七の巻
「葵」3




by 戸田采女

 四月二十九日。越後・高山城。

   誠之進と堀隼人丞は江戸からの書状が届いた日のうちに、用人の青木忠左衛門を通して信輝公への面謁を願いでた。

 拝謁を許されたふたりは、翌日、信輝公の朝餉のすんだ時刻を見計らって、中奥の藩主の居室へ赴いた。




 その情報を嗅ぎ付け、早くも暗躍しようとするものがいた。
中老の奥野将監だ。昔から内藤帯刀の腰巾着で有名だった奥野は、現在、江戸方の手足となって働いているが、誠之進たちはまだそこまでつかんでいない。

 信輝公の茶坊主を買収してある奥野は、誠之進と堀がただならぬ様子で殿に目通りを願ったとききつけ、その朝、早めに登城した。ふたりが入室したあと、奥野は茶坊主の手引きで、次の間に潜んで聞き耳をたてていた。




 「殿、本日は早朝からお騒がせし、まことに申し訳ござりませぬ」
並んで頭をさげる誠之進と堀を前に、信輝公は鷹揚にうなずいた。
堀から用人の青木に前もって頼んでおいたため、小姓も席をはずし、居室には信輝公、誠之進、堀の三名だけだった。
「して、火急の用件ときいたが?」
「はい…実は、差し出がましいことかとは存じましたが、某の一存で本田家について、内密に調べさせていただきました」
「なに?」
信輝公の瞳がわずかにくもった。
誠之進は堀が報告し終えるまで一言も口をきくなと、堀から因果を含められている。
「隠居なされた前留守居役の堀田様に、近年の本田家の様子を聞いてみようとおもいました」
「又左衛門にか?」
「はい…。お顔の広い堀田様ならば、本田家の内情、何か御存知ではないかと…」

 信輝公は溜息まじりにわずかに眉を寄せた。
「して…そなたらが雁首そろえてやってきたところを見ると…なんぞ良からぬ話が出たのか?」
「恐れながら…」
堀は一度深く首を垂れた。

 誠之進が注視するなか、堀は懐から書状を取り出した。

(堀田様の書状か? それを殿に見せるおつもりか?)

 この書状は堀への私信であり、お牧の方様や田安様の悪意に、具体的に言及した部分があった。
いぶかしげに堀を見やる誠之進に、堀は案ずるなと目で合図した。
「殿、ここに、堀田様からのお手紙がござります。御覧になりますか?」
「よい、そなたがかいつまんで説明せよ」
「はっ」
堀は命じられた通り、報告を始めた。

 『本田家当主・忠直殿の素行に問題あり。近年、衆道に耽溺し、美しい前髪を抱えるだけでは飽き足らず、家中に召し出すに適したものがいなくなると、芳町の悪所へも出入りするなど行いは目にあまる。重臣たちは一度は主君押し込めを考えたが、世継ぎが昨年亡くなり、分家・親戚筋からも養子の来手がない。ただひとり残った忠直殿の息女・るり姫に婿を迎えたいところだが、姫に釣り合う年令の少年を出すのを皆渋っている。誰も口に出しては言わないが、万一、舅殿に『気に入られた』ら一大事と懸念している。そこで、重臣たちは部屋住みの成人男子を物色してみたが、今度は当主・忠直が難くせをつけて話がまとまらぬ。このままでは無嗣廃絶もありうると、家中のものは焦り始めているらしい…とのこと』

 ここまで堀が話し終えると、
「なんと…。そのような話、牧や田安の慶久殿からはひとことも聞いておらぬが…」
信輝公の相貌に驚きと不快の入り交じったものが浮んだ。

 (あたりまえだ。お牧の方が斯様な話を殿の耳に入れるわけがない。国許の重臣が江戸表の事情に疎いのをよいことに、三郎ぎみを一日も早く厄介払いしてしまおうというわけだ)

 誠之進は叫び出したいほどの悔しさを、かろうじて堪えていた。

 「堀田様も『たとえ五万石の由緒ある家柄でも、この話、決して三郎ぎみのためにならぬゆえ、御破算にしたほうがよろしかろう』と結んでおられます」
「うむ…しかし…」
信輝公はひとことうなったまま、黙り込んでしまった。

 誠之進には堀の意図が見えてきた。

 お牧の方や田安家の陰謀とは匂わさず、本田家の家風に問題ありと指摘することで、殿を翻意させようとしている。やはり殿様の面前でみだりに御正室や田安殿を誹謗するわけにはいかない。

 本田家当主忠直の素行については、「年甲斐もなく何と不様な…」と信輝公も眉をひそめたが、この話、そもそも田安家の口ききというあたりが、どうにもひっかかっているらしい。

