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数多の謎を残しつつ、高山藩邸は信輝公の喪に服した。
三郎一行が江戸へ出てきて二十日余り。
三郎は兄・惣一郎との対面も果たし、春には隠居した父とともに国許に帰るのだと、瞳を輝かせていた矢先だった。事態の急変は三郎を奈落へと突き落としたが一一。
それでも傍らには常に寄り添う誠之進の姿があった。
*
堀田の殉死は惣一郎と右近のふたりがかりで阻止したものの、もはや気力の萎えた堀田がお役目を続けるのは不可能だった。信輝公の死と前後して、新藩主の惣一郎は右近を正式に高山藩江戸屋敷留守居役に任じた。
右近は悲しみに沈む間もなく、信輝公の通夜から密葬まですべてを取り仕切ることとなった。江戸はまだ冬のはじめだったが、越後高山ではすでに雪が降り始め、信越国境もまもなく雪に閉ざされる時期である。通常の手順を踏むなら、国許の重臣が出府するのを待って葬儀という運びだが、此度は江戸家老・武村の判断で密葬を済ませ、信輝公の遺骨は結城家の江戸の菩提寺、霊巌寺に葬られる運びとなった。
続々と訪れる幕府や諸藩の弔問客を、右近はひとりひとり丁寧に応対した。田沼意次も用人を名代として差し向けた。田沼からの心のこもった弔辞は、疲労の極みにあった右近を大いに励ました。
信輝公の死後数日、右近は席をあたためる暇もない程の忙しさだったが、わずかな暇を見つけては惣一郎の御前に参上した。父君の喪中ゆえ、惣一郎が右近を寝所に呼ぶようなことはなかったが、右近は自分が側にいることで少しでも惣一郎の慰めになるならと、役宅には戻らず自ら進んで中奥に詰めていた。
されど右近の疲労もいよいよ頂点に達し、
「右近、そなた一度役宅へ戻ってゆっくり休め。顔色が悪すぎるぞ」
惣一郎のご機嫌伺いに参上したものの、逆に心配される始末だった。
「余のことは案ずるな。仙之丞も竹弥も側におるゆえ、不自由なことは何もない」
「殿…」
留守居役としての初仕事が隠居したばかりの藩主の葬儀とは、さすがの右近にとってもかなりの重圧だった。
惣一郎の労りに、つい目頭が熱くなる。
(斯様なことで涙もろくなるとは…よほど疲れているのか。しっかりせぬば…)
潤んだ瞳で上座を見上げれば、
「藩士たちが浮き足立たぬよう、余がでんと構えておるようにと、武村(江戸家老)からも言われておる」
惣一郎は口元に笑みを浮かべ余裕を見せた。
「余にはかまわず、そなたは仕事に励め」
つい先日、「藩主になった褒美をくれ」と閨でごねた男とは別人のようだった。
(殿がお亡くなりになったことで、惣一郎様の腹もすわったのだな…)
右近は睫を伏せて静かにうなずいた。
***
密葬が終わり江戸の弔問客の波が一段落したころ、右近はようやく誠之進と落ち着いて話す機会を持った。
誠之進がある夜、右近の役宅を訪なった。
三郎の後見で深い仲でもある誠之進は、信輝公の死後、片時も側から離れず三郎を支え、父君の死に伴う状況の変化から若い主人を守ろうとしていた。
誠之進の献身的な姿を目にするのは以前ならば耐え難かったが、藩の顔、留守居役としての弔問客の応対にあたる中、右近も私事で心を悩ませている暇はなかった。忙しさに紛れてとはいえ、既に誠之進と三郎の『関係』を受け入れている自分が、何やら不思議な気もした。
信輝公の死とともに役目を退いた堀田又左衛門の跡を継ぎ、右近は正式に高山藩留守居役として役宅に入った。しかし藩主・惣一郎の意向もあり、堀田には相談役としてしばらく役宅に留まってくれるよう懇願した。
本音をいえば、惣一郎も右近も、再び堀田が追い腹を切ろうとするのを恐れたのだ。
殉死を禁じられた堀田は、数日間、呆然自失の態であった。数十年に渡って藩の留守居役を勤めた、老練な外交官の面影はなく、死に場所を得られなかった老兵がごとき姿に、右近と誠之進は胸をつまらせた。
堀田を見舞ったあと誠之進と右近は座敷に戻り、仄暗い部屋の中、行灯を挟んで静かに向き合った。
誠之進とふたりきりになり、
「堀田様も…おいたわしいことじゃ」
右近は胸底から深い溜息をついた。
「見てはおられぬな…」
うなずく誠之進の瞳も憂いに満ちていた。
「誠之進、国許の御家老から返書は?」
「まだじゃ」
誠之進は小さく首を振った。
右近が頼むまでもなく、誠之進は筆頭家老である父・主膳に急ぎ書状を送っていた。
溝口主膳の人となりは右近もよく知っている。雪で街道が埋まろうと、すぐにも江戸へ駆けつけたい気持ちでいっぱいだろう。なれど国許の情勢がそれを許すかどうかは微妙だった。
弔問客の応対に追われる間は考えてもみなかったが、此度の惣一郎の跡目相続を国許の藩士がどう受けとめているかも気になる。右近が勘定吟味役を勤めていた頃、国許では財政難から『半知御借上』(俸給の50%カット)が実施されていた。そんな折、江戸での惣一郎とお牧の方の派手な暮らしぶりについて、まことしやかな噂が流れ、藩士たちの多くが憤りを感じていた。
長年、惣一郎の側に仕えてきた右近は、惣一郎がいまや立派な藩主の器であると確信しているが、国許の家臣たちの間で惣一郎の評判は必ずしもよくない。『吉原と芝居好きの放蕩者』の烙印を押されたままなのだ。
将軍家から山城守を拝命し、惣一郎は正式に高山藩の藩主となったのだが…。惣一郎の跡目相続に異を唱える勢力があるとすれば、筆頭家老の主膳はそれを押さえねばなるまい。
加えて右近にはもうひとつ、大きな気がかりがある。
結局、信輝公を死にいたらしめたのは、藩医師・日向道伯の弟子の過ちとされたが一一。
あの夜、道伯が尾張藩士の『駆け込み人』の治療にかり出されたこと。その駆け込み人が、殿様の死のどさくさに紛れ忽然と姿を消したこと。偶然というには何か仕組まれた感がある。
医師・日向道伯は責任をとって自害。藩邸内の牢に留め置かれた道伯の弟子は、犯した過ちの重大さに正気を失い、もはや乱心の態だという。
「いかがおもう…誠之進」
右近は知りえた情報を友に話し、意見を求めた。
誠之進は精悍な眉を寄せ、しばし押し黙っていたが、
「考えとうはないが…」
鳶色の瞳が右近を捉えた。
ふたりはじっと目を見交わし、息を詰めた。
もしや…信輝公の死は毒殺か。
なれど、誰が、何の目的で?
