参の巻
「桜狩」2




by 戸田采女

 日暮れ前、誠之進と三郎が山屋敷に戻ると、白州を敷き詰めた庭先に仮設の能舞台ができており、開演に備えて準備が始まっていた。

 庭に面した広間には酒肴の膳が用意され、信輝公をはじめ、六人の重臣とその妻たちが、一同に顔をそろえている。誠之進は廊下にひざまずく。藩校時代の先輩でもある、最年少の中老、堀隼人丞が、わずかに口元を綻ばせて誠之進に目礼した。誠之進は堀と軽く目を合わせ、信輝公と客人一同に向かって深々と一礼した。

 三郎と誠之進の姿をみとめ、信輝公の側用人、青木忠左衛門が廊下へ迎えに出てきた。
「おお三郎ぎみ、ちとお帰りが遅いゆえ、殿が案じておられましたぞ」
「すまぬ…」
「ささ、こちらへ」
青木はあたふたと三郎を上座の信輝公の隣へいざなった。
「…申し訳ござりませぬ。つい陽気に誘われて遠出をしてしまいました」
誠之進は廊下に控えたまま、信輝公に向かって再び平伏した。
ふたりは午後、野駈けに出たことになっている。

 信輝公はすこぶる上機嫌で鷹揚にうなずいた。
「よいよい、面をあげい、誠之進。三郎、どのあたりまで行ったのだ?」
どこと言われても…、三郎が口ごもりかけると、
「ここより半里ほどむこうに、山桜の美しい里がありまして。本日はそこへお連れいたしました」
誠之進が助け舟を出した。
言い訳に慣れた自分が嫌になるときもあったが、ふたりの仲はやはりおおっぴらにできるものではない。

 「ほう。三郎、花の里はいかがであったか?」
信輝公は相好を崩して尋ねた。
「はい…それはもう美しゅうござりました。うす紅色の桜の合間に白いコブシやユキヤナギ、黄金のレンギョウ…まるで桃源郷のごとく…」
「うむ…身供も矢立てと画帳を持って同行すればよかったの」
三郎は俯いて、はにかんだように微笑んだ。

 信輝公は暖かい眼差しで誠之進を見つめ、
「ほれ、いつまでもそのようなところにおらず、席につくがよいぞ、誠之進」
「御意」
誠之進は一礼して室内ににじり入った。


 三郎を…いとしく思う気持ちは純粋だ。この世の誰よりも、恐れながら父君・信輝公よりも、三郎への愛は強いと自負している。されど父君を前に、三郎と身体で契ってしまったやましさは拭いきれない。

 つい先刻までふたりは忘我のときを過ごしていた。山の精気、花の香気に包まれて、咲き始めた花のような三郎を心ゆくまで貪り、誠之進は骨の随まで蕩かされた…。ふたりで果てもなく溺れ込んでいく肉の歓びは…信輝公にはわかるまい。

 やましさと同時に、一種、ねじれた優越感を誠之進は味わっていた。


 ほどなく溝口主膳が妻・咲とともに広間に現れ、客人たちに挨拶し、開演が近いことを告げた。
「誠之進…」
主膳は入口近くに控える息子に気付くと、ちらりと目配せした。
今頃まで何をしていた、と、主膳の眼がわずかに険しくなった。
主膳は何か言いたげに唇を動かしたが、ちょうどその時、揚幕の向こうから『お調べ』が聞こえてきた。
(楽器のチューニングですね)

 「おお、いよいよでござるな」
最高齢の中老・山崎忠実が、期待に満ちた声音で一同を見渡した。客人たちはにこやかにうなずきあう。お調べを聞きながら、舞台に向かう気持ちが醸成されていく。せっかくの雰囲気を壊すわけにもいかず、主膳もここで小言を言うのはやめにしたと見え、黙って誠之進の隣に着座した。

 桜立木、花見車など『作り物』が運び込まれ、所定の位置に置かれた。

 曲目は『小塩』だった。

 『桜の季節、京・大原山に桜狩に赴いた若人たちが、桜の枝を頭に挿した老翁に出会う。声をかけ、応答の風流さに、連れ立って花見を楽しむ。老翁が「大原や小塩の山も今日こそは、神代のことを思ひ出づらめ」と口にしたので由来を尋ねると、在原業平の作と歌のいわれを教えながら、ここかしことめぐり歩くうちに、いずこともなく夕霞の中へ消える…』

 山屋敷の庭園は山麓を借景に拝している。萌黄色の山の斜面に桜をちりばめた景色は、京・大原の春を思いおこさせた。

 中入りでアイが小塩の明神と二条の后の行啓をかたる。

 その頃になると陽は山の稜線の彼方にしずみ、あたりに暮色が迫っていた。

 『かの翁こそ業平の化身に相違なしと、若人たちが桜の下で読経していると、業平が花見車に乗って現れ、月下の花見となる。業平は数々の歌から恋模様を語り、人が「昔男」と呼ぶのが私だと明かし、序舞を舞い、二条の后の小塩への行啓の昔を懐かしむ…』

