二十四の巻
「内藤家の男たち」1


by 戸田采女

「ほれ、彩之介さん、そろそろ焼けたよ」
下働きの老爺がたき火の中に棒を突きたて、大ぶりな芋を取り出した。
手ぬぐいでくるんで半分に割ると、ほっくり焼けた芋の間からほかほかの湯気が立ち昇った。
縁側に腰かけた彩之介のもとへ歩み寄り、
「熱いから、気をつけてお食べ」
皺だらけの手が、手ぬぐいごと芋を差し出した。
「ありがとう、いただきます」
彩之介は上目使いに老爺を見上げ、薄いえくぼ浮かべて微笑んだ。
手ぬぐい越しに両手のひらに伝わる熱が、何やら懐かしい気分にさせる。
たき火の煙りが少しばかり目に染みたが、彩之介は喜々として熱々の芋を頬張った。

                   *

 彩之介が上方で内藤家に召し抱えられ、江戸へやってきて以来、はや五ヶ月が過ぎていた。花の季節から五月雨、焼けつくような炎暑を経て、今は九月。江戸湾からの海風も深まる秋の気配を運んでくる。

 穏やかな陽射しが差し込む午後、内藤家嫡男・弥一郎は例によって自室で書見台に向っていたが、頁をめくる手は先程から止まったままだ。細面の端正な横顔が深く物思いに沈んでいる。

 心を悩ませているのは、父・帯刀の動向だった。

 半月ほど前からどうも身辺が騒がしい。

 留守居役の岩田善次郎は、春以来ここ天満屋の寮に足しげく通っていた。それが一週間ほど前、父や奥野将監と何やら揉めた末、二階から川に飛び込んで姿を消した。岩田はこれまで父・帯刀の手足となって江戸で働いてきたはず。いったい何ゆえ、と問いつめる弥一郎に、『岩田の出過ぎた振る舞いで、田安様が多大な迷惑を蒙った。責任をとって腹を切るよう迫ったが、怖じけづいて窓から逃げおった。もはや儂にとっても利用価値なし』と父は冷たく一蹴した。

 岩田は行方知れず。前後して藩主・信輝公が出府され、上屋敷に入られたはずだが、父がご挨拶にあがる気配もなし。仔細はわからねど、江戸へ戻った殿様からお呼びがかからぬ以上、藩政に返り咲く道は閉ざされたと見える。

(これ以上、江戸に留まることに何の意味がある?)

 父・帯刀の意向も、国許の情勢も、何ひとつはっきりと知らされぬまま、父と行動を供にするのが、もはや弥一郎には耐え難くなっていた。

 父・帯刀は次席家老の地位にあったが、藩金流用疑惑から家老を罷免、閉門ののち隠居を申し付けられた。異例のことながら、殿様は嫡男・弥一郎を連座の罪に問わず、家督すること許し、筆頭家老の溝口主膳もこれを認めていた。

 穏便に内藤家を存続させるには、もはや父に義理立てするのはやめ、弥一郎が単身国許に戻り溝口主膳に身柄を預けるのが一番よい。父・帯刀の失脚後、弥一郎は自分はまだ未熟者ゆえと、即座に跡を襲うのを拒んだ。主膳もこれを聞き入れ、しばしの猶予を与えていたが、半年の間に弥一郎にも心境の変化があった。

 殿様や主膳の気が変わらぬうちに自分が国許に戻って家督せねば…。弥一郎の才を惜しみ、一度は寛大さを見せた主膳だが、再び父が騒乱を引き起こせば、内藤家は今度こそ潰されてしまう。

 もともと父・帯刀は分家筋からの養子。弥一郎の中に流れる内藤本家の血は、敬愛する祖父や母から受け継いだもの。それをむざむざ廃絶に追い込んでは、亡くなったふたりに合わす顔がない。

 弥一郎は以前から、真摯に心を通わす藩主三男・三郎と誠之進の仲を暴き立て、それをねたに誠之進を蹴落とそうという、父のやり方に深い嫌悪を感じていた。三郎を傷つけようとする者はたとえ父でも許せない。父に正面から刃向かう決心はつかぬものの、父の野望にこれ以上付き合う気には到底なれなかった。

『彩之介を連れて、いっそ二人だけで国許へ戻るか一一』

 内藤帯刀という軛(くびき)から逃れる戦いが、日一日と弥一郎の中で現実味を増していた。




 一方、帯刀の弟・嶺次郎も、どうしたことか、九月の初め以来『子ども屋』通いもぴたりと止め、天満屋の寮で鬱々と日々を過ごしている。

 女中や老爺たちも、こりゃ天変地異の前ぶれじゃあないかとからかう始末だ。
嶺次郎が台所に居座って、里芋の煮物なぞつまみ食いしておれば、
「なんだい、嶺次郎さん。目当ての若衆に振られたのかい?」
「大きなお世話じゃ」
「またしつこくして嫌われたんじゃろ?」
「どいつもこいつも…儂が家にいるとろくなことを言わぬな…」
板の間に胡座をかき、大きなため息をつけば、
「そんないじけてないでさ、今日はお天気もいいし、彩之介さんとハゼ釣りにでも行って来たらどうだね?」
丸顔で人の好いおとせが元気づけるように声をあげた。
「そうじゃ。今頃のハゼは天麩羅や煮物にするとうまいぞ!」
「ああいうぶさいくな魚は好かぬ。食いたければ、おまえが行ってくればよかろう…」
「あれまあ、魚にべっぴんもぶさいくもあるもんか。いやだねえ…このひとったら面食いなんだから」
居合わせた使用人の間で、どっと笑いが起こった。
「なんじゃい、人をさかなに盛り上がりよって…」
嶺次郎は憮然としてのっそり立ちあがった。
ここも居心地が悪くなった嶺次郎は、ふたたび自室に戻るしかなかった。

