|
狂乱の一夜を過ごした後、三人は一種の虚脱状態に陥っていた。
それでも仙之丞は小姓頭という自分の立場をいち早く思い出した。当番の者が起き出してくる前に、乱れ切った寝所を何とかせねばなるまい。仙之丞は夜が白みはじめると身支度を整え、まずは右近を湯殿へいざなった。
鬢を整え、小袖袴をつけて辞去する右近を、惣一郎は無言で見送った。
仙之丞は右近を湯殿に連れてくると、かいがいしく世話をした。疲労の極みにあった右近は拒むのも億劫で、仙之丞のするがままに身をまかせた。
仙之丞は右近が着物を脱ぐのを手伝い、自分は襷をかけ袴の腿立ちをとって、共に湯殿にはいった。
檜の小椅子に腰かけた右近の背後に控え、仙之丞は生温い残り湯を手桶にくみ、ゆっくりと右近の項や背を流していった。手拭いを湯に浸し、後ろから右近の首筋や胸も手早く拭いていく。決して素手で触れぬよう、細心の注意を払っているのが右近にもわかった。
上半身を流し終えたところで、
「あとは自分でやる…」
右近は短く呟いた。
「心得ました」
仙之丞は一礼して引き下がろうとした。
「仙之丞…」
思わず呼び止めた右近だったが、
「…雑作をかけた」
それ以上、言葉が続かず沈黙した。
「右近さまっ…」
思いつめたような仙之丞の声が右近の背に迫った。
「お、お許しくださいませ」
仙之丞が音をたてて簀子の上に平伏し、
「二度と、あのようことはっ…」
皆まで言い切れず、右近の背後で仙之丞は声を詰まらせた。
右近は背を向けたまま、
「わかっておる、御事(おこと)のせいではない…」
「右近さまっ」
「御事を巻き込んで…悪かった」
「わ、わたくしは!」
後ろで激しく頭を振る気配がしたが、右近は振り返らずに続けた。
「…もうよい。忘れよう」
溜息とともに呟けば、背後で仙之丞が息をのんだ。
「忘れてくれ…仙之丞」
右近の二度目の呼びかけに、仙之丞は涙声で『承知』と短かく返した。
*
自室に戻った右近は、早々に夜具をのべて横になった。仙之丞が持ってきた白湯をありがたく飲み干すと、後は泥のような眠りに引き込まれた。
肉体的な疲労が激しく、所々細かい記憶が怪しくなっていたが、惣一郎との閨に仙之丞が呼び込まれたこと、その後、惣一郎に命じられた仙之丞が自分に何をしたか、忘れてはいない。
惣一郎は仙之丞に右近のものを吸わせ、肌に触れ、蕾を指で嬲ることは許しても、最後まで仙之丞と右近が番うことは許さなかった。
右近とて仙之丞が以前から自分を敬愛し、仄かな恋情を抱いていることには気付いていた。だが惣一郎に誠心誠意仕える仙之丞が、主人の目を盗んで右近に触れるなどあり得ぬ話だ。惣一郎の寵愛を受ける右近の側としても、そんな仙之丞の想いに感謝しつつ気付かぬふりをするのが精一杯の情けである。
それを惣一郎はあんな形で、中途半端に禁を解いた。
仙之丞を恨む気持ちは毛頭ない。むしろ哀れに思えてならない。
右近に『触れて』しまったことで、仙之丞はこれから苦しむだろう。
昨夜の『狂宴』は惣一郎の右近への罰だったのか?
なれど一番傷付いたのは、いわばふたりの痴話喧嘩に巻き込まれ、純情を弄ばれた仙之丞ではないか一一。
鉛のような重苦しい眠りの中で、右近はほろ苦さを噛みしめていた。
*
右近は大人しく仙之丞につれられて湯殿へ行き、身を浄めたのち宿直部屋に戻った。疲労のあまりすぐに眠りに落ちたという。
湯殿から戻った仙之丞はひとり淡々と夜具の後始末をし、やがて五ッ(午前8時)には当番の小姓が出仕してきた。またいつものように朝の日課が始まる。髭をあたり、月代を剃る、髪をあげる。身支度を整えた後は朝食だ。惣一郎は食欲などまったくなかったが、年若い小姓の給仕で膳部に申し訳程度に手をつけた。
食事中、仙之丞が今日の予定を惣一郎に告げた。
「午前中は特に何もござりませぬゆえ、ごゆるりとおくつろぎください」
「うむ」
惣一郎はうなずきながら、『昨日の今日で何をする気になるというのだ』と仙之丞に目配せしたが、あっさりと黙殺された。
「夕刻、申の刻(午後四時)にこちらを出て、上屋敷のほうへ参りますゆえ、半刻前にはお支度にかからせていただきます」
「さようか。よきにはからえ」
惣一郎は軽く鼻を鳴らして、膳部にことりと箸を置いた。
(まるで囚人じゃな…)
どんなに気が重くとも、上屋敷の行事に世嗣の自分が出席しないわけにはいかない。己の意志に関係なく、家臣たちの言うままに右から左へと動かされ一一。
(囚人でなければ、ただの傀儡よの…)
結局のところ、若殿の、藩主の暮らしなど、女や小姓を寵愛する以外、何の楽しみがあるというのだ。
「それと一一」
