三十一の巻
「寒椿」3




by 戸田采女

 二月に入り代替わりの挨拶は一段落したものの、相変わらず諸藩との付き合いは忙しい。

 先月の半ば、惣一郎が三郎主従を中屋敷に移してしまった。父君の四十九日も過ぎた今、宝寿院に遠慮せず、江戸での残りの日々を過ごせとの配慮である。なかなかできた兄だと右近は苦笑した。

 されどおかげで誠之進とは頻繁に会えなくなった。

 惣一郎の狙いが今さらそこにあるとは思えないが、正直寂しい右近であった。おまけについ先日、小兵太まで江戸に現れ、三郎のもとへ帰参したというではないか。

 ぜひとも中屋敷を訪れ、ふたりに会っておきたかった。

 そんなある日、折よく留守居組合の寄合が中止になった。『大先生』の小田原藩留守居役・成瀬源五郎が風邪を引き込んだのだ。昼前、知らせを受けた右近は急ぎ行動をおこした。まずは成瀬への見舞い状したため若党に小田原藩邸まで届けさせ、自分は『所用』と称して外出、急ぎ中屋敷へむかった。今日は昨夜来の雪がまだうっすらと残っている。右近は駕籠の中で、誠之進や小兵太が外出していないことを祈った。

 池の端・中屋敷の梅は八分咲で、門前に芳しい香りを放っていた。駕籠をおりた右近は目を細めて梅の香を楽しむと、門番に訪いを告げた。まもなく仙之丞が現れ右近を出迎えた。

「右近さま…これはまた急なお越しでござりますな」

 考えてみれば仙之丞とも三週間ぶりなのだ。もっと歓迎されるかと思いきや、意外にも表情がどこか固い。右近は怪訝に思ったが、まずは無難に挨拶をと口を開いた。
「なに、寄合が急になくなって時間があいたのだ。こちらへも御挨拶にと思いつつ、なかなか暇がのうて…。本日がよい機会と取急ぎまかりこしたが…皆様はお出かけか?」
「いえ。本日は屋敷においでです」
「そうか。それはよかった」
右近はほっと安堵の息を洩らした。
「では早速お取次ぎを」
仙之丞は一礼すると、一足先に玄関に向った。

 勝手知ったる中屋敷だったが、今は三郎が客人として滞在し、仙之丞が諸事取り仕切っている。右近はそのあたりをわきまえ、のどかな鶯の声に耳をすませながら、正式に案内されるのを玄関で大人しく待っていた。




 仙之丞の案内され東の離れへ向うと、すでに知らせを受けた三郎が上段の間に端座し、その下手、両側に誠之進や源蔵、倫太郎が控えていた。

 右近は御前に進み出て着座し、深々と一礼した。
「三郎ぎみ、本日は突然お訪ねした非礼をお許しくださりませ」
「かまわぬ。我らも本日は何というて予定はない。ゆるりと過ごしておったゆえ」
「三郎ぎみにおかれましてはお変わりなき御様子、祝着至極にござります」
「そなたも父上の葬儀の折りはご苦労であった」
三郎は微笑を浮かべ、臣下に労いの言葉をかける。
「いえ、新米ゆえ、行き届かぬこともござりましたかと…」
右近も藩・留守居役として、若君に礼をつくした。

 面を上げた右近と三郎の目が合った。

 一瞬身構えた右近だが、胸底が泡立つようなことはなかった。

 右近は折り目正しく会話を続ける。
「こちらの暮らしはいかがにござります?」
「うむ、快適じゃ。庭の美しさには毎日心がなごむ」
右近はごもっともとうなずいた。
「何か不自由はござりますか?」
三郎は首を横にふり、
「こちらには道場まであるゆえ、倫太郎と稽古するにもことかかぬ」
「…剣の稽古を?」
「さよう」
当然とばかりに三郎がうなずいた。
「寒いからと言って部屋の中でばかり過ごしていては、体がなまってしまうからな」
「ご立派なお心がけにござりますな…」
右近が唇の端に笑みを浮かべ、ちらりと誠之進を盗み見た。

