八の巻
「五月雨」3




by 戸田采女

「弥一郎様…」

 蚊帳の中、彩之介はさきほどから何度も寝返りを打っていた。

 まだ寝苦しいほど暑いわけではない。だが、ここ数日、彩之介は悶々と眠れぬ夜を過ごしていた。




 彩之介が『大和屋』に売られてきたのは十三の春。
年の割に小柄で幼かった彩之介は、衆道の知識はおろか、まだ自慰も知らないような少年だった。無論、恋も知らなかった。

 それが一転して、春をひさぐ境遇に身を落とした。普通、陰間茶屋で十三歳といえば客をとっている年齢だが、『大和屋』の主人は彩之介にいきなり客をとらせず、兄貴分の下に見習いとしてつかせた。座敷を整え膳部を運ぶなど手伝いをしながら、客のあしらい方、座の持たせ方などを学ぶのである。

 ある意味、猶予期間を与えられたわけだが、それで済むわけはない。当然、閨の指南も受けることとなった。すえた匂いのする薄暗い蒲団部屋で、初めて野郎陰間に後ろを犯された時、彩之介はおぞましさと痛みに泣き叫んだ。

 やがて自分も見世に出て、毎夜、違う男に抱かれる…。

 考えただけでも鳥肌がたった。

 不祥事でおとり潰しになったとはいえ、自分はれっきとした武家の子。斯様な辱めをうけてまで生きていけぬと思った。切腹の作法はまだ知らなかったが、せめて脇差があれば喉をついて死のうとおもった。だが、彩之介はもはや佩刀を許される身分ではなかった。失意の彩之介は、三日もたたぬうちに庭先の松の木で首を吊ろうとしたところ、下男に見つかり、主人や店の男たちから数日間、手酷く責められた。

 『大和屋』の主人は巧妙だった。

 屈強な男衆に命じ、情け容赦なく彩之介を犯させた後、一転して身を蕩かすような愛撫で、彩之介の躯に快楽を叩き込んだ。

 肉体的に痛めつけられる折檻と、どちらがましだったのか?

 もはや振り返っても詮無きこと…。あの時から自分が別の生き物になってしまったことを、彩之介は事あるごとに思い知らされてきた。
 



 大坂を出て以来、弥一郎が自分に触れたのは一度だけ。航海中、悪天候で下田の湊に立ち寄った時のことだ。嵐はなかなかおさまらず、一行は旅籠で二泊する羽目になった。

 客と陰間としてではなく枕を交わしたのは、あの夜が初めてだった。もちろん、弥一郎は『大和屋』でも彩之介を乱暴に扱いはしなかったが、下田の夜は彩之介にとって忘れがたいものとなった。

 弥一郎は彩之介をまるで恋人のように抱いた。
優しく頬をなで、口を吸い、愛おしむように、全身くまなく唇で触れていった。
ひとつになってからも、彩之介の前を慰めながら反応をうかがい、お互いを高めていくような愛しかただった。

 幾多の客達のように、己の欲望を満たすためだけに乱暴な抽走をくり返すのとは違う。

 言葉で「いとしい」と言ってもらえなくとも、彩之介は弥一郎の唇が肌に触れるたびに、熱い楔で貫かれるたびに、胸は震え、歓喜の涙が頬を濡らしていた。

 だが、それも先月の下田の夜を最後に途絶えてしまっている。

 船に乗っている間は、狭い船室でまわりの目もあったと思うが、なにゆえ江戸に着いてのち、お声がかからないのか?

 もちろん弥一郎は相変わらず優しくしてくれるが、閨の勤めはとんと御無沙汰だった。

 彩之介にはひっかかっていることがある。
下田での夜、弥一郎が寝言で呼んだ、「三郎ぎみ」という名前。

 (三郎…ぎみ?

 もしや、その人は…弥一郎様の想い人なのか?

 では私は…私は弥一郎様の何なのだろう?

 いや、そんな大それたことを考えてはならぬ。

 自分が弥一郎様とどこで出会ったか、思い出してみろ。どうせ私は元陰間なのだ。ならば、弥一郎様も遠慮なさらず、小姓の勤めとして…伽をお命じになればいいのに。

 何ゆえ…?

 弥一郎様はもう私に厭きてしまわれて、…そのようなお役にもたたないのだろうか?)

 そんなはずはっ…と頭を振りながらも、触れてもらえぬ事実は偽りようもない。

 初めて会ったときから、彩之介は弥一郎が大好きになった。
陰間と客として出会ったにもかかわらず、弥一郎は彩之介の身の上を案じ、じっと話に耳を傾けてくれた。

 昼間の客がしつこくて、身も心もくたくたに疲れていた時、弥一郎は花代を払って揚ったにもかかわらず、彩之介を抱こうとしなかった。見世に出るようになってから、客からこんな労りをうけたのは初めてだった。今日は笛を聞かせてくれと所望され、彩之介は弥一郎のために心をこめて吹いた。

 話の端々から、弥一郎が旅の途中だとわかっていた。早晩、大坂を発つとも聞かされていた。あと何回会えるだろう? せめてもう一度だけ、見世にきてはくれまいかと、毎夜、手を合わせて祈った。

 彩之介の祈りは天に届いた。
弥一郎の父、帯刀から内藤家に召しかかえると言い渡されたとき、彩之介は胸も潰れんばかりの嬉しさに、言葉もなかった。ただただ涙が溢れて止まらなかった。

