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骨が軋むかと思うほど、圧倒的な力が右近の肩をつかんでいた。
その痛みにすら右近は甘い惑乱を覚えた。焦がれ続けた鳶色の瞳が、まばたきもせずに右近を見つめている。
己が肩に食い込む指先の力に。
潤みを帯びた熱い眼差しに。
身体中の血が沸き立ち、目眩がした。
誠之進はいつの間にか膝立ちになり、右近の肩に置いた両手にじわりと力を込めた。
「守り切れたと思うたのに…まさか殿が…」
「誠之進…?」
「触れなんだのは何のためじゃ。私は…ずっとおまえのことをっ一一」
言いかけて誠之進ははっと口をつぐんだ。
「誠之進、今、なにを……」
誠之進は右近の肩に両手を置いたまま、冷水を浴びせられたかのごとく身を強張らせた。
誠之進の顔から一切の表情が消えた。かたく唇をひき結んだまま、微動だにしない。
『触れなんだのは何のためじゃ』
今、誠之進は確かにそう言った。
『私は…ずっとおまえのことを』
(まさか…まさかっ?)
「誠之進…っ」
右近は本能的に悟っていた。今、何もかもかなぐり捨てて想いを打ち明けるのだ。さもなければ誠之進の本音は二度とひきだせぬ。
「誠之進! わ、私は…」
(おまえが好きだ! 私も、ずっとずっと…前髪の頃から秘かに恋慕っていたのに一一)
「誠之進っ…」
(早う、誠之進に思いを告げるのだ)
右近の胸は早鐘のように鳴り、心は前へ前へと焦るのに、ひりついた喉からは思うように言葉が出てこない。
もどかしさから、ただただ、すがるように誠之進の目の奥を見つめていた。
今日の日まで、焦がれ死ぬほどの想いを胸に秘めながら、いざ誠之進を目の前にしては、眸に語らせることすらできなかった。
初めてだった。
正面から想いを込めて誠之進を見つめるなど。
鳶色の瞳の中、どんな小さなゆらめきも見逃すまいと、右近は息をつめて恋しい男を見つめた。
石のごとく強張っていた誠之進の頬が、ふっと緩んだ。
「右近」
胸の奥から深い声で名を呼ばれた。
「右近…」
誠之進はいま一度溜息のように呟くと、左手でそっと右近の項に触れた。
指先から伝わる柔らかい熱に、右近は瞼を閉じ神経を研ぎすませる。
愛おしむように項を撫でる手に、そっと力がこもったとき一一。
*
「溝口様」
たてきった障子戸の向こうから仙之丞の声がした。
言葉にできぬからこそ、極限まで高まっていたふたりの情念。それを闖入者のひと声が無情にも切り裂いた。
右近も、そしておそらく誠之進も、仙之丞の足音にすら気付かなかった。
(仙之丞…邪魔だてするなっ)
誠之進の左手が右近の項から離れ、ふたたび肩に置かれた。暖かい掌は未だ右近の肩にしっかりと押し当てられていた。
誠之進が低い苛立たしげな声で問う。
「何用でござる…平岡殿」
「三郎ぎみが溝口様をお探しです」
誠之進は端正な横顔を右近にさらし、眉根を寄せ胸の奥から息を吐いた。
『三郎』と聞いた瞬間、誠之進の時間が現在(いま)に戻った。
掴みかけた夢の名残りが、砂のごとく手指の間からこぼれていく。
(嫌じゃ、誠之進!)
心の叫びは声にならず、右近は誠之進の横顔を食い入るように見つめながら、浅く息をついていた。
ついに右近の肩から誠之進の温もりが離れていった。
「…すぐに参るとお伝えくだされ」
誠之進はうなだれたまま、障子戸に向って一声かけた。
(誠之進…まだ話は終わっておらぬ!)
右近は溢れそうな涙をこらえつつ、微かに首を横に振った。
(行くな…)
ふたたび誠之進が面をあげ、右近と目を合わせた。
誠之進の唇が微かに動いた。
正確に言うと、動きかけて止まった。
唇は遂に言葉を紡がず、誠之進は苦しげに視線を逸らせた。
「では…。近いうちにまた藩邸で」
低く呟く声は熱く掠れていた。
誠之進が立ち上がる姿を、右近は座したまま呆然と見上げた。
「御免」
誠之進が歩みはじめるや、右近は弾かれたように立ち上がった。
背後の気配に誠之進の足が止まる。
「溝口様…お急ぎくださりませ」
再三の仙之丞の促しに、
「あいわかった」
熱く、微かに震えを帯びた声で誠之進が返した。
(だめだっ…行ってはならぬ、誠之進!)
ふたたび誠之進が畳の上をゆく。
(誠之進っ…私を置いていくな!)
心の叫びとともに右近の思考は止まり、身体が衝動的に動いた。右近は反転して誠之進の背に迫った。懸命に伸ばした指先が誠之進の肩に触れんとしたとき、突然障子戸が外から開いた。
一瞬にして目の前が開け、密室の空間は外へ向って放たれた。
右近の差し伸べた手は、行き場をなくしたように宙に浮いた。
流れ込む冷気を頬に受けながら、右近は部屋を出ていく誠之進の背を見つめる。
廊下に端座した仙之丞が誠之進を見上げ、続いてゆっくりと一礼した。
誠之進はその姿を一瞥すると、声もかけずに大股で歩み去っていった。
*
ひとり残された右近は、部屋の中、放心したように佇んでいた。
(誠之進…っ)
項に残る誠之進の指先の感触を、右近は懸命に記憶に留めようともがいた。
開け放たれた障子戸の向こうに名残り雪の庭が見えた。清らかな雪の上、首を落とした椿の花が血のような跡を残していた。
寒椿 了
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