右近と誠之進にはそのあたりが皆目見えてこないのだ。
つい半月ほど前、惣一郎に家督を譲り隠居した信輝公が、なにゆえ殺されねばならぬ?
「わからぬ…」
右近の呟きに、誠之進も重い吐息をつくのみだった。
「なれど右近、我らが疑念、断じて表沙汰にしてはならぬ」
「当然じゃ。まさかとは思うが、幕府隠密にでも嗅ぎ回られては一大事」
「うむ…」
代替わりの時期は何かと騒乱がおこりやすい。それを見越して、幕府から緒藩に隠密が送り込まれるのも珍しくはなかった。
何かおもいついたのか、誠之進が思案顔で切り出した。
「右近、隠し目付の中に信頼できる者はおらぬか?」
「そう言われてものう…」
右近は彼等とはあまり接触がなく、とりたてて名をあげられる人物はいなかった。
隠し目付は江戸家老・武村権六の配下にあった。
武村はよくも悪くも事なかれ主義で、策謀家とは思えない。しかし秘事を打ち明けるほど信頼できるかというと、右近は即座に心を決められなかった。
言葉を濁す右近を前に、誠之進が提案した。
「ならば当面は私が極秘に調べてみよう」
「誠之進?!」
「なに、私は江戸ではどうせ客分扱いじゃ。三郎ぎみのお世話以外することもない」
破顔する誠之進に右近は曖昧に微笑んだ。
「…三郎ぎみは、いかがお過ごしか?」
「だいぶん落ちつかれたが…」
途端に眉を曇らせた誠之進。
その表情を見るにしのびなく、
「無理もない。日に日に回復していた父君が、突然お亡くなりになったのだからな」
みずから先に慰めの言葉を発し、三郎の話を終わらせようとした。
やはり誠之進の口から三郎の名が出ると、微妙な反応しかできない右近だった。
向いに端座した誠之進は、傍らに置いた己の大刀をじっと見つめていた。
先日、滝川彦四郎と三人で軍鶏を食べにいったとき、右近は誠之進が大刀を替えたことに気付いた。聞けば信輝公からの拝領だという。『和泉守国貞』の大業物だ。
彦四郎が拝領のいきさつを尋ねたところ、
『…あの時の刀じゃ』
誠之進は神妙な顔で小さく呟いた。
彦四郎は小首をかしげたが、右近は瞬時に悟った。
(…誠之進をお手討ちになさろうとした時のものか)
守役の身でありながら三郎と契り出奔をはかった誠之進を、信輝公は一度は手にかけようとした。それを思いとどまり、悩みぬいた末、結局は誠之進にしか三郎を託せぬと一一。
『和泉守国貞』に込められた親心は、誠之進にとって殿様の遺言でもあるのだろう。
父を亡くした三郎を労るだけでなく、誠之進は殿様と自分の主従の絆にも思いを馳せているに違いない。沈思に落ちた誠之進の思考が自分の元へ帰ってくるのを、右近は黙ってひたすら待った。
やがて誠之進は瞳をあげ、話を元へ戻した。
「ともかく…私にまかせてくれぬか。私が退屈しのぎに藩邸内をうろうろしていても、たいして怪しまれぬだろう。大殿がお亡くなりになった前後、御医師の周辺に妙な動きがなかったかどうか探ってみる」
「くれぐれも…内密にな」
「承知」
既に算段があるのだろうか。
誠之進は胸を叩いて引き受けた。
思えば誠之進も三年ほど江戸藩邸で過ごしたことがあるのだ。藩邸のどこへ行けば情報が得られるか、案外右近よりも通じているやもしれぬ。
(私は留守居役の仕事で手一杯…。ここは誠之進の力を借りよう)
「私が未熟者ゆえ、今まで堀田様に随分頼ってきたが…」
「右近…」
「此度は…貴公が江戸にいてよかった」
「うむ」
うなずく誠之進と右近の視線が出会い、ごく自然にからまった。
「借りが…返せるな」
行灯の灯りのもと、誠之進の端正な顔に照れたような笑みが広がった。
『愚かな某をまだ友と呼んでくれるのなら、いつの日か必ずや貴公の友誼に報いたいとおもう……万一江戸で困ったことがあれば必ず知らせてくれ。今度こそ某が貴公の役にたちたいのだ…約束してくれ、右近』
(なにも肩肘はることはない。誠之進の厚意に素直に甘えればよいのだ…)
もう何度も読み、覚えてしまった誠之進の手紙の一節を、右近は胸の裡で繰り返していた。
夜叉 了
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