十八の巻
「乱舞」2




by 戸田采女

 十四日の夜、惣一郎は右近の宿直(とのい)部屋を訪れるのではなく、自分の居室に右近を召し出した。右近は小袖に袴を着け、一分の隙もなく身なりを整えて、惣一郎の居室へ向かった。

『左様な意地を張らずともよいではないか。どうせ着物などすぐに脱がされるのだ。寝間着姿で来るのが嫌なら、せめて楽な着流しでくればいいものを。もっとも身供のほうは脱がす楽しみもあるゆえ…どちらでもよいがな』

 惣一郎に鼻で笑われたように、自分とて抱かれるために出向くのは百も承知だ。それでも自分は本来、別の役目で惣一郎に仕えるもの。周囲にどう思われようが、お手付き小姓とは違うのだという自負が右近にはあった。

 今宵の当番は小姓頭の仙之丞だった。

  三年前、右近が初めて惣一郎の伽をしたときも、控えていたのは仙之丞だった。仙之丞は何もかも心得ていると同時に、ふたりの閨のことを知っている。正確に言うと、息づかいや洩れる声を襖の向こうで聞かれている。

 惣一郎の居間で仙之丞と目を合わせた瞬間、右近は複雑な思いに揺れた。秘事を分け合う安心感と羞恥が、右近の中で背中合わせに存在した。

 寝間着姿の惣一郎と雑談をしていた仙之丞は、右近が顔を見せると早々に下がろうとした。
「では私はこれにて」
「うむ」
仙之丞はまず惣一郎に、次に右近に向かって一礼して、無言で部屋を出ていった。次の間の襖をたてようと仙之丞がこちらを向いて一礼したとき、
「仙之丞、今宵はそこで宿直せい」
上座に坐った惣一郎が意外なことを言った。

 右近が惣一郎の居室で夜を過ごす時、当番の小姓は次の間からも外すのが、中屋敷の暗黙のしきたりとなっていた。

(何のおつもりか…)

 右近は睫の隙間から黙って惣一郎の横顔を見た。
視線を感じた惣一郎が、ゆっくりとこちらを振り向いた。
唇の端にかすかな笑みを浮かべ、ひたと右近を見つめている。
仙之丞も怪訝そうな顔をしつつ、とりあえず一礼して淡々と引き下がろうとした。
「仙之丞」
「はっ」
「必ずそこに控えておれ」
「若殿…」
「よいな」
こうまではっきり命じられれば逆らうわけにもいかず、仙之丞は「御意」と短く返した。軽い音とともに襖が閉まり、仙之丞の姿が消えた。

 居間の中、右近と惣一郎はふたりきりになった。

(何ゆえ仙之丞に斯様なことをお命じになる…?)

 惣一郎の真意ははかりかねたが、どのみち主人の命に右近は逆らえない。右近は軽い溜息をついて惣一郎を見上げた。

 寝所は居間の奥にある。

 どうせ『寝る』のだから、ここで顔を突き合わせていても仕方なかろう、と右近は思わず事務的に考えてしまった。それを読まれたのだろうか?

 惣一郎の眉が一瞬曇った。

 惣一郎は黙って立ち上がると寝所の襖へと歩み寄った。惣一郎がやや乱暴に襖を開けると、有明行灯に照らされた白い絹夜具がぼんやりと浮びあがった。

 右近の部屋へ惣一郎が忍んでくるときや、出会茶屋で逢瀬を楽しむときとは違い、惣一郎の居室へ召し出されるのは儀式めいた趣きがあった。主従という関係をより強く意識させる。今年の春、中屋敷へ戻ってからは、右近がこちらへ呼ばれることは少なく、ほとんど惣一郎が右近の宿直部屋を訪っていた。

 今宵はいったいどうなさったのだろう?

 主人の常とは違う様子に、右近はかすかな不安を覚えた。

                   *
    

「そこへ横になれ」
絹夜具の上を指差され、右近は着衣のまま大人しく身を横たえた。
惣一郎が側に膝をつき、身を乗り出して右近の袴の紐を解く。袴を脱がされ、帯は解かずに小袖の袷を開かれる間、右近はぼんやりと天井を見上げていた。
 
 暖かい唇に胸の突起を含まれ、意識がこちらへ引き戻された。
仙之丞に次の間に残れといったり、先程から惣一郎の様子がおかしい。不機嫌なのかと思いきや、触れてくる唇はいつものように優しく、濡れた舌で転がすように愛撫されると、それだけで鼻にかかった甘い声が洩れた。

 いきなりはしたない声をあげた自分を恥じ、右近はふたたびきつく唇を引き結んた。

 惣一郎は時折上目使いに右近の反応をうかがう。まともに目を合わさぬよう睫を半ば伏せながら、右近はそっと惣一郎の肩に両手を置いた。

 惣一郎は胸への愛撫を続けながら、右手で右近の裾を割る。しばらく下帯の上から右近を撫でさすり、形が露になり始めると下帯の中に手を入れて引きずり出した。

 右近が浅く息をつきながら、惣一郎の手の動きに素直に身を任せていると、
「いかがした? 近頃そなた、閨でも上の空だな」
右近のものをゆるゆると扱きながら惣一郎が耳もとにささやく。
「そのようなことは…決して」
惣一郎は一瞬手を止めて少しきつめに握りこんだ。
「何か、心にかかることでもあるのか?」

 右近は思わず目を見開いた。

(まさか…。誠之進の謹慎を御存知なのか?)

 わき上がった疑問に、右近の心の臓がとくんと鳴った。

「いえ…」
否定しながらも、右近の胸の動悸は隠せないほどに高まっていく。
身体の中心を惣一郎に押さえられ、どのみち逃れるのは無理だとおもった。
だが乱れる心の音の正体を、惣一郎に暴かれたくはない。

 右近は惣一郎の首に両腕を回し、引き寄せるようにして唇を重ねた。
柔らかい唇を軽く啄み、自分から舌を差し入れた。
すかさず惣一郎の舌に捕らえられ、奥へ奥へとくちづけが深くなった。
右近は貪るように舌を絡めて惣一郎を誘った。

 やがて息を乱しながら、どちらからともなく唇を離すと、惣一郎が低く呟いた。

「そなた…嘘がうまくなったな」

 右近は息を呑んだ。

 惣一郎の悲しげな双眸に捉えられ、右近はいたたまれずに睫を伏せた。

 まだ胸の裡を語りたくはない、さりとて言い訳がましいことも言いたくなかった。

 確かに今は誠之進を助けることで頭が一杯だが、断じて惣一郎を裏切っているわけではない。

 惣一郎は押し黙ってしまった右近の項に手を伸ばし、軽く撫でさすった。
問いつめて聞き出そうという気配は感じられない。
憂いを含んだ熱っぽい瞳で、じっと右近を見つめるだけだった。

 思えば再会以来、ふたりの間で誠之進の名を口にしたことはなかった。

 右近は身の裡に燻る恋の熾き火が完全に消えるまで、誠之進の名を口にすまいとした。

 惣一郎は?

 惣一郎は恋敵の名など敢えて口にしたくないと、ただそれだけのことなのだろうか?

 『嘘がうまくなった』といいながら、『嘘』を暴こうとしない惣一郎。

 哀れみとも愛しさともつかぬ感情につき動かされ、右近は惣一郎の背をそっと抱きしめた。



つづく


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