終章
「暮春」1




by 戸田采女

 花見の船遊びが和やかに終わり、三郎主従の出立は五日後に迫った。

 右近は無理を承知で惣一郎に願い出た。

「宗道館時代の旧友四人が、ただ今、十年ぶりに江戸に揃っておりまする。この機会に四人で旧交を暖めたく思いまするゆえ、誠之進と吉田小兵太が国許へ発つ前に、どうか一日お暇を賜りたく…」

 惣一郎はその場で否とも応とも言わなかったが、後から小姓の竹弥を通して『先程の願い、聞き届ける』と申し渡してきた。右近は早速御礼の口上を述べに中奥へと伺候したのち、嬉々として三人に文を書き、若党に届けさせた。

 無論、三人に異存のあるはずもなく、翌日の午前、右近と誠之進、小兵太、彦四郎は御殿山に集った。




 右近は小川町の藩邸から馬で御殿山へ、誠之進と小兵太は彦四郎と途中で合流し、三人で品川へ舟で乗り付けた。昼前、御殿山の桜を愛でたのち、品川の料理屋で春の味を食す。茹でたそら豆をつまみつつ、白魚の卵寄せ、桜鯛の刺身、蛤の碗物など、次々と供される料理に、日頃質素な食生活の彦四郎は目を白黒させていた。

 今日の払いは右近と誠之進の折半にした。右近は、そしておそらく誠之進も重い話題はさけ、久方ぶりに四人そろって心ゆくまで酒食を楽しんだ。
 
 江戸では三月三日を『潮干狩りの始まりの日』としていた。丁度今頃は花どきと重なり、品川の浜は大層な人出だった。早朝から潮が引き始め、午の下刻(午後一時)にはすっかり海底が現れる。人々はこぞって濡れた砂の上に降りたち、貝拾いに熱中している。蛤や浅蜊だけでなく、小ぶりの鰈(かれい)などをつかまえて、早速刺身や焼き物にして賞味する者もいた。
 
 先程結構な料理をいただき、十分腹がくちくなった右近は、せっせと浜で桜貝を探している。
そんなもの誰にやるんだ?と小兵太にからかわれ、
「殿じゃ」
と大真面目に答える右近だった。
「今さら童でもあるまいし。三十過ぎの男が貝殻もらって何が嬉しい?」
「殿は美しいものがお好きじゃからな」
しれっと答える右近を、五間(約9m)ほど離れた場所から、誠之進と彦四郎が笑みを浮かべて見守っていた。

 自分だけが旨いものを食うて申し訳ないと、彦四郎は妻と舅のため、貝を採りに潮の引いた海に入った。どれ私もと誠之進が付き合い、こちらは男ふたり、着流しの端をからげてしゃがみ込み、木切れでざくざくと砂を掘っている。

「面白いように採れるのう」

 潮干狩りに夢中になっているようで、その実ふたりは密談中であった。

「…というわけで、貴公らの目の届くところに置いてほしい。道場近くの長屋を世話してやってくれぬか」
過日、誠之進と小兵太が訪なった日向道伯の元弟子、淳之介親子の話しだった。
「心得た。一両日中にでも引っ越せるよう手配しよう」
「すまぬ。探索半ばで江戸を去らねばならぬのが心残りだが…」
「致し方あるまい」
彦四郎がぽんと誠之進の肩をたたいた。

 そろそろ竹籠も一杯になり、ふたりは立ち上がって腰を伸ばした。
誠之進ははるか沖に浮ぶ白い帆柱を眺めながら、
「彦四郎、実はもうひとつ頼みがあるのだが…」
「なんだ、今日はやけに頼みが多いな」
彦四郎は破顔したが、誠之進は急に声を落として囁いた。
「この様子だと、藩邸によからぬ鼠が潜んでいる」
「うむ…」
「右近が…心配だ」
彦四郎が腕組みをして唸った。
「他に味方を作れればよいが、この一件、証拠を掴むまではおいそれと他人に話せぬしなあ…」
「そこでじゃ。貴公、屋敷に勤めてくれぬか?」
「おい…今さら俺に宮仕えは無理だ。それに滝川の道場がある」
誠之進は首を横に振り、
「仕官しろというのではない。剣術指南として貴公を殿に推挙する」
「なるほど…」
「藩士に稽古をつけに通ってくる、というのでどうだ?」
一度はうなずいた彦四郎だったが、
「なれど、俺ごとき弱輩で勤まるのだろうか? 殿や御重役方が何と言うか…」
躊躇する彦四郎に誠之進は苦笑した。
「田沼邸の剣術試合で、四強に勝ち残っておいて何を言う」
「あれはまぐれじゃ」
「貴公…相変わらずじゃのう。これほどの腕を持ちながら…もう少し傲慢になれ」
誠之進は笑顔で彦四郎の背をばんと叩いた。
「案ずるな。恐らく反対は出まい。『御重役』の中には留守居役の右近もおるしな」
「おお…そうであった。すっかり失念しておった」
中級藩士の右近が異例の出世を遂げたことを、改めてかみしめる彦四郎であった。
「舅殿にも話して心づもりをしておいてくれ」
「…おぬしがそれほど言うのなら」
彦四郎は照れ臭そうに微笑んだ。




