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八月十九日。
稲穂が黄金色に色付き始め、抜けるような秋空が広がる中、高山藩主・結城因幡守信輝の行列は予定通り江戸へ発った。
今回は異例のことながら、信輝公たっての願いで三男・三郎とその側近、溝口誠之進が行列に付き従い、関川宿まで見送ることとなった。出立間際になって、信輝公が途中の関川宿で三郎の祖父・久右衛門と母・おひろの墓参をすると言い出したのだ。
行列の行程、宿泊の手配など、一度決めたことを変えるわけにはいかない。宿をキャンセルしたりすれば、莫大な違約金を払わねばならないからだ。墓参の時間をねん出するため、参勤行列は途中の行程を急ぎ、できるだけ早い時間に関川宿へ着けるよう苦心惨憺した。
此度、江戸へ随行する中老は奥野将監。たとえ一刻なりとも、殿様が数名の側近とともに別行動することに難色を示したが、頑として譲らない信輝公に折れる形となった。
敵対する溝口誠之進が赦されたことで、奥野は御用部屋での己の立場が一気に弱まったのを感じていた。春以来、江戸の内藤帯刀から指示を受け、重臣屋敷に次々に怪文書を投げ込ませたのは奥野だった。養子縁組の儀で追い詰められた誠之進が、三郎を連れて出奔をはかったとき、ついに自分や内藤の企てが奏功したかと、奥野は内心小躍りしたい気分だった。今こそ誠之進の息の根を止める好機と、茶坊主を使って本丸の殿様の居室に結び文を残した。
しかし最後の最後で奥野の期待は裏切られた。誠之進はお手討ち寸前に相なったものの、結局、殿様は思い止まり、誠之進は二ヶ月にわたる謹慎ののち、三郎の側近として復帰した。
事実上、殿様がふたりの仲を認めたも同然であった。
誠之進の父・溝口主膳は引き続き筆頭家老を勤め、誠之進は西の丸の用人を仰せつかった。
行列の中ほどを行く藩主の乗り物の後ろ、徒士目付の一団との間に、誠之進と三郎が仲良く轡を並べて付き従っている。
殿様が許した以上、三郎との仲は誠之進の弱味ではなくなった。切り札は効力を無くしたのだ。形勢は逆転し、いまや本田家との縁組みを持ち込んだ留守居役の岩田善次郎に対し、重臣たちの非難の声が高まっていた。となれば岩田と組んだ内藤帯刀の御用部屋復帰など夢のまた夢。当然、帯刀の藩金流用に連座していた奥野の立場も危うくなる。
此度、江戸で帯刀に合流し、一刻も早く善後策を講じねばと、奥野は焦りに焦っていた。
強行軍のおかげで参勤行列は予定より早く関川宿についた。殿様と側近は三郎の母の実家でもある本陣『加賀屋』へ、中老の奥野は脇本陣に入り旅装を解いた。当初、行列の責任者でもある奥野は墓参への随行を申し出たが、『すまぬが身内だけで参りたい』との信輝公の鶴の一声にあえなく引き下がった。
脇本陣の二階の窓から『加賀屋』の様子をうかがえば、ひと休みした殿様が警護の者数名を引き連れ表に姿を見せた。三郎、誠之進とともに騎馬で『加賀屋』の菩提寺、『国昌寺』に向かう模様だ。
時刻は申の刻(午後四時)を回ったところで、西の空が茜色に染まり始めていた。
(いかがする…あとをつけるか?)
