二十八の巻
「再会」1




by 戸田采女

 薄曇りの空の下、平岡仙之丞を先頭に、三郎の行列は整然と小川町、高山藩邸前に到着した。

(この門を潜るのは…七年ぶりか)

 三郎の乗り物に付き従いながら、感慨深げに長屋門の屋根を見上げる誠之進だった。江戸に留学した若き日々を思い、誠之進の胸に懐かしく熱いものがこみ上げた。

 しかし感傷に浸っている暇はない。

 御本門をくぐり敷石の上を粛々と進む。表玄関に近づくにつれ、藩士が十数名、迎えに出ている姿が見てとれた。その手前、二間ほど先の敷石の脇に、先頭にいたはずの仙之丞が立ち止まって誠之進を待っていた。何やら目顔で合図され、誠之進は三郎の乗り物の側を離れた。

「溝口様」
「平岡殿、なにか」
仙之丞は容(かたち)をあらため、
「三郎ぎみの前では申し上げられませなんだが…。実は今朝未明、殿が再び発作を起されました」
押さえた声音で誠之進に告げた。
誠之進は一瞬息を飲んだが、
「して…ご容体は」
努めて冷静に聞き返した。
「幸い大事には至らず、今は静かにお休みです。重臣方も惣一郎様も殿の御寝所近くで控え、お目覚めになるのを待っておられます」
誠之進はゆっくりとうなずき、
「さようか…安堵いたした」
胸の奥から深く息をついた。

「殿の御寝所へ行かれる前に、お耳に入れておくべきと思いまして…」
「かたじけない」
誠之進は仙之丞の気配りに感謝した。

 信輝公が心の臓の病で倒れたと知らせがあったとき、父・主膳は『もはや何があっても驚いてはならぬぞ』と誠之進に因果を含めていた。

 誠之進も頭では最悪の事態を覚悟をしながら、三郎を連れて中山道を江戸へと急いだ。

 されど万が一、三郎の到着前に信輝公が不帰の人となってしまったら…。臣下として自分は覚悟を決めていても、三郎を悲しい目に合わせたくはない。旅の間、宿場を通過する度に、誠之進は自分あてに江戸からの急使が来てはおらぬか、秘かに尋ねまわっていた。何の便りもないことを確認し、その度にほっと胸をなで下ろす日々だった。

(殿、よう持ち直して下さりました…)

 誠之進は天を仰いで涙を堪えた。




 小姓たちの出迎えを受け、三郎と誠之進は玄関で履物を脱いだ。式台に上がったところへ、奥から急ぎこちらへやってくる足音が聞こえた。

(…右近か?)

 久方ぶりの再会に誠之進の胸が高鳴ったが、
「おお、誠之進殿、遠路はるばる御苦労であった」
嗄れた声を張り上げたのは、堀田又左衛門だった。
遠目に見ると相変わらずかくしゃくとしていたが、堀田の姿が近づいてくるにつれ、

(なんと…随分髷も薄くなられたな)

 忍び寄る老いの影は隠しようもなかった。
加えてここ数日の疲労からか、堀田の目は落ち窪んでいた。

(あれから七年…。堀田様もお年を召された)

「堀田様、おひさしゅうござります」
誠之進は変わらぬ敬愛をこめ、大先輩の堀田に一礼した。
すかさず三郎のほうに向き直り、
「三郎ぎみ、こちらが江戸留守居役、堀田又左衛門にござります」
堀田を紹介した。
三郎は緊張した面持ちながら、唇の端に柔らかい笑みを浮かべた。
「そなたが堀田か。父上からそなたの名はよう聞いておる」
「恐れ入りまする。それがしも三郎ぎみにお目にかかれて嬉しゅうござります」
堀田は三郎に向って一礼したのち、誠之進を見上げ、
「何はともあれ、早う三郎ぎみを中奥へ。ご到着次第、すぐに御寝所へ案内するようにとの仰せじゃ。藩士たちへの挨拶は後でかまわぬ。非礼かとは思うたが、仰々しいお迎えをせなんだのは斯様な理由でな」
「ご配慮、痛みいりまする」
誠之進は素直に頭を下げた。
堀田は三郎のほうへ向き直り、
「三郎ぎみ、それがしがご案内つかまつります。殿はただいまお休み中ゆえ、先に兄上様に御挨拶なされませ」
「あ、兄上に?」
「さよう。先程からお待ちかねですぞ」
「まことか!」
瞳を輝かせた三郎を、堀田が目細めて見つめた。
「さ、はよう」
堀田に促され、三郎は廊下を奥へ進み始めた。

 誠之進もすぐ後に続くべきだったが、ふと源蔵たちのことが気になった。
肩ごしに振り返った誠之進に、
「溝口様もはよう参られませ。お供の方々は我らのほうで御長屋に案内いたしますゆえ、心配無用です」
仙之丞が賢しげな瞳でうなずいた。