 母屋の二階、亀島川に面した西の角部屋が嶺次郎の部屋だった。

 おとせが言うように、窓から見上げる空は申し分のない秋晴れだったが、嶺次郎はどうしても出かける気になれなかった。畳の上に大の字に寝転がり天井を睨んでいたか思えば、今度は襦袢の裾から生っちろい臑をのぞかせ、土壁に足の親指で字を書いている。紅葉と鹿を染め抜いた派手な襦袢なぞ、どこぞの陰間茶屋からもらってきたとしか思えない。

 とても元次席家老の身内とは思えぬ行儀の悪さだが、これでも嶺次郎は真剣に考えごとをしていた。

 兄・帯刀が企てた藩主三男・三郎と本田家との縁組、その裏に隠れた黒い意図を、甥の弥一郎は知る由もなかったが、嶺次郎は帯刀からつぶさに状況を聞かされていた。兄が自分を信頼し、秘密を打ち明けてくれるのは嬉しい反面、嶺次郎は兄のやり方でひとつだけ我慢ならぬことがあった。

(彩之介…)

 田安慶久と信輝公正室・お牧の方を抱き込み、三郎を若衆狂いの本田家当主に差し出そうとの企ては、土壇場で信輝公が縁組を承知せず、あえなく潰えた。

 三郎を厄介払いしたい牧の方に取り入り、御用部屋復帰を目指した兄・帯刀だったが、またしても政敵・溝口誠之進にしてやられた。誠之進がお手討ち覚悟で殿様に諫言したという。嶺次郎も藩校時代から、誠之進に右近への恋を阻まれるなど、さんざん煮え湯を飲まされている。またしても溝口家に破れたことは歯噛みするほど口惜しいが、問題はその後始末だった。




『田安の御前がな…彩之介を本田忠直に差し出せというのじゃ。こちらから本田家に話を持ちかけておいて、殿が縁組を土壇場で破談にされたのじゃ…ただでは済むまい』
『…なれど、岩田が腹を切ってお詫びしたことになっておるのでは? なにゆえ彩之介まで?!』
『うむ…一度三郎ぎみと偽って引き合わせた時、忠直殿は大層お気に召した様子でな…。三郎ぎみとの養子縁組が流れても、かわりに彩之介を小姓として差し出せば、忠直殿の御機嫌は直り、御前の顔も立つとおおせなのだ…』
『しかしそれではあまりに一一』

 彩之介が哀れではないか…。

 悲痛な訴えが嶺次郎の喉元までせりあがってきたが、
『のう、嶺次郎。彩之介が行ってくれねば、儂が腹を切らねばならぬ』
『…なんとっ』
『御前が…そう申されたのだ』
『兄上っ!』
『…そもそも彩之介の前身は陰間ではないか。百両で請け出してやったのは、この儂じゃ』
『そ、それは私とて百も承知ですが…、彩之介は苦界に身を落としたとはいえ、元は武家の子。我が家に来てからは、それはよう仕えてくれました。もはや私や弥一郎にとっても家族同然…』
『…ふん、そなた、情が移ったか? 相変わらず甘いのう…』
冷笑を浮かべる兄を前に、嶺次郎は唇をかんだ。
『儂とて、あの尻を手放すのは惜しゅうて堪らぬが…』
『あ、兄上っ!』
瞳を潤ませて嶺次郎は激しく頭を振った。

 世間から好色の愚か者と悪評高い嶺次郎だが、根は単純でお人好しなのだ。自分とて彩之介に好きごころが動いたこともあったが、傍で見ていても、彩之介はいじらしいくらい弥一郎のことを慕っている。兄・帯刀が彩之介に手をつけて以来、黙って帯刀に仕えながらも、心は増々弥一郎に傾いていくのが手にとるようにわかった。

(嶺次郎様、お願いにござりますっ! 私が殿様の閨に呼ばれていること…どうか弥一郎様にはっ)

 泣き濡れた瞳で懇願され、嶺次郎はほだされた。弥一郎には口が裂けても言わぬと固く誓った。

 彩之介を哀れに思うだけではない。弟のごとく愛おしむ、弥一郎の心を土足で踏み付けるような帯刀の所行にも、嶺次郎は言い知れぬ嫌悪を感じていた。

 嶺次郎が非難がましく帯刀を見上げると。
『嶺次郎!』
帯刀が大音声で恫喝した。
『彩之介が行かねば、内藤家は終わりだ』
『あ、兄上っ……』
『わかったな。これ以上ごねるな』




 手段は選ばぬ強引さは昔からだが、兄はもっと剛胆で覇気のある男だったはずだ。それが女衒まがいの仲介で要人に取り入り、己の首をつなごうとは…。兄を崇拝する嶺次郎は情けなくも口惜しい。

 今まで、兄のおかげで享楽三昧の人生を送ってきた。なれど此度だけは兄のやり口がどうにも我慢ならぬ嶺次郎であった。


つづく


「薄雲」4「内藤家の男たち」2
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壁紙は『kigen』さんからお借りしています。


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