三十一の巻
「寒椿」1




by 戸田采女

 正月十六日。

 商家では『薮入り』にあたるこの日。親許へ帰る丁稚たちを思うてか、お天道様も顔をのぞかせ、久方ぶりに江戸の空は晴れ渡った。

 池の端・中屋敷を突然、滝川彦四郎が訪なった。彦四郎は誠之進と右近の藩校時代からの旧友だ。門番に訪いを告げ、長屋門の下で待つことしばらく。

 敷石の小道を笑顔でやってきた誠之進に向い、彦四郎は開口一番、
「誠之進、一大事じゃ!」
「なに?」
「小兵太が江戸へきおったぞ」
「まことか、それは?!」

 吉田小兵太。

 もうひとりの藩校時代からの友であり、三郎の馬廻り頭だった。

 昨年の夏、蝦夷へ向う覚悟で誠之進は三郎と出奔、企てを助けた小兵太と関川の渡し場で別れて以来、小兵太の行方は杳として知れなかった。旅の空にある小兵太は、三郎と誠之進の出奔の結末を知らぬはず。小兵太はいずれ江戸の滝川道場へ立ち寄るはずだったが、誠之進としては一日も早く小兵太と再会し、三郎のもとへ帰参させたかった。

 誠之進は期待に胸を踊らせた。
「で、おぬしの道場に来ておるのか」
「うむ、夕べ遅くについた」
「ならばすぐ会いにいこう。仕度をするゆえ、玄関で待っていてくれ!」
「お。おう…」

 ここへ来て誠之進は彦四郎の歯切れの悪さに気がついた。

「なんじゃ…いかがした?」
「それがのう…ひとりではないのだ」
「え…?」
「…女子がきておる」
「なんじゃと…」

「それと爺もじゃ」

「彦四郎。さっぱり話が見えぬ。わかるように説明してくれ」
「小兵太が言うには、そのふたり、日本橋の『近江屋』の娘と番頭らしい。なんでも江ノ島の近くで雲助に身ぐるみ剥がれるところを、通りかかった小兵太が助けたそうな」
「ほう」
「で、女子と年寄りの道中は心細いゆえ、江戸まで用心棒として一緒に旅してくれと頼まれ…」
「で?」
彦四郎はごほんと咳払いをすると、
「…その娘、すっかり小兵太が気に入ったようでな」
「はあ…」
「今朝、番頭とふたりで道場へおしかけてきおった。道中、付き添ってくれた礼がしたい、ぜひ日本橋の店まで来て父親にも会うてくれと…」

 誠之進は小さく舌打ちして、あごを撫でさすった。

 剣友としての小兵太に誠之進は全幅の信頼を起き、これまでも頼りにしてきた。だからこそ三郎との出奔の企てを打ち明け、力になってもらったのだ。しかし誠之進と小兵太は十代の頃、ひそかに遊里へ出かけた悪友同士でもあった。小兵太が少々女好きなことはよく知っている。

(小兵太のやつ…旅の空でちとやましい気をおこしたか)

 で、娘が本気になった。

 おおかたそんな所だろうと誠之進は溜息をついた。

 されど一一。

 誠之進の妹・志保は二十歳をすぎても嫁にいかず、ひたすら小兵太を慕っている。誠之進自身はふたりが夫婦になるのも良いと思うたが、家老の父・主膳は話にならんと一蹴した。昨年の夏、小兵太が城下から姿を消した後、これ幸いと父・主膳がいくつか縁談を勧めたが、志保があきらめて嫁に行く気配はなかった。

 遊び人の小兵太も、誠之進の妹の志保だけは別格というか、真面目に将来を考えていたと思うていたのに。

「ともかく会おう」
「うむ、はよう来てくれ。それがしではどうにもならん」
彦四郎が弱り果てたように眉を下げた。

 誠之進は若党に駕籠を二挺呼ぶよう命じた。




 彦四郎とともに浅草・滝川道場へかけつけたとき、吉田小兵太は頭をぽりぽりかきつつ、粗相をした犬のごとき表情で誠之進を迎えた。

「小兵太!」
「よう誠之進…」

 何とかしてくれと小兵太は誠之進にむかって手を合わせた。

 座敷に案内された誠之進は、件(くだん)の商家の番頭と娘に対面したが一一。

 非礼とは思うたが、会った瞬間吹き出したいのを懸命に堪えた。

 娘は気立てはよさそうなものの、小山のような身体つきでお世辞にも美人とはいえなかった。それがもじもじと恥じらう様子で座っており、話はすべて番頭にまかせていた。

 面食いの小兵太が斯様な素人娘に手を出すわけがない。元遊び仲間の直感である。

(しかしまた…えらいのに惚れられたものじゃ)

