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藤江を奥の庭付き書院に通し、右近は茶を点ててもてなした。
手前がひととおり終わると、藤江は改めて亭主の席にいる右近をまじまじと見つめた。
「何か…」
粗相でもしたかと、右近が小首をかしげると、
「そなた…いくつになった?」
「今年で二十七になりますが?」
藤江は打ち掛けの肩を落として溜息をつく。
「…まだまだ弱輩にござります」
いかなる溜息かはわからねど、右近はとりあえず無難な返事をしておけと思った。
しかし藤江は、
「そうではない」
「は…?」
「相変わらず…天下一の美女もかすむほどの美しさじゃな」
「……おたわむれを」
「ほれ…あの庭の牡丹でさえ…そなたには叶わぬ」
(何とまた大袈裟な…)
右近は口元を軽く綻ばせて、さらりと流そうとした。
藤江はさらに右近の顔を吟味するがごとく見つめ、
「いくら若い姫でも…十人並みの器量ではとても太刀打ちできぬわ」
胸の奥底から溜息をついた。
「藤江様…?」
いよいよ藤江の言葉をはかりかね、右近が問いかけたところへ、
「若殿がおなりです」
廊下から仙之丞の声がかかった。
軽い音をたてて障子戸があき、決して上機嫌とは言えぬ惣一郎が入室した。衣服は木綿の着物であちこちに絵の具が飛んでいる。右近は黙って頭を垂れた。
「若様…」
芝居がかったほど落胆した声音で、藤江は惣一郎を見上げた。
惣一郎は藤江に声もかけず、憮然として上座に腰を降ろした。
「若様…またお絵書きにござりますか?」
子供の頃、絵ばかりかいている惣一郎を嗜めた時も、こんな口調だったのか?
惣一郎が赤子の頃から仕えている藤江にかかっては、三十路を過ぎた若殿も童子扱いである。
「藤江…、そなたの小言は聞き飽きたぞ」
脇息にもたれ、惣一郎は扇を取り出すと、さもうるさそうにぱたぱたと扇いだ。
「して、今日は何の用じゃ」
「何の用かとは、これはまたしたり!」
藤江はきっと容を改め、
「お母上様からの大切なお言葉を、この藤江、若様にしかと伝えに参りましたぞ」
末席に端座した仙之丞と右近の目があった。室内の空気が急にどんよりと重みを増した。
「…して、母上は何と?」
小言ならさっさと申せ、とばかりに惣一郎が目で促した。
「若様も…心あたりは十分おありでしょう」
「だから何なのだ?」
「…いったい、綾姫様をいつまで放っておくおつもりです?」
綾姫とは当サイトでは影のうす〜い、惣一郎の正室である。
そらきた、とばかりに仙之丞が右近に目配せした。
身の置き場のない右近はじっと座っておれず、とりあえず惣一郎のために茶を点て始めた。
惣一郎は苦虫を噛み潰したような顔で、扇を開いたり閉じたりしながら低く呟いた。
「別に…放ってなどおらぬ」
「…では前回上屋敷にいらしたのは、いつのことにござります?」
「さて…」
惣一郎は本当に思い出せないのだろう。表情を見ていれば一目瞭然だ。
「何と薄情な…」
藤江は袂で顔を覆うようにして、
「桃の節句のおり、ちらりとお戻りになられましたが、お泊まりにもならずにこちらへ引き上げられましたな」
「…そうであったか?」
「…何と、なさけなや。綾姫様がおいたわしゅうござります…」
右近は点て終わった茶を惣一郎の前に差し出した。
惣一郎は型通りの挨拶をしながら、右近に艶っぽい視線を投げる。投げるというよりは、絡ませるといったほうが適当なくらい、右近を捉えて離さない。
そのまま三口で茶を飲み干すと、茶碗を縁外へ戻し、
「結構なお手前でした…」
形のよい唇に、わずかに好色な笑いを浮かべた。
(惣一郎様…)
わざと藤江を挑発するかのような行動に、右近は憮然として眉をしかめた。
藤江は血走った眼で、ふたりの様子をまばたきもせずに見つめていた。
*
これで退散するかと思ったが、惣一郎の読みは甘かったらしい。
藤江は気を取り直し、居住まいを正すと、なおも食い下がった。
「惣一郎様、お世継のあなた様が中屋敷に住まわれるのは、しきたりにかなってはおります。なれど、御正室様を上屋敷に残したまま、何ヶ月もお戻りにならぬとは…いかなる御考えでしょうや?」
「いかなるもくそもなかろう。中屋敷へは絵を描くために滞在しておる。綾がこちらに来ても、結局かまってやれず寂しい思いをするだけじゃ。ならば、上屋敷の奥で皆と賑やかに暮らしているほうが楽しいと思うてな」
「よくもまあ…そのような見え透いたことを」
藤江はぎりっと奥歯をかみ、右近をにらみつけた。
(何ゆえこちらに鉾先が向くのだ…)
右近は真剣に頭痛がしてきた。何とか席をはずしたくてたまらない。
惣一郎はのらりくらりと言い訳を続けた。
「なれど、せっかく綾のためにと、母上が奥の改築を命じ、大枚はたいて普請を行ったのであるし…」
「ならばあなた様が上屋敷にお戻りなさりませ!」
「無茶を言うな…藤江」
「何が無茶でござりますか!」
「きんきん喚かんでくれ!」
情けなく眉尻を下げて、惣一郎が両手で耳を塞いだ。
「わかった! 来週にも一度上屋敷に出向くゆえ…それでよかろう!」
そろそろ限界に達したのか、惣一郎は一声叫ぶとやおら立ち上がった。
「惣一郎様!」
「…いい加減で戻らねば、せっかく溶いた絵の具が乾いてしまう。藤江、本日は御苦労であった」
あっさり言い捨てると、惣一郎は大股で部屋を出ていこうとした。
「惣一郎様、お逃げなさるおつもりか?!」
藤江は追い縋らんばかりに腰を浮かせたが、
「母上によしなに」
惣一郎は振り返りもせず書院を後にした。
残された右近と仙之丞はばつが悪そうに顔を見合わせた。
落胆した藤江は『これでまた一気に白髪が増えるわい』と、かぼそく呟くのだった。
つづく
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