二十一の巻
「国許よりの書状」2




by 戸田采女

 未の刻(午後二時)、若党ひとりを連れ、堀田又左衛門(隠居した前留守居役)は駕篭で中屋敷に到着した。惣一郎をはじめ、右近や小姓一同総出で歓待した。仙之丞など古株の小姓は、上屋敷にいた頃、堀田の薫育を受けている。彼等にとっても堀田は懐かしい存在だった。

 右近は玄関で挨拶をすませたのち、客人を迎えるべく一足先に茶室へ向かった。本日亭主を勤めるのは右近だった。

 正客は主人の惣一郎。次客に堀田、仙之丞も末席に控えることを許された。

                  *
 
 まずはなごやかにお互いの近況を語りつつ、茶会は進んだ。正客の惣一郎、次客の堀田まで茶が行き渡り、右近が仙之丞の分を点てはじめた頃、堀田がおもむろに切り出した。 
 
「じつは先日、殿から早飛脚にて書状が届きましてな」
「ほう…父上が直々に?」
堀田は軽く白髪頭を下げ、
「溝口誠之進が謹慎申し付けられた一件、若も藩邸の誰ぞからお聞き及びかと存じまするが…」
惣一郎は無表情のまま、ちらりと右近をみやった。
右近はさりげなく視線を流すと、柄杓を手にとり茶釜から湯をくんだ。
すでに結末を知っている右近は、睫の隙間から惣一郎をうかがいながらも冷静に点前を続けた。

「…確か、本田家との養子縁組に反対し、誠之進が三郎を連れて出奔をはかったとか…」
台詞でも読むような口調で、惣一郎は淡々と返した。

(やはり…惣一郎様も御存知だったか。考えてみれば、藩邸に顔を出していれば誰ぞが耳打ちしても不思議はない。ならば、私が落ち着かぬ日々を過ごしていた理由もお見通しか…)

 右近は胸の中で溜息をついた。これで惣一郎の先日の行動にも合点がいった。

 堀田は人の好い笑みを浮かべて続けた。
「殿がお赦しになられましたぞ」
「ほう」
「言ってみれば此度の出奔騒ぎは、三郎ぎみをお守りせねばと勢い余った若気の至り。某、殿の寛大なお心を嬉しく思いまする」
「そうだな…」
惣一郎が片頬で静かに笑った。

 右近は淡々と茶を点てながら、必ず何か意見を求められると身構えていた。だが惣一郎は無言で堀田の言葉に耳を傾けている。右近は点ておわった茶を仙之丞に供した。

「まずもって一件落着。祝着至極にござりますが…。本日某がまかりこした用向きは、もうひとつのほうでしてな」
「何じゃ爺。もったいぶらずに申してみよ」 
「行列が江戸に到着次第、某に上屋敷へ出向くようにとの仰せです」
「父上も爺の顔が見たいのであろう? 到着はいつだ?」
問われた右近が素早く概算した。
「十九日に高山を発ったとすれば、およそ十日、月末には江戸に着かれるのではありませぬか?」
「身供も早うお会いしたいの」
笑みを浮かべてうなずく惣一郎だったが、堀田は意味ありげに眼を光らせた。
「それが…この老いぼれに、再び留守居役を勤めよとの御内意にござります」

 さすがに驚いた右近は思わず目を見開いた。
「では岩田氏は?」
訝る右近に、堀田がさもありなんとうなずいた。
「殿と詳しい話をしてみねばわからぬが、儂が再び召し出されるということは、岩田の罷免を考えておいでじゃろう」
「なるほど…殿も御決断なされましたか」
堀田と右近は静かに目を見交わしてうなずいた。

「そこでじゃ、若」
堀田が惣一郎に声をかけた。
「…なんだ、爺」
惣一郎は膝の上に視線を落としたまま堀田を見ようとはしない。
「とぼけずともおわかりじゃろう。儂が召し出された理由は、まともな後任を育てよということじゃ」
「で、あるからにして?」
「…右近殿を藩邸にもろうていきまする」
憮然として惣一郎は沈黙した。
「若も右近殿をいずれは江戸留守居役にとお望みでしたな?」
「それはそうであったが…」
「その時が参りました」
「爺…」
惣一郎はひと声呟き、絶句した。