 誠之進は小さく咳払いをすると、ふたりの前に腰を降ろした。
「それがし、吉田小兵太の旧友で、高山藩結城家筆頭家老・溝口主膳が嫡男、誠之進にござる」
誠之進が丁寧に頭を下げると、番頭と娘は慌てて居住まいを正した。
誠之進はふわりと目元を和ませ、
「近江屋の娘御、旅の途中で吉田に助けられ、ぜひともその礼がしたいとの話だが…」
「さ、さようにござります」
番頭が平伏して答えた。
「よい話を聞かせてもろうた。吉田が道中難儀しておる娘御と御老人を助け、江戸まで無事送り届けるとは…まさに高山藩士の鑑。国許の父もさぞ喜ぶであろう」
「お父上とは…御家老様とおっしゃいましたか?」
「さよう。吉田は私の妹婿になる人間でな」
大柄な娘が目を見開き、みるみるうちに涙ぐんだ。
「吉田と妹はこの春にも祝言をあげる運びとなっておる」
うなだれる娘を気の毒とは思ったが、これも仕方あるまい。
「さように…ございましたか」
番頭はがっくりと肩を落とした。

「そういうことじゃ…悪いが得心してくれ」
誠之進は親身な声音で娘に微笑みかけた。

「佐吉…」
娘は涙目で番頭をうながした。
「…で、では手前どもはこれにて」
ふたりは誠之進に向って一礼すると、袖で目頭を押さえつつ小走りに座敷を出ていった。

 ややあって、入れ代わりに小兵太と彦四郎が座敷に入ってきた。どうせ廊下で立ち聞きしていたに違いない。小兵太は着流しの裾をさばいて、誠之進の前にどさりと腰を降ろし、
「ふう…助かったぜ、ありがとよっ」
「さすがにうまく逃れたな、誠之進」
彦四郎が相好を崩しながら、誠之進の肩をぽんと叩いて隣に座った。

 誠之進はあらためて小兵太を見つめ、
「おぬし…あれからいったい何処をうろついていた?」
「け、そっちこそ…蝦夷へいったんじゃなかったのかい?」

 半年ぶりの対面だった。

 夏。別れた時の決意を思えば、今、小兵太と斯様な軽口を叩きあえること自体、奇跡のようだった。

 ふたりはそれきり目を見交わしたまま、押し黙った。

 三郎との出奔が失敗してから今日までの波乱の日々が、誠之進の脳裡を駆け巡った。

(よくぞ…ふたたび会えたものだ)

 首尾よく蝦夷へ向っても、行く手には地獄海峡が待っていた。城へ連れ戻されれば切腹もありうると覚悟を決めていた。事実、お手討ち寸前と相成り、小兵太とはあのままになるやもしれなかったのだ。

 誠之進の目頭がじわりと熱くなった。小兵太の顔も泣き笑いに歪んでいた。

「人がせっかく助けてやったものを…しくじりおって!」
突然、小兵太が誠之進の羽織の衿を掴んで飛びかかった。
「おいっ」
大の男がふたり、勢い余ってどうと畳に倒れこんだ。

小兵太は誠之進の上に馬のりになったまま、
「彦四郎から夕べ全て聞いた。おぬし、よう命があったな」
涙目で憎まれ口を叩いた。
「そっちこそ。路銀が尽きたのち、いかがしておるかと案じておったわ」
誠之進も負けじと、下から蹴り上げるように小兵太を押し退けた。

