十七の巻
「秋草」1




by 戸田采女

 明和五年七月、越後高山城下。

 誠之進と三郎の出奔は重臣たちの間の秘密に終わったが、誠之進が罷免になった話には、色々な尾ひれがついて城下に流れた。藩校でも生徒たちがあれこれ噂し始めたため、新たに後見となった堀の考えで、三郎は一時藩校へ通うのをやめた。側仕えの源蔵、倫太郎も三郎と行動を共にする。堀はそのかわりに儒者の佐伯羅山ら、学者や武芸指南の教授を西の丸に招くことにした。

 秀才の誉れ高い、勘定方・筧真之介の弟、松之介も、三郎の学友として特別に講議に加わった。『半知御借上』の施行以来、松之介は家計を助けるため内職に忙しく、三郎とは疎遠になっていたが、今回の堀の計らいでふたたび三郎と親しく付き合うことになる。

 仲のよい三人に囲まれ、一見三郎の生活は元の賑やかさを取り戻したようだったが…。
誰も口には出さねど、誠之進が西の丸を追われた日以来、三郎から晴れやかな笑顔が消えた。

 薄い微笑を浮かべていることはあっても、腹の底から笑うことは絶えて久しい。三郎は喜怒哀楽を表に出さなくなった。

 三人の友人もその理由を痛いほど知りながら、側で見守る以外なす術がなかった。




 西の丸の暮らしは誠之進を欠いたまま、それでも粛々と営みを続けた。季節は夏から秋へとうつろい、武家屋敷や商家の栗の木は見事な白い花で覆われていた。蒼青としたイガをたわわにつける日も近い。

 お福はここ数日、笹団子作りに忙しい。餡を入れたよもぎ団子を笹葉にくるみ、蒸しあげて作る。西の丸はもちろん、本丸の殿様にも届けるつもりらしい。団子だけでなく、翌春の笹飴作りに使う葉も今のうちに採って乾燥させておく。きびきびと指図するお福の声と女中のさとののどかで間延びした声が、台所や庭先から聞こえていた。

 一週間ほど前、倫太郎は三郎に切腹の作法を教えてくれと言われた。本来なら元服の時に教わるものだ。三郎が今、何を思ってその台詞を口にするのか…察しつくだけに倫太郎は困惑を隠せない。言葉を濁してはぐらかし続けたが、三郎はなかなかあきらめなかった。

 処暑を過ぎたある日。佐伯羅山が昼の講議を終えて帰ったあと、倫太郎は三郎の居室に呼ばれた。今日こそ切腹の作法を教えよと詰め寄られた。倫太郎はしかたなく、父から教わった作法を伝えようとした。

「切腹前の食事は薄いおかゆと味噌がよろしいとか。魚などを食しますと、腹を切ったとき甚だ見苦しい様になりますゆえ…」
「ふむ」
三郎は神妙な顔つきでうなずいた。
倫太郎は御免と一言断って、自分の着物の袷をくつろげて腹を出した。
次に扇子を脇差しに見立てて、腹に先を向けた。
「実際に腹を切ります時はまずこのように脇に肉を寄せ…」
三郎がごくりと息をのむ。
「腹に脇差しをつきたてたとき、手を離すと反動で肉が元に戻ろうとします」
「して…」
「それを利用して、一文字に腹を切り裂きます」
扇子の先が倫太郎の腹の皮の上を横切る様を、三郎はまばたきもせずに見つめていた。

「三郎ぎみ…、倫太郎、そこで何をしておる!」
突然次の間から響いた怒号に、倫太郎はぎくりとして振り返った。

 新しく三郎の後見となった堀隼人丞が、仁王立ちになったまま色を失っていた。




「倫太郎っ!」
「も、申し訳ござりませぬ!」
倫太郎は慌てて扇子をほうり出し、ひたすら平伏して謝った。
「そなた…余計なことをっ」
苦々しく呟く堀に、
「ならば藤十郎、切腹の作法、そなたが教えよ」
三郎が眦を決して言い返した。
覚悟のほどを告げるかのように、三郎の目がらんらんと光っていた。
「何をお考えです…三郎ぎみ」
「決まっておる。万一、誠之進が切腹申し付けられたときは、私もすぐに後を追う」
「ばかなことをお言いでない!」
堀は三郎の側まで歩みより、正面に腰を降ろした。

