五の巻
「藤若」3




by 戸田采女

 翌日、枡屋の寮。

 「何じゃ、新町一の太夫を袖にして、『子ども屋』に揚ってしもうたとな?」
内藤帯刀は脇息にもたれたまま、逞しい半身をゆすって笑った。
「いやはや、夜のうちに駕篭で帰ったものと思いきや…弥一郎のやつ、朝、内所で正座して私を待っているではありませぬか」
「…払いをいかがしてよいのやら、途方にくれたのだな」
「はい」
帯刀の弟、嶺次郎は思い出しただけでも笑いが込み上げてくるようだ。

 生真面目な甥が蔭間茶屋に同行した時は驚いたが、まさか本当に揚ってしまうとは思わなかった。さらにたまげたのは、翌朝、見送りに出てきた相敵の少年を見たときだ。

 思い出し笑いでにやつく嶺次郎に、
「何じゃ、まだ何かあるのか?」
帯刀も好奇心むき出しで尋ねた。
「弥一郎の『好み』がようわかりました」
「ほう…」
「件(くだん)の若衆、藤若などと名乗っておりますが、どうやら武家の出らしく…」
「もったいぶらずに早うもうせ、嶺次郎!」
「色白で目はぱっちりと大きく、笑うと少し頬にえくぼが浮かぶような…」
「ふむふむ…」
「どこか凛としながらも、人恋し気な目が愛らしゅうて、斯様な眸でじいっと見つめられては、ついこちらもふらふらと…」
嶺次郎の意味ありげな目配せに、帯刀もにやりと片頬で笑った。
さすがは兄弟。言外の意をくみとったらしい。
「その者…誰ぞに似ておるのか?」
「…年も二つ三つ違いますし、生き写しとは申しませぬが、何とのう、雰囲気が…」
「なるほどな…」
帯刀は手にした扇で、自分の顎を軽く叩いた。

 「面白いことになってきたのう…」
「しかし弥一郎も哀れなやつですなあ。三郎ぎみは守役殿とすっかり出来上がっておりますゆえ…。本物で思いを遂げる機会はまずないかと…」
嶺次郎は己のことは棚にあげ、甥の忍ぶ恋をおもしろがっている様子だ。
「いや、まだわからぬぞ」
帯刀は思案顔で扇を弄びはじめた。
「兄上、弥一郎をけしかけるおつもりで?」
「ばかもの。そうではないが…、嶺次郎、その藤若とやら…使えるやもしれん」
「兄上…?」
「我らはじき江戸へ発つが、その見世、島崎屋にでも命じてよう見はらせておけ」
「は、はい…」
嶺次郎は訝りながら承知した。
「いや…待て」
帯刀はぱちりと音をたてて扇を鳴らした。
「兄上…?」
「嶺次郎、その者、いっそすぐにも引かせることはできぬか?」
「まさか…請け出してやるおつもりで?」
瞠目する嶺次郎に、帯刀が肉厚の唇の端をゆがめてわらった。

 「一度、儂が顔を見に行ってやろう。まこと、三郎ぎみに似ておるなら…我が家ために存分に働いてもらうもよし…」
「兄上…」
「嶺次郎、その藤若とやら、借金はいかほどじゃ? 早速調べて島崎屋に金を用意させよ」
「あ、兄上…」

 (あのような蔭間、如何なさるおつもりじゃ?)

 嶺次郎の困惑をよそに、帯刀はらんらんと眼を輝かせて言った。
「武家の出だといったな。ちょうどいい、弥一郎にも小姓のひとりくらいおってよいだろう…」
「せ、正式に召し抱えるのでござりますか?」
嶺次郎は今度こそ腰を抜かさんばかりに驚いた。
「表沙汰にはできぬがな。身の回りの世話でも夜伽でも、弥一郎の好きにさせればよい」

 兄の魂胆が奈辺にあるのか、今回だけは嶺次郎にも皆目見当がつかなかった。




 弥一郎たちが大坂滞在中、季節は花の時期を迎え、桝屋の寮のある天満から大坂城にかけても、ヤマザクラに八重、枝垂れと、見事な桜の響宴が始まった。富裕な商人たちは安治川に屋形船を浮かべ、諸藩の役人の接待に忙しい。

 帯刀らも枡屋の船に綺麗どころを侍らせて、春爛漫の情景を楽しみながら、優雅な川下りを楽しんだ。

 大坂出立は予定通り来週と迫った。もともと長居の予定はなかったが、弥一郎はこの町の自由で明るい空気が好ましく、どこか去りがたい思いもあった。

 少々きこしめした父や叔父から離れ、弥一郎はひとり屋形船の舳先に座り、対岸の桜並木を眺めつつ物思いに耽っていた。

 父と叔父は来週、島崎屋の船荷がそろった時点で、すぐにも江戸へ発つ。もちろん自分も同行することになっている。だが、弥一郎はここらでふたりと別れて長崎へ行きたかった。天下の中心、江戸を見ずして如何する、と父の雷を食らいそうだったが、どうにも気がすすまない。