 一方、右近は選び抜いた桜貝を手ぬぐいに包んで懐に納め、小兵太と連れ立って浜を歩いていた。

「ところで、志保殿への土産はいかがした?」
「おう」
曖昧にうなずく小兵太に、
「何だ、出立は三日後だぞ。まだなら私が付き合ってやるから、そこらの小間物屋にでも…」
右近が柄にもないお節介をすると、小兵太はさも五月蝿そうに首を振った。
「心配無用。…それならもう買うてある」
「ほう。何を購うたのだ?」
「京でな…紅を買うておいた」
「…さすがじゃな。手回しのよい」
右近が揶揄するでもなく、心底感心したようにうなずくと、
「よせやい」
多分に照れ隠しなのだろうが、小兵太は懐に手を突っ込んで脇の下をぽりぽりと掻いた。

 右近がはたと歩みを止め、まじまじと小兵太を見つめた。
「おい…それを御家老の前で絶対やるなよ」
眉を寄せて冷ややかに諫言した。
「御家老はだらしないのがお嫌いじゃ。即、破談だぞ」
「おまえも口うるさいのう。急に行儀良くしろといわれても…、無理無理!」
「小兵太」
右近は貌(かたち)をあらため、かんで含めるように言った。
「志保殿のためじゃ。おまえも少しは努力しろ」
「なんでえ。そりゃ振られた負け惜しみか」
小兵太が鼻を鳴らすと、
「まあ、そんなところだ」
右近は薄い笑みを浮かべて話を合わせた。

 筆頭家老・溝口主膳はかつて右近を志保の婿にと望んだ。右近は誠之進の身内になるのも悪くないと、二つ返事で承諾したが、すでに小兵太への思慕を胸に秘めていた志保は、勇敢にも父の意に逆らった。右近が『振られた』とはその時の話である。(下弦の月・六の巻「晩夏」)

 小兵太は情けなく眉を下げ、
「くそお…御家老か。俺は苦手なんだよな、あの御仁が」
「御家老は懐深くお優しい方じゃ」
右近が遠い目をしてうなずくと、
「おまえは昔から秀才で御家老のお気に入りだからな。みそっかすの俺の気持はわからねえよ」
「そうひがむな」
「確かになあ…御家老としちゃあ、おまえを婿にと決めてかかってたところへ…志保ちゃんが、その…」
「おまえに惚れたのだ。確かに当ては外れただろう」
「はっきり言うのう」
小兵太がやれやれと溜息をつく。

 ふたりはどちらからともなく、再び歩き出した。
「だがな小兵太。結局のところ、志保殿の幸せな顔を見れば、御家老とておまえを受け入れるはずじゃ。祝言をあげて夫婦仲睦まじく、やがてそのうち赤子でもできれば…。御家老はめろめろ、義兄の誠之進もさぞや喜ぶだろう」
「ちょっと待て、右近」
「なんじゃ」
「まだ御家老から許しをいただいておらん。祝言や、ましてや赤子などとは気が早すぎるぞ」
慌てふためく小兵太がおかしかったが、
「大丈夫じゃ」
右近はうなずいて請け合った。
「そして必ず二、三人は男子をつくれ」
有無を言わせぬ口調に、
「おいおい、勝手に決めるなよ?!」
小兵太が思わず一歩ひいた。
右近は淡々と続ける。
「おまえと志保殿の子が、溝口家を継ぐやもしれぬ」
「は‥?」
右近は凝と小兵太を見つめたのち、
「『出奔』に加担したおまえのほうが、余程事情をわかっているはずだが?」
ちらりと片眉を上げた。

