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筑波おろしが吹き、江戸の町にも冬の足音が近づいてきた。
十月末、惣一郎は江戸城にて将軍家に拝謁し、従五位下・山城守に任じられた。以後、公式には結城山城守信元と名乗ることになった。
同じ頃、両国・回向院にて大相撲の冬場所が始まった。十一月の初めにかけて、晴天十日の興業となる。
新しく藩主となった兄・惣一郎のはからいで、三郎主従は今朝から相撲見物に出かけた。一日がかりの両国観光である。案内役は惣一郎の側近、平岡仙之丞と小姓の和馬が勤める。三郎の後見、溝口誠之進だけでなく、従者の源蔵や倫太郎まで供を仰せつかった。惣一郎本人も共に出かけたかったようだが、藩主となった今、以前のような気侭な外出が叶うはずもない。
朝、三郎たちを送りだしたのち、惣一郎は朝餉をとりながら早速右近に愚痴っている。今朝の当番小姓は竹弥だ。仙之丞同様、惣一郎と右近の仲は先刻承知だ。
「のう、右近。これからは相撲も芝居も自由に出かけることままならぬと申すか?」
「あたりまえです。藩主が外出されるときは、それなりの行列を整えねばなりませぬ」
「行列とな…」
惣一郎が箸と碗を手にしたまま、がっくりと肩を落とした。
「ならば芝居茶屋でそなたとふたり、水いらずで午後を過ごすなど…」
もごもごと言いかけた惣一郎を、右近の大きな咳払いが遮った。
「若殿の時とは違うのです。もう少しご自分のお立場をわきまえてくださりませ」
惣一郎はこれみよがしに特大の溜息をついた。
「で、本日の予定は?」
「特に外出の予定はござりませぬ。巳の刻(午前十時)に武村様(江戸家老)が書類を持ってお見えになりますゆえ、ご決済をお願いいたしまする」
「それから?」
「午後はご自由にお過ごしくださりませ」
「そなたはいかがする?」
わかりきったことを聞くなと思ったが、
「留守居部屋にて執務を」
右近は礼儀正しく一礼した。
惣一郎は箸と碗をことりと膳部に戻し、
「つまらぬのう…」
「殿」
「…藩主になどなるのではなかった」
「殿。そのようなお言葉、大殿が聞かれたらがっかりなさいますぞ」
右近が目顔で諭しても、惣一郎は脇息にもたれたまま不服そうに見つめ返してくる。
「今さら繰り言を言われても、聞く耳持ちませぬ」
右近も負けてはいない。
藩主を躾るのは自分の仕事と考えている。
「午後の時間が暇だと申されるなら、殿も諸藩の大名に習い、学者を招いて講議など受けてはいかがです」
「嫌味か、それは」
「御意」
背筋をぴしりと伸ばし、右近は口元だけで微笑んだ。
側に控えていた竹弥が思わず吹き出した。
惣一郎に肩ごしに睨まれ、竹弥は慌てて真顔を作った。
惣一郎は拗ねた瞳のまま右近を見つめていたが、
「…ちこう」
と扇で手招きした。
命じられたまま側近くへ膝行すると、惣一郎は上段の間から前屈みになって囁いた。
「ならば、褒美をくれ」
「は?」
話が見えぬと右近が小首をかしげれば、
「わからぬか。藩主になった褒美をくれと申しておる」
惣一郎は焦れたように膝を乗り出した。
(何を言い出すかと思えば…)
惣一郎という馬が、名馬になるか、はたまた駄馬と成り果てるかは、自分の飴と鞭しだいなのか。右近は溜息をつきながら小さく首を振った。
給仕をしていた小姓の竹弥が、
「殿。お下げしてもよろしいでしょうか?」
小さな咳払いとともに膝行し、惣一郎の膳に手をかけた。
場の空気を読んだというか、毎度の惣一郎と右近のやりとりに呆れ果てたのだろう。
竹弥は主人の言葉を待たずに、恭しく膳部を押し頂いて退出した。
御座之間(藩主の居間)に、惣一郎と右近のふたりだけが取り残された。
惣一郎はふたたびゆったりと脇息にもたれ、
「今宵は寄合があるのか?」
片眉を上げて尋ねた。
「いえ」
惣一郎が童のごとく瞳を輝かせた。
「ならば余と夕餉をともにせい」
「…御意」
惣一郎は満足げにうなずき、
「食後にひとさし舞うゆえ、久方ぶりにそなたの鼓を聞かせよ」
(斯様なことが褒美になるのなら…喜んでおつき合いいたしましょう)
右近は目元を柔らかく和ませ、
「かしこまりました。では酉の刻(午後六時)に参上いたします」
慎んで首を垂れた。
つづく
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