八の巻
「五月雨」1




by 戸田采女

 内藤帯刀一行を乗せた島崎屋の船、『宝栄丸』は弥生の末に大坂を出航した。途中、時化のため下田の湊で三日ほど足留めをくったものの、ほぼ予定通り、四月の半ばには江戸についていた。閉門はとけているとはいえ、家老を罷免になった帯刀だ。今回の江戸入りは無論、藩邸には内密だった。一行は留守居役・岩田善次郎のはからいで、藩邸出入りの両替商、天満屋の霊巌島の寮を仮住まいとした。

 江戸に到着後、帯刀は息子たちには江戸見物をすすめながら、自分は御用部屋復帰にむけて精力的に活動を続けていた。以前から結託している留守居役の岩田と連絡をとり、田安の慶久とも久方ぶりの対面を果たした。

 内藤帯刀は駆け出しだった海商の島崎屋を後援し、藩の金を流用して千石船を作らせた。それを元手に手広く商いをさせ、過去数年間、島崎屋は蝦夷の物産を西国に運び、すでに巨額の利益をあげていた。言うまでもなく、帯刀は儲けの一部を島崎屋から見返りとして受け取っている。

 江戸藩邸奥や、田安家に流れている金は、帯刀が藩内で勢力を拡大するための、いわば賄賂であった。帯刀は今後もどんどん島崎屋に稼がせ、金を吸い上げ、江戸家老や国許の中立派の重臣たちも、必要とあらば買収するつもりだった。

 田安家から嫁いできた藩主・信輝公の正室、お牧の方は、若い頃から贅沢三昧、実際のところ藩の内証がいかに厳しくても、これまでの生活を変えることなど不可能だった。数年前、国家老・溝口主膳の提案で奥の経費が大幅に削減され、お牧の方が不満を募らせていたとき、帯刀は京から取り寄せた贅沢品を送り、後には直接金を融通し、巧みに奥に取り入った。それが功を奏し、今ではお牧の方の実家、田安家からも絶大な信頼を得ている。

 だが、帯刀は徹底した現実主義者だった。

 金で己の陣営に組したものは、金がなくなれば呆気なく裏切るものだ。

 それを承知で、帯刀はふたりをとことん利用しきるつもりであった。




 端午の節句も過ぎ、梅の実売りの声が市中に響き渡る時節となった。

 朝から曇天の広がる憂鬱な空模様であったが、岩田善次郎から呼び出しをうけ、帯刀は昼時、駕篭で日本橋の小料理屋まで出向いた。岩田からの手紙には、火急の用件と、大層慌てた筆跡でしたためてあった。 

 二日前、国許から岩田善次郎に早飛脚で手紙が届いた。差し出し人は中老の奥野将監。内藤帯刀は両名に命じて、江戸と国許の間でつなぎをつけている。

 奥野は本田忠直の素行が信輝公の耳に入ったと知らせてきた。

 書状には、今までノーマークだった堀隼人丞の行動が逐一記されていた。

 帯刀は堀のことを単なる良識派の文人くらいにしか評価していなかったが、前の留守居役、堀田又左衛門と連絡をとり、江戸の人脈を使って本田家の内情を短期間で調べあげるとは、侮れぬ相手と見直した。

 一方、例の怪文書を送りつけられてもなお、誠之進の側に立つとは、そういうところは甘いというか、解せぬ男よなあ、と帯刀は岩田を前にして苦笑いを浮かべていた。

 帯刀には忠義や友情で動く人間の気が知れない。

 「内藤様…、堀藤十郎の若僧はともかく、隠居した堀田様まで首をつっこんできたとなると、殿はますますお心をきめかねるでしょうな…」
帯刀は大きな手のひらで顎をなでさすり、
「うむ。又左殿には殿の絶大な信頼があるからのう…確かにちとまずいことになった」
思案顔でうなずいた。

 岩田は本田家と三郎の養子縁組が壊れるのを恐れ、焦り始めていた。岩田としては、本田忠直の若衆狂いの噂を聞き付け、いわば自分から持ちかけた話。お牧の方や田安殿を巻き込んだ挙句、最終的に結城家のほうから断る形になれば、岩田の面子は丸つぶれ。腹を切らされるのは確実だ。