 三郎は眉ひとつ動かさず、
「決して遅れはとらぬ」
と言い放った。
「三郎ぎみっ」
「誠之進を失って、私が生きていけると思うのか?」
「三郎ぎみ、落ち着きなされっ」
にわかに込み上げてくるものがあったのか、三郎が声を震わせて続けた。
「…誰が養子になぞいくものか。そんなに私が邪魔なら、こんな命…いつでも捨ててやる」

「何ということを…」
堀は思わず膝を浮かせ、三郎の頬を平手で打った。

 三郎はよろけて畳に片手をついたが、瞳を潤ませながらも堀を睨み上げた。
「三郎ぎみ…」
倫太郎がにじり寄って後ろから三郎を支えた。

 堀は再び三郎の正面に座し、
「ただいま私と山崎様とで、誠之進殿をお許しくださるよう、懸命に殿にお願いしております」
「藤十郎…っ」
「三郎ぎみが出奔前に書いたお手紙も、用人の青木殿を通じて殿の手に渡っており…」
「なれど!」
皆まで言わせず三郎が遮った。
「あれからもうひと月も経っておるのだぞ! 未だお許しがないとは…もはやっ」

 三郎の不安な気持ちは痛いほどわかる。

 堀にとっても誠之進は大切な友であり、藩の将来を考えても失ってはならぬ人間だった。
「未だに処分が決まらぬということは、お許しいただける可能性は十分あると…」
「ま、まことか、藤十郎!」
すがるように見上げる三郎に、
「御意。さすれば、どうか…お命を軽んじるような言動は…お慎みくださりませ」
噛んでふくめるように言い聞かせた。
「藤十郎…」
「先程のようなお言葉、誰よりも悲しむのは誠之進殿ですぞ」
このひとことが効いたのか、三郎は居住まいをただして神妙にうなだれた。

「誠之進殿以外にも、お福に源蔵、そしてこの倫太郎…。三郎ぎみを大切に思う人間がたくさんおります」
「あ…」
「ほんのわずかで結構です。どうかその者たちの気持ちもお考えくださりませ」
「藤十郎…」
「もちろん私も妙も、山崎様も…皆、三郎ぎみのお幸せを願っております…」
「と、藤十郎…っ」
 
 三郎は今まで堪えてきたものが溢れ出たように、肩を震わせ始めた。感情表現が豊かといわれる三郎だが、実のところ、誠之進以外の者の前では滅多に涙は見せなかった。堀の前で瞳を潤ませながらも懸命に泣くまいとする姿は、健気で哀れを誘う。

 他の少年相手なら女々しい奴めと叱咤するところだが、なぜか三郎にはそう言えなかった。堀でさえもそっと抱きしめてやりたくなる。

 殿様が誠之進を手討ちにしようとしたのは、多分に嫉妬がまざっていたのではと堀は推察した。三郎と割りない仲になっただけでなく、出奔という誠之進の大胆な行動は、信輝公の劣等感をまともに刺激したに違いない。身を捨ててお互いを庇おうとした二人の前に、武家社会のしがらみに縛られ、お牧の方や田安家に正面切って否と言えぬ自分が、いかにも小心で情けなく思えたのやもしれぬ。

 堀は希望を捨てていなかった。

 信輝公は何のかんのといっても三郎がかわいい。一度は誠之進に刃を向けたが、悲嘆にくれる三郎の姿をこれ以上見るにしのびないはずだ。参勤交代の一行が江戸へ立つのは八月下旬。それまでに何としてでも片をつけようと堀は心に期していた。


つづく


「炎夏」「秋草」2
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イラストは「十五夜」さんからお借りしています。


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