二十一の巻
「国許よりの書状」3




by 戸田采女

 仙之丞と居室に戻った惣一郎は、他の小姓たちを下がらせ、仙之丞とふたりで向き合っていた。

「爺の古狸め…あざといことをする」
脇息に肘をあずけ、手にした扇を閉じたり開いたりしながら、惣一郎は憎々しげに呟いた。
「堀田様のおっしゃるように、留守居役とは藩外交の全権を担うもの。やはり右近様をおいて他には考えられぬのでしょう」
「いや、それだけではない。これは爺の陰謀じゃ」
「はて」
「右近を藩邸に連れ戻せば、身供もついてくると思っておるのじゃ」
「では、そのおつもりなので?」
「…す、すぐには戻らぬがな」
悔しげに口ごもる惣一郎。
仙之丞は込み上げてくる笑いを押さえるのに苦労した。

「留守居など…気苦労ばかり多い貧乏くじではないのか。『御城使』には右近のような者がおれば安心だが、留守居役組合の付き合いとやらで、先輩の接待が大変ときくぞ」
「ようお調べになりましたな」
「身、身供はべつに…」
「たしかに、右近様は本来…勘定奉行あたりが適任かもしれませぬ」
「そうであろう?!」
惣一郎はわが意を得たりと、手のひらに閉じた扇を打ち付けた。

「なれど留守居役も立派にこなされるでしょう。御心配には及びません」
「何じゃ、わかったような口を聞きおって…」
惣一郎は面白くなさそうに鼻を鳴らした。

 しばらく仙之丞がだんまりを決め込んでいると、
「のう仙之丞…」
惣一郎が何やら気弱な声音で呼びかけた。
「はい。若殿」
「そなたも…戦国の世なら身供など見捨てて、とっとと仕えがいのある主人のもとへ走るか?」
「何を仰せになるかと思えば…」
仙之丞が呆れたように溜息をついた。

「正直に答えよ」
「そうですなあ…」
仙之丞が腕組みをして考え込むと、
「まともに悩むやつがあるか」
惣一郎は増々落ち込んだ。

「のう仙之丞…」
まだ物言いたげに絡む惣一郎に、
「はい。何でござりましょう?」
仙之丞は忍耐強く応対した。
惣一郎は伏目がちに手にした扇を弄びながら、
「先日は…すまぬことをした」

 若殿からの謝罪に仙之丞は思わず目を見開いた。こんなことは惣一郎に仕えてから初めてだ。
だが、
「はて、何のことやら某には皆目…」
仙之丞は邪気のない笑みでとぼけてみせた。
「仙之丞…」
惣一郎が困ったように呟いた。
「若殿は、何やら夢を見たのではござりませぬか?」
一瞬、黙って仙之丞と目を合わせたのち、
「…そなたに、悪い夢を見せてしもうた」
惣一郎が眉を寄せた。

「いえ、悪い夢などでは…。骨の随までとろけるような、甘き夢にござりました」
「仙之丞」
「なれど一一」
仙之丞は言葉を切ると、胸の痛みをこらえて精一杯の笑顔を作った。
「夢は一夜限り。同じ夢を二度と見ることはありますまい」
惣一郎がひたと視線を合わせてくる。
「そうだな…」
ひとこと呟いたきり、惣一郎はしばし沈黙した。

                  *

「随分と日が短くなりましたな…」
室内が暗くなってきたのを感じ、仙之丞は障子戸を開けようと立ち上がった。

 惣一郎の居室は南東に面しており、午後になると障子戸のきわまでしか陽が差し込まない。奥の上段の間はかなり暗くなる。縁側の障子戸を開け放てば多少は光りも入り、惣一郎の座る場所からも秋の庭の景色が楽しめた。

 仙之丞は開けた障子戸の側で庭を眺めつつ、

(あの夜のことは…皆が夢と思って忘れればよいのだ。若殿も今さら気に病んでも仕方ないものを一一)

 ふっと軽い溜息をついた。

 (それよりも今は一一)

 右近をいずれ江戸留守居役にというのは、以前から惣一郎も考えていたことだ。藩邸で要職につけば、今のように好きなときに伽をさせるわけぬはいかぬだろう。仙之丞も右近が中屋敷は戻った当初は、しばらく中屋敷でのんびりと若殿の側にいてほしいと思ったが、あれからはや半年が過ぎた。惣一郎が右近を片時も離したくないのはわかる。されど側室ではあるまいし、有能な男の家臣相手にそれを望むのは無理というもの。堀田が言うように、いよいよ時が来たというのなら、右近は留守居役を勤めるべきだろう。

 だが仙之丞が察するに、惣一郎の心にはもうひとつ鬱々とわだかまるものがあった。

(溝口誠之進様とは…右近様のなんなのだ?)

 仙之丞は誠之進と面識がない。
ちょうど誠之進が国許に呼び戻された時期と前後して、仙之丞は惣一郎の小姓として召し抱えられた。

 『誠之進』という名。三年前、惣一郎と右近が初めて枕を交わしたころ、時折ふたりの閨から洩れ聞こえてきた名前だった。そんな時、惣一郎は必ず手酷く右近を責めていた。

 朋輩にそれとなく尋ねても、仙之丞より新しい者が溝口誠之進を知るはずもなく、ようやく知りえたのは誠之進が筆頭家老の嫡男で、現在は三男・三郎ぎみの守役ということだけだった。

 おそらく右近にとって特別な意味を持つ、この名前。

 これまで仙之丞は余計なことは考えず、誠心誠意、惣一郎と右近に仕えようと思っていた。

 だが『溝口誠之進』が何者なのか、今は気にかかって仕方ない。数日前、誠之進からの書状を手渡したときの、右近のあの表情。一瞬で瞳を潤ませ胸の震えを懸命に隠そうとした顔が、仙之丞には忘れられなかった。

 何やら本能的な勘が働いた。溝口誠之進から右近へ手紙が届いたこと、惣一郎には告げず仙之丞は己の胸にしまった。

(右近様の心の襞を覗くような真似をしてはならぬ…)

 そう己に言い聞かせつつも一一。

 右近にあんな顔をさせる男のことが知りたいと、仙之丞は心の底から切望した。




 三日後、右近との名残りを惜しもうと、惣一郎と右近、五名の小姓達全員は二泊三日の旅程で鎌倉へ出かけた。紅葉の季節には少し早かったが、古都の風情を楽しみつつ、江ノ島弁財天や金沢八景にも足を伸ばした。

 一日歩き疲れた小姓たちを宿に残し、夕暮れ時、惣一郎と右近はふたりだけで馬を駆って浜辺へ出かけた。ふたりがそこでどんな言葉を交わしたのか、仙之丞は知る由もなかったが…。皆で膳を囲んだ夕餉の席で、右近を見つめる惣一郎の眼差しから不安の陰は薄れ、包み込むような優しさを取り戻していた。

 すれ違っていた二人の心が少しだけ寄り添ったなら一一。

(祝着至極…)

 仙之丞はことりと箸を置き、小さな笑みを洩らした。


国許よりの書状   了


「国許よりの書状」2「重陽」1
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背景は「十五夜」さんからお借りしています。


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