 明らかにびくびくと帯刀の顔色をうかがう岩田に、
「まあ、慌てるな」
「は、はい…」
帯刀に杯を差し出され、岩田はおどおどしながら酒をつぎたした。
帯刀は逞しい喉をあおのけて、一気に飲み干すと、
「…ここは田安の慶久様にお出まし願い、もうひと押ししていただこう」
「何か…お考えが?」
じりっと膝を乗り出す岩田に、帯刀が返杯した。
帯刀は酒をついでやりながら、
「そなた、まだ会うておらなんだな?」
「は?」
首をかしげる岩田に、帯刀は肉厚の唇をゆがめてわらった。
「じつはな、当家で新しく召し抱えた小姓がおる」
「それが…なにか?」
「いやなに、人なつこい瞳の愛らしい童子でな」
「内藤様…?」
「なんとのう似ておるのだ。雰囲気が」
「ど…どなたに?」
ようやく勘付いた岩田の瞳がずる賢く光り始めていた。

 「年は三郎ぎみよりふたつほど若いがな。遠目に見ただけでは区別はつくまい」

 帯刀の喉の奥から湿った笑いが漏れた。

 『藤若』(彩之介)を請け出したとき、帯刀は使い道を具体的に考えていたわけではなかったが、ここは一番、江戸で三郎と偽って本田忠直に見せてはどうかと提案する。

 「しかし…後で偽者とばれたらいかがいたします?」
いかにも小心な岩田らしい心配だった。
内心小馬鹿にしながらも、帯刀は鷹揚な笑みを浮かべて続けた。
「なに、対面させるわけではない。顔の造作がわかる程度の距離から遠目に『見せる』だけじゃ」
「なるほど…」
「なかなか美しい前髪ぞ。若衆好きのひひ爺なら、すぐにも連れて帰りたくなるような…」
「さすが内藤様、お目が高い。しかし、そのような少年、何処で見つけられたのですか?」
好奇心むき出しで尋ねる岩田に、
「いやなに、ちと縁があってな」
帯刀は杯を差し出しつつ、答えをはぐらかした。

 「岩田、近いうちに一席設けてくれ。田安様にも同席していただき、本田忠直をたきつけるのじゃ」
「心得ました。では…根岸の大文字屋あたりの離れを借り切って…」
岩田は糸のような目を細めて、にやりと笑った。
「うむ、まかせたぞ」

 帯刀の一計で自分の首がつながったと安堵したのか、岩田は上機嫌でしきりに酒をすすめた。

 勧められるままに杯を重ね、帯刀も少し口が軽くなっていた。 
「しかし、本田忠直が偽の『三郎』を気に入って是非にといってきたら‥誠之進のやつ、さぞや慌てるであろうな」
「いざとなれば、自分が三郎ぎみに付き従い本田家へ入る、と申したそうですな」
「ふふ…主膳の狸めが、そのようなことを許すはずはないがな」
「殿に縁組を断らせるためのはったりではありませぬか? 誠之進殿もまさか本気で家老の座を捨ててまで…」
御冗談でしょうと岩田がへらへら笑うと、
「…いや、わからぬぞ。あるいは切羽詰まれば三郎ぎみを連れて出奔ということも…」
帯刀はふと杯を持った手を止め、真顔でつぶやいた。

 「契った相手にそこまで尽すとは…某などには思いもつきませぬ」
「…ふん、忠義じゃ、愛じゃとなまじ情の深い男は、所詮大きゅうはなれぬものよ」
「手厳しゅうござりますな」
「まあ、どう転んでもこれは見物じゃ」
帯刀は鼻先で乾いた笑いをもらした。
「しかし、二人揃って高山から消えれば、内藤様の思うつぼにござりますな」
帯刀に追従してそう言ってしまってから、岩田ははたと気付いたようだ。
「あ、しかしそれでは本田様に三郎ぎみを勧めた某の立場が…」
一転して岩田は青ざめた。

 帯刀は岩田の問いには答えず、しばらく宙を睨んだのち、ふっと溜息をついた。

 「確かに…ふたりが消えてなくなれば手間が省けてよいが…誠之進が斯様に『潰しがいのない』男とは、ちとつまらぬ気もするのう」

 己の保身で頭がいっぱいの岩田は、帯刀の言動に戸惑いを隠せない。

 (うじ虫め…)

 帯刀は腹の中で吐き捨て、この男もそう長くは使えぬな…、と酷薄な笑みを浮かべた。


つづく


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イラストは「十五夜」さんからお借りしています。


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