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風邪が治った誠之進は、雑念を払うべく探索に没頭した。信輝公の死について、帰国までに何としてでも有力な情報を得て、右近への置き土産としたい。その一念で誠之進は動いた。
梅から桜へと季節が移ろうなか、誠之進は吉田小兵太をひきつれ、芝神明近くの裏長屋に自害した藩医師、日向道伯の弟子をたずねた。小兵太が三郎のもとに帰参してまもなく、誠之進は小兵太や滝川彦四郎にも自分と右近が信輝公の死に不審を抱き、秘かに探索していることを明かした。藩邸の者には内密で動きたい今、ふたりの協力はおおきな援軍となろう。
探索に人手が欲しいということもあったが、誠之進はもはや右近と二人だけで事を進めるのが辛くなったのだった。
今でもふと気がつけば右近のことを考えている。夜、床につけば藩校時代の夢を見る。
三郎とて既に誠之進の様子がおかしいことには気付いているだろうに。
三郎は不思議なくらい誠之進に何も聞かない。
平岡仙之丞に誘われるまま、近習たちとともに、帰国前、最後の江戸見物を楽しんでいる。
誠之進の心を乱すものが江戸にあるなら、国許に帰れば全てが元通りになると、己に言い聞かせているのだろうか。
十七歳の主人の不安を隠して微笑む眸が、誠之進の胸に突き刺さった。
*
誠之進と小兵太、突然侍ふたりの訪いを受け、日向道伯の弟子は緊張を隠せない様子だった。母親は仕立てもので生計をたてており、息子は道伯の助手の仕事を失って以来、この長屋で息を詰めて暮らしているようだった。
おびえたように固く口をつぐむ少年に、
「そなた、名は何と言う」
まずは誠之進がやさしくたずねた。
「淳之助と申します」
「案ずるな。我らは藩目付ではない」
うなずきながらも、淳之助は小動物のごとく警戒心を露にしていた。
誠之進は自分の身分も打ち明け、正攻法でいこうと決めた。
「私は高山藩筆頭家老・溝口主膳が嫡男、誠之進と申す。亡き信輝公ご三男・三郎ぎみの後見を勤め、現在三郎ぎみとともに江戸に滞在しておる」
親子は慌てて平伏した。
「そのようにかしこまらずともよい」
「俺は吉田小兵太。三郎ぎみの剣術指南じゃ」
小兵太がくだけた調子で破顔すると、淳之助も少しだけ白い歯を見せた。
*
誠之進は信輝公はもとより、牢内で首を吊った淳之助の兄弟子、平助の死にも不審を抱いていると打ち明けた。万が一、平助が誰かに利用され罪を着せられたなら、その汚名を雪いでやりたいと。
「それは…まことですか?」
「まことじゃ」
「なれど…」
「うん?」
「なにゆえ赤の他人のあなた方が、平助さんのためにそこまでしてくださるのでしょう」
「大殿がお亡くなりになった、まことの理由が知りたい」
親身な声音はそのままだが、誠之進はきっぱりと言い切った。
淳之助は身を固くして押し黙った。
誠之進は焦らず話を引き出そうと、穏やかに続けた。
「あの夜、尾張の駆け込み者の治療に道伯殿が呼ばれ、急遽平助が殿の御前にあがったのだな」
「はい…」
続いて小兵太がたずねた。
「なあ、淳之助。平助は薬の調合を間違えるようなぼんくらか?」
「ちがいます!」
淳之助は激しくかぶりをふった。
「平助さんは…先生の信頼も篤く…」
「道伯殿の一番弟子だったのだからな」
誠之進の親身な声音に、淳之助は眸を潤ませた。
「そして、平助に殿のお命を奪い奉る理由があるわけもない」
小兵太は貌(かたち)を改め、
「俺たちの推測では、何者かが薬を取り替えたか…」
「平助が誰かに脅されて、常とは異なる調合をしたと見ておる」
誠之進が引き取った。
「大殿がお亡くなりになった夜、平助に不審な様子はなかったか? 平助だけではない。他の者たちはいかがであった?」
「あの夜は…尾張の駆け込み人の治療で、皆、慌ただしくしておりましたゆえ…はきとは覚えておりませぬ」
淳之助は弱々しい声で語った。
万が一、淳之助本人が事件にかかわっていない限り、これは偽りではないだろう。件(くだん)の尾張藩士のおかげで、医師団のみならず藩邸内はかなりの混乱をきたしていた。
「ならば、それ以前の平助の様子はいかがであった? 何か悩んでいたようなふしはなかったか?」