「このまま行けば、誠之進に子はできまい」

「右近…おまえ」
断言する右近を小兵太は複雑な表情で見つめた。
「誠之進は…ふたまたをかけるような男ではないからな。きっと奥方は娶らぬ」
右近は胸底に巣食うせつなさを隠して言い切った。
「…知っていたのか。誠之進と三郎のこと」
「あたりまえだ。去年、あれだけの騒ぎを起したのだぞ。殿と江戸藩邸重役の耳には当然入っておる」
「だな。おまえも重役のひとりになったわけだし」
苦笑する小兵太に、そういうつもりでは、と右近は小さく咳払いをした。

「ともかく…万一、さような仕儀に立ち至った場合、おまえの子を養子に迎えるなら、誠之進にとっても心強いはずじゃ…」
「おまえ、ふたことめには誠之進のためと、そんなに奴が心配か?」
「当然じゃ。三郎ぎみと…など。わざわざ己を難しい立場に追い込むような真似をして」
少しだけ声に苦しさが混じった。
右近は小兵太に気付かれていないことを祈る。
「なれど誠之進は金蘭の友だからな。見捨てるわけにはいかぬのだ」
大声でやせ我慢に胸をはる右近を、小兵太が一瞬深い目の色で見つめた。

「なんじゃ?」
「いや…」

 小兵太が口をつぐむと同時に会話が途切れた。繰り返す波の音に混じって、遠くで子供らの歓声が聞こえる。

 やがて、
「そういう恥ずかしい台詞を笑顔で吐けるとは、おまえもひと皮剥けたな」
小兵太が片頬で笑いかけた。
「意味がわからぬ。何かおかしいか?」
右近は明るくとぼけてみた。
小兵太はしみじみした顔つきで、右近の両肩をぽんぽんと叩いた。
「わからなくってもいいさ。ともかく…おまえ、良い顔になった」
「良い顔…とな」
「男前が上がったってことさ」
「…ふん。おまえに言われてものう」

 右近は完璧な造型の唇を綻ばせ、艶やかな笑みで応えた。




 南風が少し強くなり、右近は急に袂に涼しさを覚えた。
「お、ちと冷えてきやがったな。そこらで熱燗でもいっぱい…」
何かにつけて飲む口実を探す小兵太は無視して、右近は空を見上げた。
相変わらずのうららかな晴天だが、太陽の位置からして時刻は未の下刻(午後三時)頃か。

(そろそろ帰邸せねばならぬな…)

 名残惜しさを噛みしめたとき、
「お〜い右近、小兵太!」
はるか後方から彦四郎の声がした。
右近は振り返って彦四郎と誠之進の姿を目におさめた。
松林のあたりで、ふたりは貝の入った籠を重そうに抱えている。
今度は誠之進が大声をあげた。
「そろそろ帰りの舟に乗る時刻じゃ」
「承知した。すぐ参る!」
右近は誠之進と彦四郎に大きく手を振って、にこやかに応えた。




 話は尽きぬ四人の友であったが、皆それぞれの立場と役目のある身。西の空に陽が傾き始めた頃、右近は馬で藩邸へ、誠之進ら三人は再び舟で帰路についた。

 夕方の雑踏をなるべく避けて、右近は小川町への道を進んだ。西日を受けて馬の背に揺られつつ、楽しかった今日一日を思う。藩校時代、誠之進を介して知り合った小兵太と彦四郎だが、誠之進とは別の意味で、ふたりとの友誼も右近にとってかけがえのないものとなっていた。

 生涯この縁を大事にしたい。江戸暮しの彦四郎とは今後も行き来できるだろうが、国許の小兵太と志保の祝言にもぜひ駆け付けてやりたいと思う。

 そして一一。

(母上、孫作…)

 一昨年、病み上がりの身体をおして国許を発ったとき、ふたりは何も言わずに右近を送りだした。右近の胸の裡を知るふたりは、残される寂しさなどおくびにも出さず、毅然として右近を見送った。

(殿のお国入りの際、たとえ短期間でも随員として加わりたいものじゃ)

 おそらくは右近を案じたまま日々をおくる二人に、己の元気な姿を見せたいと思った。

(国許の桜はこれからじゃな…)

 水ぬるむ、懐かしい城下の春を思い、ふと里心のついた右近であった。



つづく


「恋重荷」2「暮春」2
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背景は「十五夜」さんからお借りしています。


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