二十四の巻
「内藤家の男たち」6


by 戸田采女

 一週間後、箱根を経て東海道を西へ旅する若い主従の姿があった。身なりのいい、いかにも世慣れぬ若侍と前髪立ちの近習のふたり連れ。無頼浪人たちが秘かに後つけ、金目のものを奪わんと手ぐすねひいていても不思議はない。実際、ふたりは箱根の山道でならず者の一団に取り囲まれた。あわや身ぐるみはがれるところを、幸運にも通りかかった老剣客に助けられ、ことなきを得ていた。

「お名前もおっしゃらずに行ってしまわれたな…」
弥一郎は袴の埃を払いながら、肩で息をついた。
「東のほうへ向われましたが…」
「江戸のお方であろうか?」
「何やらそのような気もします」
主従はしみじみとうなずきながら、感謝を込めて遠ざかる小柄な老人の背を見送った。

「さ、急ぎましょう。弥一郎様」
「うむ」

 杉木立の隙間から天を仰ぎ見れば、陽は既に西に傾き始めていた。今宵の宿、沼津への道のりはまだ三里もあった。




 弥一郎・彩之介主従は遠州相良に端を発する『塩の道』を目指していた。遠州から信濃を通り、越後の糸魚川に抜ける街道だ。彩之介を追って品川から東海道に出てしまった弥一郎だったが、いったん江戸へ戻り中山道を行くことを避け、そのまま東海道を西へ進み、塩の道を経て信濃から越後へ出ることにした。参勤交代の行列が通る五街道と異なり、こちらは物資の往来が盛んな庶民の道。かつて武田信玄が遠江・三河を攻略するために開いた軍用路でもある。しかし『青崩峠』という難所もあり道は険しい。決して健脚とはいえぬ弥一郎には辛い道程だった。しかし、若いふたりはお互いを労りあいながら山道を進み、一路越後・高山城下を目指した。

 中山道を行けば十日ほどで国許に着けたものを、父の追手がかかるのを恐れ随分と回り道をしてしまった。

 江戸に残してきた父・帯刀の動向が気にならぬといえば嘘になる。玄海が後を追ってこなかったのは逆に無気味でもあった。先への不安、父を裏切る後ろめたさ…。すべてを己の胸に納め、歯をくいしばって旅を急ごうとする弥一郎に、彩之介はもはや何も問わず、愛くるしい瞳で主人を励まし付き従った。

 相良を発って数日、青崩峠を超えた弥一郎主従は遠山郷を北へ進んでいた。明け方、夜露に濡れた下草を踏みしめ肌寒さを堪えて出立したが、昼近くなれば秋の陽射しが街道にさんさんと降り注ぎ、袷の着物では汗ばむほどだった。

 小嵐渓谷をゆくふたりは錦に彩られた絶壁を臨みながら小休止をとった。並んで座れる岩を見つけて腰を降ろす。竹筒の水で喉を潤し、宿で握ってもらった握り飯をほうばった。普段どちらかといえば食の細い弥一郎も、さすがに連日の強行軍で鍛えられたのか、彩之介ととにも特大の握り飯をふたつ平らげた。

「弥一郎さま、足は痛みませぬか?」
案ずるように見上げる彩之介に、弥一郎は口元をわずかに綻ばせた。
「大丈夫じゃ。夕べもおまえが丹念に揉みほぐしてくれたゆえ」
「それはようござりました。では今宵もしっかりお揉みしましょう」
「雑作をかける…」
「いえ…」
はにかんだような笑みで、彩之介が小さくうなずいた。

 彩之介は弥一郎の世話をするのが嬉しくてたまらぬ様子だった。自分とて山道は辛かろうに、彩之介は弥一郎の身ばかり案じている。

 主従とはいえども彩之介はもはや弟も同然。彩之介の弥一郎への想い、切ないほどの献身に今の自分はどれ程支えられていることか一一。胸が痛むほどの愛しさと感謝の裏で、弥一郎は内藤家に関わったがゆえに翻弄される彩之介の運命を思った。