 それまで無言でふたりのやり取りを聞いていた誠之進だったが、
「して右近、本日の用向きは?」
何とも愛想のない、畏まった声音で誠之進が尋ねた。

(ああ、三郎の前だからか…)

 右近は睫を伏せ、それも今では理解できると薄く微笑んだ。
「無論、三郎ぎみのご機嫌うかがいにまかりこしたのだが…、実は吉田小兵太がこちらに来ていると聞いてな」
誠之進は今の今まで失念していたという顔で、
「そうじゃ…。すまぬ、貴公にもっと早う知らせるべきところを」
「謝ることはない。藩邸でも貴公とはすれ違ってばかりだったようだしな」
「残念であったな、右近」
三郎が上座から口を挟んだ。
「小兵太は中屋敷で暮らしてはおらぬのだ。浅草の滝川道場に居候しておる」
右近は目を見開いてうなずいた。
「さようにござりましたか」
「こちらへは週に何度かやってくるが…」
「相変わらず、いつ来るかは気分次第というところだ」
誠之進が溜息混じりにひきとった。

「まこと…相変わらずじゃな」
口元を綻ばせた右近に、今日初めて誠之進が微笑んだ。

 小兵太を肴に、しばらくは和やかに会話がはずんだ。

 右近が三郎の顔をまともに見るのは、信輝公の御遺言状が公開された日以来だった。

 家臣の面前で、宝寿院に『泥棒猫』とののしられた三郎だったが一一。

(やはり支えられている者は強いのう…)

 誠之進だけではない。三郎の側近たちは皆心から三郎を慕い、守りぬこうという気概が強い。小兵太にしてもそうだ。周りをそんな者たちが固めれば、少々のことで心がくじけたりはしない。

 信輝公の死を境に、惣一郎が少し変わったように、三郎にも三郎なりの覚悟ができたのやもしれぬ。

「右近」
「はい」
「小兵太に会えず残念であったが、本日はゆるりとしていくがよい」
「三郎ぎみ…」
誠之進が一足先に、意外そうに呟いた。
三郎は小さく咳払いをすると、
「誠之進とつもる話もあるだろう…」

(なんと…そこまでおっしゃるか)

 右近が黙っていると、
「何、遠慮はいらぬ」
三郎が黒目がちの眸を見開き、まばたきもせずに付け加えた。

(…さように無理をせずとも)

 三郎も大人になったものだと思う。敵に塩を送られた感がしないでもなかったが、右近は苦笑しながらも素直に受け入れた。

(ではお言葉に甘えて一一)

 右近は三郎に一礼すると、
「ならば誠之進、道場で一汗かくか」
「承知」
誠之進がゆっくりとうなずいた。

「では三郎ぎみ、のちほど」
右近と誠之進は三郎に礼をすると、連れ立って座敷を後にした。
部屋から稽古着を取ってくるという誠之進と別れ、右近は一足先に道場へむかった。




 三郎と思いのほか平常心で接することができ、安堵した右近とは対照的に、平静を装いながらも誠之進の心は千々に乱れていた。

『今でも閨で可愛がられておいでとか』

 先日来、蕎麦の屋台で漏れ聞いた言葉が、誠之進に耳にこびりついて離れない。とても真とは思えなかったが、忘れ去るには衝撃が大きすぎた。この数日、胸の奥に重い石を抱えているような気分だった。

 予定外の右近の来訪に誠之進はまず驚き、稽古着を抱えて道場へ向いながらも、この話を切り出すべきか否か、深くおもい悩んでいた。

 真偽のほどを確かめたい。

 斯様な話題、口にするのも腹が煮えるが…。

 他人の噂が信じられぬなら、本人にずばり聞くより他はなかろう。

 右近が言下に否定してくれれば、笑い話ですむことなのだから一一。


つづく


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背景は「十五夜」さんからお借りしています。


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