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櫻田右近は留守居役・堀田又左衛門につれられ、諸藩の留守居役への挨拶回りに多忙な日々を送っていた。
正式には右近はまだ『添役』であったが、堀田は積極的に右近を留守居組合の寄合に伴い、自分の後任として先輩留守居たちに引き合わせた。
留守居組合は江戸城での大名の詰め席ごとに構成されている。高山藩結城家は『帝鑑間』。小田原藩大久保家、郡山藩柳沢家などと席を同じくしている。一般的に言って、石高の多い藩ほど付き合いは閑雅だといわれる。会合と称して頻繁に遊所へ繰り出すような組合もある中、『帝鑑間』の寄合は料亭での宴席や相撲・芝居見物が主だという。吉原は年に数回。時には漢詩の会もあるらしい。
俗塵にまみれるがごとき寄合の付き合いは辛い側面もあったが、料理茶屋や遊所での交遊は、大名家の情報交換の場、それも本音の情報交換の場として極めて重要だ。右近もそれを承知しているからこそ、この役目を慎んで受けたのである。
寄合での言葉使い、しきたりも色々とうるさい。組合の中で老輩の留守居を「大先生」と呼ぶ。新参はかならず麻裃紋付の正装。他は羽織袴の略装だ。つい二、三年前まで堀田がここでは大先生だったが、一度は隠居した身なので、堀田は裃姿で宴席に顔を出した。
「新参ゆえ、よろしゅうお引き回しのほどを」
などと言いつつ、『先輩格』の留守居に酌をして回る愛想のよさだ。それでも決して卑屈には見えぬのが、この老人の持つ風格というべきか。裃姿で現れようと、結局周囲は堀田を『大先生』扱いで鄭重に遇した。
文字どおり『新参』の右近は、裃姿で羽織袴の先輩方の杯を頂戴して回った。前髪はとっくに取れたとはいえ、右近は稀有の美貌である。この白皙の若者を酔い潰して…などと、不埒な企みを抱く者もいたかもしれない。だが、右近の保護者のごとき堀田又左衛門が同席しており、何より右近自身が酒に強かった。
「これはこれは、見事な飲みっぷりでござるな」
などと驚嘆されると、
「越後の男は皆酒につようござります」
右近は涼しい顔で杯を干し、無事留守居としての最初の儀式を通過した。
翌日、右近は全員に礼状をしたため、堀田の助言もあり、『大先生』の小田原藩留守居役、成瀬源五郎に付け届けを送ることも忘れなかった。すべては今後の仕事をやりやすくするため。手間を惜しんではならない。
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九月の半ばに市松と接触して以来、右近は心に重い秘密を抱えながら、日々の役目をこなしていた。
内藤帯刀の密会の相手がほぼ絞り込めたのだ。
だがあまりの事の重大さに、右近は胸が潰れる思いであった。やはり堀田にだけは報告せねばなるまいと思いつつも、できれば自分ひとりの胸に秘め、墓場まで持っていきたい気分だった。
先の留守居役・岩田善次郎が罷免され、内藤帯刀は江戸藩邸における自分の手足を失ったも同然だ。帯刀がけしかけた本田家と三郎の養子縁組も破談。田安殿は顔を潰されたと相当お怒りだろう。風のたよりに岩田が切腹したとも聞くが、市松の報告によると、どうやら岩田は天満屋の霊巌島の寮から川へ飛び込んで逃げたらしい。生きのびた可能性も十分に考えられる。
内藤帯刀もこれ以上立場が悪くなる前に、さっさと国許へ戻って息子の弥一郎に家督させるべきだ。さもなくば内藤家自体の存続が難しくなるやもしれぬ。
それでも右近には、帯刀がこのまま大人しく退場するとは思えなかった。今いちど、最後の悪あがきをしそうな予感があった。帯刀もだが、帯刀の資金源、廻船問屋・島崎屋の動向を探る必要があるなと、右近は胸の中で呟いた。
島崎屋は大坂に蔵を所有しているものの、江戸にはまだ拠点がない。取引き相手や商う品を探るには、国許と大坂の出店を見張らねばなるまい。ここは国許の筆頭家老・溝口主膳にふたたび協力を仰ぐべきと右近は判断した。
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連日外出続きで流石に疲労がたまっていた。ようやく長屋でくつろげる夜が巡ってきたことに右近は感謝した。先月、誠之進から手紙をもらって以来、はや一月以上が過ぎてしまっていた。殿の江戸出府、岩田の罷免につづき、右近が留守居役・添役を拝命と、生活が中屋敷にいた頃とは一変し、御用繁多のあまり落ち着いて誠之進に返事を書く暇もなかった。