三人がいったい何を語り合うのか、知りたくてたまらぬ奥野だったが、他の随員の手前、中老の自分が密偵のごとき真似はできまい。
(おのれ、誠之進…。このままでは済まさぬぞ)
栗毛の馬にまたがる誠之進の背を睨めつけ、奥野は憎々し気に呟いた。
***
夕暮れ前、殿様と三郎、三人で訪れた国昌寺には、萩の花が咲き乱れ薄の穂が秋風に揺れていた。三年前、三郎の祖父・加賀屋久右衛門の葬儀に訪れた日と、同じ季節、同じ風景が誠之進の胸に迫った。
警護の武士を墓地の入口に残し、誠之進と殿様、三郎は三人だけで久右衛門とおひろの墓に参った。信輝公は手ずから花を供え、線香をあげ、墓前で合掌する。土の下に眠るおひろは三郎の母であり、信輝公がこれまでの生涯でもっとも愛した女だった。瞑目して墓標の前に立ち尽くす信輝公。何を思い、おひろに何を語りかけているのか…。
誠之進と三郎は信輝公の後ろに控え、それぞれの思いを胸に殿様の背中を見つめていた。
やがて面をあげ、信輝公が二人を振り返った。信輝公が目顔でうなずき後ろへ下がる。入れ代わりに三郎が墓前に進み出て花をたむけた。誠之進は後ろに控えながら、三郎とともに厳かに合掌し、瞑目した。
*
ふたたび三郎の母と祖父の墓に参ることができた。
しかも三郎との仲を暗に許され、殿様と三人で。
斯様な日が来るとは…二ヶ月前には考えられなかった。
当時の大名としては珍しいくらい、信輝公にはまったく衆道の趣味がなかった。高山城や江戸藩邸にも美しく聡明な小姓を沢山召し抱えているが、伽をさせたことなど一度もないらしい。
其の趣味がなければ、愛しさが募った結果、三郎と契った誠之進の心情は理解し難いだろう。『守役の身でわが息子を手ごめにするとはけしからぬ』と、思わず刀を振り上げたお気持ちもわかる。よくぞお許しくださったものだと、誠之進は信輝公の度量の大きさに改めて感じ入っていた。
寵童を持たぬだけでなく、元来漁色家ではないのか、信輝公は側室の数も極めて少なかった。
おひろが存命であったなら、おそらくは生涯他の側室は持たず、ふたりで仲睦まじく暮らしたに違いない。三郎も同腹の弟妹に囲まれ、城の奥で賑やかに育ったやもしれぬ。
誠之進は信輝公の三郎への愛情の深さを思った。
一昨日、堀藤十郎が西の丸を訪ない、誠之進と半刻ほど話をしていった。信輝公が月見の夜、堀に吐露した胸のうちを伝えに来たのだ。堀の話はひとつひとつ誠之進の心に染みた。
舅となる本田忠直の性癖に一抹の不安を覚えながらも、母方の後ろ楯のない三郎に確かな地位を与えたい。五万石の領主の座を手に入れてやりたい、との親心。
本田忠直の件、江戸の元留守居役・堀田又左衛門までもが警告するのだから、根も葉もない偽りとは言わぬが、まさか孫娘の婿となる三郎に手は出すまい、と信輝公は思った、否、思いたかったらしい。
誠之進と三郎が出奔を企て、頓挫してからふた月。
此度、江戸へ出府するにあたり、信輝公はもはや三郎の件で正室・牧の方、義兄・田安慶久の言いなりにはならぬと、秘かに決意を固めているという…。
*
墓参をすませた三人は、本堂の縁側で住職の点てた茶を馳走になった。縁側に腰を降ろした殿様と三郎から少し離れた場所に、誠之進は大刀を外して端座した。
茶を喫しながら、三人は関川までの道すがらに見た領内の様子について、静かに語り合っていた。黄金色の稲穂が実る田畑を己が目で見て、信輝公は大層安堵したらしい。
「この様子なら『半知借上』(俸給の五割カット)は今年限りですみそうじゃな」
「御意」
「国許の藩士たちには辛い思いをさせた…」
「いえ、二年続きの天災なればいた仕方ないことと、皆納得しておりまする」
「まこと、そうであればよいが…」
「御心配には及びませぬ」
口元に微笑を浮かべてうなずく誠之進の横から、
「父上」
三郎が口を挟んだ。
「昨年末の救い米といい、用水路の普請といい、父上が命を下されたおかげで、下々の暮らし向きが楽になると、皆喜んでおりまする」
「なぜそなたが斯様なことを知っておる?」
「女中の『さと』や藩校の生徒が申しておりました」
「おお…そうであったか」
信輝公は満足そうにうなずいた後、誠之進にちらりと目配せした。
「…誠之進、そなたら親子の功績じゃな」
「殿、何を仰せになります! 私はただ命じられた通り、普請の差配を行っただけに…」
「謙遜せずともよい」
信輝公は皆まで言わせず微笑を浮かべて遮った。
誠之進が褒められて嬉しいのか、三郎は満面に笑みをたたえている。
何やら照れ臭くなったところへ、
「誠之進」
信輝公がふと真顔に戻って呼びかけた。
「はっ」
「これからも…末永う藩士領民のために尽くせ」
心を込めた藩主のひとことに、
「ありがたきお言葉にござります」
感じ入った誠之進はその場に平伏した。
本丸で月見の宴が開かれた数刻前、信輝公は用人の青木を溝口邸に差し向けた。謹慎は今日限りと言い渡され、突然のことに驚く誠之進に、青木は『本日中に西の丸に戻り、これまで通り離れを住居とし、三郎ぎみの側近く仕えよ』と申し渡した。
だが、あの日以来、信輝公がこの件で誠之進に直接言葉をかけたことはない。
殿様としても、誠之進が三郎と契ったこと、赦すの赦さないのと面と向かって言えるものではないだろう。
誠之進は頭を垂れたまま、神妙に信輝公の言葉に耳を傾けていた。
「そなたの命…予が一旦預からせてもろうた」
「殿…?」
言葉の真意を計りかね、誠之進は問うように信輝公を仰ぎ見た。
「そなたの命…まことに時が来たとき、三郎のために捨てよ」
「殿…」
「命のやり取りをするような騒乱、わが家中で起こらぬにこした事はないが…」
殿様はすがるような眼差しで誠之進を見た。
「万一事あらば、そなたの命に代えても三郎を守ってくれ…」
「御意」
信輝公の深い親心が胸に染みる。
「殿、これからも…私がお側にいてよろしいのでしょうか?」
信輝公はしばし沈黙した後、口元に薄い笑みを浮かべ、
「三郎は…やはりそなたにしか託せぬ」
吐息とともに呟いた。
「…と、殿っ」
(守役の身でありながら、三郎ぎみと身体で契ってしまった私に…すべてを承知の上で三郎ぎみを託すと…!)