「弥一郎さま…?」
弥一郎がしばし無言で見つめていると、彩之介は薄いえくぼを浮かべ、子鹿のような瞳で小首をかしげた。

 さわさわとブナの枝が揺れ、高い梢で山鳥がチチッと鳴いた。

 弥一郎はわずかに身体の向きを換え、そっと彩之介の両肩に手をおいた。
「彩之介、正直に申せ。まこと、母に会いに行かずともよいのか?」
彩之介を追って旅に出て以来、弥一郎の胸中でわだかまっていた問いだった。

 まもなく道は信濃に入る。そのまま北へ行けば越後糸魚川に抜けるが、行こうと思えば塩尻から中山道を京へと進むこともできる。

 彩之介は一瞬寂しげに睫を伏せたが、
「今は…一日も早く弥一郎様と高山へ」
己に言い聞かせるような口調で呟き、決然と瞳を上げた。
「彩之介…」
「それに…わが家はお取り潰しの憂き目に合い、母は息を潜めて実家で暮らしておりまする。私が国許に戻っては…やはり差し障りがござりましょう」
「なれど…母親を訪ねるつもりで西へ行こうとしたのだろう?」
「はい」
「ならば…っ?」

 彩之介は真直ぐに弥一郎を見つめていたが、
「私は、母にひと目おうて…死ぬつもりでした」
十四歳とは思えぬ大人びた表情で彩之介は静かに言切った。愛くるしい瞳の中に覚悟のほどが見てとれた。
「彩之介…っ」
嘆息する弥一郎を前に彩之介は続けた。
「もはや内藤家に、弥一郎様のお側にいられぬのなら…、殿様にはまことにあい済まぬことなれど、父や兄のもとへゆこうと」

『私を哀れと思うて下さるなら、今一度だけ…お、お情けをいただきとうござりますっ』

 切羽詰まった彩之介の声が弥一郎の耳の奥で蘇った。
「そこまで思い詰めていたのか…」
天満屋の寮での最後の夜を思い出し、弥一郎は胸をつまらせた。

「なれど一一」
彩之介は涙を堪えて微笑んだ。
「弥一郎様が品川まで追ってきて下さったとき…私は夢の続きかと思いました」
「彩之介…」
弥一郎はやるせない吐息とともに、彩之介をそっと抱き寄せた。
「おまえを連れて国許へ帰るとあれほど申したのに…私をみくびっていたな」
「見くびるなどっ…滅相もござりませぬ」
慌てて上目使いに見上げる彩之介が愛しくて、弥一郎はくすりと笑みを洩らした。
胸の裡に先への不安を抱えながらも、弥一郎は両腕で彩之介をくるみこむように抱きしめた。
「夢ではない。今も、こうしておまえの側におる」
柔らかな前髪に頬を寄せれば、
「はい…っ」
彩之介が切なげにため息を洩らした。
「二度と寂しい思いはさせぬゆえ…」
誓いの言葉を紡いだ唇で、弥一郎は彩之介の唇を優しく捕らえた。

「生きていれば…母にはまたいつの日か会えまする」
涙を滲ませながらも、彩之介は晴れやかな口調で弥一郎を見上げた。
「そうじゃな…いつか必ず、ふたりで上方へ参ろう」
弥一郎は彩之介と目を見交わし、しかとうなずきあった。




 秋深まる遠山郷から諏訪への道は、谷の地形が複雑なことから、陽射しの角度によって山肌が様々な表情を見せる。山道は辛くとも、弥一郎・彩之介主従はそれぞれの故郷とはひと味違う景観を愛でつつ、ふたり旅を続けた。

 奇しくも同じ時期、藩主・信輝公が倒れ、若君の三郎と後見の誠之進が急遽江戸に向って旅立ったことなど、弥一郎には知る由もなかった一一。


「内藤家の男たち」了


「内藤家の男たち」5「狩」1
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壁紙は『kigen』さんからお借りしています。


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