「若…。若が右近殿をことのほか御寵愛なのは、某も存じております」
ついに堀田の口からその話題が出たかと、右近は亭主の席でいたたまれぬように俯いた。
「さりながら、敢えて申し上げます。右近殿を…そろそろ一度お手元から放されませ」
幼子に言い聞かせるがごとき口調に、
「何を言うか…爺。み、身供は…」
惣一郎もつい昔に戻ってしまったようだ。
口調だけは偉そうだが、堀田を前にして惣一郎の肩が丸くなっている。

 堀田は惣一郎のほうへ身体の向きを変えると、軽く畳に手をついた。
「若、この者の器量にふさわしい役目をお与えくだされ」
「…中屋敷の用人では不足じゃと申すか?」
「右近殿は誰もが認める家中一の切れ者。藩にとって得難い人材にござる」
堀田は一旦言葉を切ると、
「…伽なぞさせておる場合ではござりませぬぞ!」 
声を潜めて鋭く言った。

「爺!」
「堀田様っ…!」

 主従仲良く同時に叫んだ。ばつの悪さに頬を赤らめた惣一郎の側で、右近はまさしく身の置き場がなく全身を強張らせていた。ちらりと目の端で仙之丞をみやれば、笑い出したいのか、困り果てたのかわからぬような顔で、こちらもまた石のように端座していた。

 それにしても…堀田の言葉はまともに惣一郎の急所を突いたようだ。若殿の惣一郎にここまで言える人物は、かつて守役をつとめた堀田のみであろう。

 惣一郎は眉を寄せて黙り込んだままひとことも発しない。

「若」
「何じゃ、まだ何かあるのか」
ほぼ己の負けを認めながらも、惣一郎は精一杯尊大に構えていた。
「若、江戸における留守居とは、諸藩との付き合いや、主人が御城で遺漏なく御用を勤めるため、なくてはならぬ役目にござります」
「左様なことは今さら言われずともわかっておる!」
「ならば結構」
堀田は満足げにうなずくと、
「留守居役に人を得なかった藩がいかなる運命をたどったか…。大きな声では言えませぬが、元禄の昔、かの『松の廊下』の悲劇も、もとはといえば留守居役の怠慢と一部では語り継がれておりまする…」
「…そなたの言いたいことはもうわかった」
説教はもうたくさんと、惣一郎が溜息をつく。
「やがて藩主の座につかれる若のため、この爺が最後の御奉公として、右近殿を立派な留守居役に育ててみせましょう」
大見得を切った堀田に向かい、惣一郎が片眉をあげた。
「爺が手取り足取り教えずとも、右近ならばそのような役目、雑作もなく…」
「さすれば」
鼻で笑おうとした惣一郎を再び堀田が遮った。
「若もこの者の尊敬に値する藩主におなりなされ」

(堀田様…何もそこまで…)

 傍で聞いている右近が言葉に詰まった。
『今のままでは尊敬に値せぬ』と言外に言ったに等しい。

「爺っ…」
惣一郎の眦が険しくなった。
堀田も負けじと目に力をこめた。
「吉原通いの昔よりは大分ましになられたが、世継ぎも作らず中屋敷でひがな一日絵を描いたり小姓とたわむれ…」
「それは偽りじゃ。私は右近以外のものに伽などさせておらぬ!」

 真顔で言い返す惣一郎の言葉に、思わず顔を袂で覆いたくなる右近だった。

 堀田はふんと鼻を鳴らし、
「これが戦国の世なら、若はとっくに家臣から見限られておりますぞ」
「堀田様! そのようなことは決して! 我らはみな惣一郎様をお慕い申し上げております」
見かねて末席の仙之丞が声をあげた。

 胸に突き刺さることがあるのか、惣一郎はやがて力なく目を伏せた。
「爺…もうよいわ。そなたに言われずとも、身供とてよう身にしみておる…」
惣一郎が再び目をあげて見た先は、堀田ではなく右近だった。
そのまま右近にひたと視線をあてながら、
「爺、右近をいつ連れてゆくつもりじゃ」
かすかな間を置いて、堀田が低く呟いた。
「殿が江戸に入られたのちご相談の上、できるだけ早い時期に」
「相わかった」
溜息まじりに惣一郎が吐き出した。

 惣一郎は観念したような表情で
「爺…右近にはまだ話があるのだろう。ゆるりとしていけ」
ひとこと言い残すと先に退席した。仙之丞もそれに従う。

 右近と堀田は礼をして惣一郎を見送ると、茶室に残り話を続けた。

 「おもいきり小言を言うたら喉が乾いたわい」

 鷹揚に笑う堀田に苦笑しながらも、右近は心をこめて二服目をたてた。


つづく


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