(この男…何から何までよう気がきくのう)

 誠之進は感嘆すると同時に、

(斯様な男をよこすということは、惣一郎様が三郎ぎみを心よく迎えている証しか。ならば祝着至極だが)
 
 背後にある惣一郎の真意がやはり気になるところだった。




 中奥に入った三郎と誠之進は、まずは殿様の御寝所に近い御座之間(藩主の居間)へと通された。廊下に面した入口には御簾が半分ほど降ろされていた。奥に惣一郎がいるらしい。

 堀田は御座之間前の廊下に端座し、中へ向って一礼した。
「若、三郎ぎみが参られました」

「通せ」

 やや低めの滑らかで、品のある声が上段の間からかかった。

 三郎の背に緊張が走った。

「三郎ぎみ、惣一郎様にござります。ささ、御前へお進みなされ」
堀田に促され、三郎はようやく肩で息をついた。 

 今の今まで兄に会うのを心待ちにしていた三郎だが、いざとなれば兄がどのような人物か、兄が自分を気に好意を持ってくれるのか、心配でたまらぬのだろう。後ろ姿に逡巡が見てとれる。

「三郎ぎみ…」
誠之進は後ろから声をかけ、掌で背中をそっと押した。
三郎は前を向いたままちいさくうなずき、堀田の脇を通って御座之間へと足を踏み入れた。誠之進が背後から見守る中、三郎は入口近くに着座した。誠之進も堀田の後ろに控えた。

「そなたが…三郎か」
「はいっ。惣一郎様、お初にお目にかかります。三郎信尭にござります」
三郎は低く首を垂れて挨拶している。
「近うよれ。そこでは顔がよう見えぬ」
惣一郎の声が、先程よりもう一段親しげな声音に変わった。

 三郎は命じられるままに部屋の中ほどまで進んだ。
誠之進は斜後ろから、三郎の動きを見守っていたが、
「誠之進、そこにおるのであろう?」
いきなり自分に声がかかり、誠之進は思わず頬を引き締めた。
「何をしておる、そなたも早う中へ入れ」
「はっ」

 誠之進も惣一郎とは久方ぶりの対面だった。
容(かたち)をあらためて入室し、入口近くに端座した。
まずは畳に手をつき上座に向って深々と一礼する。
「面をあげい」
命じられるままに身体を起す。
「久しいの、誠之進」
「はっ…惣一郎様におかれましては、ご機嫌麗しゅう、まことに祝着至極にござりまする」
惣一郎はくすりと笑い、畏まる誠之進に親しげな声音で言った。
「遠路はるばる…御苦労であった」
「はっ」
ひたすら平伏する誠之進を前に、
「相変わらず生真面目な男よのう」
惣一郎はおかしそうに喉を鳴らした。
誠之進は口元に笑みを浮かべながら、心の中でおもった。

(そちらもお変わりなくと申し上げたいところだが…)

 三十を超え、世嗣としての自覚が出たのだろうか。武士というには多少柔弱な、貴人のごとき風貌は相変わらずだが、昔の軽薄な印象は影を潜め、惣一郎の物腰に落ち着きと威厳すら感じた。

「ともかく、そちも息災で何よりじゃ」
「ありがたき幸せにござります」

 お互い、儀礼的な挨拶を交わし、まずは様子をさぐり合ったというところだ。

 惣一郎はあらためて三郎と視線を合わせた。
「三郎…よう江戸へ参った」
「あ、ありがたきお言葉にござります」
「そなたにはかねてから一度会うてみたいと思うていた」
「まことにござりますか…?」
惣一郎はゆっくりとうなずき、
「父上からそなたの成長の様子、逐一聞いておるぞ」
「父上が?」
三郎の声がわずかに震えていた。
「初めて会うような気がせぬな」
惣一郎が目元を優しく和ませた。

 和やかな兄弟対面に、誠之進はほっと胸をなで下ろしていた。

 何はともあれ、惣一郎が三郎に好意的なのはありがたい。惣一郎は遠の昔に将軍家にもお目見えを果たした、名実ともに高山藩の次期藩主である。いかに信輝公が三郎を寵愛しているとはいえ、これを覆してまで三郎に跡を取らせるなどありえないこと。

 惣一郎が母親の影響をうけて妙な疑心暗鬼に陥らず、世嗣としてまとまな判断をしてくれたことに、誠之進は深く感謝していた。

 一方、三郎は…。

 誠之進の座る位置からは三郎の背中しか見えぬが、どんな表情で兄を見つめているのか、誠之進には手にとるようにわかる。

 関川に未だ伯父やいとこがいるとはいえ、母も祖父も失った今、三郎の血を分けた肉親は父と兄・惣一郎だけだった。三郎がたったひとりの兄に会える日をどれほど心待ちにしていたか、誠之進は知っている。