 誠之進は入口近くの末席に端座して舞台を眺めていた。客人一同も舞台を注視しているようだ。

 そんな中、誠之進は斜後方の上座から注がれる、慕わし気な視線を感じていた。綿毛のように軽やかでやさしく、しかし片時も誠之進から離れない。

 (三郎ぎみ…)

 振り返って濡れた黒目がちの瞳をしかと見つめ、応えてやりたかった。なれど、信輝公や重臣たちが居並ぶ中、あからさまなことをしては人目につく。つい先刻、山桜の下で愛しあったばかりなのに、誠之進はすぐにでも三郎の側へいき、手をとり、なめらかな頬に唇を寄せたい衝動を堪えていた。

 笛の音とともに序舞が始まる。まもなく陽が落ちた。絶妙の間合いで舞台横の篝火が灯った。幽玄な余情が嫌が上にも盛り上がる。

 『昔かな。花も所も。月も春。ありし御幸を。花も忘れじ。花も忘れぬ…(中略)…まどろめば。桜に結べる。夢か現か世人定めよ。夢か現か世人定めよ。寝てか覚めてか。春の夜の月。曙の花にや。残るらん』

 三郎のあまやかで熱を帯びた視線は、序舞の間も誠之進から離れることはなかった。

 『花見の若人たちが春の曙に目覚めた頃、もはや業平の姿はなかった』




 シテが退場し揚幕にかかるころ、広間から惜しみない拍手がおこった。
「見事であった、褒美をとらせよう…」
信輝公はたいそう御満悦で、もてなす側の溝口主膳は面目を施した。

 「主膳、こちらへ」
信輝公が扇で手招きすると、主膳は摺り足で藩公の御前に進みでて着座し、深々と一礼した。
「主膳、斯様にたのしき一日を過ごしたのは…まことに久方ぶりのことじゃ。礼を言うぞ」
「もったいないお言葉にござります」
「桜の山を借景に『小塩』とは、なかなか面白かったぞ」
「…恥ずかしながら、あれに控える愚息、慶次郎の考えにござりまする」
主膳が肩ごしにちらり後ろを振り返った。
誠之進よりもさらに末席、廊下の脇に控えていた慶次郎は、突然名を呼ばれて慌てたのか、床板に頭を擦り付けんばかりに平伏した。

 家老の息子とはいえ、部屋住みの次男である。慶次郎が信輝公に拝謁することなど滅多にない。若者の気後れを周囲は初々しさと受け取り、好意的に見ているようだった。
「慶次郎、苦しゅうない、ちこう寄れ」
信輝公は温厚な笑みを浮かべ、手招きした。
「はっ…」
「殿のお召しじゃ。はよう参らぬか、慶次郎」
かしこまり、躊躇する弟を、誠之進が破顔して促した。

 慶次郎は半ばかたまりながらも、父にならって摺り足で進み出ると、父の隣に着座した。信輝公からのお言葉を、かしこまって拝聴している。弟慶次郎は世間ではお調子もので通っているが、決して馬鹿ではない。身びいきかもしれぬが、内藤家の嶺次郎あたりと一緒にされてはかなわぬと、誠之進は常々思っていた。

 このような機会に慶次郎が殿からお言葉をたまわり、重臣たちからも一目置かれるのは、決して我が家にとって損にはならぬ、と誠之進は考えていた。




 能が終わると広間には燭台が運び込まれ、あとは賑やかな宴となった。近郊で採れた山菜や川魚など、春の味がふんだんに供され、客人たちは舌鼓をうった。

 八月になれば信輝公はふたたび参勤で江戸へおもむく。昨年から、体調を崩されることが少なからずあり、誠之進は信輝公が夏場の長旅にたえられるのだろうかと、秘かに案じている。

 仲睦まじく語り合う三郎と信輝公を遠目に眺めながら、誠之進は客人たちの酒や食事の進み具合にも気を配っていた。

 ふと視線を感じて振り向くと、中老の堀隼人丞と目が合った。
「藤十郎殿」
五歳年上の堀隼人丞は藩校時代からの古い知己だが、誠之進は普段城中では『堀殿』と呼んでいる。今日は宴席の気安さもあり、誠之進は昔のように名前で親し気に呼びかけ、一献勧めようと堀の側へにじり寄った。

 「誠之進殿、本日は殿もことのほかお楽しみの御様子、祝着至極でござる」
堀はいつもの暖かい微笑を誠之進に向け、大きくうなずいた。

 気のせいだろうか?
堀はにこやかでありながら、どこか表情が固いようにも思えた。

 「はい…ささやかな宴ではありますが、我らも殿や皆様方に御満足いただければ望外の喜び。一同、ほっと胸をなで下ろしておりまする。ささ、堀殿、まずは一献」
「かたじけない」
誠之進は軽く会釈して、堀の杯を満たした。

 先程の堀の表情は何だったのだろう?
 誠之進は訝りはしたものの、宴席の賑わいに紛れ、深く考えるには至らなかった。


つづく


「桜狩」1「桜狩」3
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壁紙は「十五夜」さんからお借りしています。
参考文献:『能楽ハンドブック』


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