 苦界から救いだしてもらえた嬉しさだけではない。

 『以後、弥一郎の側に仕えよ』と、帯刀から夢のような言葉を聞かされ、彩之介は天にも昇る心地だった。

 (もしも…誰かの身替わりだったとしても。

 弥一郎様のお側にいられるなら、それでも構わぬ…。

 触れてももらえず、顧みられないくらいなら、身替わりで抱かれるほうがましじゃ)

 『弥一郎様!』

 彩之介は涙で夜着を濡らしながら、いつしか泣きつかれて眠りに落ちていった。




 五月に入り、端午の節句が過ぎても、弥一郎は相変わらず彩之介に伽を命じなかった。

 彩之介の不安は募り、憂鬱は日に日に深まっていく。

 小雨ふる午後、書見を始めた弥一郎は、彩之介に夕方まで好きに過ごすがよいと、書院にこもってしまった。

 特に急ぎの用もなし。手持ちぶさたになった彩之介は、ひとり縁側で膝を抱えていた。
濡れそぼった柘榴の赤い花をぼんやりと眺めていると、
「彩之介、こんなことろで何をさぼっておる?」
後ろから突然、嶺次郎に抱きつかれた。
「嶺次郎様!」
身をよじって嶺次郎の腕から抜け出ようとしたが果たせず、
「お、お放しくださりませっ」
仕方なく懇願した。

 嶺次郎は意外にもあっさりと彩之介を解放し、隣に座り込んだ。
彩之介もきちんと坐り直し、嶺次郎と向き合った。
「いかがした? 何やら寂し気な目をして…」
「さ、寂しくなどありませぬ」
「嘘をつけ。…もしや、弥一郎があまり構ってくれぬのか?」
嶺次郎はにやりと好色な笑いを浮かべた。

 心の不安を見すかされ、彩之介はむきになって答えた。
「左様なことはござりませぬ! 弥一郎様は私にそれは優しくしてくださいます!」
「ふふふ…そうかのう? そのわりには、弥一郎の奴、そなたにあまり伽を命じぬな」
「そ、それは…」
図星をさされた彩之介は、睫を伏せて黙り込んだ。

 「のう…『藤若』」
嶺次郎が猫撫で声で彩之介の手をとった。
「そなた大和屋にいたときは…毎日客をとっていたのだろう?」
嶺次郎は彩之介の指先を軽く握りこみ、親指の腹で相手の関節を愛撫するようになでた。
「弥一郎も仕方のない奴じゃのう…。そなたも可哀想に…身体が疼いて眠れぬ日もあろう?」
そのまま乱暴に手をひき、彩之介が懐に倒れこんできたところを、すかさず抱きしめた。
「嶺次郎様っ…」
嶺次郎は手慣れた様子で、彩之介の着物の袷に手を差し入れた。
「お、おやめくださりませ!」
本気かもしれぬと慌てた彩之介は、今度こそ嶺次郎の腕から逃れようと懸命にもがき始めた。
だが嶺次郎は増々腕に力をこめ、
「何を申すか、そなた、わが内藤家が百両で請け出したこと、よもや忘れてはおるまい?」
「あ…そ、それは…」
請け代のことを持ち出されては、彩之介は沈黙するしかない。

 確かに…そういう意味では自分は内藤家に「買われた」も同然なのだから。

 悔しさに瞳を潤ませながらも、彩之介は心の底から抗えなくなった。
相手の気力がそがれたのを察し、
「よいではないか、たまには私の相手もしてくれ…」
嶺次郎はうっとりと呟き、彩之介の胸の飾りを弄び始めた。

 彩之介はくっと奥歯を噛みしめた。

 嶺次郎の言う通りだった。自分は「大和屋」で毎日のように客をとっていたし、見世に出る前に、誰に触れられても感じるよう、主人や野郎陰間からさんざんに仕込まれている。なまじ場数を踏んでいる嶺次郎は、そのことを完璧に見すかしていた。

 「弥一郎の伽をしたのは一体何日前じゃ? ほれ…正直に言うてみよ。そろそろ男が欲しくなる頃ではないのか?」
激しく頭をふりながらも、彩之介の息が怪しく乱れ始めていた。
興を覚えた嶺次郎は、そこが縁側だということも忘れて、彩之介の袴の中に手を入れてきた。
股間をやんやりと握られ、
「あっ…お、お許しくださりませ!」
彩之介は悲痛な声をあげた。
「なに…遠慮はいらぬ。不肖の甥に代わって、叔父の私がそなたを慰めてやろう…」
嶺次郎の手が彩之介の下帯の中へ忍び込もうとしていた。
 

 「嶺次郎!このうつけが。昼間から何をしておる!」

 突然廊下の向こうから帯刀の怒号が聞こえた。
嶺次郎は慌てて彩之介を放した。
帯刀は厳しい顔つきで、廊下を渡ってこちらへやってくる。
「殿様!」
彩之介は思わず帯刀に助けを求めた。

 「嶺次郎、甥の小姓に手を出そうなど…浅ましい真似はやめろ」
「あ、兄上〜」
「彩之介も斯様なところで油を売っておらずに、さっさと仕事に戻らぬか」
「も、申し訳ごさりませぬ!」
改めて羞恥に頬を染め、彩之介は帯刀の前に平伏した。
「もうよい、ゆけ」
軽く顎をしゃくって促す帯刀。
彩之介は震える手で着物の前を掻きあわせ、逃げるようにその場をあとにした。

つづく


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イラストは「十五夜」さんからお借りしています。


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