「組み打ちじゃ!」
今度は誠之進から向っていき、座敷のまん中でがっぷり四つに組んだ。
「おい、おぬしら! 相撲なら表でやってくれ」
彦四郎は一応抗議したが、ふたりは子供時代に戻ったかのように座敷の中で暴れまわった。

「まだまだっ」
「おうっ」

 もはやあきらめた彦四郎は、障子戸や襖が蹴破られても、慌てず騒がずただじっと端座していた。

 彦四郎の妻・いくが買い物から戻り、座敷の惨状に悲鳴をあげるまで、誠之進と小兵太は男泣きに顔を歪めながら、無心に組み打ちを続けた。




 日暮れたのち、池の端・高山藩中屋敷。東の離れ。

 三郎はひとしきり喉を鳴らして笑うと、
「で、小兵太。志保とはいつ祝言をあげるのだ?」
「こら三郎っ…大人をからかうんじゃねえ」
源蔵が酒器を片手に小兵太の側へにじり寄った。
「小兵太さんもとうとう年貢の納めどきですねえ。春になったら我々とともに国許へ帰り、これからは地道に御奉公してですね、御家老の信頼を…」
「やかましいやい、源蔵!」
源蔵は丸顔を綻ばせ、まあまあと小兵太に酒をすすめた。
「ともかく、ようお戻りくださいました。また私の塩辛で一杯やってくださいね」
「源蔵〜。おまえ、泣かせること言うねえ」

 突然、源蔵はしなをつくり、
「何をおっしゃいます。私はいつだって小兵太様のことを…」
志保の声色を使った。

 思わず箸を取り落とした小兵太に、源蔵が背中から抱き着いた。

「いまもこうして小兵太さまを思うて、ちくちくと下帯を縫うておりまする〜」

 中屋敷の離れにどっと笑いが起こった。

「げ、げんぞお…」
鳥肌をたてた小兵太が、源蔵を振り放そうと背中に力をこめた。
すると、
「やめんか源蔵。丸顔の女形はいただけぬぞ。気色の悪い…」
志保の声色とは気付かぬ倫太郎が、首を左右に振って真面目に意見した。

「ほう、では倫太郎はどのような女形がよいのだ?」
無邪気に突っ込む三郎に、
「それはもちろん瓜ざね顔に柳腰…」
倫太郎は勢いこんで答えかけたが、急に口をつぐんだ。
「ふむ。その者、名はなんという? いずこの一座じゃ?」
下戸の倫太郎が、みるみるうちに耳まで赤くなった。

「…お、これはこれは」
目ざとく倫太郎の心を見抜いた小兵太がにやりと笑った。
「ご執心のようだな」
源蔵がふたたび小兵太の肩に頬を擦り付け、
「その話しは…後でゆるりと」
意味ありげな流し目で倫太郎をみやった。

「げ、源蔵! 埒もないことを言いふらしたら承知せぬぞ!」
本気で慌てる倫太郎に、誠之進は微苦笑を浮かべた。
「源蔵、あまりからかうな。そっとしておいてやれ」
相手が誰かはわからねど、倫太郎は恋をしているに違いない。
誠之進は盃を傾けながら、藩校時代の純なおのれの姿を懐かしく思い出していた。




 小兵太、源蔵に倫太郎。久しぶりに西の丸の主従がうち揃い、燭台の灯りのもと、賑やかに夕餉の膳を囲んでいる。ここにお福がいれば何もかも昔のままだ…と誠之進はしみじみ思った。

 三郎の久方ぶりの晴れやかな笑顔に、誠之進は胸が熱くなった。小兵太が戻ってきたことで、三郎は随分勇気づけられたに違いない。もっとも小兵太は、帰国までは滝川道場で稽古に明け暮れたいなどという。三郎はそれを許したが、誠之進は週に何度かは三郎に顔を見せるよう、小兵太に約束させた。
 
 これで三郎のことはひとまず安心だ。

 無論、父君を亡くした悲しみは尽きぬが、小兵太も戻った今、三郎は国許でのこれからを考えるはずだ。

 誠之進は江戸での残る日々、信輝公を死に至らしめた真の理由を探りだすべく、全力をあげようとおもった。


つづく


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背景は「十五夜」さんからお借りしています。


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