堀田の役宅で夕餉を共にしたあと、右近は自室に戻って文机に向った。懐かしい溝口主膳、誠之進親子の顔を思い浮かべつつ、心静かに墨をすり、筆を取った。
ところが主膳への手紙はすぐに書き上がったものの、誠之進への手紙は思うように筆が進まなかった。
誠之進の謹慎が解けて安堵したこと、手紙をもらえて涙が出るほど嬉しかったこと。昨年、誠之進にひとことの挨拶もなく国許を去ったことを詫びたい気持ち…。
思いのたけを素直に書けばいいものを、つい言葉を選び、堅苦しい言い回しをしてしまう。
書き損じの紙があたりに散乱している。留守居の手当ては十分すぎるほどもらっているとはいえ、紙は当時貴重品である。いい加減にせねばならぬなと、右近は苦笑まじりの溜息をもらした。
右近は一旦筆を硯において机から離れると、畳の上に大の字に寝転がった。
岩田善次郎の罷免で、お役目に返り咲いた堀田又左衛門が役宅に移り、右近が堀田の長屋に入った。この部屋はお長屋の中ではもっとも間口が広く、ぜいたくな作りである。江戸家老、留守居役、奉行に次ぐ地位の人間が使う部屋であった。
奇しくもここは、江戸詰め時代の誠之進が使っていた部屋だ。
十八でふたりが江戸へ留学して以来、誠之進が国許へ呼び戻されるまでのニ年間。右近は毎日のようにこの部屋に顔を出していた。柱や襖のあちこちに懐かしさが染み付いていた。
あれからもう十年近くになる。
部屋の主は何度も変わっているはずなのに、こうして同じ天井の木目を見上げれば、自然とあの頃の空気が蘇り、右近を甘酸っぱい気分にさせた。
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誰にも邪魔されず、誠之進と切磋琢磨しながら学び、江戸の町に遊んだ日々。
さして重要な役目も帯びず、ふたりとも気楽な身分だった。惣一郎の供で吉原へもよく連れていかれた。馴染みの遊女のもとへ揚ってしまう誠之進の背を、ほろ苦い思いで見送った幾多の夜。おまえはなにゆえ揚らぬのかと聞かれ、いつも答えに窮した。
曖昧な笑みを浮かべるしかなかった私に、
「おまえより美しい女子など、『呼び出し』の中にも滅多におらぬからな。その気になれぬのもわかる気がするが…」
誠之進はじっと私の目を覗きこみ大真面目で語った。
「戯れ言はよせ」
目を伏せて鼻で笑おうとしたが、見つめられてときめいた胸が鎮まらない。
それなのに私は、
「遊女より美しいと言われて喜ぶ男がどこにおる、ばかもの!」
くるりと誠之進に背を向けて、憎まれ口をたたくことしかできなかった。
前髪がとれて多少数は減ったとはいえ、相変わらず若侍から文をもらうことも多かった。男から『美しい』と言われることに私はいい加減辟易していた。されど同じ言葉を誠之進が紡げば、それは全く違う意味を持ち、切ないほどに胸が震えた。
背を向けたまま黙ってしまった私に、誠之進が案ずるように声をかけた。
「おい、…怒るなよ、右近」
「怒ってなどおらぬっ」
燃えるような頬に歯がみしながら、ぶっきらぼうに言い捨てた。
「ほれ…私のことはいいから、さっさといってこい」
去りがたげな間のあと、
「…あまり、飲みすぎるなよ」
私の背中に向い、誠之進が労るような声音で言い残した。
*
誠之進との吉原での一幕を、右近はしんみりと思い返していた。
月日は容赦なく流れ、ふたりとも世間を知り、汚れも知った。
いまやふたりは同じ家中とはいえ、江戸と国許に離れて暮らし、惣一郎と三郎、別々の主人に仕える身。それも運命なのだ。もはや逆らおうとは思わぬ。
願わくは、藩のため、御家のため、ふたりがいつまでも手を取り合っていけるように一一。
右近は身を起こすと、ふたたび文机に向った。
居住まいを正し、深呼吸をして白い紙に向う。
友を思う純粋な気持ちは昔のままに、今の自分にふさわしい言葉でそれを語ろう。
『溝口誠之進殿』
流れるような筆跡で、右近は今度こそ友への手紙をしたためた。
つづく
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