 「しかし、忠直殿の素行についての噂、田安の慶久殿は御存知なかったのだろうか?」
「さて、某には何とも…」
呑気に首をかしげる信輝公を、誠之進は内心苦々しくおもった。
信輝公はお優しい性格だが、悪意に対して鈍感なところがある。
堀もおそらくは同じ思いだろう。
「本田家としても、斯様な醜聞、ひた隠しにしているに違いありません。田安様が御存知なかったというのも考えられます。さりながら、分家も皆、舅殿の慰み者になるのを恐れて、年頃の男子を養子に出したがらぬというではありませぬか。斯様な家に、大切な三郎ぎみを…」

 「藤十郎っ!?」
信輝公が滅多に出さない大声をあげた。
誠之進も堀も何事かと一瞬身構えた。

 「そなた、今何を言おうとした?」
「そ、それは…殿の御寵愛深い三郎ぎみを…忠直殿のような御仁に…」
流石に言いよどんだ堀に対し、
「恥知らずなことを申すでない!」
信輝公は不快を露にし、手にした扇をぴしりと畳にうちつけた。

 「藤十郎、ならば、なにか? 本田家にとって遥かに格上の、この結城家十一万石の三男を、姫の婿に迎えるといいながら、忠直殿が自分の閨に侍らせるつもりだとでも?」
「…その危惧は十分にありまする」
「愚かなことを申すでない」
「なれど、殿!」
「忠直殿の性癖はたしかに関心できぬ。若衆狂いなぞ、いい年をして不様としかいいようがない。されど、斯様な破廉恥な企みをもって、わが結城家から婿を迎えるなど…そこまで侮られる覚えはないぞ!」
「殿…っ」
なおも食い下がる堀を前に、信輝公は胸の底から深い息をついた。
「…確かに、牧は妾腹の三郎にたいして色々おもうことはあろう。分家は認めぬ、他家へ養子に行けというのが本音だろう。それは身供とて承知しているつもりじゃ」
「ご拝察…恐れいりましてござります」
「なれど…、忠直殿がいかに美童を好むとはいえ、姫の婿として迎える三郎を己の閨にはべらせようなど…ちと穿ちすぎではないか?」
「と、殿っ」
「ましてや、それを知りながら、牧や田安殿が仲介の労を取るなど…」
信輝公は信じられぬとばかりに頭を振った。
「さ、されど分家も皆…その事を懸念し…」
「藤十郎。考えすぎじゃ…。本田の分家とわが結城家では格が違う」
「お、仰せの通りにはござりますがっ」
「三郎はいわば格上の大名家からの養子。それ相応の礼を持って迎えられるはずじゃ」
信輝公は鷹揚にうなずいたが、どこか己にも言い聞かせるような物言いだった。
誠之進は伏目がちに端座し、唇を真一文字にひき結んで堪えていた。

(殿、お人の好いのもたいがいになされませ! ご正室様、田安様が絡んだ話だからこそ、堀田様も懸念されるのではありませぬか?!)

 誠之進はわずかに腰を浮かせ、今にも口を挟みそうになった。
焦れる誠之進の様子を察したのか、堀がさかんに目配せして押さえようとしてくる。

 思うに、堀自身も喉まででかかっている一言があるのだろう。

 誠之進は堀が江戸詰めの頃、見聞きした話を思いだしていた。だが、お牧の方さまの人となりをあからさまに非難しては、もはや引っ込みがつかなくなる。堀は膝の上の拳を震わせながら、懸命に次の手を考えている様子だった。

 「殿…」
とうとう誠之進はたまりかねて口を開いた。
「誠之進、ここは私に任せて貴公はだまっておれ!」
混乱しながらも、堀は鋭く言い放った。

 されど、誠之進はここで話をうやむやに終わらせる気はなかった。

 お牧の方や田安殿への怒りを意志の力でおさえこみ、誠之進は信輝公に対してあくまで冷静に、淡々と語り始めた。
「恐れながら申し上げます。本田家の事情はどうであれ、三郎ぎみは以前から大名になどなりたくない、故郷で暮らしたいと、ずっと訴えておられます。殿もそのことは重々御承知のはず」
「誠之進…」
「なにゆえその願いをお聞き届けいただけませぬのか?」
「誠之進…」
「ご正室様の手前、分家が難しいなら、臣下に下っても構わないと、三郎ぎみからも殿にお願いされたと聞いておりまする」
「誠之進、そなたまでそのようなことを…」

 信輝公は理解に苦しんでいた。
誠之進を見据える瞳に非難の色はない。しかし、
「誠之進…これはそなたの怠慢じゃ。何ゆえ、もっと早うから三郎に大名家の子息としての心構え、教えてこなんだのだ?」
やはり問わずにはいられなかったらしい。

 大名の子息としての心構え…。それを言われては一言もない誠之進である。

 多少武家の枠からはずれても、三郎は三郎らしくあればいいと思っていた。町家育ちの自由闊達さ、感情豊かで身分や格式にとらわれない、独特の価値観を持った三郎。そんな三郎がまっすぐに育つ姿を側で見守っていたかった。

「殿…」
血の一滴にいたるまで、武士でしかない自分には到底持ち得ない、まぶしいほどの輝きが三郎にはあった。信輝公もかつて、そういうおひろに惹かれたのではなかったのか…?