誠之進と目を合わせ、信輝公がゆっくりとうなずいた。
誠之進は熱くこみあげるものを堪えながら、脇に置いた大刀を引き寄せ、
「溝口誠之進、天地神明とこの『和泉守国貞』にかけて…必ずや三郎ぎみをお守りすると、誓いまする!」
腹の底から力強く約定した。
信輝公は柔らかく微笑むと、
「そのような大業物、予が持っていても宝の持ち腐れじゃ。そなたの腰にこそふさわしいの」
「殿っ…」
「頼んだぞ、誠之進」
「はっ」
『和泉守国貞』
ふた月前、信輝公が誠之進を手討ちにするべく振り上げ、後に誠之進に下された山城国の名刀だった。
誠之進の端正な面が男泣きに歪んでいた。
*
森閑とした山あいの寺に、申の下刻(午後五時)を告げる時の鐘が響いた。
足音とともに警護の者が本堂前に姿を見せた。
「殿…そろそろ本陣へお戻りくださりませ」
「うむ」
首肯して立ち上がる殿様に、三郎と誠之進も無言で続いた。
すかさず警護の数人がさりげなく回りを囲み、一行は国昌寺を後にした。
門前で見送る住職を振り返り、誠之進は軽く会釈した。
暮色が迫る山道を馬の背に揺られて行きながら、誠之進は信輝公との誓いを己が胸に深く刻みこむのだった。
***
翌、二十日早朝、高山藩結城家の参勤行列は北国街道を信越国境に向けて旅立った。
別れ際、見送る誠之進と三郎に、信輝公は雪が降る前に一度江戸へ出てくるよう命じた。三郎を世継の惣一郎に対面させるという。
「兄上に、お目にかかれるのですか?!」
声を弾ませて見上げる三郎に、信輝公はしかとうなずいた。
「惣一郎の方は何年も前から、そなたに一度会うてくれると申しておった」
「あ、兄上が…」
三郎は黒目がちの眸を潤ませんばかりに感激している。
「ようござりましたな、三郎ぎみ」
惣一郎と三郎の対面は、誠之進も以前から望んでいたことだ。
殿様がここへ来て会わせる決意をしたということは…。
「三郎…。分家の話、江戸で惣一郎と相談してみよう」
「父上?!」
「殿っ!」
期せずして誠之進と三郎が同時に声をあげた。
信輝公は苦笑しつつ、
「案ずるな…そなたを本田家にはやらん」
きっぱりと言い捨てると、乗り物に乗り込んだ。
近習の者が乗り物の戸を閉めると、信輝公自身がすかさず中から小窓を開けた。
誠之進と三郎は乗り物の横に控え、片膝をついた。
驚愕に目を見開き言葉もない二人を、信輝公は代わる代わる慈しむように見つめた。
「後日、出府の日取りを書状で伝えるゆえ…朗報を待っておれ」
「はっ。心得ましてござります」
誠之進は低く頭を垂れた。
信輝公の慈悲と子を思う心に、誠之進は深く感じ入っていた。二ヶ月前のあの日、自分が公にぶつけた言葉を反芻し、忸怩たる思いである。誠之進は心の中で数々の非礼を詫びた。
「三郎、達者で暮らせ」
「父上も…道中お気をつけて」
しんみりと目を見交わす藩主親子を横から見ているだけで、誠之進の胸にふつふつと熱いものがわき上がった。
出立の号令が響きわたる。
六尺が進み出たのを機に、三郎と誠之進は乗り物の側から離れた。担ぎ上げられた乗り物が地面から離れ、ゆっくりと進んでいく。
「父上っ」
三郎がひと声、追いすがるように声をかけた。
乗り物の後ろをいく徒士目付の一団が、加賀屋の前に立つ誠之進と三郎に、笠の下から軽く目礼して通り過ぎていった。
誠之進と三郎はそっと手を握りあい、遠ざかる藩主の乗り物をいつまでも見送っていた。
出立 了
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