「些細なことでもいいんだぜ。思い出してくれねえか?」
淳之助はしばらくうつむいて考えたのち、重そうに口を開いた。
「確か十月の半ば頃から…植木屋がときどき平助さんに会いにきていました」
「植木屋?」
「どこのどいつだ?」
「さて、そこまでは…」
淳之助はちいさく頭をふった。
「…藩邸に出入りの職人か?」
「もぐりってこともあるがな」
誠之進と小兵太が唸って考えこむと、
「一度だけ…ふたりの話を漏れ聞いたのですが」
淳之助は迷いながらもぽつぽつと続ける。
「平助さん、そいつのこと利吉って呼んでました」
「利吉…?」
淳之助はこくりとうなずき、
「五十両がどうのとか、身請けがどうのとか…そんな話をしてました」
小兵太ははたと膝を打ち、
「なるほど女か」
誠之進も苦い表情で首肯した。
*
淳之助が語ったのはそこまでだった。
芝・七軒町の長屋を出たのち、誠之進と小兵太は築地方面へ向って歩いていた。途中、猪牙舟を拾って水路、浅草の滝川道場まで帰ることにした。船頭が巧みに櫂をあやつり、舟は滑るように川面をゆく。ふたりは舟上で先程の淳之助との会話を振り返った。
淳之助おそらくこれ以上は知るまいと、誠之進も小兵太も考えていた。平助と頻繁に会っていた『利吉』と名乗る植木職人。背はさほど高くないものの、後ろ姿にも妙に隙がなく、目つきが植木屋にしては鋭かったと、淳之助は利吉の印象を語った。まずはその者の正体を暴くのが、解決の糸口になるはずだが…。
今しがた、舟が潜った橋の上を、天秤棒をかついだ豆腐売りがのどかに流している。陽は西に傾き、そろそろあちこちの長屋で炊煙が上がり始めていた。
小兵太がおもむろに切り出した。
「なあ、誠之進。あの親子、あのまま放っておいてでえじょうぶか?」
誠之進の胸にも同じ不安はあった。
「平助は牢で首をつったとされているが…」
「かなり胡散臭いな」
「ああ。私も誰かが手を下したような気がする」
「その植木屋が下手人かもしれねえ。淳之助が平助との話を漏れ聞いたこと、知られてなけりゃいいが…」
「うむ、万が一ということがある。何かあっても芝では遠すぎるな…」
「滝川道場の近くに引っ越させちゃどうだい」
「それがよかろう」
「滝川の爺さんに相談してみるわ」
「ああ、よろしくたのむ」
「おまえは明日にでも藩邸にいって右近に報告してこいや」
小兵太が誠之進の肩をぽんと叩いた。
誠之進が一瞬返事に詰まると、
小兵太が怪訝そうに、
「どうした?」
誠之進の顔をのぞきこんだ。
「い、いや…なんでもない」
誠之進は慌てて笑顔をつくり、そういえば腹が減ったのうと呑気に話題を変えた。
*
とうとう上野の山に彼岸桜が咲き始めた。二月末の彼岸桜を皮きりに、一重、八重とたえることなく弥生の末まで山を薄紅色に彩る。花の季節は別れの季節でもあった。花見の船遊びを最後に、三郎主従は帰国の途につくことが決まっていた。
誠之進は芝・七軒町に日向道伯の弟子・淳之助を訪ねたのち、結局ひとりで右近に会う決心がつかなかった。誠之進は淳之助の話を文にしたため、倫太郎に上屋敷まで届けさせた。律儀な倫太郎は夜まで右近の帰りを待って直に手渡し、戌の下刻(午後九時)すぎ、返書まで携えて中屋敷に戻ってきた。
はや探索の次の手を思いついたのかと、誠之進は感心しながら書状を開いた。
ところがその内容は一一。
いま一度、話たいことがある。
明後日の夕…ふたりで会ってくれと。
申の下刻(午後五時)。日本橋の『水月』という舟宿で待つと。
誠之進も江戸詰めの経験があり、その川遊びの舟宿のことは知っていた。料理も評判の店だったが、小体な離れは男女のしのび逢いによく利用されている。
(斯様な店に私を呼び出して、どういうつもりだ…右近)
お役目絡みの密談ならば、他に適当な場所はいくらでもある。
出合茶屋ほどあからさまでないにせよ、『水月』のような宿を選ぶとは…。
書状を懐に納め、誠之進は鈍い溜息をついた。
『右近…もはや我らはふたりきりで会うてはならぬ』
そう呟きながらも、誠之進は切ない胸苦しさにじっと眉を寄せた。
つづく
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