「臣下に下るなど…、もってのほかじゃ。結城家直系の血をひきながら、そのようなこと断じてゆるさぬ」
信輝公はこれまでと同じ答えを、無情にもくり返すだけだった。

 『大名家の子息としての心得』
信輝公も父・主膳もふたこと目にはそれだ。
いや、武家社会の常識からいえば、二人の言うことが正しいのやもしれぬ。
右近にも言われたように、横車を押しているのは自分のほうだ。
三郎ぎみの人としての幸せを考えること自体、もはや武家の守役としての目線ではなくなっているのだろう。

 恐れおおいことだが、誠之進は信輝公の中途半端な優しさがどうにも許せなかった。

 加賀屋から三郎ぎみをお連れした時も、殿は三郎ぎみが愛しいといいながら、つまるところ、御自分の都合ばかりをお考えだ。祖父・久右衛門殿と引き離され、いきなり城へ連れてこられた三郎ぎみのお心など、何一つわかっておられなかった。

 いわば横車を押しておひろ側室に迎え、三郎ぎみを無理矢理引き取り、三郎ぎみが成長された今、今度は本人の願いより、大名家の体裁を優先なさろうとする。

 世の殿様とはそれで普通なのかもしれない。わかってはいるが、誠之進は信輝公への失望を禁じ得なかった。所詮、信輝公は御自分の考えでは何もきめられぬ。武家のしきたりにのっとり、結局は重臣達の言いなり…正確に言えば、父・溝口主膳の意のままに動くあやつり人形にすぎぬのか。

 (もはや…殿には何もお頼み申しませぬ。久右衛門殿(三郎の祖父)とお約束したように、三郎ぎみは私が…守ります)

 三人のいずれもが言葉を発せぬまま、うすら寒い沈黙に落ちた。


 やがて誠之進は深い失望を隠しながら、深々と頭を下げた。
「殿のお叱りはごもっともにござります。守役として私が至りませんでした」
「誠之進…」
「田安様のお口ききでもある本田家との縁組み、どうしても断れぬと申されるのなら、私が三郎ぎみと一緒に本田家にまいりましょう。御成人後も三郎ぎみの側近として、忠勤に励みたく存じます」

 「誠之進?!」
堀が血相を変えて叫んだ。
「‥今何というた?」
上座の信輝公も呆然と誠之進を見つめている。
堀は平伏する誠之進に向かって鋭く叱責した。
「誠之進、血迷ったか?! 貴公はまもなく主膳殿の跡をついで国家老になる身ぞ? そのような勝手が許されるとおもうているのか?!」

 ここまで味方してくれた堀にたいして、自分のしていることは裏切りに等しい。

 (藤十郎殿…お許しくだされっ。私にはこのまま三郎ぎみをひとり送りだすことなど、到底できませぬ!)

 堀への申し訳なさで胸がいっぱいになりながらも、
「殿、溝口家には次男・慶次郎がおりまする。家督は慶次郎につがせ、わたくしは三郎ぎみとともに駿州へ…」
「誠之進、頭を冷やせ…っ」
堀はなおも低い声音で鋭く叱責した。

 上座から見下ろす信輝公は、茫洋とした眼差しで平伏するふたりを交互に見やった。

 「殿…」
予想外の展開に弱り果てた堀が、
「殿、誠之進殿は見ての通りの一本気な男。お役目熱心のあまり、今は頭に血がのぼっておりまする。…あとでよく言ってきかせますゆえ、ここはひとつ、私におまかせを…」
何とかこの場を納めようと信輝公にとりなした。
思案のすえ、信輝公はようやく重たげに口を開いた。
「…あいわかった。藤十郎、そなたからよう言ってきかせよ」
「さりながら…」
「なんじゃ、藤十郎」
「本田家との縁組み、殿におかれましても、何卒、ご再考いただきますよう、伏してお願い申し上げます」

 「…どのみち、八月の江戸出府まで返事をするつもりはない」
「はっ…」

 信輝公は考え直すとは言わなかったものの、とりあえず時間は稼げた。

 誠之進は無言で平伏し、堀は胸の奥から深い吐息をついた。




 次の間に潜んでいた中老の奥野は思わず舌打ちした。
「堀藤十郎め…余計なことを」
歯がみしながら手にした扇を握りしめた。

 茶坊主に促され、足音を忍ばせて部屋を出ると、奥野はその足で内藤邸へ向かった。


つづく


「葵」2「葵」4
青嵐・目次 | 書庫目次


壁紙は「kigen」さんからお借りしています。


Copyright © 2004 戸田采女
All rights reserved.