 それがようやくかなったのだ。頬は紅潮し、黒目がちの瞳は嬉し涙で曇っているに違いない。

「三郎、もっと近うよれ」
惣一郎は扇で手招きした。
「はいっ」
三郎はするすると膝行し、上段の間の際まで進んだ。
惣一郎は満足げにほほえみ、
「三郎、遠慮はいらぬ。これからは私を兄と呼び、頼りにするがよいぞ」
「ありがたき…幸せにござります」
三郎は涙声で答え、惣一郎にむかって深く首を垂れた。

 三郎の白い絹羽織の背が微かに震えていた。

(ようござりましたな…三郎ぎみ)

 誠之進もまた、愛しい主人の背を見つめながら、胸を熱くしていた。

 兄弟の会話が途切れ、上段の間の惣一郎が誠之進のさらに後ろへ視線を投げた。誠之進の耳にも摺り足で廊下をやってくる足音が聞こえた。

 軽やかに、微かな音をたて、磨き抜かれた廊下を進む足取り。 

 足音が止まると、
「若殿」
懐かしい声が誠之進の鼓膜に届いた。
「殿が…御目覚めになられました」
誠之進はじっと首を垂れながら、澄んだ楽の音のような声に耳をすましていた。

「そうか…」
惣一郎を含め、周囲から安堵の溜息が洩れた。
「ではさっそく三郎を連れて参ろう」
惣一郎が嬉しげな声をあげ、脇息から離れて立ち上がった。
「三郎。ついてまいれ。父上を驚かせてやろう」
「はいっ」
惣一郎は小姓を従え、御座之間を大股で歩いていく。
三郎が頬を紅潮させて兄の後に続き、さらに誠之進がその後に従った。

 廊下へ出ると、堀田の後ろに、伏目がちに端座する懐かしい友の姿があった。

(右近…)

 惣一郎と三郎はそのまま堀田と右近の脇を通り過ぎていったが、誠之進は歩みを止め、静かに右近と目を合わせた。

 夏の終わりに一度手紙を交わしたとはいえ、会うのはほぼ一年ぶりだった。

 昨年末、病み上がりの身体にもかかわらず、右近は黙って国許を発ち、誠之進の前から姿を消した。

 誠之進は守役の身でありながら若君の三郎と割りない仲になった。しかもその事実を政敵に利用された。いずれ筆頭家老となる誠之進のため、その右腕たらんとしてお役目に励んできた右近を、さぞや失望させたことだろう。右近は大の衆道ぎらいでもあった。
 
『これが、十年来信頼してきた男かと思うと…情けのうて…涙も出ぬわ』

 病床の右近から投げ付けられた言葉が今でも忘れられない。

 無論、三郎と契ったことを恥じてなどいない。

 なれど右近を前にして、ひとことの言い訳も反論もできぬ自分がいた一一。

 右近とはそれきりだった。

 この夏、誠之進と三郎の関係が殿様の知るところとなり、誠之進は御手討ち寸前まで追い詰められた。屋敷にて謹慎申し付けられ、誠之進が切腹をも覚悟したとき、右近は遠く江戸から殿様に直訴、誠之進の助命を嘆願した。もはや見限られたと思っていた誠之進にとって、友の行動は驚きでもあり、おおいに勇気づけられたものだ。

 晴れて謹慎がとけた後、誠之進はまっ先に右近に感謝の手紙を送った。それに対する右近の返事は、三郎との出奔については言及せず、誠之進の無事を喜び、変わらぬ友情を誓うものだった。

『国許と江戸に別れても、我らは心をひとつにして藩のため、お家のために尽してゆこう』と結んでいた。

 一年ぶりの再会は期待と不安に満ちていた。

(あれから右近は江戸でどんな日々を過ごしたのか…)

 右近の身を案じ、江戸の旧友、滝川彦四郎に右近の安否を尋ねていたものの、あのような別れ方をしたゆえ、ついぞ本人に手紙を送る勇気がでなかった。世嗣・惣一郎のもとで用人を勤めていると聞き、安堵とともに一抹の寂しさを覚えたものだ。 

 されどこうして目と目を見交わし、互いの存在を確かめるだけで、誠之進の胸に少年の日の甘酸っぱい思いが蘇った。わずかに潤みを帯びた黒耀の瞳が、目をそらすことなく誠之進を見つめている。友の桜色の唇がふと綻んだとき、誠之進もつりこまれるように微笑んだ。今は多くを語らなくともよい。こうして友の息災な姿を目にするだけで、誠之進は深い安堵を覚えていた。

(つもる話はいずれまた…)

 誠之進は堀田と右近に向って軽く目礼し、
「…殿に、御挨拶してまいります」
急ぎ足に惣一郎と三郎の後を追った。


つづく


「碓氷峠」4「再会」2
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背景は「空色地図」さんからお借りしています。


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