上の空になりかかっていたところへ、仙之丞の凛とした声音が聞こえた。
「右近様は大層お疲れの御様子にて、今日一日、お暇をいただきますゆえ…」
「好きにするがよい…」
「上屋敷には参られませぬが、よろしゅうございますな」
念を押す仙之丞のしつこさが勘に触った。
「好きにせよと言うておるっ」
惣一郎は苛立たしげに叫ぶと、膳部を蹴り倒さんばかりの勢いで立ち上がり、足を踏みならして部屋を出ていった。
*
その夜、上屋敷で十五夜の月見の宴が催された。
庭に面した小書院に、江戸家老の武村、留守居役の岩田や奉行たち江戸屋敷の幹部と、奥からは信輝公正室・お牧の方、惣一郎正室・綾とその侍女たちが一同に顔を揃えた。当初は小姓頭の仙之丞が同行する予定だったが、さすがに夕べのこともあり、惣一郎は始終仙之丞が側に控えているのは気詰まりだった。代わりに竹弥を指名し、仙之丞もそれに同意した。
今年は岩田のはからいか、踊りの一座が呼ばれていた。笛や太鼓も伴ったこっけいな出し物が、いかにも俗物の岩田の好みらしい。派手好きな母・牧の方は一緒になって楽しんでいるようだが、室の綾姫は相変らず表情が乏しく、人形のようにその場に座しているだけで、楽しいのかつまらないのか皆目わからない。
(父上が在府のおりは、能役者を呼ぶのが習わしなのだがな…。今年は賑々しいことよ)
幇間のごとく重臣たちの間で酌をする岩田を、惣一郎は上座から冷たく一瞥した。
母・牧の方や綾姫と並んで上段の間の座し、惣一郎は気怠げに脇息に肘を預けていた。いくら今宵は無礼講とはいえ、浴びるように酒を呑む惣一郎に、江戸家老の武村やお年寄の藤江が時折たしなめるような視線を送ってくる。惣一郎は周囲を完璧に無視して己の思考に沈んだ。
奥へ泊まるたびに、今宵こそはと綾のお付きの侍女たちが目の色を変えている。一日も早くお世継ぎをという期待感が、あちこちに充満して息苦しいほどだ。
大名家の世嗣など所詮種馬と同じ。
血を絶やさぬよう、お家を潰して家臣を路頭に迷わせぬよう、世継ぎを作れというのなら、その役目、立派に果たしてやろうではないか。どうせ身供など、それ以外に存在価値はないのだ。
(右近、そなたとて、腹の中ではそう思うているのであろう?
身供がどれほど愛しんでも、そなたは家臣として忠実に仕えてくれるのみ。
昨夜のようにどれほど閨で苛んでも、翌朝には家臣の顔で、一分の隙もなく身支度を整え挨拶してのける。
ならば家臣として身供に望むものはなんだ? 昇進か? 加増か?
それすら、そなたは既に己の実力で成し遂げている…。
もはや身供の出る幕などないではないか一一)
惣一郎は胸の底から鈍い溜息をつき、一気に杯を干した。
一刻も早くこの空騒ぎの宴が終わることを祈りながら、惣一郎はふと父のことをおもった。
父も若い頃、自分と同じ虚無を感じていたのだろうか?
趣味の絵画に打ち込むというても、所詮は大名の暇つぶし。国政も筆頭家老の溝口主膳に任せきりの父は、いったいどこに生き甲斐を見い出していたのだろう?
母との間に二男をもうけ直系の血を残したあと、父は国元で『おひろ』という野の花を見つけた。血を残すという藩主として最大の義務は果たしたのだ。その後、父が初めて自分で見つけて手折った花がおひろだった。母には申し訳ないが、おひろに傾いていった父の気持ちは痛いほどわかる。
おひろはまことに父のことを愛したのだろうか?
見初められ、城に召し出され、ただ一方的に寵愛されただけだったのだろうか?
藩主に見い出されたのが己の運命と、甘受していただけなのか?
尋ねたくともおひろは既にこの世にない。
惣一郎は一度父とゆっくり話がしてみたかった。
おひろの忘れ形見の三郎にも会うてみたい気がした。
*
気がつけば鳴り物の音は止み、踊りの一座も去っていた。
惣一郎が杯を手にしたままあたりを見回すと、座敷で歓談していた重臣たちも、お互いに挨拶を交わしている。そろそろ退出の潮時かと竹弥が惣一郎に耳打ちした。
惣一郎が脇息から身を離して立ち上がると、藤江や綾の侍女がはっと顔を上げた。
「少し庭を歩きたい」
惣一郎が小声で竹弥に告げると、竹弥は一足先に濡れ縁にでた。
「誰か、お履物を持て」
庭先に控えていた下男に命ずる。
惣一郎もゆっくりと座敷を横切り、書院の濡れ縁に出た。
物言いたげな女たちの視線を背中に感じ、惣一郎は仕方なく振り返った。
「綾…あとで参るゆえ」
短く言い置くと、下男の用意した履物をはき、階段から庭へ降り立った。
竹弥ひとりだけを従え、惣一郎は虫の音すだく庭をそぞろに歩いた。
夜の高みに玲瓏たる孤高の月があった。
無性に…右近の鼓が聞きたくなった。
乱舞 了
|