 父・帯刀は罷免になったにもかかわらず、捲土重来、御用部屋への復帰を心に期している。江戸へいき、信輝公の正室・お牧の方やその兄、田安慶久と接触し、ふたたび陰謀を巡らすつもりだ。

 父の悲願は溝口主膳と誠之進を追い落として、己が筆頭家老になること。父は今までの古いやり方を一掃し、殖産振興に力を入れ、島崎屋を始めとする海商を使って、藩をかつてないほど豊かにしてみせるという。 その志は敬服に値するが、父の手段を選ばぬやり方が弥一郎には我慢ならない。藩金流用、勘定方の帳簿の改ざん、はては手足となって働いた田村蓑助を虫けらのように葬った…。

 おそらく父は御用部屋復帰にむけて、田安家に援助を願い出ることだろう。ここでも莫大な金が動くはず。すでにお牧の方は、ここ数年、父が内密に奥向きの金を融通してきたことで、父に全幅の信頼を置いている。

 弥一郎のもっとも恐れているのは、内藤家と溝口家の政争に三郎が利用されることだった。

 本気で三郎を守りたいなら、長崎行などという逃げをうたず、ぴったりと父に貼り付き、行動を逐一監視することだ。しかし、いざとなったとき、自分は父を売って、三郎、つまりは溝口家の陣営に走ることができるのだろうか?

 弥一郎にはそこまでの決心がつかなかった。

 父を俗物と内心軽蔑しながらも憎みきれない。弥一郎は己の脆弱さを知っていた。


 溜息まじりに眼を落とせば、いとしい三郎の面影が揺れる水面に浮かんでいた。だが、春の光を受けてきらめく幻の中でも、三郎には鳶色の眸の美丈夫、溝口誠之進の影がつねに寄り添っていた。

 三郎の幸せがいずこにあるのか。…わかりすぎるほどわかっている。

 己を殺し切って、胸の思いに封印をかけ、無心で三郎のために働けるのか?

 恋敵の誠之進に組することができるのか?

 容易に答えはでなかった。




 結局、単身長崎に行くとも言い出せぬまま、島崎屋の宝栄丸の出航が近付いた。いよいよ明後日江戸へ発つという日の午後、弥一郎は桝屋の寮の父の部屋へ呼び出された。

 父・帯刀は濡れ縁に出て、自慢の相州刀の手入れをしている。中庭の枝垂れ桜もすでに葉桜となり、咲き始めたつつじが新たな彩りを添えていた。

 「父上、お呼びとうかがいましたが…」
弥一郎は父から半間ほど離れて、濡れ縁に端座した。
帯刀は刀身を見つめたままうなずくと、
「大坂の街はあらかた見物し終えたか?」
「はい、叔父上や枡屋にあちこち連れていってもらいましたゆえ…めぼしい所は大方…」
「ふむ、それは何より」
弥一郎は黙って頭を垂れた。
「ところで弥一郎」 
帯刀は目の端でちらりとこちらを伺い、片頬で笑った。
「…心残りはあるか?」
「は…」
「名残り惜しい相手はおらぬのかと…聞いておる」
弥一郎の頬がみるみるうちに熱くなった。内心舌打ちしたがもう遅い。

 『大和屋』のことだ。叔父の嶺次郎は「兄上には内緒にしておいてやる、どうせだったらまた付き合え」などと調子のよいことを言っていたが、やはり裏切ったに違いない。

 廓に揚らなかった言い訳は、適当にしておいた。その時は父も「怖じけづいたか…情けない」と苦笑するだけだったが…。




 弥一郎は実はあれから二度、『大和屋』に揚っていた。

 まだ弱輩の身ゆえ、自由になる金はいくらもない。揚げ代の相場が片仕舞(昼か夜のどちらか)一両と、叔父に聞いて初めて知った。恥をしのんで叔父に金をせがみ、弥一郎は藤若の座敷へ揚った。

 一度目は床入りをせずに、笛を聞き、座敷で語らうだけで帰った。昼にも客をとらされ、憔悴しきった藤若があまにも痛々しく、この上自分が苛むことなどできなかった。

 二度目に訪なったのは三日前。
藤若は客が弥一郎とわかると、わずかに目もとを染め、泣き出しそうな笑顔で迎えた。
初めての時は無我夢中で、相手の反応など気にとめる余裕もなかったが、二度目の床入りは弥一郎にとって忘れがたい一夜となった。

 仄暗い有明行灯のもと、白い三つ布団に五色の夜着、二つ枕も艶かしい。

 藤若はしなやかな姿態を横たえ、無言で弥一郎を誘った。

 三郎によく似た黒目がちの瞳に柔らかな頬。一生見ることは叶わぬだろうが、おそらくは三郎に良く似た、清い後ろ姿、まろやかな双丘…。藤若の中に忍び入ったとき、熱い肉襞に絡め取られ、弥一郎は恍惚のうちに我を忘れた。

 はたはたと揺れる睫の間から、藤若の潤んだ瞳が見つめ返してくる。弥一郎が腰を進めるたびに洩れる、慎ましくも切ない泣き方がたまらない。弥一郎の魂は、目の前の少年へのいとしさと、三郎を己が手で汚す妄想の間で揺れ動いた。

