを見つけて駆け寄ってきた。
「お待ちしておりました…」
「世話になる」
塗笠をかぶったまま頭を下げる誠之進にならい、三郎も小さくうなずいた。

 「とりあえず…船にお乗りくださいませ」
中村屋は軽く目配せし、ふたりをはしけにいざなった。五百石船なら桟橋にじかにつけることもできるが、中村屋はあえて沖に碇を降ろしていた。

 はしけから梯子を昇って乗船する。
誠之進はようやく塗笠をとってあたりを見回した。
ところが出航の準備万端整ったかと思いきや、船の上には年老いた船頭しかおらず、若い人足や水夫の姿はない。
「中村屋…正午には出航するのではなかったのか?」
誠之進がいぶかると、中村屋が
「それが…昨日、一昨日と凪ぎが続きまして…上方から戻る船の到着が遅れております」
「というと…?」
「越後の織物と米は既に積み込みましたが、上方からの荷も途中の秋田や蝦夷へ運ばねばなりません。それが揃いませぬことには…」
「出航はかなわぬと申すか?」
「はい…まことに申し訳ござりませぬが」
「なれど我らはっ…」
もたもたしていては、城からの追手がかかるやもしれぬ。
待つとしても一日が限度だった。

 誠之進の不安を読んだ中村屋は、小さくうなずいて声を落とした。
「誠之進様…ここで慌てて出航しては、かえって怪しまれます。どうか荷がそろうまで、お待ちくださりませ。私とて二日も出航を遅らせる気はありませぬ。待つとしても明日の午後までと決めております」
「…わかった」
誠之進は苦々しく思いながらも、うなずくしかなかった。
「西国からの船が着くまで、店の者や水夫たちは陸へ戻してあります。後で食べ物は運ばせますゆえ、よろしければ船のほうでお過ごしください」
「…おまえの言う通り、湊をうろうろせぬほうがよいだろうな」
「御不自由をおかけしますが…」

 「なに、我らのほうこそ無理を言うてすまぬ」
それまで黙っていた三郎が口を開いた。
黒目がちの瞳がまっすぐに、感謝を込めて中村屋を見つめている。
中村屋は目礼して声を落とした。
「三郎ぎみ…もったいないお言葉にございます」
「…これからは春吉と呼べ。それが城へ来る前の私の名じゃ」
「かしこまりました」
孫を慈しむような瞳で、中村屋が微笑んだ。
三郎の瞳がいたずらっぽく光り、誠之進を振り返った。
「では『兄上』、我らはおとなしく下で休むとするか?」
「はい…」

 兄弟にしては面妖な言葉使いであったが、誠之進は愛しい「弟」に目を細めてうなずいた。


つづく


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壁紙は「空色地図」さんからお借りしています。


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