九の巻
「花月」1




by 戸田采女

 根岸の大文字屋。

 十年ほど前に出来たこの高級料亭は、近年おおいに繁盛していた。
客室は小体な離ればかり。身分の高い者が密会の場として用いることもおおい。

 広大な敷地内は全体が回遊式庭園となっており、調理場を含む母屋の他、十五の数寄屋作りの離れが点在している。厠も各棟に設けられている贅沢さで、客同士がはち合わせすることは滅多にない。顔を見られたくない要人は、離れまで駕篭や乗り物で乗り付け、すぐ座敷にあがることも可能だ。

 両国の川開きも間近にせまった五月某日。
高山藩主・結城家の世嗣、惣一郎と側近の櫻田右近、平岡仙之丞の三人は、近江屋の接待で中食をとっていた。

 惣一郎の世を忍ぶもうひとつの顔は絵師だ。しかも現在製作中の作品は四十八手枕絵集。もちろん男同士の絡みである。先日、まずは一の巻・十二枚の原画が完成し、版元の近江屋は惣一郎の労をねぎらう名目で、三人を大文字屋へ招待した。

 大文字屋の人気はプライバシーの保てる離れだけでなく、料理の良さにもある。

 花のついた柘榴の枝を箸置きに、蒸し鮑のあんかけ、鱸の洗いに塩焼き、じゅんさいの吸物など、初夏の味覚が膳を彩っていた。

 惣一郎は御満悦で、相伴にあずかった仙之丞も料理に舌鼓を打っている。近江屋の計らいで、特別に国許・越後の諸白も取り寄せてあった。夏場は甘ったるい下り酒よりも、すっきりした越後の酒が右近の口にはあった。

 決して料理が気に入らぬわけではなかったが、近江屋の接待というのが面白くない右近は、今一つ気分がのらない。酒肴を時おり口にしつつ淡々と杯を重ねていた。

 ほどよく酔いが回ったころ、近江屋がこんな話題を口にした。

 「若様…絵の制作にお励みくださるのは、手前どもと致しましても誠にありがたいことですが、近頃は吉原へは遊びにゆかれませぬのか? 久喜萬字屋の綺麗どころが寂しがっておりましたぞ?」
「これ、近江屋」
仙之丞が思わず咳払いした。
寝た子を起こすようなことを言ってくれるなというわけだ。
右近には仙之丞の慌てぶりが何やらおかしい。
当の惣一郎は脇息に肘をあずけ、杯片手に面白そうに笑っていた。
「…なかなか仙之丞の監視がきびしゅうてな。武士たるもの、華美を好まず質実剛健を旨とせねばならぬそうだ。財布は全てこやつが握っておるゆえ、廓へ行こうにもこづかいをくれぬ」
思わず吹き出した右近に、
「何がおかしい?」
惣一郎が真顔を装って尋ねた。
「いえ…御立派な心がけと…」

 吉原になぞいかなくとも、惣一郎はほぼ日課のように濃厚な絡みの枕絵を描き、早速閨で実践しようとする。そんな男の辞書に質実剛健などいう言葉がよくあったものだ。

 右近はすまし顔で端座しつつも、懸命に笑いをかみ殺していた。

 「それはまあご立派とえば、ご立派でしょうが…、たまには息抜きもなさらねば…」
「近江屋、案ずるな。若殿は気楽な身分ゆえストレスなどたまらぬ」
「何じゃ仙之丞、その言い種は。無礼ではないか?」
「まことのことにござります」
にっこり笑いつつ、仙之丞はぴしりと決めつけた。
 
 それでも近江屋は残念そうに首をかしげ、
「しかし…粋で通った結城の若様に、どこぞの浅葱裏(田舎者の勤番侍)のような台詞をはかれては…ちと淋しい気もいたします」
「おい近江屋、惣一郎様を焚き付けるでないぞ!」

 (どうみてもそなたの分がわるいな…仙之丞)
 
 右近は杯を傾けながら苦笑した。
海千山千の近江屋を前に、仙之丞のような弱輩が座敷犬のごとくきゃんきゃん吠えたところで、大した威力はない。

 近江屋も若僧の仙之丞の言うことなぞ馬耳東風で、
「ほれ、先頃出た『吉原大全』にも書いてありましたぞ。最高の通人というのは『心さっぱりとしていてイヤミなく、明るくお洒落で洗練され、人品高上で風流で功をあせらず…』まるで若様のことを言うているようではありませぬか?」
「その続き、『たっぷり用意した金をおしみなく遊びに使い切る』というのだろう?」
茶目っけたっぷりにひきとった惣一郎に、
「おや、これはこれは。若様も御覧になったのですね」
「うむ…。しかしもはや借金してまで遊ぶ気は失せた。身供もすっかり分別臭くなったかのう?」
「何をおっしゃいますやら。それに、若様はいまや御自分の絵筆一本で、何千両と稼ぎ出す御身分ではありませぬか? 仙之丞殿にこづかいをせびらずとも…」
「近江屋!そなた吉原の回しものか?!」
「いえいえ、滅相もない…。ほれ、仙之丞殿も左様な固いことをおっしゃらずに、一度若様と御一緒に、遊びにゆかれてはいかがです?」
「わ、私は…そのような場所へは行かぬ!」
「ほう…もしや…仙之丞殿はまだ女子の肌を知らぬので?」
「そ、そのようなこと。そなたに答える義理はない!」
耳まで朱に染める純情ぶりが、近江屋にはおかしくてならないらしい。

 ふたりの会話が漫才のようになってきたころ、惣一郎がまあまあと窘め、杯を差し出した。

 右近は終始傍観者に徹し、三人のやりとりを傍で聞き流していた。聞き流しながらも、腹の中では色々おもうこともある。

 惣一郎はいつの間に…『吉原大全』などに目を通していたのか?
 
 (『いとしいのはそなただけじゃ』とか言いつつ、ちゃっかりそんな物を読んでいるのか…)

 右近は睫の隙間からちらりと惣一郎を睨んだ。

 (まあ、吉原などで散財されては困るが、女子に興味を持つのは…別にかまわぬ。け、健康な男子の証拠じゃ)

 腹の中で呟いた右近だが、どうにもやせ我慢が混じっているのは否めなかった。




 途中、一度中座して右近は用を足しに表へ出た。厠は離れ屋の外に設えてあった。

 ちょうどその時、二十間ほどむこうの隣の離れに、駕篭が二挺やってきたのを認めた。
まじまじと見るつもりはなかったが、簾をあけて出てきた壮年の男が視界に入り、
「…なにっ?」
右近は息を飲んだ。

 まさか。内藤帯刀…?

 他人のそら似でなければ、何ゆえ奴が江戸にいる?

 もっとよく顔を確かめようと、右近は足音を忍ばせて近付いた。店の者がやってきて入口がざわついているのを幸いと、右近は近くまで走り込み、潅木の陰から離れの様子をうかがった。

 続いて駕篭から降りて着たのは、金糸の縫い取りも艶やかな小袖をきた、元服前の少年だった。

 (え…?!)

 さらなる驚きに右近の目が大きくなった。

 (さ、三郎!?)


つづく


「五月雨」4「花月」2
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イラストは「十五夜」さんからお借りしています。


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