 真の三郎を抱き、蜜の味を知っている誠之進に、その夜、弥一郎は初めて嫉妬を覚えた。

 後で叔父に聞けば、若衆は実際見世に出る前に、房術をみっちり仕込まれるらしい。いかに初心に見えても藤若も玄人のはしくれ。結局、自分はいい夢を見させてもらっただけかもしれない。

 「心残りは」と問われれば、いましばらく、夢の続きを見たいと…思ふ。               




 父が刀を鞘に納め、鍔を鳴らす音がした。
弥一郎は我に帰った。

 ややあって、どすんと鈍い音と共に、弥一郎の目の前に袱紗包みが投げ出された。

 「父上…これは?」
手を触れる前に目で問うたが、
「開けてみよ」
帯刀は言葉少なに促した。

 紫の袱紗の中から『包金』が四つ、現れた。(小判の包みのこと。一包25両)

 「父上? 何のおつもりですか?」
いよいよ訝し気に見上げると、
「好きに使うがよい。廓で太夫を買うもよし、そなたの欲しい蘭書を買い漁るもよし…」
「父上?!」
「…件の『子ども屋』に、元藤堂藩士の次男がいるそうだな」
弥一郎は息を飲んだ。

 (藤堂藩士の次男?…まさか藤若のことか?!)

 驚愕する弥一郎を前に、帯刀は目を細めて口元を綻ばせた。
「…話はつけてある。気に入ったのならその金で請け出してこい。近習として召し抱えるがよい」
「ち、父上、いったいどういうおつもりですか?!」

 素直に諾といわない弥一郎が意外だったのか、
「ほう…そこまで執心してはおらぬのか?」
「い、いえ…それは…」
「気が進まぬなら別に構わぬぞ。あのまま捨ておくがよい」
「父上…」
「…こちらには助けてやる義理などないしな」

 帯刀は話は終わったとばかりに、相州刀を手に腰をあげようとした。
「おっと…忘れ物じゃ」
わざとらしく座り直すと、先程の袱紗に手を伸ばした。

 弥一郎の手が一瞬早く包みを奪いとった。

 帯刀は弥一郎の瞳の奥を覗き込み、
「ほう…」
と一声呟いた。


***


 四月三日。宝栄丸は予定通り大坂を発った。
初夏の陽射しをうけ、黒潮に乗った船は熊野灘を順調に航海していた。

 甲板では嶺次郎相手に、藤若改め彩之介が剣術の真似事をしている。やがて退屈した父・帯刀が、不様で見ておれぬとばかりに、嶺次郎を押し退けて交代した。

 「よし、彩之介、遠慮はいらぬぞ。どこからでもかかって参れ!」
「御意!」
明るく弾んだ声で叫び、彩之介は正面から帯刀に打ちかかった。
竹刀を打ち合う小気味よい音があたりに響く。
「何じゃなんじゃ、斯様なへなちょこでは、見事本懐遂げられぬぞ!」
片手で竹刀を握った帯刀が、少し強めに彩之介の竹刀をはたいた。
彩之介は愛らしい頬を紅潮させ、両手でしっかと竹刀を握り直し、猛然と突進した。




 少し離れた米俵の上に座り、弥一郎は稽古の様子を眺めていた。

(面ざしに似合わず勝ち気なところまで…三郎ぎみによう似ておる…)

 弥一郎はくすりと笑みを洩らしたが、その胸中は複雑であった。

 『大和屋』から引かせて我が家に召し抱えたことが、彩之介にとって吉なのか凶なのか。帯刀が彩之介を請け出したのは、単なる、親ばか、酔狂であってほしいと弥一郎は切に願った。

 まだ三度しか会ったことのない客に身請けされると聞き、彩之介は狐につままれたような顔で弥一郎を見た。己の目の前で『大和屋』の主人に金が渡り、もうおまえは自由の身だと言い渡されても、黒目がちの瞳は呆然と見上げるだけだった。

 出航前日、半信半疑の彩之介を枡屋の寮へ伴った。父・帯刀から「そなたの身の上は聞いた。由緒ある武家の次男が斯様な境遇に身を落とすとは、同じ武士として捨て置くにしのびない。これも何かの縁じゃ。正式に弥一郎の近習として内藤家に召し抱える」と言い渡され、彩之介は泣き崩れた。

 この御恩は生涯忘れませぬ、と内藤家に忠誠を誓った。

 満足げに微笑む父を見て、もしやこれも謀の一部かと、弥一郎は背筋が凍る思いがした…。




 「そうじゃ、もっと脇を閉めて、儂の動きを良く見てみよ!」
まるでわが子に対するがごとく、喜々として彩之介の剣の相手をつとめる父。

 その一方で、飽くなき野心で謀略の糸をはり巡らす父。

 どちらが真の姿なのか。

 弥一郎は父の見せる二つの顔に戸惑いながら、自分もまた内藤一族のひとりとして、父の野望に巻きこまれる未来を予感した。


藤若 了


「藤若」2「叢雲」1
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壁紙は「十五夜」さんからお借りしています。


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